母がいなくなって2ヶ月目。
先月の読書。母にまつわる本三冊。
高野悦子「母-老いに負けなかった人生」
「私にはそんなにぴんと来なかったけど、今のあなたならこの心境がわかるのでは」
と友人が貸してくれた。
岩波ホール総支配人を務めた高野悦子さんのお母様の話。
今でも充分とは言えない介護保険が整う以前の話だから
著者がした苦労は想像できるのだが、
「痴呆症が回復した!」という帯の宣伝文句には
読み終わってみると違和感。
一旦認知症と思われる状態になってそこから再び回復したというエピソードは
確かに素晴らしいけれどもこの本のハイライトではない。
私にとっては20代で教師として自立し、他人に奨学金まで出していたエピソードが妙にインパクトがあった。
この明治生まれのかっこいい母に見守られたからこそ
著者の仕事ぶりもあったのかと。
母も娘も非常に頼もしく逞しく、
とてもじゃないけど自分に置き換えて読んでみることはできず
誰もに共通する母の物語というよりも
厳しい時代を強く生き抜いた女性の物語、でした。
次にこれは参考のために読んでおこうかなと思ったのが
今更ながらの
リリー・フランキー 「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」
残念ながら母が存命中には読みきらなかった。
読み終わっていたら少し私のストーリーの結末が違っていたかも知れないが
そんなこともないかも知れない。
男性が母に感じることと、女性が母に感じることは違うと思っていた。
それに私の母は色々一生懸命ではあったけれども
オカンのように家事も得意でなければ友達を作るのも苦手だった。
が、私が感じたこととあまりにも似ていて、
どうしてこんなに上手に代弁してくれちゃってるんだろうと。
もっとも、皆がそう思ったから売れたんだろうけれども。
先日の「旅立ちを祝い道中の無事を祈る会」の最後に
故人の兄という方が挨拶した言葉、
「どうかできるだけ、故人を皆様の記憶の中にとどめておいてください」
を思い出した。
著者は「小さな人生」と書いているが、
号泣してくれる人が何人もいるオカンの人生は
全然小さくない。
オカンほどには無理かも知れないけど
誰かの記憶に温かく残るような人生を送りたい。
そしてこの本。
リディア・フレム 「親の家を片づけながら」
現在のメインテーマ。
母の家を片付けること。
その作業がそのまんま本に。
考えてみればこういうことは世界共通なのだが、
著者はヨーロッパ人、ご両親は収容所生活を生き抜いた人で
生い立ちや物を取っておく経緯がうちとは違う。
それなのにいたく共感する部分がある。
「家の中がこれほどめちゃくちゃになることは一度もなかった。
今私の周りには、あらゆる物がぎっちりと隙間なく積み上げられている。」
「ストップ!もうたくさん!もう結構!何も見ないでとにかく捨てよう・・・」
ああ、そんな風に全部ゴミ袋に入れてぽいっ。と出来たら楽だろうけど
著者もちょっと進んではまた立ち止まる、の繰り返しでかなり苦戦している。
親の物を勝手に触る罪悪感からなかなか抜け出せないのは
亡くなったお母さんと良好な関係を築けていなかったせいらしい。
出てきた物たちを、あらゆるガラクタも含めて、ひたすら書き残すことで物の供養をしているようだ。
この本は本国で五万部以上売れたそうだが
ちびたロウソクも何万本もの古釘も、旅先で手に入れた紙ナプキンの山も、
文字となってそれだけの数の人の目に触れたのなら
ある意味でお役目を終えたといえるのではないだろうか。
人のことは言えないが、母は安物買いの銭失いの典型で、
私が受け継ぐような指輪ひとつ持っていなかった。
それこそ私達の関係は良好だったのだから
処分しても後ろめたいことはないはずだ。
うちには永遠の命があるかのようなドレスも
銀のスプーンセットも、七代前の女性が残したリネンのような由緒有るものもない。
残ったのはただただガラクタ、他人から見ればただのゴミである。
執着するのは時間の無駄だ。
・・・が、後生大事に取っておかれたお菓子の空き缶や大量の紙袋、
リサイクルショップでタダ同然で手に入れたようなぬいぐるみ、
誰かに宛てて書いた手紙の下書きやTVを見ながら書いたと思われる膨大な量の走り書きの中に
私はいちいち母の面影を見つける。
捨てるべき物の中にばかり母がちらつくものだから作業は一向にはかどらない。
これはちょっと後回し、という気の迷いがあっという間に狭い空間をさらに足の踏み場もない場所にしてしまう。
彼女のように書くことで物供養ができれば良いのだけれども、
残念ながらリストができるほど整然とはしていない。
デジカメで撮っておこうかとも考えたが、
そこまで暇なら何か別のことをしろと言われそうで(誰に?)あきらめた。
ふと思い出して、昨年やはり親を亡くした友人にメールしてみる。
彼女もあまりの大変さにやる気をなくし、必要最低限の手続き以外はせず、
部屋もそのまま封印してあるそうだ。
仲間を見つけた安堵感。
いやいや、しばらく放置したところで結局は私がしなくてはならないのだ。
これが終わらないと私は前に進めない。
夏の宿題。
写真:一昨日、外に出たら虹が。