蜂の群れの質は、女王次第だと言う
私たちは? 何を変えれば?
冒頭のモノローグ、ペドロ(Viggo Mortensen)とロサ(Sofía Gala Castiglione)が女王バチを殺して新しい女王バチを群れにつけるところから、この物語は始まります。
アルゼンチンははちみつの主要輸出国で養蜂が盛んであり、日本は対輸出国としては第6位(輸出金額)です。
- (2010年)採みつ用養蜂の生産現場(アルゼンチン)
- (2009年)アルゼンチンにおける養蜂の現状
5 女王バチの生産について
基本的に1群に1匹の女王バチがいる。通常は、生産者が女王バチの生産を行っており、おおむね2年ごとに年間3万~4万匹が更新される。生産は、女王バチとすべき幼虫の巣にローヤルゼリーを付ける方法をとる。働きバチはその幼虫を女王バチ候補と思いローヤルゼリーを与える習性があるので、人工的に女王バチを生産することができる。独立行政法人農畜産業振興機構 ALIC
あ、真社会性動物に譬えてなにかを暗示している?と感じた人もいるのでは?
真社会性は個の役割が極限まで専門化、分業化された集団の在りようで、どのような行動をとるのかについては、
- 『蜂の群れに人間を見た男―坂上昭一の世界』(本田睨/日本放送出版協会)
こちらの本がお薦めです。おもしろかった。
社会進化の頂点に立つ?ミツバチ社会
おもしろい、とは書きましたけれど、ハチの、特に雄(♂)の役割は身も蓋もなく「交尾だけ」、女王の結婚飛行までは毎日ぶらぶらするだけの穀潰し、しかも、交尾できてもできなくてもその後が悲惨。あくまで生殖の機能としてのみの“蜂生”に、研究者が観察しながら「同性として辛い」と感じたそうで。
なにかこう悲哀を感じる生涯ですが、ハチの雄(♂)にそのような感慨があるかどうかは確かめようもありません。群れの中で雄(♂)が「自分は何者なのか」について悩み始めたら、たぶん群れは衰退し、やがて全滅するでしょうからね。本能に従って役割をまっとうするのみ。
しかし人間は、そういうわけにはいきません。
*
(Pedro)「群れが強くなければ、蜜を盗まれる」
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ペドロはブエノスアイレスの北西にあるティグレ(パラナ川のデルタ地帯)で養蜂業を営んでいます。また、幼なじみのアドリアン(Daniel Fanego)、アドリアンを代父(padrino)とするルーベン(Javier Godino)、この2人と共謀してエル・ドラード(雑貨屋)のアマデオの誘拐、殺害に関与。行方をくらましたアドリアンの拳銃を預かったまま、身代金が払われた日に弟を訪ねます。
ペドロの一卵性双生児の弟、アグスティン(Viggo Mortensen)はブエノスアイレスで小児科医として病院に勤務しており、妻のクラウディア(Soledad Villamil)が所有するマンション(※01)に住み、経済的には何不自由なく暮らしています。
※01:守衛もしくは管理人(portero)が常駐していることから、相当の高級住宅地にあるようです。
しかし、ソウト夫妻の関係は養子縁組をきっかけに破綻します。養子は欲しくない、あの男の子も、他の子も。僕は父親って柄じゃない。
驚き、激怒するクラウディア。どうしても子供が欲しくて(※02)、それが彼女の幸せな人生、彼女のプランだったのに(※03)。物が飛び、DV気味に追い詰められたアグスティンは書斎に閉じこもってコミュニケーションを断ってしまいました。
※02:ペドロとアグスティンの写真が1973年で11歳? 現在(2011年)はそろそろ50歳? 結婚は8年前ですから晩婚ですね。
※03:アルゼンチンはカトリック教徒がマジョリティで、7つの秘跡(sacramento)のうちの「婚姻の秘跡」を参照すると、子供の出産や養育は、家庭を営む上で大問題だったのかも。
どうしてこんなことになってしまったんでしょうね。
おそらくは多くの人々が羨む「幸福の形」を生きながら、その人生はアグスティンの本意ではなかった。ならば、なにが彼に「嘘」をつかせたのでしょうか。
気になったのは、アグスティンが部屋で灯りもつけずに「眠れないんだ」と訴えても、クラウディアがあまり気遣う様子を見せなかったこと。彼がTVでサッカーを観戦中(※04)、彼女はメンドーサ(ワイン産地)での銘柄当ての話に夢中になっていたこと。
どうも、ね。クラウディアに同情しつつも、彼女が8年間の結婚生活において夫の気持ちをどのくらい斟酌してきたのか、首を傾げてしまいます。またなの?と責める前に作家の想像力を活かせなかったのか。彼女が愛したのは、夫の何なのか。
※04:プリメーラ・ディヴィシオン(Primera División)なら2010/2011後期リーグで、上位クラブチームはサポーター共々盛り上がっていた頃。CA Tigreは11位。
これは少し後のことですが、アグスティンを訪ねたペドロが書架から選んでバスタブで読んでいた本が、
で、
- 「故郷(くに)を追われて」:『愛と狂気と死の物語-ラテンアメリカのジャングルから』(彩流社)
- 「故郷喪失者」:『野性の蜜』(国書刊行会)
という邦題で訳されています。短編なので、他にも何編か収録されていると思います。
もう少し後で、ペドロが住んでいたティグレの祖父の家をアグスティンが訪れますが、その屋号というのか、家が「El refugio」なんですね。祖父の代からなのか、ペドロが名づけたのか、わかりませんが。ペドロが作るはちみつの壜のロゴも「El refugio」。
もしや―――兄弟のルーツは革命、紛争、なんらかの混乱によって故郷を離れた移民なのでは?
なにが云いたいのかというと、この国でいわば「勝者」として生きることは両親(特に母親)の強い希望であり、それをペドロは拒否し(※05)、アグスティンは受容したのではないか、と。幸か不幸かアグスティンは優秀で、それができてしまった、と。
※05:ペドロは家族と別れてアドリアンの家に住み、わざわざ祖父の家を買い戻しています。
クラウディアがアグスティンの「死後」に勾留中のペドロ(=アグスティン)と面会した時、兄が火葬された、と知ってアグスティンはちょっと違和感を示すんですね。きっと、土葬があたりまえの感覚だったんですね。
ソウト夫妻は出身したコミュニティにかなりの差があるのだな―――と思った次第。それも本来なら交わることがなかったような。その差を、アグスティンの過去の封殺、努力、忍耐によって埋めた結果があのハイソサエティな生活だったのだとすると、わたしは力尽きた彼だけを責める気にはなれません。
そして惨劇。
ペドロは末期癌に冒されており、70,000ペソの報酬と引き換えに俺を殺してくれ、とアグスティンに持ちかけます。島で殺れば誰も喋らない、拳銃で撃つか、薬(※06)を処方してくれ。
※06:シアン化物(cianuro)と思われます。オラシオ・キローガも末期癌の苦痛を終わらせるためにこれを服用して自殺しています。その著作を読んでいたペドロの心境や、いかに。
アルゼンチンでは安楽死処置は違法、医師に対してむちゃな依頼をしたものですが・・・アグスティンは吐血したペドロを生きながら“水葬”にしてしまいます。衝動的に―――
引きこもりの間に無精ひげが伸びたおかげで容貌は兄と瓜二つ、兄が脱いだ服を着て、自分の結婚指輪を兄の指にはめ、留守電に残されたメッセージ、ライターはそのままに、1つの「嘘」が終わり、アグスティンは生まれ故郷のティグレへ去りました。帰りたかったんだろうなぁ・・・。
ペドロの家でアグスティンは見つけることになります。『Los Desterrados』。ペドロの「俺のだろ?」は半分、合っていました。
*
(Rosa)「人を傷つけずに、生きられるかな」
*
ティグレの交通手段は水上移動。ペドロになりすましたアグスティンは船着き場でボート(※07)に乗り継ぎ、家に「帰って」きました。もう1つの「嘘」の始まりです。
※07:中古でエンジンはMercury Marine社製25HPに交換済み。このボートはラストシーンで―――いや、これは最後に。
このあたり、皆、僕のことを疑いの目で見ている?みたいなアグスティンの緊張がいいですね。ボート上の、おっと、とか。兄の遺言どおり、ハチの巣箱(の蓋の裏)から70,000ペソを回収。アナフィラキシーショックは大丈夫かしらん。
ところが、ペドロが誘拐ビジネスにかかわっていたために、アグスティンは思いもよらぬ敵意にさらされます。エル・ドラードの兄弟(フランシスコ・フェルナンド)が父親の復讐に燃えていて、暴行されるわ、警察にしょっ引かれて水責めに遭うわ、先住民らしき老婆には「嘘つき」となじられ(これはもっと社会的、歴史的な問題だと思いますが)、あいつ、いったいなにをしたの?!
ロサとペドロの距離もわからない。養蜂を手伝い、あれこれ心配してくれ、家の勝手も知っているこの娘から好意を感じるけれども、どのような関係だったのだろう? どのように接すればよいのだろう?
これは誰だ、敵か身方か、ペドロならどうする、今、なにをする、情報の断片をつなぎ合わせ、感覚を研ぎ澄ませて相手を窺い、判断し、行動する。まるで密林の野生動物です。
ロサは、相手が誰でも親切にしたい、という素朴な良心を持った女性で、コミュニティ=村に戻りきれないアグスティンと島をつなぐ舫(もや)いのような存在になっていきます。かわいい。彼女との交流を経て、少しずつアグスティンのなりすましが綻び、「素」が表に出るようになるんですね。ありきたりの言葉ですがそれは、やさしさ、かな。そこにロサが惹かれていく。
ちなみに、ソウト先生がぐだぐだに壊れたので、この人、弱いの?と観る向きもあるかもしれませんが、彼は、弱くはないと思いますよ。
クラウディアと留置場で面会するシーン(※08)。
ペドロとして素っ気ない会話を交わしながら、病気の夫を置き去りにした、と泣き崩れる妻を見て、アグスティンは彼女を「一生の後悔」から解放しました。たとえ、夫が目の前にいる、と覚った妻に対して今までと同じようにしかふるまえなかったとしても。
2人の関係は傷つけ合うことで終わってしまったけれども、いずれクラウディアは人生をやり直せるでしょう。
※08:ヴィゴ・モーテンセンの1人2役が劇場公開前から話題でしたが、このシーンは、全部入っていた。背後に存在するペドロの不在も含めて。すばらしかったです。
さて、釈放されたアグスティンはロサと酒場でビールを飲み、21歳になった彼女にバースデーギフトを―――
ちょ、なにこのおっさん、かわいいおっさん!
贈ったのは4つ葉のクローバー(Trébol de cuatro hojas)のペンダントで、1、2、3、4枚の葉に意味があり、幸運を呼ぶらしい、とか、アグスティンはしれっと云ってましたけれど、その花言葉は、
「わたしのものになってください」(eres mío)
おっさん!
クローバーが蜜源植物(※09)というのも、ぐっときますな。いえ、アルゼンチンでも花言葉がそうなのかは知りません。
その後、2人の年齢差を考えるとなかなかけしからんことになるわけですが、アグスティンの中の「男の子」はこうしたかったのだなぁ・・・。
※09:ティグレで養蜂講座を開いている Curso de Apicultura Práctica "Fe y Esperanza" はこちら。ロサを演じるソフィアさんのユーモラスな表情が。
そうか、子供の頃に遊んだ場所をそぞろ歩きながら過去を反芻していたアグスティンは、できることなら時間的にもそこまで帰りたかったのかもしれませんね。兄のようにティグレで生きることを選択していたら―――という「IF」。ドラード・フィッシングのオーナメント、あれはシャッド(sábalo)かな、葦、残されているもの、失われたもの、帰ってきたのに帰れない。
それを思い知るだけの帰郷であれば悲しいばかりですが、今はロサがいます。
(R)「愛してる?」
(A)「ああ」
(R)「永遠に愛してくれる?」
(A)「永遠にだ」
ペドロがペドロでないことに気づきながらもロサが、目の前のこの人が好き、という気持ちで接してくれたことは、アグスティンにとって救済であり、安息であったことでしょう。彼女、最後まで「なぜ?」と問わなかったですものね。気づかれたことに気づいたアグスティンも、なにも云わなかった。「嘘」の入れ子。やさしい共犯関係。おっさんと21歳のカップルだ、ということを忘れそうです。
ただ、もう1度だけ、人生をやり直したかった―――。人生を賭けた偽りはアグスティンを、アドリアンとの宿命の対決へ導きます。ロサを護るために。
やさしい男でも、やる時はやるのだ。
*
(Agustín)「誰も価値なんてない。ないさ」
*
一卵性双生児の兄と弟でも歩んだ人生は対照的、という捉え方はもちろん、あります。でも、この物語における本当の「コインの表と裏」はアグスティンとアドリアンだったのではないでしょうか。
アドリアンは誘拐ビジネスの主犯格で、自称「扱いづらい男」。幼なじみといっても、ペドロと2人で樹に縛りつけて放置したらトイレはどうするんだ、とか、子供の頃から彼はアグスティンのことが気に入らなかったようですね。
行方をくらましても情報には事欠かなかったようで、アドリアンはあろうことか伝手を使って留置場内のペドロ(=アグスティン)に差し入れをします。警察とずぶずぶじゃないか。
差し入れたのはCOMAS社製のカード(Naipes)で、出てきた1枚目がsota(11)だった気もしますが、カードゲームに意味を託して、とにかく嘘をつけ、しらばっくれろ、という指示になるんでしょうかね。“ハートのジャック(偽者)”ですかね、これ。
フランシスコ・フェルナンド兄弟に家を燃やされ、ほとぼりが冷めたとも思えませんが、アドリアンはふらりと、島に戻ったアグスティンの前に現れました。ペドロが変わった、という村の噂を確かめるために―――裏切りを警戒してのことでしょうが―――しばらくアグスティンを観察し、彼もまた、なりすましに気づきます。
アマデオ誘拐・殺人事件は放火合戦にエスカレート、次の誘拐プラン、アドリアンのロサへの執着。アグスティンは因縁から逃れるためにロサと島を出ようとしますが―――
アドリアンはルーベンの反対を意に介さず、ついにロサを犯罪に引きずり込みました。人質の娘の首には4つ葉のクローバーのペンダントが。これで、逃げる、という選択肢はなくなりました。戦いあるのみ。
そしてあの、2人の対話(というには剣呑ですが)でアグスティンは1つの真実にたどり着いた、と思うのです。
“マヌケなルーベン”も、“ベビーのロサ”も、アドリアンにとって、自分には価値がある、と思い込むための道具だった。それこそが「亡霊」です。
ペドロは特別だった。俺を慕って、尊敬してた。誰も知らない俺の価値を知っていた。
この、情けないまでの他者への依存。アドリアンは弱い。拳銃で脅し、蛮勇を誇ろうとも、「弱虫」だったのはアドリアンの方です。今のアグスティンにはそれがよく視えたのではないでしょうか。ブエノスアイレスで「価値」の取引に疲れ、圧し潰され、「価値」で人生を高めるゲームから降りた彼には。本当は、僕はそんなことはしたくなかった。兄とは相容れないところもあったけれども、俺たちはハチに学ぶべきだと人生を割り切り、やりたいことをやって、勝手で、好きだった。
ペドロの死を知って(※10)追い詰められたアドリアンが、身代金を受けとった後もロサを解放するはずはありません。人質がボートに乗っていないことにアドリアンが気づいた瞬間、アグスティンは山刀(machete)を振りかぶり、一撃! もう、めった斬り。
※10:塩焼きにされたり、釣られたり、地味に活躍していたシャッド?の腹に挟まれた、脅迫状代わりの新聞の死亡記事欄には「2011年5月5日 アグスティン・ソウト死去」。
瀕死のアドリアンに止めを刺したのはルーベンでした。この人、ひょっとして最後までアグスティンをペドロだと信じていたのでは。
夜が明けて、アグスティンとロサはボートで川を遡上していました。アグスティンは左胸に銃弾を受け、もはや動くことはできません。
(A)「愛してるか?」
(R)「ええ」
(A)「僕を永遠に愛してくれるか?」
(R)「永遠に愛している」
ロサの、祝福するかのようなキスと笑顔。アグスティンの眼に涙と歓喜が溢れ、彼は事切れました。
アドリアンの左手、薬指と小指に彫られたタトゥーの意味は、
∞(永遠)の7(安息)
ではないかと考えています。人生で得られる最良のもの、それを得るために過ちを犯すほど、狂おしく希求されるもの。
蝋燭の炎が消える最後の一瞬だったとしても、アグスティンはそれを得た、と思います。見ましたか、ボートの積荷の中の、ミツバチの巣箱やはちみつの壜を。わたしは涙が出そうになりました。あれ以外にはなにもない、それだけの自分を愛してくれたロサと共に生きたい、最後の力をふり絞ってボートに積んだであろう、アグスティンの夢。彼の真実。あの積荷の1つ1つに触れて、抱きしめたい。
ロサは地図(plan)を広げ、アグスティンが示したであろう土地を目指して、川上へ、おそらくは国境沿いに北へ―――エンジンは回転数を上げ、ボートは遠ざかってゆく。
ペドロが、アグスティンが、ロサが愛おしい。