文保2(1318)年3月29日、尊治親王が即位。31歳。これが当今の帝です。
┌――後伏見(1298-1301)
┌―(持明院統)後深草―――伏 見――┤
| (1246-1259) (1287-1298) └――花 園(1308-1318)
――後嵯峨――┤
(1242-1246) | ┌――後二条(1301-1308)
└―(大覚寺統)亀 山―――後宇多――┤
(1259-1274) (1274-1287) └――後醍醐(1318-)
後嵯峨上皇が後継者を決めずに死去したため、幕府が「両統迭立」案をもって二派の争いを調停し、持明院統と大覚寺統が交互に皇位を継承することになりました。
二派がさらに二派に分かれてる。スタック(stack)してる。この待ち行列(queue)をさばくのは容易なことじゃありません。
しかも、即位したからといって朝廷になにができるのか・・・そこが激しく大問題だったわけです。帝にとっては。
幕府から政(まつりごと)の実権を奪還し、朝廷がすべてをとり仕切る。そのシステムは新しいのか、古いのか。
やってみなければわからない。
*
元亨4(1324)年9月19日。京。
六波羅軍が一斉に倒幕派を襲撃し、なだれ込んだ兵に斬られ、至近距離で矢の的になった家来衆が次々に死亡。美濃源氏の、
- 土岐頼兼
- 多治見国長
らが血祭りに上げられ、多治見勢は「皆、討死」。
あっちこっちの大捕物を見ながらどうにか徒歩で、上杉屋形に戻ってきた足利高氏(真田広之)を迎えたのは、
(右馬介)「若殿っ! 今までいずこにっ!」
これは叱られてもしょうがないなあ。御曹司が迷子になって馬でどろん、無断外泊。人払いをした一色右馬介(大地康雄)は床にへたり込み、それでもリークされた情報によれば、予定では9月23日、綸旨に応じた宮方が「みやこの各所」で同時に挙兵するはずでした。
なんちゅう時に京へ来たのか。彼らが入京したのは9月16日です。
高氏は日野俊基(榎木孝明)がまだ捕えられていないことに安堵しました。「腐りきった世」を変える流れが止まらなければよい。
(高氏)「わしは日野殿に会うて、この京を見て、少しわかった。世の中は動くぞ。動いておるのじゃ。六波羅ごときにむざむざ押し潰されてなるものか」
そんなことを大きな声で云っては、いかん。右馬介も米の売買を眺めながら、北条の世の先はない、と漏らしたことがありました。が、それが今かどうかは話が別です。
淀ノ津で張っていたスパイが、高氏が俊基とつるんでいたことをタレこみ、すでに上杉憲房(藤木悠)が六波羅探題に出向きました。高氏自身が尋問されるのは必定。鎌倉で長崎円喜(フランキー堺)の下人衆とやらかした乱闘なんかジョーダンにしていいほどの窮地です。
伊吹山麓にある近江柏原荘(※01)。
佐々木道誉(陣内孝則)は高氏を放り出して京を出奔、さっさと佐々木京極家の屋形にトンズラしていました。呆れた逃げ足の速さです。
※01:滋賀県米原市。東山道を扼する要衝。すぐ東には後に「関ヶ原の戦い」の場となった関ヶ原がある。
これをいぶかったのが花夜叉(樋口可南子)。
道誉は赤と黒の“南北袴”はそのままで、上は右が紅葉(西)、左が桜(東)。京と鎌倉か。わかったわかった。
4ヶ月間、屋形の舞台を「踊り念仏(時宗)のやから」に貸したらダンシングしまくられてぼろぼろだー、ははははは、と例の調子で、
(道誉)「わしは新しいものが好きじゃ。踊りでも、女子でものう」
花夜叉は潜伏している俊基への「恋文」を書いているところで、
(道 誉)「あのお方はもはや詮なきお方。これまでよ。文など止せ止せ」
(花夜叉)「あれほど、日野さま日野さま、と仰せられていたではござりませぬか。日野さまも、もはや新しゅうはない、と」
(道 誉)「そうは申さぬ。申さぬが、いささか目立ちすぎた。もはや手に負えぬ」
(花夜叉)「手に負えぬゆえ・・・鎌倉にお引き渡しになったのでござりまするか」
ぎろり、と彼女をにらむ道誉は肯定せず、否定もしません。
おまえか、バラしたのは!
おそらく道誉は、この「討幕軍」では鎌倉に勝てないことを見越し、心(しん)を残して花を捨てたのでしょう。ちゃっかり身の安全を確保して。検非違使としては当然の措置ですが。
2人の「高氏」はまったく違う。
立花(りっか)に熱中する道誉は、美しい花でもバランスが悪い、と見るや投げ捨てた。それを高氏は拾った。1本の「したくさ」でも美しいと思えば惜しむ高氏。すっぱり切れる道誉。これが高氏と道誉の“差”です。
あえて宮方に近づき、高氏を渦中に巻き込んで、かつて小姓として寵愛を受けた執権さまに恩を売ったのでは・・・と探りを入れる花夜叉は、座長とはいえただの旅芸人とは思えない肝の据わりよう。
(道誉)「夜叉。おもとは不思議な白拍子よのう」
ん、と小首を傾げて、花夜叉はなんともいえない微笑を浮かべました。道誉もこれではたまらんな。うへへ。
(石)「誰に文を書いておる。足利高氏さまへの恋文か。あのお方はもはや詮なきお方。文など止せ止せ。おもとも不思議な女子よのう。白拍子の身で足利さまに恋をするとは」
ましらの石(柳葉敏郎)は紅葉の小袖を羽織り、道誉の真似をして、こちらはリアルでラブレターを書いている藤夜叉(宮沢りえ)に皮肉を云いに来ました。
(藤夜叉)「でも、なにを書けばよいのかわからない。変なお方だったもの」
白拍子からも変人扱い。道誉と並べても高氏の方がヘンだった、という藤夜叉のセンスがおもしろい。舞を見ても舞のことを訊かず、舞は暑いか、早く終われば楽になるか、と高氏は舞よりも彼女がなにを感じているのかを知りたがった。それは彼女にとって突拍子もなく、間が抜けていたけれども、
(藤夜叉)「でも、笑うと、水のようなきれいな目で・・・こんなにやさしい顔があるんだって・・・そう、笑いながら小さな声で最後に仰ったの。舞は、見事でした、って」
横で聞いている石の顔がだんだん歪んでいきます。“親の仇”に恋仇にまで昇格されてはかなわない。なにが苦痛かといって、憎い“足利”の御曹司にも美しい心がある、と好きな女の心を通じて知ってしまったことですね。そんなもの、ちっとも知りたくはなかったのです。まあ、相手が相手、恋をしても実るはずはなく、想えば想うほど傷つくのは藤夜叉ですから、止めるのも思いやり・・・ではあります。
たった一夜のこと、それ以上のことはなにもない、やっぱり文を書くのは止めた、と紙を丸めた藤夜叉に石はちょっと安心するのですが・・・。
(木斎)「石! 花夜叉さまがお呼びじゃぞ。京七条の日野さまの隠れ家へ急ぎ走ってもらいたいそうじゃ」
京では宮方が芋づる式に検挙されており、「足利の若殿」も疑われている。これを聞いた藤夜叉が動揺してしまいました。
クーデターは成功すれば革命に発展するかもしれませんが、失敗すればただのテロ。帝がテロなんて前代未聞です。
そして京から鎌倉へ。「正中の変」は飛び火します。
(続く)