goo blog サービス終了のお知らせ 

明日は明日の風が吹く

60にしておひとりさまに。
この先、どんな人生になるのやら?

「介護の日」

2016-11-11 | ひとりごと

11月11日は 「 介護の日 」 だそうな。(知らなかった^^;)


私が介護の仕事を選んだきっかけ。

ずっと専業主婦だった私は、娘が大学に入ったころに
ヘルパー2級(今は介護職員初任者研修)の資格を取った。

両親、義両親もそろそろ高齢になり、
いずれ介護が必要になれば自分が介護することになるのだと思うと
知識や心構えがないよりはあったほうがいいだろうと、
ちょっと勉強してみようと思ったのだ。
ちょうど介護保険制度が始まったころだった。

某福祉専門学校の通信コース。
半年ぐらいのコースだったかな。

テキストに出てくる高齢者を自分の親にあてはめて読んでいくと
すんなりと頭に入った。
初めて知ることばかりで、へえ~そうなんだとどんどん面白くなった。
勉強が面白いと感じたのは、後にも先にもこの時だけじゃないだろうか(爆)

最後に1週間、朝から夕方までぶっ続けのスクーリングがあり、
これがしんどかったけど、めちゃくちゃ楽しかった。
自分の子と同じぐらいの若者が殆どだったが、同世代もチラホラ。
1週間、机を並べ、一緒にお弁当を食べて過ごすと、
トシに関係なくみんな仲良しになり、最後の日は打ち上げで盛り上がった。
その時の仲間とは数年、飲み会が続いたほどだ。

スクーリングが終わるといよいよ実習。
グループホーム、デイサービス、訪問介護の3か所を数日ずつ体験した。
それまでほとんど高齢者、それも要介護のかたに接したことがなかった私には、
生身のお年寄りとの出会いはびっくりの連続だった。
想像を絶することもあったが、今思えばドジばかりしていたにもかかわらず、
「ありがとう」「また来てね」と言われ、すごく嬉しかった。


無事に資格証を受け取ると、欲が出てきた。
せっかくだから、現場で働いてみたい。

家から歩いて行ける場所に老健があり、ちょうど介護職員を募集していた。
老健と特養は実習に行っていないので、どんなところかよくわからなかったが、
老健のほうが、「死」の場面に遭遇しないで済むと思った。

募集には40代ぐらいまでと年齢制限があったが、
「トシ関係ないっスよ、手が足りてないからゼッタイ雇ってくれますって」
と実習仲間にも励まされ、面接を受けてみるとすんなりOKが出た。
51歳から約8年、日勤帯(8:30~17:30)で週2~3日。パートで働いた。

テキストで習ったことと現場で行われていることは別物だった。
生身のお年寄りは十人十色、当然といえば当然だが、
ひとりひとりに合った介護が求められる。
職場では勉強会が月イチで行われており、パートでも参加できて
ここでもまた知識を深めることができた。

職場にはいろんな人がいた。事務方、介護職、看護職、ドクター、運転手、清掃業者、
各種療法士、厨房職員etc.
18歳からオーバー60まで老若男女、常勤&非常勤、
専門学校・短大出身の若者や私のようなオバチャン、
定年退職後の第二の人生に介護職を選んだ人、リストラされて来た人、
情熱や理念を持っている人、いやいや働いている人、
優しい人コワい人、、、

「今日の夜勤は天使の〇〇さんだからよかったわ」
「あの職員はイジワルだからアンタも気をつけなさいよ」etc.
お年寄りは陰でこっそり教えてくれた。
さすがダテに長生きしていない。ちゃんと人を見抜いている。

入所者にもいろんな人がいた。50代の、私と変わらない年齢のかたもいた。
「死」の場面に遭遇しないで済むはずの老健が、看取りも行っていた。
何度か、まさに死にゆく瞬間も見た。
それまで身近な人の死すら経験のなかった私には衝撃的だったが、
怖いとは思わなかった。


自分だったら、自分の親だったらどうしてほしいか、と思いながら働いていた。
でも自分の親じゃないから、仕事と割り切っているから働けた、とも思う。


肝心の実の親はといえば、
義父も実父も介護する間もなく病院で亡くなった。
義母は健在だが、離婚したのでもう私の出る幕はない。

実母も今のところ健在だ。ありがたや~。
いつか介護が必要な時が来ても、少しは慌てずに対処できるのではと思う。
まぁ実際そうなってみないとわからない。


「介護の日」ということで、書いてみました。