母にメールが届いた。
「こんにちは。体調どうですか?
私は最悪。先週検査で癌が大きくなっている事が分かり次の治療を提案されました。
前の苦しい副作用思い出してめちゃめちゃ落ち込んでいます。
毎日自殺したいと思ってます。
同じ病気の仲間達の精神的強さやたくましさに驚きです。
私には到底ありません。
人間には寿命があるて思うけど今後どう病が進行し死を迎えるか不安と恐怖で押しつぶされそう
何も悪い事したわけでもないのに不公平ですね癌に苦しむとは。
ただ当事者が自分で幸いだった夫や子供でなかったのは救いでした。
貴女は強いですね。
自分の心とどう向き合ってますか?
この上なく暗いメールで本当に申し訳ありません」
帯津病院の患者会で知り合った方で、
詳細は母の記憶があやふやでわからないのだが、
一通り治療を終えた後、残ったがんを抱えて経過観察中だったらしい。
自殺という単語を目にしただけでパニックになってしまった母に代わって
返信を書いた。
はじめまして。
母は長い文章を考えるのが苦手なので代わりに書かせていただくことにしました。
母は全然強い人間ではなく、むしろ普通の人より愚痴の多い人でしたが、
今回の癌を通して前よりはたくましくなりました。
悪いことをしたから苦しむわけではありませんし、
良いことをしていたら苦しくないわけでもありません。
身体の健康な人が皆幸福なわけでもありません。
闘病しているのが旦那様やお子さんではなく、Kさんだったのは、
「夫や子供でなかったのは救い」とおっしゃるように、意味のあることだと思います。
Kさんのように相手を思いやれる方だと、
ご自分のことよりもご家族のことで精神がまいってしまいかねません。
今この瞬間も立派に耐えていられるご自分に誇りを持ってください。
聞き飽きている台詞だとは思いますが、身体とこころは表裏一体です。
本当にそう思います。
時には泣いて泣いて、感情を発散することも大切だと思いますが、
悲しい、辛い、という感情を持ち続けることは身体にとっては非常に負担になります。
もし副作用のことばかりを考えて憂鬱になってしまうのでしたら、今後辛い治療はせず、
癌と出来るだけ共存することも選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
効かないかも知れないとマイナスの可能性に気持ちの焦点を合わせながら辛い治療をするよりも、
医師の予測を当てにしないで、心が変われば人生が変わるという信条を持って楽しいことに顔を向け、
短期・長期の目標を立てて生活するのも、癌に負かされないひとつの方法だと思っています。
医師達は確かに色々な患者やデータを見ているかもしれませんが、「私」という存在は他にないのです。
現代医学は万能ではないのですから、そうそう他人のデータを頼りにしてばかりいても仕方ありません。
現に、再発癌に対する治療を行わなかった母は医師の予測に反して今もなんとか一人暮らしが出来ています。
再発や転移を抱えて何年も治療に耐えてきたお友達もいますが、
母の場合は精神的にも肉体的にも病院任せの治療生活は向かないので
この選択は間違っていなかったと思います。
そうは言ってもやはり人間、毎日毎日アップダウンを繰り返しながら
食事療法やら本やら音楽やら鍼灸やら漢方やら友人達、
色々なものに支えられての低空飛行です。
しかし飛んでいる限り、見えてくるものはたくさんあります。
地球の生命は何億年も絶滅の危機にさらされながら切り抜けてきました。
私達の生命はその奇跡の重なりの上に存在しています。
今ここにこうして存在していること自体に感謝できるようになれば
毎日目にする風景や人への感じ方も変わるし、
それがご自身の身体にも周囲の人にも、必ず良い影響を与えます。
何につけ、癌の闘病というのは鬱っぽい状態になりがちです。
医師の何気ない言葉もいちいち心に突き刺さってしまうこともあるでしょう。
そんな時は身体がカチカチになっていることが多いので、
ストレッチ体操をしたり、暖かいお風呂に入ったり、好きな香りを嗅いだり、
緑の美しいところを散歩したり、とにかく身体をほぐすことです。
身体をしなやかにすることで気持ちの安定も得られますし、
気分が変われば心が変わります。
そして心が変わればまた身体も変わっていきます。
辛いと悩む⇔身体も余計辛くなる、の悪循環のループを断ちましょう。
その中でまた治療に対する希望や意欲も湧いてくるかも知れません。
そしてご自分の身体と真正面から向き合うKさんの姿が、
ご家族に希望や勇気、感銘を与えます。
ホント、病気も含めての人生です。
病気がなければ今の私達の家族関係はまた違うものになっていたでしょうが、
そのほうが良かった、とも思いません。
私は毎日、今の母から色々なことを学び続けており、とても感謝しています。
他愛ない日常がとても有り難いものになっています。
長くなりました。母もKさんと是非お会いしておしゃべりしたいと言っておりますが、
なにせ少しの遠出で足が腫れてしまうので残念ながらそちらまでは行かれません。
どこまでお役に立てるかどうかわかりませんが、
気持ちを吐露するだけでも少し楽になるかと思いますのでまた連絡してやってくださいね。
私も、Kさんのご自宅に近くないのが残念ですが
一日も早く青空が見えてくるように、
またメールしたいと思っています。ではでは。
書き終わってみて、なんて長ったらしいんだ、と自分でも思う。
誰かと会話しているとき、私は大体においてしゃべりすぎる。
関西に生まれてたらきっと誰かが突っ込んでくれるのに、
誰も止めてくれないから余計なことまで口走る。
大学入学時に高校から一緒だった男子に
「コイツ、おばちゃんみたいだろ」と周囲に紹介されちゃったのも
そのせいだと思う・・・ま、今は本物のおばちゃん年齢に入っちゃったけど。
年を食ったからといって言葉が上手くなるわけでもない。
人を励ますって難しい。
ペットによって励まされる時もあれば、料理や場所に慰められることもある。
何も言わない方がいい場合もある。
でも、死にたいなんて言われたら、いてもたってもいられない。
ない頭を絞って考えたものの、送信した後で、
ただの一方通行だったらどうしよう、
がんじゃない貴女にはわからないと言われたらどうしようと、
考えれば考えるほど眠れなくなってしまったりする。
こういうとき、カウンセラーのような専門職の人達は
なんと答えるのだろう。
Kさん、元気になってね!
「こんにちは。体調どうですか?
私は最悪。先週検査で癌が大きくなっている事が分かり次の治療を提案されました。
前の苦しい副作用思い出してめちゃめちゃ落ち込んでいます。
毎日自殺したいと思ってます。
同じ病気の仲間達の精神的強さやたくましさに驚きです。
私には到底ありません。
人間には寿命があるて思うけど今後どう病が進行し死を迎えるか不安と恐怖で押しつぶされそう
何も悪い事したわけでもないのに不公平ですね癌に苦しむとは。
ただ当事者が自分で幸いだった夫や子供でなかったのは救いでした。
貴女は強いですね。
自分の心とどう向き合ってますか?
この上なく暗いメールで本当に申し訳ありません」
帯津病院の患者会で知り合った方で、
詳細は母の記憶があやふやでわからないのだが、
一通り治療を終えた後、残ったがんを抱えて経過観察中だったらしい。
自殺という単語を目にしただけでパニックになってしまった母に代わって
返信を書いた。
はじめまして。
母は長い文章を考えるのが苦手なので代わりに書かせていただくことにしました。
母は全然強い人間ではなく、むしろ普通の人より愚痴の多い人でしたが、
今回の癌を通して前よりはたくましくなりました。
悪いことをしたから苦しむわけではありませんし、
良いことをしていたら苦しくないわけでもありません。
身体の健康な人が皆幸福なわけでもありません。
闘病しているのが旦那様やお子さんではなく、Kさんだったのは、
「夫や子供でなかったのは救い」とおっしゃるように、意味のあることだと思います。
Kさんのように相手を思いやれる方だと、
ご自分のことよりもご家族のことで精神がまいってしまいかねません。
今この瞬間も立派に耐えていられるご自分に誇りを持ってください。
聞き飽きている台詞だとは思いますが、身体とこころは表裏一体です。
本当にそう思います。
時には泣いて泣いて、感情を発散することも大切だと思いますが、
悲しい、辛い、という感情を持ち続けることは身体にとっては非常に負担になります。
もし副作用のことばかりを考えて憂鬱になってしまうのでしたら、今後辛い治療はせず、
癌と出来るだけ共存することも選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
効かないかも知れないとマイナスの可能性に気持ちの焦点を合わせながら辛い治療をするよりも、
医師の予測を当てにしないで、心が変われば人生が変わるという信条を持って楽しいことに顔を向け、
短期・長期の目標を立てて生活するのも、癌に負かされないひとつの方法だと思っています。
医師達は確かに色々な患者やデータを見ているかもしれませんが、「私」という存在は他にないのです。
現代医学は万能ではないのですから、そうそう他人のデータを頼りにしてばかりいても仕方ありません。
現に、再発癌に対する治療を行わなかった母は医師の予測に反して今もなんとか一人暮らしが出来ています。
再発や転移を抱えて何年も治療に耐えてきたお友達もいますが、
母の場合は精神的にも肉体的にも病院任せの治療生活は向かないので
この選択は間違っていなかったと思います。
そうは言ってもやはり人間、毎日毎日アップダウンを繰り返しながら
食事療法やら本やら音楽やら鍼灸やら漢方やら友人達、
色々なものに支えられての低空飛行です。
しかし飛んでいる限り、見えてくるものはたくさんあります。
地球の生命は何億年も絶滅の危機にさらされながら切り抜けてきました。
私達の生命はその奇跡の重なりの上に存在しています。
今ここにこうして存在していること自体に感謝できるようになれば
毎日目にする風景や人への感じ方も変わるし、
それがご自身の身体にも周囲の人にも、必ず良い影響を与えます。
何につけ、癌の闘病というのは鬱っぽい状態になりがちです。
医師の何気ない言葉もいちいち心に突き刺さってしまうこともあるでしょう。
そんな時は身体がカチカチになっていることが多いので、
ストレッチ体操をしたり、暖かいお風呂に入ったり、好きな香りを嗅いだり、
緑の美しいところを散歩したり、とにかく身体をほぐすことです。
身体をしなやかにすることで気持ちの安定も得られますし、
気分が変われば心が変わります。
そして心が変わればまた身体も変わっていきます。
辛いと悩む⇔身体も余計辛くなる、の悪循環のループを断ちましょう。
その中でまた治療に対する希望や意欲も湧いてくるかも知れません。
そしてご自分の身体と真正面から向き合うKさんの姿が、
ご家族に希望や勇気、感銘を与えます。
ホント、病気も含めての人生です。
病気がなければ今の私達の家族関係はまた違うものになっていたでしょうが、
そのほうが良かった、とも思いません。
私は毎日、今の母から色々なことを学び続けており、とても感謝しています。
他愛ない日常がとても有り難いものになっています。
長くなりました。母もKさんと是非お会いしておしゃべりしたいと言っておりますが、
なにせ少しの遠出で足が腫れてしまうので残念ながらそちらまでは行かれません。
どこまでお役に立てるかどうかわかりませんが、
気持ちを吐露するだけでも少し楽になるかと思いますのでまた連絡してやってくださいね。
私も、Kさんのご自宅に近くないのが残念ですが
一日も早く青空が見えてくるように、
またメールしたいと思っています。ではでは。
書き終わってみて、なんて長ったらしいんだ、と自分でも思う。
誰かと会話しているとき、私は大体においてしゃべりすぎる。
関西に生まれてたらきっと誰かが突っ込んでくれるのに、
誰も止めてくれないから余計なことまで口走る。
大学入学時に高校から一緒だった男子に
「コイツ、おばちゃんみたいだろ」と周囲に紹介されちゃったのも
そのせいだと思う・・・ま、今は本物のおばちゃん年齢に入っちゃったけど。
年を食ったからといって言葉が上手くなるわけでもない。
人を励ますって難しい。
ペットによって励まされる時もあれば、料理や場所に慰められることもある。
何も言わない方がいい場合もある。
でも、死にたいなんて言われたら、いてもたってもいられない。
ない頭を絞って考えたものの、送信した後で、
ただの一方通行だったらどうしよう、
がんじゃない貴女にはわからないと言われたらどうしようと、
考えれば考えるほど眠れなくなってしまったりする。
こういうとき、カウンセラーのような専門職の人達は
なんと答えるのだろう。
Kさん、元気になってね!
こんなにすばらしい返信メールを書けるなんて、立派!
いやカウンセラーのように書く必要はないと思うよ。
これをどう受け取るかは、もう相手の問題だから。
私も立場上、難問、珍問ぶつけられる機会があってね。
カウンセラーは、なにかアドヴァイスをすることはないんだよね。
だから、私も自分の感想を述べるにとどまっています。
もしも、この後相手が死んでしまっても、
それは本人の選んだ道で、誰の責任でもないんだよ。
未来は自分で探すしかないんだよね。
だから、難しいんだけどね。