マイ・ライフ・レッスン

母のがんのケアをするなかで感じたことなどを書いていた記録です。

ブログ 引っ越しました

2020-06-11 09:38:06 | 読んで感じるあれこれ
祐天寺駅から徒歩3分 きよら鍼灸院のホームページはこちら
↓↓↓↓↓↓↓
https://www.kiyo-ra.com

きよら鍼灸院のブログはこちらに引っ越しました。
↓↓↓↓↓↓↓
https://kiyorashinkyu.blog.fc2.com

こわーい「オーガニック」

2012-04-09 23:49:46 | 食べ物雑事
冷蔵庫の一番奥の「開かずの間」状態のスペースに、
開封してそのままになっているマンゴーの瓶があって
うっかり4年以上経過。

出してみて、あれ?

腐っていない。

かびてもいない。

変なニオイもしない。

・・・ちょっと食べてみたけど味も大丈夫そう。

砂糖不使用、とあり
原材料には「マンゴー、マンゴー果汁」としか記載がない。

砂糖なしでこの保存性は有り得ないから
表記していないだけで、薬漬けなのだろうと容易に推測できる。
恐ろしい。
そういえば色が変わってないのも変だよね。

オーガニックマーケットみたいな所で買ったと記憶しているが
「オーガニック」表記に即飛びついてはいけない、とあらためて。

これ、母にも買ってあげて、美味しいって喜んで食べてたんだよなあと思い出し
闘病中の人になんというものを食べさせていたのだろうと
激しく後悔中。

普段は食べ物は捨てない主義ですが
これはこの写真の後処分いたしました。


腐らないマンゴー

Twitterで話題になった「困ってる人」を読みました。

2011-07-07 09:01:30 | 読んで感じるあれこれ
読み終えてふとバスの窓から外に目をやると
路肩に胸部レントゲン車が停まっている。
車体に

HEALTH
LOVE
PEACE

の3単語。
何で英語?何でこの言葉?とちょっとツッコミを入れたくなるような組み合わせ。
まあ、健康も愛も平和も大事だよね・・・

表紙のインパクトに目が留まり、
(似顔絵がプロフィール写真とそっくり)
Twitterで話題になっていた「困ってる人」を読んだ。

困ってるひと困ってるひと
(2011/06/16)
大野 更紗

商品詳細を見る


数々の難病モノや闘病記録本の中でも
この本は飛びぬけてイキがいいというか、
文才のある若い人が書くと
「具合が悪いこと」もこんなに面白おかしく(?)読めるんだなあ。
とはいえ、中途半端な知識があるだけに潰瘍や曲がらない関節や太い注射針を想像して
イタタタタ、と顔が自然に歪んでしまうんだけど。
最初から最後まで、とにかく本当に痛そうだ。
前半まではわりと普通(?)の闘病生活なのだが、
主治医達とのバトルや手厚いとは言い難い社会保障制度に憤る
「難病患者のマリアナ海溝」あたりになると
身内のことで何年か病院通いやら役所の窓口でぐったりすることやらを経験した身として
俄然他人事とは思えない。
うん、その苦労、疲労困憊、悔しさ、怒りを表現するのに
このページ数じゃ全然足りないよね!と思う。
でもどん底まで落とされた心の状態を
逐一細かく描写しすぎなかったおかげで
さらっと読ませちゃうところがこの本のいいところではないかと。

自分が25歳の時、何してたかなあ。

発症から始まって入院に至るまでの日々、
入院中の出来事の数々、そして自立を決心して退院するまでの
「難病」にまつわるエピソード中心になっているが
語りたいことはこんなもんじゃ収まらない、という気力が伝わってきて
「ムーミン谷」と評する彼女の故郷、福島のこと、
彼女が病気になる前にアジアの難民キャンプで体験したこと、
病気になってからの現場への思い、
今考えていること、退院してからの生活・・・
もっともっと、知りたくなる。
(「あの人」とのその後も、どうなったのか、とても気になる)

だからこの本が売れてるんだな。

アマゾンでは一時的に品切れのようです。
治療室に置いてありますのでご興味のある方は読んでみてください!


緩和ケア病棟 家族会に出席

2011-03-06 00:18:06 | 母との日々~がん患者の家族として~
緩和ケア病棟から

「愛するご家族を当院緩和ケア病棟で看取られてからしばらくの時間がたちました。
その間、私たちも亡くなられた患者様のことを思い出しながら
時には涙したり、時にはよい思い出に励まされたりしています。
(中略)
皆様とお会いして、個人を偲び、思い出を語り合い、共に涙し、
励ましあえる会を催したいと思います。」

というご案内をいただいて
家族会に行ってきました。
実は行くのはちょっと億劫でした。
どういうことをするのか案内文ではよくわからなかったし
泣いていいと言われれば涙が出る、というものでもない。
でも、緩和ケア病棟を出た日から一度も結局病院に足が向かないので
先生にお礼を言う機会だと思って行きました。

場所は病院と同じ敷地内にある看護大学の学生食堂。
新しく出来たばかりらしく大変きれいな建物で、
会場入り口にはお世話になったボランティアさんの姿が。
陽の光の差し込む明るいホールに白い大テーブルとオレンジの椅子が並び、
お花が沢山飾ってあって、ストックの良い香りが漂う素敵な空間。
せいぜい丸テーブルを囲んで談笑する程度の人数を想像していたのですが
それよりずっと沢山の人が集まっていました。

管理局長さんと先生の挨拶の後、
先生が編集作業をしたという、
緩和ケア病棟から旅立った患者さん達のスライド上映。
その中に母の詩集、そしてスタッフの方との笑顔写真もあり、
映し出された数秒の間に
2年前のホスピスでのスタッフの方々の温かさに触れた日々が
走馬灯のように思い出され、ああこの場に来て良かったと思いました。
目の前に座った、旦那様を昨年看取ったというご婦人が、
この場に来たことでホスピスでの日々を思い出されているのでしょう、
終始涙を拭っていらっしゃいました。
代表で患者家族からの挨拶もあり、
皆同じような思いを抱えていることがわかりました。

担当の先生と、母に最後にマッサージをしてくださったボランティアさん
(彼女は10年、ここでのボランティア活動を続けていらっしゃるとのこと。
すごいことです。)に
あらためてお礼を申し上げることができて本当に良かったです。
自分の心を縛っていた鎖がまたひとつ解けた気がしますし、
近いうちにまたボランティアさんに会いに病棟を訪れてみようかなと、
昨日までは思いつかなかった考えが浮かぶようになりました。
こんな気持ちにさせてくれる機会を
病院の方から作ってくれるとは、本当に驚きです。
このような取り組みは最先端と言えるのかも知れませんが
早くもっともっと多くの現場に取り入れられて欲しいです。

3冊目の10年日記

2011-01-09 11:23:19 | 日々のあれこれ
10年日記の2冊目が昨年終了。

浪人して、後悔しない生活を送るために
日々の記録をしておこうと思ったのがきっかけ。
その後無事大学には入れたが
なんとなくそのまま続けて、現在に至る。
色々忙しかったせいでこの5年は空白の日も多かったけれど
最近は再びわりと真面目に書いている。

今年から始める3冊目の10年日記は
実は母に3年前にプレゼントしたものだ。
だから2008年と、2009年の一部が埋まっている。
2010年は空白。
だから正確には今年から書き始めると7年日記だ。
1日分の割り当てられた行数は少ないけれど、
その日付の10年分が1ページで見られる構成になっているので
上に2008年と2009年の母の文字を見ながらペンを走らせることになる。
ページによっては体調が悪くて判読不明な走り書きや
欄外に書いてあるのもある。
私の知らない友人の名前も出てくる。
プライバシーの侵害だと言えばそうかもしれないし
読まずに捨てるべきなのかも知れない。
でもやっぱり、母の残したものに触れていたいし
毎日のように訪問していたお陰で私の名前が何度も出てくるので
それが感謝の言葉であれ悪口であれ、
今も母から語りかけられている気がして温かい気持ちになる。

今回の日記帳は私が今まで使った2冊よりも一回り大きく、
前よりも沢山書くスペースがある。
今年は去年よりもゆっくりと日記を書こう。

鍼灸院を開業しました

2010-05-30 23:39:29 | 日々のあれこれ
10年日記をつけているので、たった4行ではありますが、
何年前に何をしていたのかというのが大体わかります。
もっとも、この数年は空白の日も多いのですが。
6年前の今日は祖母と一緒に庭のドクダミを抜いた、とあります。
今はトイレもおぼつかに祖母も、6年前は庭弄りが出来ていたのね・・・

書いていなければ忘れてしまうような出来事が沢山沢山。
どうしてこうも私は何でも忘れるんだろうと思う時もあるけれども、
人間に与えられた偉大な能力でもあるなと思います。
忘れるから、前に進める。

母の居た家を改装して鍼灸院を開業しました。
きよら鍼灸院です。
はり、きゅう、マッサージ、
そして将来的にはびわの葉温灸他、はりきゅうにこだわらない手当て法などもしたいと思っています。

今年は出張治療と友人の治療院の手伝いもしつつ、
自分の治療室のスタート。
どうなりますことやら。

治療院のブログは
FC2ブログ きよら通信
へ、
ひっそりつぶやきたいことは、たまにこちらへつづろうと思います。

振り込め詐欺の話

2010-05-20 14:22:52 | 母との日々~がん患者の家族として~
1年ぶりに母の友人Sさんから留守番電話が入っていた。
深刻そうな声だったので、ご家族に何かあったのかとかけてみると、
「どうやらお母さんが遭った振り込め詐欺のグループの犯人が捕まったらしいので
協力できることなら協力したい」と。

時間の経過と共に笑い話にできるようになったが、
母はホスピスで振り込め詐欺に遭っていたのである。

ことの発端は昨年のGWの連休明け。
担当医師から「痛み止めの影響で幻聴や幻覚が出るようになって、
振り込め詐欺に遭った、とご自分でベッドから110番通報して
病室に警察官が来ました」と報告されたのだった。
その直後本人が「勘違いだった」と訂正し、騒動は終わったらしい。
医師には病院に迷惑をかけた旨を謝っておいたが、
母から私にその件の話は何もなかったし、
私も医師から聞いた話を母にあらためて確認することもしなかった。
ところが、葬儀当日に、Sさんが「これを渡し忘れていました」と
コンビニのATMで送金したレシートを出してきたのである。
もう、仰天。
病室に中身が入っていないお見舞い袋がいくつかあった理由がわかった。
聞けば、GWに見舞いに来てくださったSさんに、
「携帯電話の料金を滞納していて、電話を止められてしまうらしい」と
ひどくうろたえて、
「お金を払ってきてほしい」と現金を渡した、と。
自分でお手洗いにも行けない母にとって
手元の携帯電話は外とつながることのできる唯一の手段だった。
常識で考えれば、電話代としては高額すぎるし
電話会社でもない人間が電話を止められるのは変だし、
そもそも振込先がコンビニのATM操作って・・・と
誰でも即詐欺だと気づきそうなものなのだが、
「朦朧としていて間違ってどこかの有料サイトのボタンを押してしまった」と
慌てふためく母と、母よりやや年上で人の良いSさんの組み合わせが
結局そのまま見事に詐欺にひっかかるパターンに。
Sさん曰く、「振り込んでおいたわよ」と母にコンビニから電話すると
心底安心した声でお礼を言っていたそうだが、
思うに、母はその後自分で冷静になってみて詐欺に遭ったと気づいて
警察を呼んだのだろう。
しかし事情聴取をされているうちに、
これでは後で私や弟にばれてきつく叱られるに違いないと思い、
「間違いでした、私の勘違いです」と撤回したに違いない。
詐欺だったのかとショックを受けて呆然と立ち尽くすSさんを前にして、
私は私で、誰にも言えずに母がひとり動けぬベッドの上で
後悔にさいなまれていたかと思うと、
それが可哀相でならなくて
もっと早く気づいて「色々あったけど何も気にしなくて良い」ということを
生きている時に伝えたかったなあと。

Sさんとはその数ヵ月後に会い、振り込んだ額を弁償すると言われたが、
丁重にお断りしてお菓子だけいただいた。
母が自分で頼んだことで、実際代わりに用を足してくれたことに感謝していたわけだから
もう今後一切何も気にしないでください、と笑顔で別れたのだが、
やはり今日までSさんの心にこの出来事が深く突き刺さっていたのだろう。
犯人逮捕のニュースをたまたまつけていたラジオで聞き、
手口がそっくりなのでこれだ!と確信を持って電話してきたという。
私が証言しますから、というSさんに
故人になってからでは被害届を出すことが出来ないことを説明し、
犯人がつかまったというニュースを偶然知り得たのも
どうか本当にもうこれ以上気にしないで欲しいという
母からのメッセージだと思いますよ、と電話を置いた。








パティ・スミスの映画

2009-09-03 23:50:48 | 日々のあれこれ
気づけば秋。
この夏は海に山にと出かけまくって真っ黒だけれども、
思考回路に霧がかかった感じが取れない。
これを疲れのせいにしてばかりいても仕方ないので、
そろそろ自分から元気になる努力をすべく、
まずは「ひとりで映画を観に行く」を5年ぶりに実行。
本当は、スノーボードよりも映画に行くほうが好き。

パティ・スミス ドリーム・オブ・ライフ

実はパティスミスの音楽、聴いたことがない。
それなのに久しぶりに観る映画にこれを選んだのは
パティが母の年と近いこと、大切な人をたてつづけに失うという不幸を乗り越えたこと、
米国人なのに被爆者に寄り添う心の持ち主であり反戦を歌っていることが紹介された記事が
たまたま目に留まったから。極めてミーハー。

いやあ、自分が元気になれるヒントがあるんじゃないかと思って観たけど
そういう次元じゃなく、もう還暦超えてるのに、あまりに格好良くてびっくり。
パンクの女王と言われてたので今までは興味が湧かなかったのだけれど
音楽も人間も、私がイメージしていたのとは違った。
パティの詩の良さ、凄さが私には理解できないのが本当に残念。
字幕で「馬が、馬が、馬が・・・」とやられてもどうも・・・。
こればかりは原文の音、意味、響きをそのまま受け止められる英語力がないと駄目だ。
しかしそこを差し引いても詩を読んでいる彼女の姿には惹きつけられるし
堂々とブッシュ批判をし、「NO WAR!NO WAR!」と叫ぶ彼女のパフォーマンスは迫力があり、
生身の彼女に是非会ってみたくなった。
CD買おうっと。
詩の世界だけに留まらずに人の心に深く響く感性を持っている人だと感じる。
無造作に三つ編みにしているぼさぼさの髪、ファッション、
指で絵の具をなぞる仕草、ギブソンをつまびく姿、
バロウズやメイプルソープについての思い出を語るシーン、
すべてが妙に絵になっていてお洒落で、久しぶりに本気で「見とれた」。
突然亡くなった弟について語る彼女の心境が、私が今母に感じているのと似ていて
到底近づけない人、と感じると同時に、身近にも感じられたのは
スターとしての彼女をPRせずに淡々としたドキュメンタリーに仕上がっているお陰。

観て良かった。





「母」にまつわる本3冊 そして宿題。

2009-07-21 23:54:05 | 母との日々~がん患者の家族として~
母がいなくなって2ヶ月目。

先月の読書。母にまつわる本三冊。

高野悦子「母-老いに負けなかった人生」

「私にはそんなにぴんと来なかったけど、今のあなたならこの心境がわかるのでは」
と友人が貸してくれた。
岩波ホール総支配人を務めた高野悦子さんのお母様の話。
今でも充分とは言えない介護保険が整う以前の話だから
著者がした苦労は想像できるのだが、
「痴呆症が回復した!」という帯の宣伝文句には
読み終わってみると違和感。
一旦認知症と思われる状態になってそこから再び回復したというエピソードは
確かに素晴らしいけれどもこの本のハイライトではない。
私にとっては20代で教師として自立し、他人に奨学金まで出していたエピソードが妙にインパクトがあった。
この明治生まれのかっこいい母に見守られたからこそ
著者の仕事ぶりもあったのかと。
母も娘も非常に頼もしく逞しく、
とてもじゃないけど自分に置き換えて読んでみることはできず
誰もに共通する母の物語というよりも
厳しい時代を強く生き抜いた女性の物語、でした。

次にこれは参考のために読んでおこうかなと思ったのが
今更ながらの
リリー・フランキー 「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」

残念ながら母が存命中には読みきらなかった。
読み終わっていたら少し私のストーリーの結末が違っていたかも知れないが
そんなこともないかも知れない。
男性が母に感じることと、女性が母に感じることは違うと思っていた。
それに私の母は色々一生懸命ではあったけれども
オカンのように家事も得意でなければ友達を作るのも苦手だった。
が、私が感じたこととあまりにも似ていて、
どうしてこんなに上手に代弁してくれちゃってるんだろうと。
もっとも、皆がそう思ったから売れたんだろうけれども。
先日の「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」の最後に
故人の兄という方が挨拶した言葉、
「どうかできるだけ、故人を皆様の記憶の中にとどめておいてください」
を思い出した。
著者は「小さな人生」と書いているが、
号泣してくれる人が何人もいるオカンの人生は
全然小さくない。
オカンほどには無理かも知れないけど
誰かの記憶に温かく残るような人生を送りたい。

そしてこの本。
リディア・フレム 「親の家を片づけながら」
現在のメインテーマ。
母の家を片付けること。
その作業がそのまんま本に。
考えてみればこういうことは世界共通なのだが、
著者はヨーロッパ人、ご両親は収容所生活を生き抜いた人で
生い立ちや物を取っておく経緯がうちとは違う。
それなのにいたく共感する部分がある。

「家の中がこれほどめちゃくちゃになることは一度もなかった。
今私の周りには、あらゆる物がぎっちりと隙間なく積み上げられている。」

「ストップ!もうたくさん!もう結構!何も見ないでとにかく捨てよう・・・」

ああ、そんな風に全部ゴミ袋に入れてぽいっ。と出来たら楽だろうけど
著者もちょっと進んではまた立ち止まる、の繰り返しでかなり苦戦している。
親の物を勝手に触る罪悪感からなかなか抜け出せないのは
亡くなったお母さんと良好な関係を築けていなかったせいらしい。
出てきた物たちを、あらゆるガラクタも含めて、ひたすら書き残すことで物の供養をしているようだ。
この本は本国で五万部以上売れたそうだが
ちびたロウソクも何万本もの古釘も、旅先で手に入れた紙ナプキンの山も、
文字となってそれだけの数の人の目に触れたのなら
ある意味でお役目を終えたといえるのではないだろうか。
人のことは言えないが、母は安物買いの銭失いの典型で、
私が受け継ぐような指輪ひとつ持っていなかった。
それこそ私達の関係は良好だったのだから
処分しても後ろめたいことはないはずだ。
うちには永遠の命があるかのようなドレスも
銀のスプーンセットも、七代前の女性が残したリネンのような由緒有るものもない。
残ったのはただただガラクタ、他人から見ればただのゴミである。
執着するのは時間の無駄だ。
・・・が、後生大事に取っておかれたお菓子の空き缶や大量の紙袋、
リサイクルショップでタダ同然で手に入れたようなぬいぐるみ、
誰かに宛てて書いた手紙の下書きやTVを見ながら書いたと思われる膨大な量の走り書きの中に
私はいちいち母の面影を見つける。
捨てるべき物の中にばかり母がちらつくものだから作業は一向にはかどらない。
これはちょっと後回し、という気の迷いがあっという間に狭い空間をさらに足の踏み場もない場所にしてしまう。
彼女のように書くことで物供養ができれば良いのだけれども、
残念ながらリストができるほど整然とはしていない。
デジカメで撮っておこうかとも考えたが、
そこまで暇なら何か別のことをしろと言われそうで(誰に?)あきらめた。

ふと思い出して、昨年やはり親を亡くした友人にメールしてみる。
彼女もあまりの大変さにやる気をなくし、必要最低限の手続き以外はせず、
部屋もそのまま封印してあるそうだ。
仲間を見つけた安堵感。
いやいや、しばらく放置したところで結局は私がしなくてはならないのだ。
これが終わらないと私は前に進めない。
夏の宿題。



写真:一昨日、外に出たら虹が。



旅立ちを祝い道中の無事を祈る会

2009-06-28 23:37:55 | 母との日々~がん患者の家族として~
ああ なんというタイトル。
1月に69歳で心筋梗塞で突然逝かれた、帯津三敬病院の帯津良一先生の奥様、
帯津稚子さんのお別れ会である。

先生は患者さんの訃報に接する際
口にこそ出さないが心の中で
この言葉を唱えているそうだ。
年下の妻に突然先立たれた男性というのは少々気の毒ではあるが、
流石帯津先生、である。
会はまず正面の遺影に参列者が献花をし、
次に縁の深い方々が挨拶を述べたあと
立食形式で会場に故人出演のNHKの気功番組映像を流しながら歓談、
最後に直弟子さん達が献花ならぬ「献」太極拳を披露して終了、
という流れで
当然のことながら全く湿っぽくなく進行し、
帯津先生は会場のあちこちで記念撮影や著書へのサインを求められていた。

私は母宛に通知が届いたので代理として列席させていただいたが
特に知り合いもなく、奥様との面識もないのにチビを人に預けてまでわざわざ出掛けたのは、
純粋にこのタイトルに心打たれたからに他ならない。
ホテルの入り口に堂々と掲げられた
「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」の題字を見ただけで
窮屈な身体を離れて虚空へと還って行く母の姿がおぼろげながらもイメージされ、
私の中の、母の供養への道が少し開かれたような気がした。