〔ALS〕憎い病気は、確実にダンナサマの身体を蝕んでいる。
二ヶ月に一回の診療が、一ヶ月に一回になった。
Dr.の最初の台詞は、決まっている。
「嚥下障害は出ていませんか? 呼吸が苦しいことはないですか?」
1時に予約だったので、五分前には待合室で待機していたが、
Dr.が遅れてきて、ダンナサマのトイレが三回。
もう、受診前からぐったりしてしまった。
泌尿器科は今日はなくて、一ヵ月後。
来月は、神経内科と泌尿器科を回る。
血液検査も入っている。
そして、インフルエンザの予防接種。
わたくし達も予防接種受けないと、ダンナサマが受ける意味がない。
…はあああ。
途中、息がつまりそうになって三回も病院の外まで出て、深呼吸。
余計な雑音も耳に入れたくなかったので、
ウオークマンでしっかりガード。
気持ちはニュートラルにして、あまり動揺しないようにしていたが、
やはり病院は疲れる。
帰りの介護タクシーの中で、ガクンと眠った。
ほんの数秒だったけど。
帰ってからすぐに薬局に薬を取りに行き、
頼まれたおせんべいと、しょうが糖を買う。
帰ってきたら民生員のおばさんが来て、
「介護手当ての申請をして」って。
なんだとう!?
だって、以前、ケアマネさんにも役場の人にも聞いたけど、
長野県は介護手当て出ません云ってたよ。
もう、頭に血がのぼりましたわ。
でも、まあ、民生員のおばさんが来てくれて、
うちの状況を把握してくれているから助かった。
感謝。
結局、ダンナサマは、
65歳過ぎての発症だったので、
年金は障害年金には該当せず、
任意の申請で、特別障害者手当てをもらえるようになりました。
こういったものは、どんどん調べて自分で申請しないと、
国は対処してくれません。
そして、今回の介護手当て。
これは、一年間在宅で介護にあたった人に与えられる手当てで、
わたくしのように、役場に聞いても職員に知識がないとこのように損をします。
気をつけてください。
受けられる補助は受けましょう。
自分から行動あるのみ!です。
ちなみに、ダンナサマの手当ては月に二万円ちょっと。
介護手当てはまだもらわないとわからないですが、
月に一万くらいでしょうか。
参考になれば幸いです。
〔通りすぎた夢の話〕
銀の匙 を読みはじめて切ないです。
農業高校の話だったのね。
胸がしめつけられたのは、一時獣医にあこがれていた時代があったから。
中学校のとき、ムツゴロウさんの大ファンで、
ファンクラブに入っていた私。
獣医は難しそうだし、多分私の頭じゃ無理だったのでしょうけど、
進学すら両親は許してくれず…
理容師専門学校に通いながら、
毎日、電車で通りすぎる畜産大学を見ていた。
毎日、毎日、見ずにはいられなかった。
どうせ今頃夢見たってどうにもならないってわかっていても、
見つめずにはいられなかった。
その学校の門を、くぐる自分の姿を想像し、落胆していた。
親が、ばかみたいに入学金の高い専門学校にわざわざ私を入れたというのに、
私は、バイオテクノロジーだの、
樹木医だの、
環境レンジャーだの…と別のことを夢想していて、
二年間と莫大なお金をどぶに捨てた。
考えてみれば、我が家は理容師一派だった。
その専門学校の講師にくるH先生は、理容師の間では有名な先生で、
学生の憧れのまと。
その先生に弟子入りするだけで鼻が高くなるほど。
そして、その先生は私の父の甥っ子にあたるのだった。
その関係を私は隠し通そうとしたが、
授業を受けていれば自然にバレてしまい、
みんなに、「親戚なのに何故弟子入りしないの?!」
「なんで、そんなに暗い顔してるの?!」と騒がれていい迷惑だった。
私が理容師の道を歩みはじめたことを誤解したH先生は、
私の両親に、八王子一号店の話をもちかけ、
私をその店に入れようとして下さったが、
迷惑な話だしね!
「やりませんか」と云われて、「イヤ」と答えた。
それ以後、先生は話しかけてこなくなった。
国家試験だけは通って、
私は理容師をやめた。
あの頃は、結構やさぐれていたと思う。
理容師を目指すなら、最高の環境が用意されていたのに、
清里に逃亡して、そこでK君に捕まったという…。
や、人生は何があるかわかりませんな。
今はこれでもそれなりに幸せだから、
結果オーライってことですね。
ダンナサマのことは、…運命だし、仕方ありません。
できることをするまでです。
一日も長く。
この幸せが続きますように。