今55歳である。
15歳からギターを弾いているから、もう40年か。あいかわらず下手である。謙遜で無く、弾かない人に比べればそれはかなりのレベルであるが、自分の審美眼はごまかせない。
とりあえず90歳まで生きるとして、あと35年。ふむふむ。さて、どこまでこれから上手くなるかな?と考えると、まあ、たかが知れている。
ギターが勢い良く上手くなるのは、たぶん10代~20代だろう。
年を取ってから上達するのは、演奏技術そのものでなく、うまく聴かせる技(ごまかし技)である。
よって、ギターを変えても、別段上手くなるわけでも、うまく聴こえるようになるわけでもない。
だから、表題のギターを買わないことにした、というわけではない。前振りが長かったかな、本題に入ろう。
なんでもいい、自分の好きなジャンル、趣味の世界で、いろいろ買いたくなるものが、皆あるだろう。私の場合は、ギターである。メインだけ考えて、周辺小物はこのさい置いておこう。サイクリング好きは、自転車がそうだろう。ボウリングだと、ボールかな。書道家だと、筆?すずり?墨?
なぜ、もうたくさんそれを持っているのに、新しいのが欲しくなるのか?
このブログでも以前から何度も書いているが、それは、自責でなく他責ですまそうとするからである。あるいは、自力で無く、他力ですまそうとするからである。
木に登ることにたとえると、幹に抱きつき腕力と脚力でじわじわと自力で登るのでなく、はしごで登るようなものである。
腕力と脚力を鍛えることをせず、道具に頼る。
木の上からの眺めは、汗びっしょりの体に心地よい風を受けながら、ほうっと大きな息をしながら見るほうが、喜びは大きいと思うがどうだろう。しかも、さらに上に登ることも可能である。
ハシゴをかけて、しゃかしゃかとのぼり、景色をさらっと見ても、それは目線が違うだけで、脳へのインプットは地上で見るものと同じ程度の刺激でしかない。上に行くには、またハシゴを調達しなければならない。
ハシゴはまだ、景色を見るという実をとれるかもしれない。ギターであれば、この実がそもそもあるかというと、はなはだ疑問である。
道具はなんでもそうだが、それ自体はやはり脇役であり、主人公は別にいる。ギターであれば、流れ出すメロディーであり、和音であり、歌心である。
この感は、最近、クラシックギターを弾いていて特に思うようになった。アール・クルーのダンス・ウィズ・ミーを練習しだしてからである。これまでは、クラシックギターはそれほど弾いていなかったが、このギターの弾きやすさ、ニュアンスの出しやすさ、柔らかな音色に虜になった。それでいて激しい音も出る。ギターとの一体感が従来のエレキやフォークにはなかった。エレキやフォークはそれぞれが強烈な音を出せるので、一体感というよりも、仲間、相棒、って感じ。クラシックは自分そのもの、と思える。
仲間や、相棒なら、その時、場所、自分の心情によって、相手が変わることもあるだろう。ところが、自分そのものであれば、変わる必要がない、変える必要が無い、そもそも変われない。
しこうして、私は、もうギターを新たに買う必要が無い、と思うに至ったわけである。私自身がギターであることに気付いたのだ。
15歳のとき、ギターが欲しくて欲しくて、親にねだって、全音のクラシックギターを買ってもらった。あのころは、ギターにフォークとかクラシックとか種類があるのを知らなかった。平凡、明星の歌本の後ろのほうに載っている、全音ギター入門セットであった。
その後、いろいろたくさんのギターを手に入れ、手放し、また買って、また売って、年が行ってからは昔憧れだったマーチンのギターも買えたりした。エレキに手を出し、エフェクターも新しいものが出るたびに試した。ギターシンセも飛び道具として使っていた。コンピューターミュージック(MIDI)のはやり始めは、キーボードとパソコンでかなり凝った音楽を作っていた(面白すぎて、奥さんがほったらかしになるぐらいで、ある時点でこれは麻薬だと気付き、すっぱりやめた)。そして、もう全音のギターは手元には無いように、それらのいろいろな楽器は本来の役目をもう果たせずに、出番待ちでいる。
そうしながら40年経ったのである。
今弾いているクラシックギターは、30年前(?)に買ったものである。まさから、これがこれほどの転機のきっかけになるとは。買ってきたクラシック、ジャズ、ボサノバ、などの楽譜をときどきめくりながら弾いていたが、直ぐに飽きて、そのあとはしばらくほったらかし、そういうことの繰り返しだった。別段、暗譜するわけでもなく、技術的にちょっとひっかかると、もうそこでストップ。
今でも、暗譜がなかなか出来ないことや技術的ひっかかりの頻度はそれほど進展してはいないが、対峙すべきは、自分と悟った。
すでにこれからの一生、困らないぐらいのギターは持っているが、おいおいバンド用にエレキは1本、フォーク弾き語り用に1本、そしてこのクラシック、都合3本に集約していこう。
そうなのです。もう一生ギターは買わないことにしたのです。そして、それは、もう買う必要が無くなったからなのです。なぜなら、自分自身がギターであることに気付いたからです。