風が ビュービュー吹いている
凄い音だな と思いながら寝てた
冷たい風か暖かい風かは 判らない
昔 元旦那が この里山で
家族3人やり直したいと
やって来た時代があった
じいにはババアがいて半同棲状態だったけど 彼を迎入れた
私たちが再び上手く行けば
この家を出て行くだろうと思ってただろう
一か月くらいかけて土木会社に就職し
1日目で ダメだ! って言いながら帰って来た
寒風吹く中 重い石を いちにち
バケツリレーしてたと言う
彼曰く 重機を使えば早いし楽なのに 人手を使う
でも 入った初日から彼が口を出す問題じゃない
不満があっても 頑張るしかないんじゃないか?
他の先輩社員の人だって 黙ってやってるんだから…
嫌な予感はしていたが 3日後
彼は辞めた
突然 重機の免許を取りに行くと
言って 家を出て それから
2度と戻らなかった
今考えたら 免許なら信州でも取れる 関東に戻る必要はなかった
初めから 戻る気はなかったのだ
じいはたいそう立腹して
後々 私がいい加減愛想を尽かして
もうやり直す気もない 諦めた
と言った時に 彼に直接説教した
君は沢山の人を失望させた と
じいも お金を貸していたので
全額一括返済させた
もちろん彼にお金はないので
おかーさんが払った
私は自分の貯蓄の八割を結婚生活で
失い これが0になる前に終止符を
打たねばと思い 再婚を断念し
姓を元に戻した
冷たい風が吹くたび思うのは
こんな寒冷地で 頑張って働く人も
いるって事
コンビニは 暑さ知らず 寒さ知らずの職場だが
屋外で働いているお客さんが来ると
よく頑張るなあ と思うのよ
そして時折 あの人は
頑張ってくれなかったなぁ と
未だに 信州は寒すぎる と言う
私だって 広島にいた時は
暑い夏 寒い冬は辛かったよ
エアコンなんかなかったし
盆地で尚の事きつかった
仕事は土方
朝の体操の時間から 空気がもわっとして 汗をかいて いちにち耐えなければならなかった
でも耐えられたのは 若いから
そして 好きな人と一緒だったから
一途に 頑張る事ができた
精神力も 強かったし
辛くても頑張れるというのは
対価があるからだと思う
彼が頑張れなかったのは
私たちに 自分が頑張るだけの価値を見出せなかったせいだ
私の決断は正しかったと思う
彼は未だに 母親の援助なしに生活できないでいる
1日3万とか大きな仕事してるとか言いつつ 矛盾している
まあ 私も 職は転々としてる人生だから 偉そうな事は言えないけど
私は 何故か 2年周期で
職場を変えている
母の病死 自分の結婚 出産 離婚
自分の病気…
イベントが重なって仕方ない事情もあったが
続いたのは カメラだけ
10年以上は続いたし 楽しかった
辞めたくなかったな
コロナで観光客は激減し 廃業
思えば 娘を育てられたのは
カメラがあったおかげだ
じいの家にいさせてもらったおかげ
運が良かった
今日も 昔の日記を読んだのだが
じいの病気が発覚して三年
ババアの足は遠ざかり
私はカメラの仕事をしながら介護
妹は自由に生きていて
衝突する日々
じいには 子供なんかいなきゃ良かったと
何故か言われ
それでも逞しく生きていた
懐かしい
じいが病気になって もう14年が
経ったらしい
外は風がビュービュー吹いているけど
今日の私は 落ち着いている
色々なことあったけど
安らかな 日曜日の午後
失ったものを思い返すと 相変わらず苦しいけど
それでも
少しは マシになったと思える
日曜日の午後
最近 頭も回らず
語彙力も低下して 日記の文面も
スカスカになってしまった
春も近い事だし 少し 日記の風潮を変えてみようかな と思う
お付き合い頂ければ 嬉しいです。