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マイ・ライフ・レッスン

母のがんのケアをするなかで感じたことなどを書いていた記録です。

緩和ケア病棟 家族会に出席

2011-03-06 00:18:06 | 母との日々~がん患者の家族として~
緩和ケア病棟から

「愛するご家族を当院緩和ケア病棟で看取られてからしばらくの時間がたちました。
その間、私たちも亡くなられた患者様のことを思い出しながら
時には涙したり、時にはよい思い出に励まされたりしています。
(中略)
皆様とお会いして、個人を偲び、思い出を語り合い、共に涙し、
励ましあえる会を催したいと思います。」

というご案内をいただいて
家族会に行ってきました。
実は行くのはちょっと億劫でした。
どういうことをするのか案内文ではよくわからなかったし
泣いていいと言われれば涙が出る、というものでもない。
でも、緩和ケア病棟を出た日から一度も結局病院に足が向かないので
先生にお礼を言う機会だと思って行きました。

場所は病院と同じ敷地内にある看護大学の学生食堂。
新しく出来たばかりらしく大変きれいな建物で、
会場入り口にはお世話になったボランティアさんの姿が。
陽の光の差し込む明るいホールに白い大テーブルとオレンジの椅子が並び、
お花が沢山飾ってあって、ストックの良い香りが漂う素敵な空間。
せいぜい丸テーブルを囲んで談笑する程度の人数を想像していたのですが
それよりずっと沢山の人が集まっていました。

管理局長さんと先生の挨拶の後、
先生が編集作業をしたという、
緩和ケア病棟から旅立った患者さん達のスライド上映。
その中に母の詩集、そしてスタッフの方との笑顔写真もあり、
映し出された数秒の間に
2年前のホスピスでのスタッフの方々の温かさに触れた日々が
走馬灯のように思い出され、ああこの場に来て良かったと思いました。
目の前に座った、旦那様を昨年看取ったというご婦人が、
この場に来たことでホスピスでの日々を思い出されているのでしょう、
終始涙を拭っていらっしゃいました。
代表で患者家族からの挨拶もあり、
皆同じような思いを抱えていることがわかりました。

担当の先生と、母に最後にマッサージをしてくださったボランティアさん
(彼女は10年、ここでのボランティア活動を続けていらっしゃるとのこと。
すごいことです。)に
あらためてお礼を申し上げることができて本当に良かったです。
自分の心を縛っていた鎖がまたひとつ解けた気がしますし、
近いうちにまたボランティアさんに会いに病棟を訪れてみようかなと、
昨日までは思いつかなかった考えが浮かぶようになりました。
こんな気持ちにさせてくれる機会を
病院の方から作ってくれるとは、本当に驚きです。
このような取り組みは最先端と言えるのかも知れませんが
早くもっともっと多くの現場に取り入れられて欲しいです。

振り込め詐欺の話

2010-05-20 14:22:52 | 母との日々~がん患者の家族として~
1年ぶりに母の友人Sさんから留守番電話が入っていた。
深刻そうな声だったので、ご家族に何かあったのかとかけてみると、
「どうやらお母さんが遭った振り込め詐欺のグループの犯人が捕まったらしいので
協力できることなら協力したい」と。

時間の経過と共に笑い話にできるようになったが、
母はホスピスで振り込め詐欺に遭っていたのである。

ことの発端は昨年のGWの連休明け。
担当医師から「痛み止めの影響で幻聴や幻覚が出るようになって、
振り込め詐欺に遭った、とご自分でベッドから110番通報して
病室に警察官が来ました」と報告されたのだった。
その直後本人が「勘違いだった」と訂正し、騒動は終わったらしい。
医師には病院に迷惑をかけた旨を謝っておいたが、
母から私にその件の話は何もなかったし、
私も医師から聞いた話を母にあらためて確認することもしなかった。
ところが、葬儀当日に、Sさんが「これを渡し忘れていました」と
コンビニのATMで送金したレシートを出してきたのである。
もう、仰天。
病室に中身が入っていないお見舞い袋がいくつかあった理由がわかった。
聞けば、GWに見舞いに来てくださったSさんに、
「携帯電話の料金を滞納していて、電話を止められてしまうらしい」と
ひどくうろたえて、
「お金を払ってきてほしい」と現金を渡した、と。
自分でお手洗いにも行けない母にとって
手元の携帯電話は外とつながることのできる唯一の手段だった。
常識で考えれば、電話代としては高額すぎるし
電話会社でもない人間が電話を止められるのは変だし、
そもそも振込先がコンビニのATM操作って・・・と
誰でも即詐欺だと気づきそうなものなのだが、
「朦朧としていて間違ってどこかの有料サイトのボタンを押してしまった」と
慌てふためく母と、母よりやや年上で人の良いSさんの組み合わせが
結局そのまま見事に詐欺にひっかかるパターンに。
Sさん曰く、「振り込んでおいたわよ」と母にコンビニから電話すると
心底安心した声でお礼を言っていたそうだが、
思うに、母はその後自分で冷静になってみて詐欺に遭ったと気づいて
警察を呼んだのだろう。
しかし事情聴取をされているうちに、
これでは後で私や弟にばれてきつく叱られるに違いないと思い、
「間違いでした、私の勘違いです」と撤回したに違いない。
詐欺だったのかとショックを受けて呆然と立ち尽くすSさんを前にして、
私は私で、誰にも言えずに母がひとり動けぬベッドの上で
後悔にさいなまれていたかと思うと、
それが可哀相でならなくて
もっと早く気づいて「色々あったけど何も気にしなくて良い」ということを
生きている時に伝えたかったなあと。

Sさんとはその数ヵ月後に会い、振り込んだ額を弁償すると言われたが、
丁重にお断りしてお菓子だけいただいた。
母が自分で頼んだことで、実際代わりに用を足してくれたことに感謝していたわけだから
もう今後一切何も気にしないでください、と笑顔で別れたのだが、
やはり今日までSさんの心にこの出来事が深く突き刺さっていたのだろう。
犯人逮捕のニュースをたまたまつけていたラジオで聞き、
手口がそっくりなのでこれだ!と確信を持って電話してきたという。
私が証言しますから、というSさんに
故人になってからでは被害届を出すことが出来ないことを説明し、
犯人がつかまったというニュースを偶然知り得たのも
どうか本当にもうこれ以上気にしないで欲しいという
母からのメッセージだと思いますよ、と電話を置いた。








「母」にまつわる本3冊 そして宿題。

2009-07-21 23:54:05 | 母との日々~がん患者の家族として~
母がいなくなって2ヶ月目。

先月の読書。母にまつわる本三冊。

高野悦子「母-老いに負けなかった人生」

「私にはそんなにぴんと来なかったけど、今のあなたならこの心境がわかるのでは」
と友人が貸してくれた。
岩波ホール総支配人を務めた高野悦子さんのお母様の話。
今でも充分とは言えない介護保険が整う以前の話だから
著者がした苦労は想像できるのだが、
「痴呆症が回復した!」という帯の宣伝文句には
読み終わってみると違和感。
一旦認知症と思われる状態になってそこから再び回復したというエピソードは
確かに素晴らしいけれどもこの本のハイライトではない。
私にとっては20代で教師として自立し、他人に奨学金まで出していたエピソードが妙にインパクトがあった。
この明治生まれのかっこいい母に見守られたからこそ
著者の仕事ぶりもあったのかと。
母も娘も非常に頼もしく逞しく、
とてもじゃないけど自分に置き換えて読んでみることはできず
誰もに共通する母の物語というよりも
厳しい時代を強く生き抜いた女性の物語、でした。

次にこれは参考のために読んでおこうかなと思ったのが
今更ながらの
リリー・フランキー 「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」

残念ながら母が存命中には読みきらなかった。
読み終わっていたら少し私のストーリーの結末が違っていたかも知れないが
そんなこともないかも知れない。
男性が母に感じることと、女性が母に感じることは違うと思っていた。
それに私の母は色々一生懸命ではあったけれども
オカンのように家事も得意でなければ友達を作るのも苦手だった。
が、私が感じたこととあまりにも似ていて、
どうしてこんなに上手に代弁してくれちゃってるんだろうと。
もっとも、皆がそう思ったから売れたんだろうけれども。
先日の「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」の最後に
故人の兄という方が挨拶した言葉、
「どうかできるだけ、故人を皆様の記憶の中にとどめておいてください」
を思い出した。
著者は「小さな人生」と書いているが、
号泣してくれる人が何人もいるオカンの人生は
全然小さくない。
オカンほどには無理かも知れないけど
誰かの記憶に温かく残るような人生を送りたい。

そしてこの本。
リディア・フレム 「親の家を片づけながら」
現在のメインテーマ。
母の家を片付けること。
その作業がそのまんま本に。
考えてみればこういうことは世界共通なのだが、
著者はヨーロッパ人、ご両親は収容所生活を生き抜いた人で
生い立ちや物を取っておく経緯がうちとは違う。
それなのにいたく共感する部分がある。

「家の中がこれほどめちゃくちゃになることは一度もなかった。
今私の周りには、あらゆる物がぎっちりと隙間なく積み上げられている。」

「ストップ!もうたくさん!もう結構!何も見ないでとにかく捨てよう・・・」

ああ、そんな風に全部ゴミ袋に入れてぽいっ。と出来たら楽だろうけど
著者もちょっと進んではまた立ち止まる、の繰り返しでかなり苦戦している。
親の物を勝手に触る罪悪感からなかなか抜け出せないのは
亡くなったお母さんと良好な関係を築けていなかったせいらしい。
出てきた物たちを、あらゆるガラクタも含めて、ひたすら書き残すことで物の供養をしているようだ。
この本は本国で五万部以上売れたそうだが
ちびたロウソクも何万本もの古釘も、旅先で手に入れた紙ナプキンの山も、
文字となってそれだけの数の人の目に触れたのなら
ある意味でお役目を終えたといえるのではないだろうか。
人のことは言えないが、母は安物買いの銭失いの典型で、
私が受け継ぐような指輪ひとつ持っていなかった。
それこそ私達の関係は良好だったのだから
処分しても後ろめたいことはないはずだ。
うちには永遠の命があるかのようなドレスも
銀のスプーンセットも、七代前の女性が残したリネンのような由緒有るものもない。
残ったのはただただガラクタ、他人から見ればただのゴミである。
執着するのは時間の無駄だ。
・・・が、後生大事に取っておかれたお菓子の空き缶や大量の紙袋、
リサイクルショップでタダ同然で手に入れたようなぬいぐるみ、
誰かに宛てて書いた手紙の下書きやTVを見ながら書いたと思われる膨大な量の走り書きの中に
私はいちいち母の面影を見つける。
捨てるべき物の中にばかり母がちらつくものだから作業は一向にはかどらない。
これはちょっと後回し、という気の迷いがあっという間に狭い空間をさらに足の踏み場もない場所にしてしまう。
彼女のように書くことで物供養ができれば良いのだけれども、
残念ながらリストができるほど整然とはしていない。
デジカメで撮っておこうかとも考えたが、
そこまで暇なら何か別のことをしろと言われそうで(誰に?)あきらめた。

ふと思い出して、昨年やはり親を亡くした友人にメールしてみる。
彼女もあまりの大変さにやる気をなくし、必要最低限の手続き以外はせず、
部屋もそのまま封印してあるそうだ。
仲間を見つけた安堵感。
いやいや、しばらく放置したところで結局は私がしなくてはならないのだ。
これが終わらないと私は前に進めない。
夏の宿題。



写真:一昨日、外に出たら虹が。



旅立ちを祝い道中の無事を祈る会

2009-06-28 23:37:55 | 母との日々~がん患者の家族として~
ああ なんというタイトル。
1月に69歳で心筋梗塞で突然逝かれた、帯津三敬病院の帯津良一先生の奥様、
帯津稚子さんのお別れ会である。

先生は患者さんの訃報に接する際
口にこそ出さないが心の中で
この言葉を唱えているそうだ。
年下の妻に突然先立たれた男性というのは少々気の毒ではあるが、
流石帯津先生、である。
会はまず正面の遺影に参列者が献花をし、
次に縁の深い方々が挨拶を述べたあと
立食形式で会場に故人出演のNHKの気功番組映像を流しながら歓談、
最後に直弟子さん達が献花ならぬ「献」太極拳を披露して終了、
という流れで
当然のことながら全く湿っぽくなく進行し、
帯津先生は会場のあちこちで記念撮影や著書へのサインを求められていた。

私は母宛に通知が届いたので代理として列席させていただいたが
特に知り合いもなく、奥様との面識もないのにチビを人に預けてまでわざわざ出掛けたのは、
純粋にこのタイトルに心打たれたからに他ならない。
ホテルの入り口に堂々と掲げられた
「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」の題字を見ただけで
窮屈な身体を離れて虚空へと還って行く母の姿がおぼろげながらもイメージされ、
私の中の、母の供養への道が少し開かれたような気がした。


泣く資格

2009-06-18 23:24:34 | 母との日々~がん患者の家族として~
母はどこに行ってしまったのだろうと。

泣けて泣けて立ち直れないんじゃないかと思っていたのに
そんなこともなく。
何か確固たる宗教を信じていれば、亡くなって何日目にはこれこれで、とか
天国へ、などと、それぞれに言われた道筋があるのだろうけれども、
年を重ねるほどに私の宗教観は曖昧なものになりつつあり、
母の骨の前で線香をあげつつ
こんな行為も自分の心が満足するためだけのパフォーマンスに思えてしまって参っている。
仏前で手を合わせることのみならず、泣くという行為さえ「母のため」というより
「母がいなくなった自分のため」のような感覚があって
我ながらどうも嘘っぽいというか、
儀礼的なことをしようとすればするほどに、
かえって母に対して申し訳ない気持ちが湧き起こる。
泣くなら純粋に母のために泣かなくてはならないと思っているなんて我ながら変だと思うが、
今の自分にとっては悲しいということが妙に自己中心的に感じる。
だって母は死んでいて、私は生きてるんだもの。
「あなたはいいじゃないの。
私は、したかったことがもう何もできないのよ」と言われている気がしてしまう。

母は傍から見ても不思議なくらい前向きだった。
書き残した大量のメモや走り書きを見ても、
自分がこんなに早く死ぬなんてかけらも思ってなかったようだし
周囲にも死を予兆させるような言葉は最期まで口にしなかった。
お見舞いに来てくださっていたお友達が
「そんなに悪いなんて知らなかった!」と口々に言ったほどである。
痛かろうがだるかろうが、病院のベッドの中で
見舞い客と1時間でも2時間でもおしゃべりを楽しんだ母。
緩和ケア病棟の看護師さんもボランティアさんも大変親切で良い方ばかりであったが、
実は私はちょっと苦手だった。
彼らが、母のことを自分の死期が近いとわかってもそれを穏やかに受け入れている、
と勝手に思っている雰囲気があったからだ。
(少なくとも私にはそう感じられた)
母は近づく死を受け入れてなんかいなかった。
亡くなる前日には、私がマッサージして足が動かせるようになったことを心から喜んでいた。
最期まで生き続ける希望はまったく捨てていなかったのだ。
私が今、母の人生の中でもっとも尊敬しているところである。

病院から電話をもらって20分もしないで到着したと思う。
だが、私は母の死に間にあわなかった。
そして部屋に入ったとき、呼吸していない母の傍らには誰もいなかった。
もちろん数分前には当直の看護師がついていたのだろう。
名前を伺ったがもう忘れてしまった。
人手が充分とは言えない時間帯だっただろう。
しかし、それでも欲を言えば、せめて私が着くまでは誰かに母の側に座っていてもらいたかった。
それだけで、母の旅立ちが無事に行われたのかどうかという私の不安は軽減されたはずだ。
人はなんだって、最期を看取ることにこだわるのだろう。
母を看取れなかったことは私の心に癒えない傷を残した。
何故あの晩泊り込まなかったのか。
私は生きている母に、ありがとうと言いたかったのだ。
でも、今日も明日も生きているつもりの母に
締めくくりのような言葉をかけるチャンスがなかった。
ありがとうと言うのはいつも母の方で、
状況から見て私が母にありがとうと言うタイミングがあるとしたらそれは本当の終わりの時、母が旅立つ時だけだった。
私は自分に余裕を残しすぎた。
だから、やるべきことをやらないでしまったような罪悪感が
私を泣かせないようにしている。











今朝

2009-05-21 23:47:54 | 母との日々~がん患者の家族として~
母が早朝、旅立ちました。
タクシーでとばしたけれども最後の瞬間には間に合いませんでした。
悲しみと感謝でいっぱいです。

お母さん、どうもありがとう。

耳元で言えなくて、ごめんね。




「初雪」  荒巻清美

雪だって
初めての旅立ちは
ためらうんだろうか
ふるえながら
そうっと
舞い降りてくるよ

雪だって
手で受けとめられると
うれしいんだろうか
夢みながら
ゆっくり
とかされていくよ

雪だって
積もれなかったときは
悲しいんだろうか
涙のあと
ほんのり
残して消えたよ

デザインフェスタが終わりました

2009-05-18 00:02:14 | 母との日々~がん患者の家族として~
16,17の二日間行われたデザインフェスタVol.29が終了。
とりあえず無事出せて良かったですが、
展示方法やブースの場所など、色々反省することが多く、
出来ればもう一回出したい気分です。

写真の小冊子3種は会場で配ったものです。
まだ沢山ありますので、
ご希望の方はコメント欄もしくはメールにてご連絡いただければ
郵送します。是非もらってください!
コメント欄は承認式にしておりますので、
ご住所やお名前を入れていただいた場合は公開することはありません。

デザインフェスタに出展します

2009-05-15 23:18:57 | 母との日々~がん患者の家族として~
先月末、母が緩和ケア病棟に入りました。
ボランティアの方々が発している善意エネルギーで私は窒息しそうですが
母は痛みに耐えつつも喜びのある毎日を過ごしています。

さて、明日と明後日、東京ビッグサイトで行われるデザインフェスタVol.29に
母の詩のブースを出します。
開催当初はマイナーなイベントでしたが年々参加者が増加し、
最近では旅行ガイドの「lonely planet」の日本編にも東京の見所イベントとして
載っているらしいです。
入場料がかかってしまいますが、お暇な方は是非遊びに来てください!
ブースNo.はアトリウムスペースのD-0054です。

デザインフェスタ Vol.29開催情報



写真にある可愛いうさぎのイラストは昔母が「夏のおともだち」というお話を書いた時に中村晃子さんというイラストレーターの方にお願いして
紙芝居として描いていただいたものの一部です。
最近は「農業」にはまっていてあまり絵の仕事はしなくなってしまったそう。
どうして描かないんですか、と聞いたら
「絵より畑の方が美しいから」という素敵な答えが返ってきました。






楽しく看病

2009-04-17 20:24:13 | 母との日々~がん患者の家族として~
がんのリンクからこちらを見てくださっている人もいるので
書き辛さも感じつつ・・・

このところ母は急速に食欲が落ち、ほとんど食事らしい食事ができない。
腹部が臨月のようであるのに、上半身はがりがりに痩せてしまった。
去年母と見学しておいたホスピス病棟は満員で
一般病棟で対処せざるを得ないとのことなのでなるべくなら入院させたくないと思っているが、
何より本人の「病院に行くのは嫌だ」という強靭な意志が
足のリンパ浮腫も深刻なのにも関わらず、トイレ往復を可能にしている。
今の私に出来ることは理論で何かするのではなく、
ただただ、肌に手を当てつつ症状が緩和するように祈ることである。
家に行くまでの往復は色々考えたり、
昔の思い出に浸って目が潤んだりもするが
日当たりの良い母の部屋に入ると
それまでの感傷的な気分が吹っ飛んでしまうのが不思議。
いい陽気とはよく言ったものだ。(今日は雨だったけど。)

今日は以前から約束していた母のお友達が二人お見舞いに来てくれた。
何も説明しておかないのも差し障りがあるかと思い、
迎えに行って家に向かう道中に手短に現在の状態を説明したら
片方の彼女の顔がみるみる曇り・・・
彼女は数年前に乳がんの手術でリンパ節も取ったらしく、
ホスピスと聞いて過敏に反応してしまったようだ。
母に「今はがんの治療法も色々あるからきっと治るわよ、ねっ!」
なんて一生懸命話しかけているが、
こういう時にあえてそういう話題はなんだか痛かった。
妙に明るいのも無理してる感じがするときがあるし、
今を一生懸命生きている人を目の前にして悲しがるのも嫌だし、
自分としてもどういう風でいることが良いのかよくわからない。
ただ、今まで母の具合が多少悪くても、なるべくそのことを考えずに
生活するのを心がけてきた。
でもそろそろ無理が出てきて、
色々な人から「お母さんはどう?」と聞かれると答えるのが非常に面倒くさい。
わざわざ電話してきてくださる方もいるが
一通り話したあとで「大変だけど頑張って!」なんて言われると
かえってぐったりしたりする。
誰からも気にかけてもらえなければそれはそれで寂しいし、
何をどういう風に言われれば満足するのか自分でもわからず、ワガママなもんだわ。

昨年お父様が進行した肺がんと判明した方から久しぶりにメールが来た。
放射線の後遺症で大変だが、代替療法や食事療法も活用してなんとか頑張っている、と。
がんのおかげで家族の時間が濃密になったと思って
お互い楽しく看病しましょうね、と返信しながら
自分で自分の打った文字に励まされた。

と書いている間に弟から電話。
母が部屋にいない、という。
どうやら夜のドライブに連れていってもらっているらしい。
素敵なお友達がいて幸せな人である。




母に歌う子守唄

2009-04-03 00:31:30 | 母との日々~がん患者の家族として~
明日は行かないからね、と言ってはみたものの、やはり気になって
午後になって母のところへ行く。
しかし、「忙しいけど来たんだからね」という気分が態度に出てしまうと駄目だ。
色んなことが雑になる。
リンパドレナージュも、時間はかけているのに思ったような効果が出ない。
「先生はそんな風にやらなかった」と母も不機嫌になるし、最悪だ。
何のために往復2時間以上もかけているのだ。
帰りの電車を待つホームで罪滅ぼしをするように
次回のリンパドレナージュの出張施術の予約電話をかける。

こんなんじゃいかーん!

翌日、沈む気分を転換しようと久しぶりに図書館に寄る。
がんの闘病記でも借りるつもりだったがコーナーが変わっていてすぐに見つからない。
ふと目に留まった
落合恵子「母に歌う子守唄 その後 私の介護日誌」
にする。

バスの中で読む本じゃなかった。
落合さんの生活には爪の先ほども及ばないが、
彼女のお母さんに対する愛慕、寝たきりという状態に対しての細やかな配慮、
すべてが今の私の想像力を暴走させて
涙で何度も中断。

ほぼ読み終わった頃に母のところへ到着。
昨日とはうって変わって前向きになれている自分がいる。
「よっしゃあ!さて、用意して!」と弾んでいる私の声に
母も「何かいいことでもあった?」といぶかる。
貴女と今ここに一緒にいて世話を焼けることが嬉しいと、今読んだ本のお陰で実感できたの。
なんて口にはとても出せないけどさ。

落合さんのお母さんが好きだったという勿忘草ってどんな花だっけ、
と考えながら歩いていたらお花屋さんの鉢に並んでいた。
すごく小さくて可憐な花。
私もいつか庭に植えよう。