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南北朝(日本)時代と漫画家・車田正美先生の作品を瞑想する部屋。

【楠正儀】年表(2)-「正中の変」から「元弘の乱」の前夜まで-

2009年07月14日 00時24分35秒 | 楠正儀

*人名の右の()内は数え歳
*引用文と引用文に矛盾(異説)があってもそのまま掲載
持明院統(北朝)
大覚寺統(南朝)

1324年(元亨04-正中元)

  • 09月19日:「正中の変」。後醍醐天皇(37)の倒幕計画が露見する。
  • 12月??日:後醍醐天皇の勅願により、堺に澄円を開基として大阿弥陀経寺(浄土宗)が建立される。
  • 12月09日:改元(後醍醐天皇)。

1325年(正中02)

  • 恒良親王(1)生まれる。後醍醐天皇(38)の皇子。母は阿野廉子(24)で、その第1子。
  • 楠正行(1:まさつら)生まれる。楠正成(31)の子。幼名多聞丸。母は久子(22)。

『尊卑分脈(橘氏系図)』

正成の嫡子。「帯刀」

『群書類従(楠氏系図)』

正成の嫡子。「帯刀判官橘朝臣」

『系図纂要(橘氏系図)』

正成の嫡子。「母西対外僉婦。正中二年生。小字多門丸。庄五郎帯刀長」

『梶川系図』

正成の嫡子。「河内守、左衛門尉、帯刀、正四位下」

『美作玉林院橘系図』

正成の嫡子。「幼名正五郎」

1326年(正中03-嘉暦元)

  • 成良親王(1)生まれる。後醍醐天皇(39)の皇子。母は阿野廉子(25)で、その第2子。足利尊氏が養育にあたった(『保暦間記』)のは建武年間(1334-1336)か。
  • 04月26日:改元(後醍醐天皇)。
  • 12月02日:佐々木氏頼(1)生まれる。佐々木氏の嫡流で近江守護の六角時信(1306-1346.8)の子。

1327年(嘉暦02)

  • 楠正之(1:まさよし)生まれる。楠正成(33)の子。幼名二郎。叔父(和田)正氏の猶子となるか。

『尊卑分脈(橘氏系図)』

正成の次男。「二郎」

『群書類従(楠氏系図)』

正成の次男。

『系図纂要(橘氏系図)』

正成の次男。「本名正之。二郎丸嘉暦二年生。左馬助。正五位下大和守」

『梶川系図』

正氏の嫡子。「大和守、従五位下、實正成二男」

『美作玉林院橘系図』

正行の弟。「始め正之、大和守。兄と共に討死」

  • 佐々木秀宗(1)生まれる(嘉暦03年説あり)。佐々木(京極)導誉(32)の次男。幼名四郎。母は二階堂時綱女。
  • 安満正頼(15)、本願寺三世・覚如上人に帰依して西国街道沿いの磐手村に道場を開く。

(四条畷合)戦後剃髪して正行他南朝忠臣の冥福を祈って諸国を行脚した。紀州に性応寺、摂津磐手村安間に浄誓寺を建てた。

『茨木の史蹟』

寺伝によると嘉暦02年(1327)安間了顕の開基、了顕は左馬頭阿間正晴の子、右馬頭正頼といい了顕という法名は本願寺三世覚如上人の直弟子であったからだという。楠木正成・正行父子と共に南朝に味方し、剃髪後もなお心を寄せ、高槻市安満(旧磐手村・西国街道沿い)に慈明寺を建て・・・(中略)・・・(太平記に了願とあるのは了顕のあやまりとのこと)。

『私本いばらき風土記』

1328年(嘉暦03)

  • 佐々木高秀(1)生まれる。佐々木(京極)導誉(33)の三男。幼名五郎(※01)
  • 09月??日:義良親王(1:後の後村上天皇)生まれる。後醍醐天皇(41)の皇子。母は阿野廉子(27)で、その第3子。

※01:没年については諸系図とも同様だが、享年については内閣文庫所蔵「諸家系図纂」が60歳に、また『続群書類従』第29輯下所収の「東寺王代記」が63歳に作るなど一致しておらず、生年を確定することはできないので、だいたいの目安として1330年(元徳02)ごろの生まれと見ておきたい(『佐々木導誉』森茂暁/吉川弘文館)。

1329年(嘉暦04-元徳元)

  • 懐良親王(1)生まれる。後醍醐天皇(42)の皇子。母は中納言二条(御子左)為道女、三位局。歌道師範二条(御子左)家の当主を外祖父とする。
  • 細川頼之(1)額田郡細川郷で生まれる。細川頼春の子。幼名弥九郎。母は武田小嶋某女または秋田氏女。
  • 08月29日:改元(後醍醐天皇)。

1330年(元徳02)

  • 楠正儀(1:まさのり)生まれる。幼名虎夜刃丸。

『尊卑分脈(橘氏系図)』

正成の三男、正義。「左馬助」

『群書類従(楠氏系図)』

正成の三男。

『系図纂要(橘氏系図)』

正成の三男。「母同正行正時。元徳二年生。小二郎丸。依多門丸早世家督 正平二年従五下左衛門大尉」

『梶川系図』

正成の次男。「二郎、左衛門尉、左馬頭、従四位下」

『久親恩寺過去帳』

「元中八年八月二十二日  楠木正儀  河内赤坂にて討ち死す  正厳孝儀大居士  六十二歳」

  • 二階堂道蘊(どううん)、夢想礎石に帰依して自宅を禅院に改め、国師を開山とした恵林寺(※02)が創建される。
  • 06月18日:足利義詮(1:後の足利幕府2代将軍)生まれる。足利高氏(26)の子。幼名千寿王。母は赤橋(北条)登子。

※02:山梨県甲州市塩山小屋敷。恵林寺庭園(国名勝)は、1330(元徳02)年、夢想国師が作庭したと伝えられる(『山梨県の歴史散歩』山川出版社)。

1331年(元徳03-元弘元)

  • 08月09日:改元(後醍醐天皇(44))。

参考資料:
『大阪府史蹟名勝天然記念物』②巻
『大阪市史』第二巻
『茨木の史蹟』
『私本いばらき風土記』
『加茂町史』第一巻
『摂津市史』
『三島郡の史蹟と名勝』
『大和下市町史』続編
『楠木正成』(大谷晃一/河出書房新社)
『楠木正成のすべて』(新人物往来社)
『系図総覧』下
『佐々木道誉』(森茂暁/吉川弘文館)
『太平記の群像-軍記物語の虚構と実像-』(森茂暁/角川書店)
『内乱のなかの貴族-南北朝と『園大暦』の世界-』(林屋辰三郎/角川書店)
『日本系譜綜覧』
『日本歴史『古記録』総覧 古代・中世篇』(新人物往来社)
『細川頼之』(小川信/吉川弘文館)
『室町軍記総覧』(古典遺産の会/明治書院)
『山梨県の歴史散歩』(山川出版社)


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