復位 [崔胤のクーデーター]
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「くそ! おもしろくもねえ」
「宦官どもが正統な帝を幽閉するなんて許せるのか!!」
場末の飲み屋で左神策指揮使の孫徳昭が今夜も喚いていた。
時は光化の末、唐朝もすっかり衰えて京師付近にしか勢力が及ばない。
それでも昔の余光のおかげで地方の節度使からの献納はまだまだ馬鹿にならない。
政府が混乱しているのに乗じて、徳昭も甘い汁をすこしは吸ってきた。
「多少の余得がないと、兵隊業なんてバカバカしくてやってられねえ」
もともとは鹽州地方からの出稼兵ぎである徳昭は禁軍の將の誇りや、忠義心などはさらさらないのだ。
ところが先頃、宦官劉季述達が酒乱の昭宗皇帝を幽閉し、太子を立てて政権を握った。
それだけなら、徳昭達にはどうでもいいのだが、一味の宦官王仲先が規律を締め、勝手に官物を流用できなくしてしまったのだ。
急に忠誠心を起こした徳昭、今日も飲み屋で酔っぱらってわめいていた。
「その気持ちは本当かい?」暗いところにいた小男から声がかかった。
ギクッとした徳昭がそちらをみると、宰相崔胤の家臣石晉であった。
「本気ならうまい話があるんだが」なと晉。
崔胤は宣武節度使朱全忠と結ぶ反宦官派の有力者であったが、今回の変で失脚していた。
警戒した徳昭だが「ああ、本気だぜ」「でもな小物の俺達がなにを喚いてもなんもできん、なにをしたらいいのかもわからん」と囁いた。
「宰相様には頭があるが兵が無いんだ」
「やってくれるなら、富貴が欲しいままなんだがな」と晉。
天復元年正月、崔胤の指示を受けた徳昭達が、劉季述達を斬り昭宗皇帝を復位させた。
そして徳昭は李繼昭と賜名され、節度使同平章事となった。
*******背景*******
唐朝はすっかり衰亡し、各地に李克用・朱全忠・王建・楊行密などの勢力が割拠し、近くは鳳翔李茂貞や華州韓建に脅かされる地方政権に没落していた。
光化三年には朱全忠と通じた宰相崔胤が専権していた。
魯鈍で宦官の傀儡であった僖宗とは違い、普通であった昭宗だが、なすことが全てうまくいかず苦悩し、それが昂じて酒乱となり、狂乱しては宦官や女官を殺害する事があった。
そこで幹部宦官の左右神策軍中尉劉季述、王仲先等は昭宗を押込め、皇太子裕を即位させた。
また宰相崔胤を殺そうとしたが、朱全忠との関係を憚り、度支鹽鐵の権限を削るにとどめた。
崔胤は全忠に救援を求めたが、全忠は逡巡していたため、孫德昭、周承誨、董彥弼等を糾合し、季述・仲先を殺して昭宗を復位させた。
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