マイ・ライフ・レッスン

母のがんのケアをするなかで感じたことなどを書いていた記録です。

Twitterで話題になった「困ってる人」を読みました。

2011-07-07 09:01:30 | 読んで感じるあれこれ
読み終えてふとバスの窓から外に目をやると
路肩に胸部レントゲン車が停まっている。
車体に

HEALTH
LOVE
PEACE

の3単語。
何で英語?何でこの言葉?とちょっとツッコミを入れたくなるような組み合わせ。
まあ、健康も愛も平和も大事だよね・・・

表紙のインパクトに目が留まり、
(似顔絵がプロフィール写真とそっくり)
Twitterで話題になっていた「困ってる人」を読んだ。

困ってるひと困ってるひと
(2011/06/16)
大野 更紗

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数々の難病モノや闘病記録本の中でも
この本は飛びぬけてイキがいいというか、
文才のある若い人が書くと
「具合が悪いこと」もこんなに面白おかしく(?)読めるんだなあ。
とはいえ、中途半端な知識があるだけに潰瘍や曲がらない関節や太い注射針を想像して
イタタタタ、と顔が自然に歪んでしまうんだけど。
最初から最後まで、とにかく本当に痛そうだ。
前半まではわりと普通(?)の闘病生活なのだが、
主治医達とのバトルや手厚いとは言い難い社会保障制度に憤る
「難病患者のマリアナ海溝」あたりになると
身内のことで何年か病院通いやら役所の窓口でぐったりすることやらを経験した身として
俄然他人事とは思えない。
うん、その苦労、疲労困憊、悔しさ、怒りを表現するのに
このページ数じゃ全然足りないよね!と思う。
でもどん底まで落とされた心の状態を
逐一細かく描写しすぎなかったおかげで
さらっと読ませちゃうところがこの本のいいところではないかと。

自分が25歳の時、何してたかなあ。

発症から始まって入院に至るまでの日々、
入院中の出来事の数々、そして自立を決心して退院するまでの
「難病」にまつわるエピソード中心になっているが
語りたいことはこんなもんじゃ収まらない、という気力が伝わってきて
「ムーミン谷」と評する彼女の故郷、福島のこと、
彼女が病気になる前にアジアの難民キャンプで体験したこと、
病気になってからの現場への思い、
今考えていること、退院してからの生活・・・
もっともっと、知りたくなる。
(「あの人」とのその後も、どうなったのか、とても気になる)

だからこの本が売れてるんだな。

アマゾンでは一時的に品切れのようです。
治療室に置いてありますのでご興味のある方は読んでみてください!


イスラエルロビー

2008-11-16 00:51:14 | 読んで感じるあれこれ
確か9月のことであるが、たまたま夜J-WAVEをだらだらとつけていたら
JAM the WORLDという番組のCutting Edgeというコーナーになった。
いつもだったら消しちゃうんだけど
ナビゲーターが電話をつないだ相手の話に思わず耳ダンボ。
普通、こういうメディアの生放送に出る時って
無難にまとめるというか、慎重に言葉を選ぶんじゃないかと思うのだが、
このおじさん、ナビゲーターが地雷を踏んだとも思えないのに
なんだか怒り口調なのだ。
「オバマだと決まっている」「マスコミは嘘を報道するのをやめなさい」とかなんとか。
まあ、単に熱い人なのかも知れないけど、気になるおじさま副島隆彦。
イスラムなんとかが「あれは非常にいい本です」と言ったのが
一体何、と非常に気になって調べた。
あ。 激しく聞き間違い。
イスラムなんとかじゃないやん。


イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 

でした。
しかも怒れるおじさまは著者ではなく邦訳した人。
しかし、イスラエルも気になるのでとりあえず読むことにする。
前回感動したイスラームから考える
にも間接的につながっていく話であったが、
出てくる人物が大量で全員カタカナ名なんで読みにくくて大変。
しかしいろんな疑問がすっきりしていく。
イスラエル支持に関しては民主も共和もないらしい。
この問題に突破口が出来る日は来るのか?
ああ、日本はず~っと傍観者で翻弄されつづけるんだろうな。
上巻まではアドレナリンが出てて何度か駅を乗り過ごしてしまうほどだったんだけど
下巻に入るとペースダウンして中盤まででストップ。
私の頭のキャパオーバーなんで
続きはまた来年読むことにする。
副島先生自身の著作の方も面白そうなんだけど
HPに載せてる著者近影の写真が
どん引きしたくなる系統で、まだ読むのはためらわれるのでこれまた来年以降に。


そして結果は断言通りオバマ氏当選。
しかしオバマ氏の素晴らしい演説が話題になればなるほど
自分の国の首相がアレだというのが真剣に落ち込む。
某雑誌でずいぶん前から「あほうたろう」と書かれていたが、ただの悪口ではなく本当だったのは悲しすぎる。
今まで誰が首相になっても努めてあまり気にしないようにしてきたけれども最近ニュースがストレスだ。はあ。





イスラームから考える

2008-10-07 23:36:17 | 読んで感じるあれこれ
ある夜、特に目的もなくテレビをつけたら、アラビア語講座をやっていた。
アラブ圏にはどこにも行ったことがなく、自分に最も縁遠いと思われる言語だ。
ふと、司会(?)のアラジンの物語の一部を朗読しているきれいな女性に注目。
アラビア語は全然わからないけれど、
彼女の発音がネイティブであるのはなんとなく感じる。
場面が変わって他の共演者と一緒になると滑らかな日本語になった。
顔は日本人のようにも見えるし、
英語が堪能な日本人というのは見慣れたけれども、
アラビア語と日本語がぺらぺらのこの人は一体どういう背景を持つ人なんだろう、
と思いつつそのまま忘れていたら、
旦那が偶然彼女の著書を買ってきた。

師岡カリーマ・エルサムニー著 イスラームから考える

彼女が日常で抱えるジレンマや疑問を通して一般的なムスリムの
マイナスイメージ部分を変えたいという思いが伝わってくる。
自分はイスラム教徒に対してそれほど偏見はないと思っていたが、
それは嘘でした、というのがわかった。
知性というのは悩みが深いほど輝くのかも知れないと思うと、
自分のアイデンティティで悩んだことがない身としては
エジプト人と日本人のハーフという彼女の身の上がちょっと羨ましいような気もしてしまうが、
面倒を避けるために自分の宗教や血筋を隠さなければならない場合があるというのはとても苦しいことだ。
(清掃登山の野口健もエジプト人のハーフらしいけれど、
男だし、イスラム教徒じゃないから彼女のように悩んだことは一度もないんだろうな)
少し前、TVでトルコの「イスラム服」のメーカーが
ドイツ人デザイナーを招聘して従来の地味なイメージを一新し
身体はしっかり隠しつつも色や柄やアクセサリーの幅を持たせることで
そのファッション性を支持されて躍進中だという特集をしていたが
彼女に言わせれば、
コーランのどこにも女性にあのような格好をしろと具体的記述があるわけではなく、
「イスラム服」という定義は変だという。
そのような話は過去に何度か耳にした気もするが、
今同年代の女性からその主張を聞くとすんなり納得。
だから彼女もイスラム教徒ではあるけれども
日本はもちろんエジプトにいるときでもベールを被ったりはしないし、
重要なのはむやみな肌の露出を避けるという点であり、決まった形はないと。
そして、男女平等に働くという目的があるならば
年齢を重ねて体型が崩れても身体のラインをあえて出したりするのは
かえってデメリットになりかねず、隠すような服の方が魅力的だという考え方もできると。
ううーん、なるほど。
いつも長いズボンで働かなくちゃいけないのは
つまらないんじゃないだろうかなんて思ってた自分は全然わかってなかったなあ。
若い子の挑発的なファッションも嫌いではないが、
男性がいる職場で水着と見まごう格好をして、仕事に何の影響も出さない、
というのはどんなに綺麗事を並べようと現実は無理ってものだ。
不細工なワタシでさえ、会社員だった20代には多少服装で若さをアピールして
ささやかな恩恵を受けた思い出もないわけじゃないし。
でもそれって上司が男ばっかりだったからで、
女性がちゃんと評価されて昇進している会社だったら、全然話は違ったはずである。
仕事をするということに重点を置くのであれば
女性全員が身体を隠すことは非常に合理的であるという主張。
正論の気もする・・・が、男というのは不純な動機で頑張れる生き物らしいので、
女性が全員ベールを被った会社というのが日本にあったら
男性社員の士気は落ちるかも知れんなあ。
ま、そしたら男女の所得差が逆転するチャンスっていうことでそれもいい。

エッセイみたいな本なのですぐ読めてしまうが、
小さいエピソードひとつひとつがいちいち濃かった。
風刺漫画事件とか、在米アラブ人のお笑いとか。
ニュースはそのまま伝えるべきもので「わかりやすくお伝えします」はおかしい、
加工されたものなんか見たくないというくだり、
彼女はイスラム教徒の視点から、特に強く実感しているのだろうが
のほほんと暮らしている私でさえ、
マスコミの偏り具合にうんざりすることがあるのでうなずき50回。

いつかコーランも読んでみたいな、と思わせる1冊でした。

私はどっちかな

2008-09-30 01:50:31 | 読んで感じるあれこれ
「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」を読んでみた。
最近立て続けにスピリチュアル系の本を読んで
素晴らしい!今日から世界は変わった!と思える瞬間が持てたその一方で(なんて単純な!)
でもなんか違うんだよなあ・・・という不完全燃焼みたいな気持ちにもなったので
結局のところ私はどっちなのかを知りたくて。

「スピリチュアル」を語る本が売れに売れていて
誰もが真にそういうものを求め、霊性を磨くことに目覚めようとしているのであれば
世の中はもうちょっと温かくなって然るべきなんじゃないかともやもやしていたのだが、
イマドキの事情を解説するのが得意な香山リカが
このネタを2年も前に上手に解説してくれていた。
ワタシが遅いってことか。

そうなのそうなの!
私の感じていた違和感の原因がわかった。
巷でもてはやされているスピリチュアルは
利他主義ではない、ということなのだ。
自分が変われば周りが変わる。
全ての出来事は自分が原因で起こる。
貴方が望めばその夢は実現する。
・・・どれももっともに聞こえるんだけれども、
そこにあるのは自分、自分、自分・・・
あくまで自分が中心の世界であり、
物事が上手くいかない原因を過去生や因縁に求め、即問題解決につなげようとする。
個人の利益や欲望の積極的肯定にスポットが当てられた
自己実現に有効な手立てとしてのスピリチュアル。
私も現代に生きている以上、いろいろ欲は深いけど、
スピリチュアルに生きるっていうのがそんなにお気楽に出来るはずがないと思えるので。
霊性を語るならやっぱり無償の愛の精神を強調して欲しいところ。
しかしそういう内容は昔から散々言い尽くされてきたことで
今更注目されたり売れたりすることはないわけで。
霊性という訳がぴったりかどうかはともかく、
この言葉には、もう少し敷居の高いところに居て欲しいのに
どうも横文字になって口当たりが良くなりすぎちゃったか。

これを読む限りでは
香山リカはスピリチュアルにハマらない人を自負するわりに
江原氏に対してはわりと好意的であるという印象を持ったので、
ハマらない=全否定、というわけではないらしい。
さて、私はどっち?と思ったけど、
もちろん、ハマる人に属してるんだろうな。染まりやすいですから。
でもしばらく、スピリチュアルという言葉は安易に使わないようにしよう、と決意したのでした。


高級な癒し

2008-06-06 14:28:10 | 読んで感じるあれこれ
「医道の日本」6月号が届きました。
特別レポート「醫の原点に立ち返る鍼の試み」という記事があり、
それってどんな試みなのかとわくわくしながら読んだのですが・・・
内容はどんなものかというと、
京都の一流料亭「卯庵」で「鍼の会」という催しがあり、記者がそれをレポートしたもので

「鍼の会」では一流のチェロの演奏と一流の懐石料理、
一流の調度品という環境の中で鍼灸を体験してもらい鍼をポジティブに感じてもらう。
豪華で贅を尽くしたものと比べても見劣りするような文化でないことをわかってもらい、
「治未病」という面をアピールしてむしろ健康な時こそ鍼灸院にきていただきたいという業界の願いを発信する。
醫という言葉に立ち返るならば、その言葉が持つ意味は
リラクゼーションや慰安も含めて無限の広がりがあるということを再認識してもらう。 ・・・

ということが書いてありました。要約が不適切だったらごめんなさい。
興味がある方は実際にこの記事を読んでみて欲しいです。
この企画の目的は
「①鍼灸を知らない93%の人達に鍼灸を体験してもらうための提案方法の模索 
②治未病の実践にあたり、鍼灸を受ける時間が豊かなものであることをわかりやすい形で提案する
③鍼灸は健康な人も受けられると知ってもらうための異業種とのコラボレートによるきっかけ作り」
だそうです。
私がこの記事を読んで感じたこと。
一言でいえばがっかり、です。
タイトルと記事の内容はこじつけとしか思えない。
一流の文化財や料理と同列の鍼? なんだか違和感。
実際のその鍼治療というのは腹部を中心にごく浅い鍼を数本置鍼して
そのまま午睡してもらう、というやりかたのようですが、それはともかく・・・
参加者は国立博物館の名誉学芸員だの呉服商社の顧問だの、およそ一般的とは言い難い方々。
京懐石をいただきながら、
「それぞれが専門分野を持ち、ささいな会話の断片からいきなり世界規模の歴史・文化の変遷に話題が発展・・・」
その場に同席していたら、その「社会的地位の高い」方々の博学に関心するよりも
専門家同士の自己満足的な話題に辟易しそう。
料亭での食事という場の中でなければ歓迎しますけど。
この会の参加費は一人3万5千円だそうで
確か代官山あたりにある会員制鍼灸サロンの1回の施術料金もそのくらいのがあったし、料亭へ出向く値段としては高いとは言わないのだろうけれども(私は払えないけどね!)
でもなんだか!
そういうことを言いたいんじゃなくて!!
「鍼の情報発信としての新しい試み」が「ごく少人数で卯庵の持つ伝統と格式を楽しみつつ、鍼の上質な時間を味わうという構想になった」というのは
少々安易というか貧相な発想だと思うのは私だけでしょうか。
鍼灸の素晴らしさを伝えるのに一流の調度品だの高級な食事だのというのは必要ないと思うんですよ。
美味しい料理というのはそれだけでリラクゼーション効果があります。
すっぽん雑炊の後に鍼打って昼寝ってどうなの。
そりゃあ高級料亭でお昼食べてチェロの生演奏を聴きながら受けるような治療の後で
鍼灸を悪く言う人はいないでしょうけど、
こういうアピールが鍼灸の啓蒙になるとはとてもとても・・・
上手く書けないのが非常にもどかしいのだけれど、
言ってみれば
「ちょっといい旅館で美味しいご飯を食べて、その後マッサージ師呼んで揉んでもらう」
のと、至福度のレベルはそう変わらないと思うので、
これのどこが「醫の原点に立ち返る鍼の試み」という大仰なタイトルに結びついているのかと。
あ、要するに私はこのタイトルに不満なのね。
原点を問うというならもっと相応しい活動をしている臨床家の方々がいるよと言いたい。
「料亭卯庵とのコラボレーション ― A氏、鍼灸の可能性について語る」
こんな感じのタイトルで良かったんじゃないの?

ゴメンナサイ、ちょっと鼻息荒いです。

弱さの中ではたらく力

2008-04-06 00:11:23 | 読んで感じるあれこれ
路上生活者が多い町で19年も支援活動をしているという本田哲郎神父の記事を読んだ。

「相手の立場に立って、と言われるが
しょせん人は他人の立場に立つことはできないのだということがわかった」

19年も社会の底辺に置かれてきた人達に寄り添ってきた人の、この発言は重くて
短い記事なのに何度も読み返してしまった。
相手と同じ場所に立てないのに相手の立場を理解しようとするのであれば、
まず相手よりも下に立って教えを乞う姿勢が必要なのだと。
いくつかの場面を想定して、果たしてそんなことが私にもできるかどうかイメージしてみる。
・・・ため息。
今の倍くらいの年齢になったら、少しは学んでいるだろうか。

聖書の中の独特の言い回しには違和感を覚えることがままあるが、
本田神父は「弱者の視点」という独自の解釈で聖書を翻訳しているという。
「貧しい人は幸いである」 → 「貧しい人は、神からの力がある」
ああ、この訳の方が私にはわかりやすい。
いつか読んでみたいな。
本田哲郎 「釜ゲ崎と福音-神は貧しく小さくされた人と共に」

2年前の本田神父のインタビューを発見↓
内容は今回読んだ記事とほぼ同じでした。
中外日報のホームページ インタビュー 生きる・活きる 本田哲郎氏

はり百本

2007-01-12 15:54:06 | 読んで感じるあれこれ
石垣先生の「本を読んだだけで先生のパワーが伝わってくる」という感想を読んですごく読みたくなって、
昨日早速お借りしました。面白くて一気に読んでしまった。
鍼灸師としてのテンションを上げてくれる本です。
今まで複数の患者さんから、「テレビで背中に何百本も鍼を打っているのを見たのだけど
ああいうやり方の方が効くのか」と聞かれて「一度に何百本ですか!?」とにわかには信じがたく、
中国の先生かと思っていたのですが
(沢山の鍼を打つというのは中国人の先生には珍しくない手法なので)この本を読んで解決しました。
その「有名人に何百本も鍼を打つ先生」とは、この竹村文近先生のことだったのです。
先日、昨年11月にある鍼灸師の方が百日行という仏教の相当厳しい行を
見事満行したという新聞記事を目にして、
こういう方の鍼灸治療を是非一度受けてみたいと思いましたが、
竹村先生も相当なもので、1年の間に5000m級のヒマラヤの山々を3回も
ボンベなしで歩いた経験があるという強靭な心身の持ち主らしい。
何故何百もの鍼を打つことが必要だと先生が考えていらっしゃるのか、
この本を読んですんなり納得しました。
あくまでも竹村先生がご師匠から伝えられたやり方に
ご自分の経験をプラスして達した境地なので私には真似できませんが、
「古い結合組織を出来るだけ多く切り、そぎ落とし、ダムを決壊させる」という表現が新鮮。
「凝りのひどい人などには、先端を荒くつぶした鍼で繊維をゴリゴリ切ってやると、
あまりにも気持ちがよすぎてよだれを垂らしたりするほど」・・・!!!
ゴリゴリ切る!
鍼灸を全く知らない方の目にこの一文がどう映るのか、興味深いです。
「私の鍼は痛い」
「強い鍼で、一度身体をバラバラにする。そして、修復してから身体を組み立て直す。それが私の治療だ」
病んだ身体は気や血の滞りを前提としてバランスをとってしまっているので、
鍼でまずこの滞りを取り除き、
「悪いところははっきりと悪いと感じることのできる」身体の状態にする。
だからその修復過程で症状がかえって悪化したり、
今まで痛みの無かった場所に痛みが出現したりするのですが、
ひるまずに治療結果に対する自信とパワーを持って強い治療をする。すごいです。
普通の治療院だとかえって痛くなったりした場合、
事前に説明しておいても理解を得るのは簡単ではないと思うのです。
だから「痛くない・熱くない・副作用はほとんどなし」をうたう治療院が多いし。実際、私も初めての方には
「お灸は怖くないですよー、そんなに熱くないですよー」というところから灸施術を始めていますし(苦笑)。
もっとも、竹村先生の鍼灸院は患者さんも有名人が多いようですから、
人より抜きんでている分、治療に取り組む姿勢も並ではない患者さんばかりでしょう。
新潮社というメジャーな出版社だし、「タモリさんも驚いた」という大きな帯がついていて、
一般にあまり売れない鍼灸関係の本の中では売れ筋に違いありません。
発行が昨年のようなので、今も竹村先生の治療を受けたいという人の問い合わせが出版社に殺到しているだろうと思いますが、
この本を読んでこの治療を受けようという覚悟のある方なら、
逆に他の治療院でも治るのでは?とも思います。
とはいえ30分かけずに250本の鍼を的確に打つという竹村先生の治療、
是非受けてみたいものです。

アプローチの仕方は異なるけれども、
その人の持っている自然治癒力を最大限に引き出して健康になって欲しい、
という願いは鍼灸に関わる人間皆共通のものです。
高地巡礼も行けないし百本の鍼も打てない私ですが、
竹村先生のような気魄を持った方と同じ業界に身を置いていることを真摯に受け止め、
精進したいと思う年頭でした。
読んでいるうちに百会のあたりがむずむずしてきて、
思わず自分に1本打ちました。
4番0.23mmの、先生が使っている太い鍼とは比べ物にならないかわいいものですが。
しかし、セイリンの鍼が一箱100本入り。
1回の治療であれを全部使っても足りないとは・・・
朝一番のお弟子さんの仕事は箱から鍼を1000本出して包装を剥くことかー。
あらためて驚嘆。
私も疲れたりイライラしたりするとすぐ頭皮が硬くなるので、
本当は頭に2,30本打った方がいいかもしれない。
昔自分の頭に沢山打ってみたことがありますが、
均等に打つのが難しかったです。
久しぶりに今晩試してみるつもりです。