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3月22日は1月初旬以来のえるそろ乗船だった。
メンバーは、kawamura艦長・ノザワシェフ&航海長・オギパパ先任伍長・しまねえ・風海庵。

北から東の風。吹いて8mぐらいで、絶好のセーリングコンディション
風海庵は0730ごろ現着して、早朝の港風景を楽しんだ。風はひんやりとしている
が、身体が引き締まっていい。
水平線上には春霞。頂に雪を冠し富士山がその上に美しく浮び、その裾と江ノ島が重なる。
三浦半島西側にある港の特権。見事な眺望です。

0930ごろ出港して名島の鼻を交わして南方へ。
天候が良い週末は久しぶりなので、ヨット・ディンギー・モーターボート・遊漁船・手漕ぎ・セロファン(ごめんなさい。最近内輪で浸透しつつあるセールボードの符牒です)...洋上は賑やかである。

ほぼアビームの風を受けて、5~7ノットで快調に南へ走っていると、カメキ沖に鳥山を発見。
鳥の群れがかなり広範囲に存在し、散発的にダイブしたり、水面で休息状態になったと思うと、いっせいに移動してダイブするということを繰り返している。
ナブラというにはダイブの時間が短い。こういうときは魚群が深いところにいて、上がったり下がったり、深度が一定していないことが多い。
‘えるそろ’はタッキングとジャイビングを繰り返して、鳥山周辺でヒコーキと潜行板を曳いたがあたりはなかった。ルアー船2隻、遊漁船、トローリングボートが周囲で活動していたが、いずれも魚を獲った船はないようだった。

快調なセーリングで1230ごろ帰港。

ノザワシェフのパスタや、‘えるそろ’の舫いから採取した昆布サラダ等々で。食べ物をほおり投げるとトンビが見事にキャッチする。集まると空中戦が始まる...そんなトンビショーはいい肴だった。

Kawamura艦長が先に下船。
残りのメンバーは片づけを終えて、逗子まで散歩。チャイハナで2次会開始。空芯菜や麻婆豆腐、餃子などでビールと紹興酒を2本明けた。オギパパ先任伍長のモントール時代、レディスソロ時代の話がなかなか面白かったが、危ない兆候が出てきたので逗子駅へ。
横須賀線のホームにオギパパを叩き込んだ後に、ノザワ航海長・しまねえ・風海庵は、蕎麦屋で久保田の千寿と八海山を飲んだ。さすがにお開きとなった。

爆睡しているしまねえに声をかけてから、横浜で横須賀線を降りた風海庵は、携帯にメールが来ていたことに気がついた。
K・ジーオ氏からである。反町で降りて電話すると
、「今、逗子で大画伯とTD氏と飲んでいる。ピアノバーで待っていろ!!」
という。朝からポンツーンにソリチュードが係留していなかったので、1000以前の出港がありえないこの船はどこに行ったのだと思っていたが、船底塗装やらメンテナンスに出していたらしい。どうやら‘えるそろ’から全員下船した後に回航していたようだ。

ややモーローとしつつピアノバーで待つこと30分。ジーオ氏が登場。
マスターがニューカレドニアへ旅行に行った時の話で盛り上がった

大型ヨットにマスター含めど素人10人でキャプテン一人。気がついたらそのキャプテンが海に落ちていなくなっちゃったそうだ。海で手を振って助けを求めているキャプテンを助けるために。意を決して舵を握ったのがマスターで、まったく経験はなかったんだけど見事船を寄せて救助したんだと
マスター凄い
なかなかできることじゃないって言うか、ほとんど奇跡に近い

ラフロイグが効いてフラフラでふ。お先に失礼いたします。



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