はんたろうさんの「猿の手 」から、思った話。
はんたろうさんの記事にさらっと書いてある「猿の手」とは、W.W. ジェイコブズの手によるホラー小説である。(と思う。雰囲気で判断していて確認してないの^^;)
主人公は、インドのめずらしい土産としてミイラの手のようにひからびた猿の手をもらうのだが、それにはまじないがかけられていて、3つの願いがかなえられる・・・という所から物語が始まる。
突然手に入れたチャンスと、その後に訪れる恐怖がうまく組み合わされた秀作で、ほとんど100年前の作品にも拘らず、今でも読むものを冷やりとさせる怖さがある。
有名な話なので、知っている方は多いと思うが、未読の方は、是非読んでみて欲しい。
さて、ここで効果的に使われているのが、「三つの願い」という「仕掛け」である。
古くは「アラビアンナイト」の「アラジンとまほうのランプ」にも登場するし、日本でも「三枚の御札」みたいな形で登場する。
しかし、基本的に「猿の手」との違いは、アラジンやお札は、その「効能」を持って危機を乗り越える話であるが、「猿の手」では、状況は使う前よりも良くはならず、かえって悪くなってしまうのである。
似た話をぐぐって見ると、シャルル ペローの「三つの願い」にその原型を見て取れる。
この話は、森の妖精の大切な木を切らないでおく代わりに、三つの願いを叶えてもらうことになった木こり夫婦の話で、最初に、「大きなソーセージが食べたい」等と刹那的な願いをした事に端を発してすったもんだの挙句、結局「何も残らない」という話である。
元々、グリム童話を始めとして、欧州の昔語りには訓示的な香りのするものが多く、話の終わり方もハッピーエンドではないものが多いので、狼に食べられちゃったままの「赤ズキンちゃん」とかに比較すると、まだ、おとなしい結末ではあるのだが、なんとなく、すげえ高飛車な訓示を垂れている気がするのである。
曰く
「アホは、どんなにチャンスがあってもアホ」
いやー、それってアホな私は、ズキッとしちゃうのである。
話を「猿の手」に戻すと、「猿の手」の登場人物が願うのは誰しも考えそうな事である。
しかし、妖精の魔法とちょっと違うのは、「猿の手」はある意味、代償を捕るのだ。
きちんと「猿の手」を使いこなそうとするには、その代償にまで気遣って頼み事をしないといけないのである。
いやぁ、私なんて、「猿の手」を目の前に、延々と考え込んでしまいそうだ。
さてさて、聡明な皆さんは、どうするのでしょう?
もし、今夜、あなたの枕元にも「猿の手」が置かれていたら。
【TB】猿の手 はんたろうのがらくた工房
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老夫婦が望んだことが成就した代償は
確か、一人息子の命ではなかったでしょうか?
私もこの本を読んだ当時は確か中学生だった
ので、『自分だったら、何を望むだろう?
でも、何かと引き換えだったら、今のままでも
満ち足りているので、プラスにならないなら、
お願いごとは出来んね~。』と、真剣に考えた
ものでした。
最終的には中学生ながらに、『やっぱ、人間、
地道にがんばるしかないか~?』と、悟って
しまいました。
あ、やっぱり中学くらいで読むんですね。
私もそのくらいに、何かの雑誌のおまけで読んだ気がします。
中学生くらいが読んでも、非常に簡潔でストレートな怖さでした。
しかも、昨今のホラーのような血みどろシーンは一切無いのですから凄いですよね。
怖い話も苦手ですが、スプラッタはもっと苦手なのですよ。
ということで、猿つながりで、すっかり脱線してますが虎持ってきました。
もし「私の願いが叶いませんように」と願ったら、どうなるのでしょうね…?
思い起こせば、結構、学習雑誌のおまけで、いろんなジャンルの作品読んでいるんですよね。
確か、学研の「科学と学習」には「読み物特集号」とかあって、随分とお世話になった覚えがあります。
虎、ありがとうございます。
この話は小学校のときに読みました。今でもトラウマのように思い出します。
一つの願いをかなえてもらうたびに人が死ぬんですね。しかも身近な人が。息子を返してくれと頼んで、家に帰ってきた息子は…。ギャー
はじめまして
最近は、日本以外の韓国のホラー映画も入ってきて、中々それぞれ凝ったアイディアで楽しませて(怖がらせて?)くれるんですが、どうしてもゴタゴタしすぎる感があります。
その点、「猿の手」という話は、単純だけれど人の心の奥に仕舞われた禁忌に触れる話だから、こんなに恐いのだと思うのですよ。
久しぶりに、私も読んでみようかなぁ?
これからもよろしくお願いします。