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マイ・ライフ・レッスン

母のがんのケアをするなかで感じたことなどを書いていた記録です。

リンパドレナージュ

2009-03-31 23:55:20 | 母との日々~がん患者の家族として~
母の右足に昨年からリンパ浮腫が出現。
腰やお腹に鍼灸やマッサージをするとわりと元に戻ったりしていたので
楽観していたが、最近右足にもリンパ浮腫が出始め、
3月に入ってから急にひどくなり、何をやってもむくみっぱなしの状態に。
これ以上の悪化を食い止めるには「リンパドレナージュ」が必要であるが、
両足がぱんぱんとなると、とてもじゃないけど私の手には負えない。
余裕のある時にリンパドレナージュの講習をせめて初級だけでも受けておくのだったと後悔するのであるが、
まさか必要になる日がくるとは夢にも思わなかったし。
治療院まで外出できる状態ではないので、費用はかさむが
医療リンパドレナージュ専門の先生に出張施術に来ていただいた。
母の場合は鼠経部のリンパ節が詰まっていると考えられるので、
足に溜まっているリンパ液を腋下のリンパ節へ流すようなマッサージを行う。
リンパ液というのは非常にゆっくりとしたスピードでしか移動しないのに、
足先のものを腋の下へ持っていこうというのだから大変である。
ゆっくりそうっと行わないとリンパ液は移動してくれないのだが、何しろ距離が長いので時間がめちゃくちゃかかる。
先生の出張枠の2時間なんてあっという間に終了。
とてもじゃないけど1回では先生の話を覚えられなかった私。
しょっちゅう来てもらうわけにいかないので、日々私が頑張るしかない。
しかし、これが苦手~。
気づけばどんどん、擦る手が速くなってしまうのだ。
普段のマッサージのクセで、つい押したり揉んだりもしたくなるが、
リンパの流れを改善するためにはNG。
短気な私には実に不向きなマッサージ法である。
施術が終わったらせっかく流したリンパ液がまたすぐ溜まってこないように、足に弾性包帯を巻く。
写真は初回に先生が巻いてくれたもの(両足巻いてしまうと転ぶ可能性があるので片足だけ)であるが、
トイレを何往復もするうちに包帯がずり落ちてしまい、
翌日には私が巻き直すことに。
ああ、すごくイマイチ・・・包帯法も下手な私。
リラックスが足りない。
次は歌でも歌いながらやってみよう。


他人の不幸は蜜の味・・・

2009-02-14 23:50:31 | 母との日々~がん患者の家族として~
何度も危機を乗り越えている母の仲良しのがん友さんが、
昔、がんの1回目の手術で入院したとき、
旦那さんの部下の奥さん(部下とはいえ、旦那さんより年上だったらしい)が
わざわざ喪服を着て!!!病室にお見舞いに来たそうで、
そういう人の脳内はこのメカニズムが強~く働いているんでしょうな。


他人の成功を妬み他人の不幸を喜ぶ脳内メカニズム判明


そこまで最低な人にはなかなかお目にかかれるもんではございませんが、
人間のアタマの中にこんな機構がセットされているとは悲しいお話で。
私もわりとすぐ人のことを羨ましがっちゃう方なんで、
前部帯状回とやらの妬み回路を活性化させることのないよう、
常に自分をゼロにしていること、満足すること、の大切さをあらためて感じた次第です。

さて、他人の不幸なんかではなく、これからこの「ショコラティエ・ゴーセンス」のチョコで線条体を活性化!
今日は朝から相当チョコばっかり食べてます・・・

100% 体調で生きる

2009-01-31 01:02:02 | 母との日々~がん患者の家族として~
健康コラムに「鍼灸」の文字を見つけられることはあまりなく、
ましてや「鍼灸師」を取り上げた記事には滅多にお目にかかれないのだが、
「鍼灸師 田中美津」
業界雑誌では見たことないな~誰だろう、と思ったら
ウーマンリブの旗手といわれた、とある。
鍼灸師になった活動家というのはこの人か!
ウーマンリブ世代ではないが、「体は正直です」とコメントして鍼灸師になった
というその人がどんな人なのか気になっていたので、
自分の中で今頃つながったのが嬉しい。

  「体調が悪いと、私らしくなれない」
  「私は100%、体調次第で生きている」

う~ん、なるほど!

自分のことで考えると、あんまり体調で生きてないと思う。
常時、私いつも元気でダイジョーブです!とちょっとうそつきな感じ。
昔、背中を診てもらって「無理してる」と言われたことがあるが、
当時は「そんなことないです!」と大いに反論したかったその言葉が、今なら素直に受け入れられるなあ。
とはいえ、虚勢を張るのを止めて自分の身体の声に真剣に耳を傾けるようになったら
その行為自体が自分らしくないような。
自然体で行く、なんて簡単じゃあございません。

それにしても、先週のスノーボードで10年ぶりくらいで大ゴケをし、頭を強打。
今も下を向くと頭の奥がなんとなく痛いし、
首も肩も腰も痛い。
流石にこの状態だと元気なフリができない。
でも、体調が良いと元気なのは当たり前だけれども、
カラ元気が駄目な体調を支えるっていうのもあると思うのよ。
病を抱えて、いつも100%体調で振舞っていたらあんまり楽しくないもんね。
そんなわけで今日も
「大丈夫大丈夫!」と母にはスパルタな励まし。



Kさんへ

2009-01-27 18:39:26 | 母との日々~がん患者の家族として~
母にメールが届いた。

「こんにちは。体調どうですか?
私は最悪。先週検査で癌が大きくなっている事が分かり次の治療を提案されました。
前の苦しい副作用思い出してめちゃめちゃ落ち込んでいます。
毎日自殺したいと思ってます。
同じ病気の仲間達の精神的強さやたくましさに驚きです。
私には到底ありません。
人間には寿命があるて思うけど今後どう病が進行し死を迎えるか不安と恐怖で押しつぶされそう
何も悪い事したわけでもないのに不公平ですね癌に苦しむとは。
ただ当事者が自分で幸いだった夫や子供でなかったのは救いでした。
貴女は強いですね。
自分の心とどう向き合ってますか?
この上なく暗いメールで本当に申し訳ありません」

帯津病院の患者会で知り合った方で、
詳細は母の記憶があやふやでわからないのだが、
一通り治療を終えた後、残ったがんを抱えて経過観察中だったらしい。
自殺という単語を目にしただけでパニックになってしまった母に代わって
返信を書いた。


はじめまして。
母は長い文章を考えるのが苦手なので代わりに書かせていただくことにしました。
母は全然強い人間ではなく、むしろ普通の人より愚痴の多い人でしたが、
今回の癌を通して前よりはたくましくなりました。
悪いことをしたから苦しむわけではありませんし、
良いことをしていたら苦しくないわけでもありません。
身体の健康な人が皆幸福なわけでもありません。
闘病しているのが旦那様やお子さんではなく、Kさんだったのは、
「夫や子供でなかったのは救い」とおっしゃるように、意味のあることだと思います。
Kさんのように相手を思いやれる方だと、
ご自分のことよりもご家族のことで精神がまいってしまいかねません。
今この瞬間も立派に耐えていられるご自分に誇りを持ってください。
聞き飽きている台詞だとは思いますが、身体とこころは表裏一体です。
本当にそう思います。
時には泣いて泣いて、感情を発散することも大切だと思いますが、
悲しい、辛い、という感情を持ち続けることは身体にとっては非常に負担になります。
もし副作用のことばかりを考えて憂鬱になってしまうのでしたら、今後辛い治療はせず、
癌と出来るだけ共存することも選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
効かないかも知れないとマイナスの可能性に気持ちの焦点を合わせながら辛い治療をするよりも、
医師の予測を当てにしないで、心が変われば人生が変わるという信条を持って楽しいことに顔を向け、
短期・長期の目標を立てて生活するのも、癌に負かされないひとつの方法だと思っています。
医師達は確かに色々な患者やデータを見ているかもしれませんが、「私」という存在は他にないのです。
現代医学は万能ではないのですから、そうそう他人のデータを頼りにしてばかりいても仕方ありません。
現に、再発癌に対する治療を行わなかった母は医師の予測に反して今もなんとか一人暮らしが出来ています。
再発や転移を抱えて何年も治療に耐えてきたお友達もいますが、
母の場合は精神的にも肉体的にも病院任せの治療生活は向かないので
この選択は間違っていなかったと思います。
そうは言ってもやはり人間、毎日毎日アップダウンを繰り返しながら
食事療法やら本やら音楽やら鍼灸やら漢方やら友人達、
色々なものに支えられての低空飛行です。
しかし飛んでいる限り、見えてくるものはたくさんあります。
地球の生命は何億年も絶滅の危機にさらされながら切り抜けてきました。
私達の生命はその奇跡の重なりの上に存在しています。
今ここにこうして存在していること自体に感謝できるようになれば
毎日目にする風景や人への感じ方も変わるし、
それがご自身の身体にも周囲の人にも、必ず良い影響を与えます。
何につけ、癌の闘病というのは鬱っぽい状態になりがちです。
医師の何気ない言葉もいちいち心に突き刺さってしまうこともあるでしょう。
そんな時は身体がカチカチになっていることが多いので、
ストレッチ体操をしたり、暖かいお風呂に入ったり、好きな香りを嗅いだり、
緑の美しいところを散歩したり、とにかく身体をほぐすことです。
身体をしなやかにすることで気持ちの安定も得られますし、
気分が変われば心が変わります。
そして心が変わればまた身体も変わっていきます。
辛いと悩む⇔身体も余計辛くなる、の悪循環のループを断ちましょう。
その中でまた治療に対する希望や意欲も湧いてくるかも知れません。
そしてご自分の身体と真正面から向き合うKさんの姿が、
ご家族に希望や勇気、感銘を与えます。
ホント、病気も含めての人生です。
病気がなければ今の私達の家族関係はまた違うものになっていたでしょうが、
そのほうが良かった、とも思いません。
私は毎日、今の母から色々なことを学び続けており、とても感謝しています。
他愛ない日常がとても有り難いものになっています。
長くなりました。母もKさんと是非お会いしておしゃべりしたいと言っておりますが、
なにせ少しの遠出で足が腫れてしまうので残念ながらそちらまでは行かれません。
どこまでお役に立てるかどうかわかりませんが、
気持ちを吐露するだけでも少し楽になるかと思いますのでまた連絡してやってくださいね。
私も、Kさんのご自宅に近くないのが残念ですが
一日も早く青空が見えてくるように、
またメールしたいと思っています。ではでは。


書き終わってみて、なんて長ったらしいんだ、と自分でも思う。
誰かと会話しているとき、私は大体においてしゃべりすぎる。
関西に生まれてたらきっと誰かが突っ込んでくれるのに、
誰も止めてくれないから余計なことまで口走る。
大学入学時に高校から一緒だった男子に
「コイツ、おばちゃんみたいだろ」と周囲に紹介されちゃったのも
そのせいだと思う・・・ま、今は本物のおばちゃん年齢に入っちゃったけど。
年を食ったからといって言葉が上手くなるわけでもない。
人を励ますって難しい。
ペットによって励まされる時もあれば、料理や場所に慰められることもある。
何も言わない方がいい場合もある。
でも、死にたいなんて言われたら、いてもたってもいられない。
ない頭を絞って考えたものの、送信した後で、
ただの一方通行だったらどうしよう、
がんじゃない貴女にはわからないと言われたらどうしようと、
考えれば考えるほど眠れなくなってしまったりする。
こういうとき、カウンセラーのような専門職の人達は
なんと答えるのだろう。

Kさん、元気になってね!

最近のセラピー

2009-01-26 13:11:34 | 母との日々~がん患者の家族として~
年が明けてから治療院に行っていない。
残念だが今の母にはちょっと遠すぎるのだ。
しかし先生の所に通ったお陰で、
気持ちの立て直しが出来て、
最近は私が母の治療をしている。
先週はドアを開けたらお腹を押さえて床に転がっていた。
1年前の私だったら病院に電話しているかも知れないが、
一瞬頭の中が白くなりはしたものの、
「大丈夫だよ」と声をかけながら施術したらやや痛みも落ち着いた。
鍼灸やマッサージもそこそこ効果はあるが、この場合
誰かが寄り添っている安心感が症状を軽減させたと言えるかな。
とはいえ私がいない時も穏やかに過ごしてもらえないと困るので、
よりよい癒しを模索中。

前回治療院に行ったときに先生に薦められたのが
「ホ・オポノポノ」という、ハワイのセラピー。
病気などをはじめ問題が次々と起こるのは、潜在意識の中にある
「記憶」が再生されて現実の世界に投影されるのが原因であり、
その「記憶」を 潜在意識から消去することで問題を解決に導く、
というものであるが、実行方法は難解でなく
自分に「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」と呼びかけたり、
水を青いガラス瓶に入れて太陽光にさらして飲んだりする。
いかにも南国らしいというか、ハワイの風土とマッチした(行ったことないけど)セラピーだと思う。
今までにも先生には色々と自分を癒す方法を紹介していただいたのだが、
この方法はその日その日を一生懸命生きている今の母にはとても合っている。
もちろん私にもいい。
自分が変われば世界が変わるという内容の本はたくさんあるが、
考え方が変わったお陰で世界が違って見える、というのではなく
自分の記憶を消去(クリーニング)すれば世界情勢までが現実に変化していくという考え方が新鮮だった。
これを私がやっていると例えばガザの人々が平和に暮らせるか、とか突っ込んで考えると正直、疑問だが・・・
もちろん紛争当事者がこういうセラピーをやっていたら違うだろうけれども。
でも外の世界はともかく、少なくとも自分の心は
多少なりとも平和になる。
著書をもっと読んでみようかと思ったが、
インターネットのコミュニティのスレッドなどを見ると
人数が増えるとやはり脱線するというか、
良い事への期待ムードが漂っていて、
前向きなのは良いのだが博士の言う
「欲や期待を捨てて自分をゼロにすること」からは
ぶれていく気がしたので止めた。
浄化グッズも色々売っていて、本を読んだ後だと思わず注文したくなるが、
なんでもほどほどに。
ホ・オポノポノを続けるうちにモノに頼らなくても自然にインスピレーションが
湧いてくるのが理想だというけれど、
これまたインスピレーションとか直感とやらが暴走しているように思われるケースに遭遇しているので、
自分の潜在能力には今後もあまり期待せず、
ひとりで出来る範囲を静かにやろう。
水は水道水でOK、瓶も青ければOK、
あとはひたすら自分に言葉をかけていくだけ、というのは何にせよ、素敵である。

写真: ワインの瓶とミネラルウォーターの瓶でブルー・ソーラー・ウォーター。
    金属製の蓋は駄目というのでラップで蓋してます。



今年もよろしく

2009-01-23 10:06:00 | 母との日々~がん患者の家族として~
今年もよろしくお願いいたします。

母も無事に年を越せました。これが私にはいちばんめでたい
お陰で今年もニセコに行けました。
知り合いのお子さんが3歳にしてすでに中級に迫る勢いで上達しているのを知り、
競争心に火がついてしまった夫はチビにスキーを仕込むのに夢中。
今シーズンはスキー場三昧。
先週も今週も、そして多分来週も・・・
you-tubeに練習姿を載せたりもしているらしい。

今年の抱負は「地味な努力」です。
地味を地道、と言い換えてもいいのだけれども、
自分には地道というより地味という言葉がしっくり来ます。
妙な向上心や大きな夢を持つよりもまず、
身の回りのことを堅実に。
自分の成長を自分で感じ取れる1年にしたいと思っています。















すべてがわたしにちょうどいい

2008-12-08 01:33:28 | 母との日々~がん患者の家族として~
久しぶりにママ友達とお茶する機会があって。
それほどストレスは抱えていない日常だと思っていたのだけれど、
その日はいろいろなことをいちいち羨ましく感じてしまい
は~、うちはどうして違うんだろう、とため息をつきながら帰る。
自分にこんなに不満があったのかと驚くくらいきりがなく思いつく。

夜になって突然、母につきそった治療院の待合室でぱらぱら見た本の文字が
頭に浮かぶ。
「すべてがあなたにちょうどいい」
親、伴侶、子供、持っているモノ、今の状況、すべてが
あなたにちょうどいいようにできている。
そんなような内容の本だった。
そうそう、すべてが私にちょうどいいのだと感じられる感性を持たないと
日々の幸せに気づけなくなるのだ。
気をつけなくちゃ。



様様

2008-12-02 00:44:52 | 母との日々~がん患者の家族として~
不謹慎なことを書くようだけど、最近、母が突然亡くなる夢を見た。
苦しくなって目が覚めた。
まあ、毎日、体調の確認ばっかりしてるから。

母が患っているのを皆さんご存知のためか、
最近立て続けに知り合いががんで、とか身内ががんなんだけど、
という話が舞い込む。
どのケースもわりと深刻で、私は医者じゃないし
大して経験豊富でもないし、上手い解決法はないのだけれど
その都度この1年で経験したことを全て伝えて
誠心誠意励ましている。
誤解を恐れずに言えば、
そういうことをしている瞬間が、
自分は一番生き生きとしているように思う。
母に色々経験させてもらっていることに本当に感謝している。
電話をしたり病院や治療院に付きそったり、ご飯を食べたり。
今日も一緒に居られることが嬉しい。
そして母が病人じゃなかったら、自分にこんな感情が湧いてくることはおそらくなかった。
言い方は悪いが「がんさまさま」なのである。
敬愛する恩師の
「死ぬならがんがいい。自分の死を準備する時間があるから」という言葉を折に触れてかみしめる。

たまに読んでいた
闘病&MBA
という、私とあまり年の変わらない人の子宮がんとの日々を綴るブログが
このところ更新されていなくて気がかり。
ホスピスに入院中と思われるが、早く戻ってくるといいなあ。

あー もうすぐ1時だってのに、
うちのとーちゃんまだ帰ってこないんですけど。
お腹すいたよう。


治らないのは自分のせい、なんでしょうけれども納得いかないこと。

2008-08-01 13:33:57 | 母との日々~がん患者の家族として~
先月末、ある治療院の院長と口論になった。
6月に「すごい先生がいる」と人づてに紹介してもらい、
1ヶ月間母を通わせたのであるが、
7回目の治療を受けた母が、施術中も帰る時もひどい対応をされたと
泣き崩れんばかりの抑うつ状態で帰宅したからである。
具合の悪さもあって他人の言動に過敏な母ではあるが、
少し大袈裟に言っているとしても初回そこに付き添って自分も治療を受けてみた経験から
大体の話は合っていると判断し、
即、その治療院へ抗議の電話をした。
症状が治らないことに対して、ではない。
治療家としての患者への接し方に疑問である。
何しろ治療時間は数分程度であるのにも関わらず3時間待ちもざらというカリスマ治療院、
そんな電話に院長じきじきに出てもらえるとは思っていなかったが
電話に出た受付に、
「少々お伺いしたいことがあるのですが、今母が悪化した状態で戻ってきたのですが、
先生にひどいことを言われたようなんですが、
そちらではそういうことがよくあるのでしょうか」
と一気にまくしたてたら
「そうですね」
という答え。
仮にも自分の師匠への苦情に、あっさりそうですねもないもんだと思ったが
話術にたけた受付ではないらしく、その後沈黙してしまったので
ほどなく院長に交代された。
予想はしていたが、「自分の体をわかろうとしないからです」
とひたすら母の非にされた。
しかし私は自覚症状が改善しないことを問題にして言っているのではない。
治るかどうかはその人次第というのは施術者にとってやや都合の良い言葉であるが、
短い時間しか施術しなくてもそれで症状が快方に向かうのは
その人の治癒力にスイッチが入るからで、そのこと自体に疑問はない。
それが上手く行かない場合、患者が施術者の意図していることを理解していないのが理由だと思うならば、
言い方、言葉表現の仕方っていうものがあると思うのだ。
ものわかりの悪い患者だっている。痛みがあって具合が悪ければ尚更だ。
その場で患者に苛立ちをぶつけてどうする。
自分の治療院にもう来て欲しくないのならば、
せめて「ここは貴女には合わないようです」と柔らかに断って欲しかった。
お金を払っている背中ごしに「あんたみたいな人は治せないよ」と
捨て台詞を2度も吐くべきではないし、
「またお世話になることがあるかもしれませんがその節は
よろしくお願いします」と頭を下げた母と目を合わせないようにしたという受付も、人間性を疑う。
しかしそれを指摘すると、院長は鼻息が荒くなり
「そんな風には言っていない」「そういう意味で言ったのではない」の一点張りである。
電話口の呼吸の乱れからすると、その言葉にはやや嘘が感じられ
取り繕おうとしているのが見えたので
さらに抗議しようとしたところで
「随分理屈っぽいよ」「あなたもおかしいね」と言ってぶちっ☆と電話を切られた。
あなた「も」である。
私は感情的な人間であるのは自覚しているが、理屈っぽいといわれたのは初めてだ。
これが自分のことだったら、同じ鍼灸師相手にこんな電話はしない。
臨床経験豊富で弟子も何人もいて、毎日何十人もの患者さんをみている治療家に
失礼な電話をするなんて、これからの自分の人生を長い目で見たら
あまりメリットがない。
せいぜい知り合いにちょっと愚痴って、そのうち忘れるだろう。
しかし私はこの3年の生活の多くの時間を母のことに割いてきた。
母を通して学べたことも多い。
今回は目の前で電話することで、
彼女の気持ちを晴らしてやる必要があったのである。
その甲斐あってその後母の気分は回復したが、
お陰で私の方にはまだ暗雲が立ち込めている。
この出来事を通して自分は何は何を学べと言われているのだろうと自問する。
ここで出来た人なら菓子折り一つ持って
「先日は失礼しました」と次の患者さんの治療時間を削った非礼を謝罪に行くのかな。
絶対やらないけど。

人生は廻る輪のように

2008-07-04 15:51:20 | 母との日々~がん患者の家族として~
以前この著書から引用された
ある一小節にいたく感動したことがありました。
しかしその後、色々経験するうちに、
所詮こんな言葉はただの理想論じゃないの~、
現実はこんな風に前向きに考えられないよと
斜め視点になり、著書をきちんと読むことはありませんでした。
ところが少し前にNHKでE・キューブラー・ロス医師の特集番組があり、
晩年脳卒中で半身不随になった彼女が、
著書で説くような、現実をあるがままに受容し生きる意味を見出している「聖女」として患者生活を送るどころか、
左半身が動かないという現実に憤っていた事実を知りました。
正確ではないかも知れませんが、
インタビュアーの「あなたは○○と言っていましたよね?」というような質問に対し
「ふん、あんなものは全部嘘だったのよ」という、
著書のファンが期待するものとはほど遠い、すんごい態度の答え方をしていたように記憶しています。
きれいごとではない人間臭さを感じて、逆に興味をそそられました。
それでまずは柳原和子さんも褒めていた「ライフレッスン」を読んでみたのですが
あっさりとはまってしまったので、
続いて出版当初は最後の著作になると言われていたこの本を読んでみました。

ライフレッスンの比じゃないくらいはまりました。
久しぶりに頭がぼ~っとするほど感動しました。
感動というより動揺に近い感情かも知れない。
バスの中で読みながら泣くこと数回。
三つ子の長女として生まれたロス医師の自伝的な内容ですが、
とにかく休息とは縁遠い、濃密な、行動に次ぐ行動の人生。
感傷的な話の映画とかには弱い私ですが、
読んでいていちいち涙が出るのはこの本の内容がそうだというのではなく、
他人に起こった色々な出来事や生活習慣の異なる国の人々の雰囲気を
それなりにリアルに想像できるようになったからという自分側のコンディションに尽きます。
ロス医師は本を読んで泣く暇なんかなかっただろうけれども。
数年前に読んだとしても今ほどは心に響かなかったと思うと、
本との出会いにもそれぞれ丁度良い時期というのがあり、
母ががんにならなければ、そのうち読もうと思っていたこの本をあせって今読むことはなかったわけで
やっぱり運命というものがあるのか?と思います。
ロス医師が死後の体験の素晴らしさに気づいた後半のチャネリングの話になると
昔から第六感的なものに疎い私としては付いていけていけませんでしたが、
そこを省いても私にとって良書です。

読むのは移動中だけなので
電車やバスに乗るのが待ち遠しかったのですが
読み終わってしまったのが残念。
活字が好きというわけではないので、
なかなか次に食指が動くものがありません。
皆様、こんな今の私にお勧めの本がありましたら是非紹介してくださいね~