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南北朝(日本)時代と漫画家・車田正美先生の作品を瞑想する部屋。

【太平記】-第5回『危うし 足利家』-(1)

2009年06月29日 01時18分20秒 | 大河ドラマ『太平記』(1991年)

金沢貞顕(1278-1333)像。国宝。称名寺蔵・神奈川県立金沢文庫保管(『図説 鎌倉歴史散歩』河出書房新社)。 元亨4(1324)年10月半ば。夜。
御家人中最大の兵力を有する足利に対し、北条が宣戦布告、と見なされて鎌倉は非常事態。あっちもこっちも武装した兵ばかりで、ちょっとコンビニに出かけただけでも引っ張られそうな雰囲気です。
侍所へ駆けつけた足利貞氏(緒形拳)は高氏(真田広之)との面会を許されず、そのまま金沢貞顕(児玉清)亭へ押しかけて、どういうつもりだ、と義兄に詰め寄りました。
貞顕はしどろもどろ。かわいそうに。本好きで温和な図書館のおじさんだったのかもしれないのに。

(貞顕)「気づいた時には、高氏殿はすでに捕えられていた。手の打ちようがなかったのじゃ! 誰もおことと事を構えようとは思っておらぬが、さりとて円喜殿では手も出せぬ・・・皆、困っておるのじゃ」

  • 高氏の逮捕は、長崎円喜(フランキー堺)・高資(西岡徳馬)父子が独断で専行
  • 北条一族にも異論はある。が、幕府の人事にまで力を振るう円喜に逆らえない

なんとかしたいのはやまやまだけど、どうしようもない。これ以上は頼れない、と判断してすっくと立ち上がった貞氏に、

(貞顕)「高氏殿と会えるよう、手立ては尽くしてみる!」

それくらいしかできない、と認めるのも相当に苦しい連署殿で、その気持ちが身に沁みてわかる貞氏はもう彼を責めません。

明けて、幕府政所。
貞氏は邪魔な「内管領」をスキップして執権に直訴しました。
ベルトコンベアのごとく右から左へ流される書類にサインしまくる北条高時(片岡鶴太郎)の関心を惹くまで、貞氏はじっと座して待っています。
山積みの決裁にうんざりした高時は小姓以外の者を下がらせると、パッパラ殿様がパッパラらしく、パッパラらしくないことを口にしました。

(高時)「珍しいの、足利殿。つつがのうお過ごしか」
(貞氏)「は」
(高時)「そこは田楽を好むでなし、犬合わせを見にくるでなし、とんと顔見る折がないわ。家でなにをしておる。なにが楽しみで生きておるのじゃ?」
(貞氏)「まず、幕府の繁栄をわが喜びとし、ひたすらそのために相努めておりまする」
(高時)「・・・あっそう」

北条高時(1303-1333)木像。宝戒寺蔵(『図説 鎌倉歴史散歩』河出書房新社)。 お手本のような答えですが↑は貞氏の本心ではないので、つまらない。しかも、高時にとって幕府はつまらないもの。興味が半減しました。

執権の喜びは天下の安泰、万民の幸せ。そのためには公平が肝要。

高時の父、第9代執権・貞時の信条だった「公平」が鎌倉から失われている、なんとかしてください、と貞氏がうったえても、その件はすべて円喜に任せてある、やつに云え、と高時は額を押さえて実に億劫そうです。
生まれる前から回っているシステムに生まれた時から放り込まれて、期待された役割を演ずるだけの人生ならば、「北条高時」という存在になんの意味があるのか、紙切れにサインする筆があればいいんじゃないの・・・というこの人の屈折、「父=宿命」に対する抵抗を感じます。普段は「とんと」顔を見せない貞氏がいきなりやって来て、お力を、と懇願しても逆効果でした。
連署が×、執権が×、いよいよ打つ手がなくなった貞氏は鯰(なまず)の父子とばったり出くわしてしまいました。

(円喜)「執権殿に、なんのお願い、じゃ」

じゃ、のところで、扇で、ぺし、と貞氏の右胸を打つ。すんごい無礼。「雷帝」のシッポでも踏めばいいのに。

足利屋敷。
ずっと仏間で地蔵菩薩に祈っていた清子(藤村志保)は帰宅した貞氏に、20年やってきたことができなかった・・・と吐露されて目の前が真っ暗。

(貞氏)「愚かじゃのう・・・一生手をついて、慈悲を乞うて、それで安穏に暮らせるなら・・・安穏に暮らせるなら・・・なぜ手をつかん!」

貞氏の深い溜息、自嘲の笑み。夫のこれまでの忍耐を知る清子は涙ぐむ。京で高氏を庇った上杉もヤバいんじゃないでしょうか。

侍所。
高氏にとってはかなり情けないシチュエーションですが、やっと貞氏が会いにきてくれました。約束どおり、貞顕が手筈を整え、足利と北条の絆はかろうじてつながっています。
うわー、俺、どのツラ下げて・・・牢の中でひとしきり悶々としてから、がば、と振り向いたところ、お父さんは怒っていませんでした。

(貞氏)「変わりはないか」
(高氏)「はい。母上は」
(貞氏)「うん」

この次第、面目ない、無念だ、と高氏は詫び、

(高氏)「さぞや直義などは大騒ぎをしておりましょう」
(貞氏)「ああ、しておるしておる。1人で兜を持ち出して、まるで蒙古でも襲来してきたような騒ぎじゃ」

そそっかしい直義は誰に似たのか・・・貞氏と高氏は笑い合うのです。
高氏は「北条」に真っ向から勝負を挑むつもりで、数日中に行われる審問の場で「鎌倉の肝」を試す、と切り出しました。

(高氏)「われらの鎌倉がいかほどのものか、この目でしかと見届けとうござりまする」

なぜ、西国で宮方は蜂起しようとしたのか。鎌倉の政(まつりごと)は公平なのか。
糺すというなら、こちらも糺してやる。合点のゆかぬ裁きが下された時は牢を蹴破ってでもおん出て一戦交える、と決意した高氏に、

(貞氏)「その方を、いかなることがあろうとも・・・見殺しにはせん」

これで足利家の方針は固まりました。父のバックアップを受けて、子は存分にファイトできます。口でダメなら刃(やいば)です。後退する余地はありませんから。

鎌倉に花夜叉(樋口可南子)一座がやってきた日。
クーデターの仕掛人として、日野俊基(榎木孝明)と日野資朝(佐藤文裕)が鎌倉へ護送されてきました。狩衣姿で粗末な輿に乗せられています。
路傍にたたずむ花夜叉は市女笠の縁(ふち)にちょっと手を添えてアピールするふうですが、俊基はガン無視。視線を交わしたら彼女も危ない。視界に入ったとしても見ないでしょう。
日野×2はこれから侍所で審問を受けます。

(木斎)「ま、だいたい、コレだの」

首のところで、きゅ、と斬る真似をされ、藤夜叉(宮沢りえ)は痛ましそうな顔をしました。そして、鎌倉の狙いは2人から「帝、ご謀反」の証言を得ること、そのデンジャラスな審問を明日、足利の御曹司も受ける、「足利潰し」のために、と聞かされて真っ青に。
高氏さまが!
うっと口もとを押さえて仮小屋を走り出た藤夜叉は、高氏の子を身籠っていたのです。一発必中とは恐れ入りました。やるな。

(藤夜叉)「吾妻より、昨日、来たれば・・・」

高氏の前で披露した舞の歌を口ずさむ藤夜叉。そっと追ってきた花夜叉の、

(花夜叉)「藤夜叉。ぬしは、足利さまの・・・?」

うなずく彼女の髪を撫で、右肩を抱くしぐさが、なんかこう、人生の悲喜こもごもを知っている大人の女の慰藉と貫禄に満ちて色っぽい。もし生まれれば、二度と断ち切れない絆が足利家と漂泊の白拍子の間にできてしまいます。それは良いことなのか悪いことなのか。誰にもわかりません。

翌日。いよいよ幕府・審問の間。

  1. 幕府の許可なく、みやこへ上洛せし意図はなんなりしか
  2. 先の大内記(※01)日野俊基朝臣と洛中にて密会遂げたるは、そもいかなる意図のもとにや

これらについて、高氏は釈明しなければならない。居並ぶのは高資ら評定衆、円喜、貞顕。そして赤橋守時(勝野洋)。彼は登子の兄です。
※01:令制における中務(なかつかさ)に属する官職名。詔勅や宣命などの作成や宮中の記録を担当し、儒者の文章に優れた者の中から選ばれた。その役所は内記所・内記局と呼ばれた。また、禅宗では住持の書簡の草案作成に当たる職名(『中世史用語事典』新人物往来社)。

(高氏)「みやこへは、無断で参ったわけではござりませぬ。わが家の恒例にて、領地の貢物を伊勢神宮へ運び奉る遣いにて参った折、みやこ参りして立ち帰ったまでのこと」

これは嘘じゃないですからね。というか、京がターミナルだったのは本当ですけど、俊基の正体を知らず、思い出さなければ「源海」某に会う気も起きなかったわけで、鎌倉→伊勢⇒京→鎌倉は常識的に考えて「ついで」のルートじゃないだろ、と突っ込まれても高氏は否定。
まあ、1.はいいんですよ、1.は。問題は2.です。

醍醐寺で俊基と逢い、淀ノ津へ同道。六波羅勢に捕えられようとした俊基を救い、ともに佐々木判官高氏の屋形へ逃げ込んだ。

なんだこれ。醍醐寺から淀ノ津までは六波羅でもゆさゆさ揺すられましたが、その後は・・・高資はどうやって知ったんでしょうかね。高氏は神経を研ぎ澄ませます。

(高資)「証人がおるのじゃ。佐々木判官殿、これへ!」

なっなななな・・・
赤黒金が来た!
近江から花夜叉一座だけでなく、佐々木道誉(陣内孝則)も下ってきたとは。そ知らぬ顔で高氏の右に座る道誉の表情はまったく読めません。絶体絶命です。

(続く)


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