今年は年末年始が短くて、3日(日)に『龍馬伝』が始まった、と思ったら普通に働く日々が戻ってきました。皆さん、休んだ気になりましたか。
2010年大河ドラマ、第2回までの印象は・・・
背景に懲りすぎて字が読めないOPから20:30過ぎまでは、ふんふんと楽しんでいますが、おそらくはスタッフが「ここぞ!」と盛り上げている今週のクライマックス、テーマの核心を龍馬(福山雅治)が言葉や行動で表現すると・・・
梯子を外されるぅ。あああぁぁ・・・(←落ちた)。
弥太郎(香川照之)を庇って上士にボコられた龍馬が「(世の中は)喧嘩じゃ変わらん」と吐き出す第1回『上士と下士』は、せりふは平板だけどまあいいや、
「この竜はいまだ天にあって地を知らない」
感じが出ていて、これからグラウンディングするであろう大器の天然ボケ、ズレっぷり、晩成を期待させる〆でした。
でも、今回の堤防工事の差配はあっけなさすぎて・・・いや、違うな、↓がもっとはっきりしていたら、きっと違和感なく視聴できたでしょう。
- 今までの差配役のように仕事をするフリして座っていればいいのに、ほんとに仕事をしようとして、百姓の命を大事に考えるヘンな数え17歳にはとっとと高知城下に帰ってもらおう。ウザいから。
- 「龍馬が造った堤」などと家族に見直されても、百姓に「下士なんて犬の糞並みに役立たず」と罵倒され、事実「わしには何ちゃできんがや!」だった龍馬は恥じ入るだけ恥じ入り、ついに自力で生活するため、「上士と下士」システムの外を見るために「家出」を決意する。
百姓の「おー!」はやり過ぎだった。もっと嫌そうに、役立たずはうろちょろせずに差し入れに徹してろ、てな感じで黙々と俵を積んで、龍馬を複雑な気分にさせればよかったのに。30分かけて盛り上がり、てっぺんで落とされるなんて「賽の河原」かよぅ。じゃなくて「シーシュポスの岩」かしらん。
また巡り合わせのよくない大河ドラマが始まったのか・・・と断ずるにはまだ早いし、岩崎家がインパクトあり過ぎて、これは『弥太郎伝』か?てなくらいおもしろいので視聴は続けます。
で、入浴中、ぼー・・・っとしていたらこんなインスピレーションが湧いて出たんですよ。
この龍馬は「逞馬竜」を超えられるのか?
逞馬竜は『バイオレンスジャック』(永井豪とダイナミックプロ)のキャラクターで、長男だけどほぼ末っ子(確か、生まれたばかりの妹がいた)で、母や3人の姉に溺愛される、ちょっと気弱な小学生。それが「関東地獄地震」で家族を喪い、人々の凄惨な死を見、「ユリ姉」に会えると信じて、生まれて初めて「生きるための(乗り捨てられた自動車で炎の壁を突破する)闘い」をする。
後年、逞馬竜は無法地帯と化した関東にとり残される孤児のリーダーとして頭角を現しますが、絶体絶命に直面するたびに、「ユリ姉」に会うために命を懸けた体験、降りそそぐ火山弾から彼を護った姉の壮絶な死の記憶が、彼を諦めない男、強い男に鍛え上げていくわけです。
坂本家は女手が多くて、強い姉ちゃんがいて、そんな中でかわいがられて育ったおっとりとやさしい、だけど頼りなさそうなところが似ているな、と思いまして。
どう変わるのか。変わり方が気になります。是非、なるほど、と腑に落ちるようなドラマでお願いします。
ウエエェェ。゜(゜ノ∀`゜)゜。ェェエヘヘヘ
...失礼しました。
どーなんでしょうか「龍馬伝」。
『弥太郎伝」と二本立てで楽しめる!と考えるとオトクな気もしますが、「弥太郎伝」のみ見たほうがオトクなんじゃないのか??と、渋茶すすりながら悩んでおります。。
(弥太郎さんを見てるとカンスケを思い出しますv)
初回冒頭で弥太さんが龍馬について「人たらし」と言ってましたが、そこんとこが実感できないんですよ。
「ほっといても皆から好かれちゃう」的キャラみたいで。
(「人たらし」に関しては、昨年の太閤サマの方が上だった気もしております。)
バイオレンスジャックと言えば「竜馬」ってのもいましたねv
(全然龍馬キャラではありませんが;)
蛇足ですが、私も山手線一周行きましたよ!
新宿スタート組でした。
関東圏大学生の定番なんでしょうか...
(運動部の人々はランニングで一周してました。
とんでもない話ですよ;)
長文失礼しました。
今年もよろしくお願いします☆
おおおおお久しぶりでございますー。
ウオゥォ。゜(゜ノ∀`゜)゜。ォゥオウ
桜茶をすすりながら観ておりますが、
『龍馬伝』としては、
実家が豪商で、質素だけど食うには困らず、なんとなく剣術ができちゃって、女の中で育ったせいか女が云われて嬉しいひと言なんかも心得ちゃって(今さら加尾に告白されてボー然とするな)、天に与えられた才能に無自覚な龍馬
『弥太郎伝』としては、
地を這うように生きる地下浪人で、どうしようもない父ちゃんがいて、欲しいものはなにひとつ手に入らず、天を呪い、己の才覚のみで現実をねじ伏せようとする弥太郎
この対比が第1、2話の基軸らしいので、これからも双方の視点が双方を補う演出となるのでしょうね。
たとえば、弥太郎にとって龍馬は人の気持ちに無頓着な、いわゆるKYですが、龍馬は身分差別を「拘らない」形で克服しようとしており、悪意がない。だから弥太郎は龍馬を100%嫌いになれない、利己に徹しきれない、といった具合に。
>「人たらし」
確かに「人たらし」はまだ見られませんねえ。「誰にでも好かれる良い子」なんて裏を返せば「中身空っぽ」ですから、これから己の力を自覚して能動的に使う龍馬が観られることを期待します。
江戸へ行きたい龍馬の動機も弱い(土佐でも人の気持ちを学べるし、自活できる)し、まだまだ彼の人柄はふわふわと曖昧で雲をつかむような感じです。あえてそうしているのかもしれませんが・・・。
>「竜馬」
おお、身堂を忘れていた!
>山手線一周
なんか、夜中にけっこう歩いているな、と思った記憶があるんですよ。目黒スタート組だったんですが、竹下通りあたりで(たぶん)高田馬場スタート組と会いました。
関東の学生は今でも歩いてるんでしょうか(運動部はおかしいだろ・・・)。
マイペースではありますが、今年も地味にやってまいりますので、よろしくお願いいたします。