いま、「人道支援」に関する、二つの活動に関する記事を見かける。
一つは、募金活動の「本家・本元」(?)である「赤い羽根共同募金」。
もう一つは、白い輪「ホワイトバンド」だ。
大体の人が「募金」で思い浮かぶのは、この「赤い羽根」か、「NHK歳末助け合い」ではないかと思う。
特に「赤い羽根」は、最近は改善されてきている様だが、以前は学校、職場、自治会で「ノルマ」的に集められていたので、日本人の「募金」に関するイメージを決めてしまった感がある。
そう言う下地があったところに、「放っておけない世界の貧しさ」という題目で、「ホワイトバンドを買って」という文言が飛び込んでくれば、「ああ、寄付なのかな?」と勘違いするのもしょうがない所だろう。
ところが「ホワイトバンド」の場合、大事なのはその「主張」であり、「ホワイトバンド」を買うことでは無かったのだ。
だが、日本の場合、そういう「主義・主張」を全面に出した活動は、少し毛嫌いされる傾向がある。
だから、これは憶測だけれど、事務局の方も最初は「イメージ戦略」で行こうとしたのだと思う。
記録を残していないのだが、初期の「ホワイトバンド」のサイトは、もっとシンプルで「ホワイトバンドを着けよう!」程度の情報しかなかったと思う。
で、サイトにはいろんな有名人が名を連ね、「ホワイトバンドを着けよう!」と呼びかけている。
見ている方は、「あ、なんかカッコいいぢゃん。で、これ着ければ貧困が救えるのなら、なおいいぢゃん」と思ってしまったわけである。
しかし、最初に「主張」をしっかり伝えないまま、雰囲気で売ってしまった弊害は大きいと思う。
実際、「募金になる」と思って買った方や人に勧めた方にしてみれば、「話が違うよ」と思うのは当然だ。
「ホワイトバンド」事務局の方でも、慌てていろんな情報をサイトに上げ始めたが、そういう「後出しじゃんけん」的なことをすると、どうしても胡散臭さがぬぐえない。
それに結局、ファッション的側面を強調したが為に、徐々に何の関連もない「類似品」も出回り始めているようだ。
「ホワイトバンド」の趣旨からすれば、「類似品」だってなんだって、「主張」を理解した上での「意思表明」として付けているのであれば問題ない、と言う事になるのだろうが、結果的に「主張」を理解しないで付ける人が多くなるという事は、「活動資金」にも成らないし、「ホワイトバンド」という活動の意義さえ希釈してしまうと言う二重のダメージになる気もする。
とまれ、この活動の「真価」は、ブームが去った後に何が残っているのかにかかっている。
個人的には、もう少し事が落ち着くまで「洞ヶ峠」を決め込むつもりだ。
「毛だし」?
★ぱこさん
「兄は下欄や」?
実は、今でも赤い羽根の収益元の第1位は、自治会を通じて集められるモノなんですよ。
その意味で、まだまだ本当の「募金」とか「ボランティア」が根付いていないところで、イキナリ「意思表示」というのは、まだ、時期尚早だったのかもしれませんね。
わーい、ぱこさんに褒められたぁと安直に喜んでいたら、悔しがっていたのはそこですか!
これはしたり! ・・・なんてね。
いや、「とまれ」は、私のトレードマークのようなモノですから。
・・・時々、使い方怪しいですけど。
ホワイトバンドのほうは ホワイトバンドを手段として選んだのはいいけど 前面に押し出しすぎたんでしょうね。ただの流行りものになってしまってるみたいで。将来どうなるんでしょうね。
なにが悔しいって「とまれ」という言葉を先に使われたことが悔やまれてならない。
「とまれ」は「埒もない」と「これはしたり」に次ぐ、一度は使ってみたい言葉なのだよ。(泣