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神社仏閣の参拝を“ハレ”の時刻にするため、午前中に京の町を訪れることが多い風海庵。9月26日は、夕闇迫る宵の京都を歩きました。 まずは四条河原町から、花見小路、建仁寺を抜けて高台寺へ。 よく京都らしい写真で使われる、坂の五重塔はここです。だけど目的地はここではない。 ちょっと前に会社の人に連れて行ってもらって、その雰囲気に絶句した小路。 そこを確かめに来たのだ。 ここにつれてくれば接待相 . . . 本文を読む

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いきなり、海自の最新鋭護衛艦DDH181“ひゅうが”。 空母とも見える全通甲板を持ち、多数のヘリを搭載する護衛艦だが、なんとこの写真は、Byつっちー。横須賀基地の公開日に“ひゅうが”に乗艦できたらしい。 その凛々しさに圧倒され、国防に目覚めたつっちーが買って来て、風海庵にプレゼントしてくれたのが“ひゅうが”のキャップ。 刺繍が海自ものには珍しくシュール。そこはかとない野暮ったさも一つの味。 . . . 本文を読む

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暦と法律のマジックで出現した5連休。次は2015年までこないらしいが、北野天行宮でお札を授かったその日、風海庵は横浜の自宅に帰った。 21日は葉山の実家。親父とお袋の顔を見に行った。 行きがけに鐙摺港により、久々にえるそろの顔を見た。異常なしである。 視線をずらすと、あれポンツーん様子がいつもと違う。 県警の船がいなくなって...ソリチュードがいる 県警の船は奥から2番目のポンツーン . . . 本文を読む

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19日は京の上京区、北野天満宮でご祈祷を受けてきた。 この天神様のはじまりは永延元年(987)一条天皇の勅祭。 八棟造と称される桧皮葺屋根の建物が見事。 本殿は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼が造営したとのこと。国宝です。 菅公、すなわち菅原道真を祀っている神社であるからにして、学業成就・合格祈願の御利益で、世に鳴り響いている神社である。 なんで菅原道真をわざわざこの地に祀ったのか . . . 本文を読む

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入定されて霊廟にあって、今なお衆生を救い続けているという、弘法大師空海。その聖地・高野山はそれ自体が世界遺産である。標高900mの山上にそれはある。 母方の実家が真言宗でもある風海庵は、小学校高学年の頃から日本宗教界の巨星・空海に尊敬と興味があって、高野山は訪れなければならない地であった。 南海電鉄難波駅から特急“こうや”に乗り、終点の極楽橋でケーブルカーに乗り換え、高野山駅からは専用道を走 . . . 本文を読む

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さあ伏見稲荷から京阪電車に乗って三条。そこで地下鉄に乗り換えて蹴上って駅で降りると、東山の名刹、南禅寺である。 歌舞伎『楼門五三桐』で天下の大泥棒石川五右衛門が「絶景かな」と見得を切る楼閣。それが高さ22mの三門である。 すっごい立派。  惚れ惚れしちゃう重厚さ。 その三門に登る。  西に京の町。 東に東山。 まさに絶景。 外は炎天も、三門の楼上、吹き過ぎる涼風。 逝くの夏の名残を惜 . . . 本文を読む

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9月6日は、超メジャー・全国に3万あるというお稲荷さんの総本宮、伏見稲荷大社に行ってきた。 その始まりはなんとAD711年。もとは農業神だったのが、商業神、屋敷神へと拡大して、今日では五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、芸能上達等のご利益の神様となったのだ。 お稲荷さんといえば、その神使は狐。これ、駒犬ならぬ駒狐っていうのだろうか? 稲荷山山中にある無数のお塚の中には、こんな狐様もいた。 . . . 本文を読む

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8月29日は、大学時代のサークルのOB会だった。あることがきっかけで、風海庵の上下数年のOBが、池袋は西口の養老の瀧に集合した。なつかしい。コンパでさんざんゲロりまくったところ。小奇麗になったけど、まだ営業してたのね...って感じ。 卒業以来20年以上会ってない人もいたが、杯を交わした瞬間に二十歳前後に戻るのは、どの人も同じだろう。 ケッソク氏・和さん・TELさん・モーさん・竹ちゃんマンさ . . . 本文を読む

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いやーすごい 長文のコメントありがとうございます。 睡釣さんのアテローム話は、以前概要を聞いたことがあるのですが、こうまで凄まじいものだとは思いませんでした。 背中を切開されて中を引っ掻き回されたら、そりゃあたまりませんわねえー 麻酔なしでよく我慢できましたね。戦地の手術みたいっすな。 オメー医者だったら気づけよって。 ちなみに、術後翌日夕方の手術痕です。消毒係を命じたtsuziiの携帯でと . . . 本文を読む

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