知り合いが離婚したと聞いた。
詳しくは語らないが、別居数年後にイザ正式に手続きをしたら、頭の中が真っ白で何をやるにも気力が無いと言う。けじめをはっきりつけるということは、こんなにも応えるものなのか、初めて知ったと言う。
出来ることであれば、一緒にいれたほうが良いのは当たり前だが、なかなか難しいところが多い。当然、別れる別れない自体は、白黒はっきりしているが、その理由となるところは白と黒を両端とし、その間が無限の灰色のグラデーションで彩られている。どこに線引きを置くかで、別れる別れないが決まる。
相手に対する自分の期待値と相手の実態との乖離が、自分の価値観を根底から揺るがす時が、別れへのカウントダウンであろう。
幸いまだ離婚はしていないが、何度か別れを経験している。頭が真っ白になったのも3回ぐらいある。体が自分の物で無く、しかも心はふわふわとどこを漂っているのか、体の中には無かった。何をどうして、どうすればよいのか、放心状態になる。
最初の真っ白は、会社に入って数年後。次の日はとりあえずも会社に行った。その日が棚卸しの日だったのを覚えている。物を数えるわけだが、段取り説明から実勘から集計、抜き取り確認まで、心の中は真っ白。体は借りてきた物の様に実感が無い。生きる気力はゼロ。その後、どう立ち直ったのかよく覚えていない。何か気晴らしに大きな買物をしようとして、友達にたしなめられたことは憶えている。それは、先にブログにも書いた、最近亡くなったI君だった。
歳を重ねるということは、経験が増え、決定的な墜落コースを避ける算段もつけられるようになるということだ。少なくとも、成り行きまかせの率は下げられる。若い頃は反対に行くところまで行ってしまいがち。
まあ、100年も経てばお互い死んでいる。どうせ死んでしまうのなら、生きている間の相克なんて、大したことではないと思うのだがどうだろう。その瞬間は大変だと思うだろうが、いずれその事実も当人達が死んでしまえば、それは無かったことに等しいのである。大変なことだと本人達が思うほどには、たいしたことでは無くなるのである。
なぜだか、どういうわけだか、不思議なことに、たまたま、今、この時に生まれ合わせて、出会ったのである。人類は何万年も昔からいて、これから何万年もいる、その長大で無限とも思われる時間軸の中で、ほんの100年未満の期間、たまたま、出会ったのである。この不思議さには感謝以外の言葉は思い浮かばない。
とかいうアドバイスを若い頃貰えていたら、我ながら、少しは違った展開になっていたかも、と琉球泡盛を飲みながら、空想にふけっているが、そうはならないところが、これまた若者の特権。
人は何があっても、それをただ受け入れていくだけなんだろう。
でも、そういうアドバイスをくれる人も、本もなかったなぁ。
↑ かろうじて、家内の堪忍袋の範疇に生息しているクワトロ郎でした。
詳しくは語らないが、別居数年後にイザ正式に手続きをしたら、頭の中が真っ白で何をやるにも気力が無いと言う。けじめをはっきりつけるということは、こんなにも応えるものなのか、初めて知ったと言う。
出来ることであれば、一緒にいれたほうが良いのは当たり前だが、なかなか難しいところが多い。当然、別れる別れない自体は、白黒はっきりしているが、その理由となるところは白と黒を両端とし、その間が無限の灰色のグラデーションで彩られている。どこに線引きを置くかで、別れる別れないが決まる。
相手に対する自分の期待値と相手の実態との乖離が、自分の価値観を根底から揺るがす時が、別れへのカウントダウンであろう。
幸いまだ離婚はしていないが、何度か別れを経験している。頭が真っ白になったのも3回ぐらいある。体が自分の物で無く、しかも心はふわふわとどこを漂っているのか、体の中には無かった。何をどうして、どうすればよいのか、放心状態になる。
最初の真っ白は、会社に入って数年後。次の日はとりあえずも会社に行った。その日が棚卸しの日だったのを覚えている。物を数えるわけだが、段取り説明から実勘から集計、抜き取り確認まで、心の中は真っ白。体は借りてきた物の様に実感が無い。生きる気力はゼロ。その後、どう立ち直ったのかよく覚えていない。何か気晴らしに大きな買物をしようとして、友達にたしなめられたことは憶えている。それは、先にブログにも書いた、最近亡くなったI君だった。
歳を重ねるということは、経験が増え、決定的な墜落コースを避ける算段もつけられるようになるということだ。少なくとも、成り行きまかせの率は下げられる。若い頃は反対に行くところまで行ってしまいがち。
まあ、100年も経てばお互い死んでいる。どうせ死んでしまうのなら、生きている間の相克なんて、大したことではないと思うのだがどうだろう。その瞬間は大変だと思うだろうが、いずれその事実も当人達が死んでしまえば、それは無かったことに等しいのである。大変なことだと本人達が思うほどには、たいしたことでは無くなるのである。
なぜだか、どういうわけだか、不思議なことに、たまたま、今、この時に生まれ合わせて、出会ったのである。人類は何万年も昔からいて、これから何万年もいる、その長大で無限とも思われる時間軸の中で、ほんの100年未満の期間、たまたま、出会ったのである。この不思議さには感謝以外の言葉は思い浮かばない。
とかいうアドバイスを若い頃貰えていたら、我ながら、少しは違った展開になっていたかも、と琉球泡盛を飲みながら、空想にふけっているが、そうはならないところが、これまた若者の特権。
人は何があっても、それをただ受け入れていくだけなんだろう。
でも、そういうアドバイスをくれる人も、本もなかったなぁ。
↑ かろうじて、家内の堪忍袋の範疇に生息しているクワトロ郎でした。