昨日は母の命日で、
お嬢様たちに、クイズを出した。
「今日で18年たちました。さて何でしょう」
娘「それはミオに近いもの?」
私「いつも、となりにあるものです」
娘「この家が建って18年…?」
私「おばあさまですよ。命日。私の母の」
娘「隣って…?」
肩のあたりを恐々見ている。わたくしは、にやりとした。
姪っ子もつかまえて「18年だよ」と云うと、
姪「もうそんなに経ったの?」
私「そう。あなた達が誕生することも予想だにしなかった18年前」
…遠い目になる。
人生、最悪の日。
失うことは予想できていても、受け入れられない現実。
母の死。
何年間も、その瞬間を思い返しては、
暗闇に逃げ込んで、声を出して泣いた。
こんな哀しみが、100年続いたら、きっと気がおかしくなってしまう、
そう想ったが、
時が、憂いを祓ってくれた。
時は妙薬、と云っていた寂聴さんの言葉は本当だった。
あんなに泣いていた自分はもういない。
辛い思い出さえも、懐かしく感じる。
愛しい母の記憶。
嗚呼、でも。
心が弱ったときは、やっぱり泣いているかも。
何故、ここにいてくれないのだろうかと。
話を聞いて欲しいとか、
誰にも相談できずに困っている、というとき。
こんなこと、お母さんにしか云えない。話せない。
そんな時は、少し泣いている気もする。
残暑が去ってくれない。
バラは病気になってしまったし、
庭は荒れ放題だけど、とても、時間を作って手入れをする気分になれない。
毎日こう苦しいと、庭にかまっていられない。
時間があれば、アイスノンを頭にあてて唸っている。
…熱い。どうかしている。
花を買ってみたが、すぐに枯れるし、
もう闘う気力も無い。
負けた。残暑に。
昼間は倒れないように行動するので手一杯。
日が落ちて涼しい風が吹いてくると、
窓で「おおお、気持ちいい。もう秋だな!」と云うが、
昼間はまだ夏が居座っている。
でも、蕎麦の花も満開で、
トンボもたくさん飛んでいるし、
あと少しの辛抱だろう。