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今からたくさんのことが起きてくる。
今まで隠されていて分からなかった理不尽なシステムなどが、
隠しおおせなくなって表面に出てくる。
その時に団結して抗議しようと思わないで。
デモをしても何も彼らは困らない・・・らしい(笑)
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
何度もお話ししていますが・・あなた達が思っているような
完全無欠の”神”という存在はいないのです。
あなた達が”神”と呼んでいる存在は、
古くからあなた達を支配・コントロールしている”宇宙人達”なのです。
あなた達が”神の書”としているものも、宇宙人達の話なのです。
ですから、時々”神々”という言葉も使われていると思います。
完全無欠の神が複数だということに疑問を持っていただけると、
いろいろな角度から物語を見ることが出来ます。
そして、その神々がどのようなことをしている話かを
今までと違う角度から読んでいただけると
理解していただけると思います。
彼ら(あなた達を支配・コントロールしている存在達、宇宙人)は、
直接あなた達に何かしているわけではないのです。
彼らがしているのは、思考の操作・・それだけなのです。
それが一番効率的に支配できることをよく知っているからです。
あれをしてはいけない。これをしてはいけない。
こうしなければいけない。それを守らなければ、大きな罰があたる・・
守れば天国へ行け、守らなければ地獄へ落ち
永遠の苦しみを味わうことになる・・と脅します。
そして、実際にいろんな形で罰を与えます。
この情報を、親から子へ受け継がしていくのです。
そして小さなころから親だけでなく教育機関でも教え込みます。
知らず知らずのうちに、その思考が正しいものだと思い込み、
それだけが許される考え方だと思ってしまうのです。
そして、少しでもそこから外れようとする人を許すことが出来なくなり、
集団で糾弾することになるのです。正義、正しさの名の下では
何をしてもかまわないと思い込んでしまうのです。
そして、少しずつその正義、正しさを変えていきます。
この地域ではこれが正義、この地域ではこの正義・・と。
自分の正義が正義だと思っている人たちは、
違う正義があることが許せないのです。
だから、自分の正義が正義だと主張しあい、
争いあい、敵対し合うのです。
何のためにそんなことをするのでしょうか?
そうです・・あなた達を団結させない為です。
彼らが一番恐れているのはあなた達が団結することです。
数的に彼らは圧倒的に少ないのです。
少数が多数を支配・コントロールするためには、
分裂させておくのが一番なのです。そして、お互いを見張りあい、
少しでも自分たちと違う考え方をする人たちをみんなで糾弾し、
他の人もそんな考え方をしなくなるように仕向けるのです。
テラは一つです・・でもそこに国を作り、国境を張り巡らせ争わせる。
国の中でも、政治政党をいくつか(大きな二つが効果的)作り、
お互いに意見の食い違いを巡って争わせる。
会社でもそうです・・
組織が出来れば必ず分裂が起きるようにしてあるのです。
ですので、団結しないでください。何か社会に疑問を持ち、
それを変えたいと思うのならば集まらないでください。
人々が集まれば(団結すれば)、彼らは喜びます。
彼らは分裂させることに長けています・・
とても巧妙な罠を仕掛け分裂させることはとても得意なのです。
今からたくさんのことが起きてきます。
今まで隠されていて分からなかった理不尽なシステムなどが、
隠しおおせなくなって表面に出てきます。
その時に団結して抗議しようと思わないでください。
デモをしても何も彼らは困りません・・
あなた達の話を聞く気は毛頭ないからです。
そして、団結することで彼らに力を渡してしまうのです。
だから、これからは個々で離れてください。
みんなで一斉に何かをしようとするのではなく、個人で動いてください。
自分一人では何も出来ない・・そんなことはありません。
あなたの社会システムを支えているのは、
あなただということを思い出してください。
あなた達一人一人がそっと離れれば、ピラミッドは自ら崩れていきます。
また長くなってしまいました(笑)
今日はこの辺にしたいと思います。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
ありがとう アシュタール!
この前のアシュタールライブトークセッションで出た話題です。
学問の神さまと言われている菅原道真さんの祀られている神社について、
教えてください、さくやさん・・というご質問からはじまった話題です。
ブログでもちょっとだけ話がしたい・・と言うさくやさんのリクエストがありましたので
お伝えしますね。
「人を祀っている神社はね、良い波動じゃないの・・わかるでしょ。
他の神社に関してはいつも言ってるからよくわかってると思うけど、特に人を祀っている
神社は重いわ。
だって、ちょっと考えればわかることだと思うけど。
学問の神さま・・と言われて祭られている人は、どうして神社に祀られているのかしら?
彼は、政争にまけた人なのよね。
政治の世界で負けて都から追い出されて遠くに流された人。
すごく悔しくて悔しくて、都にいる政敵に念を送り続けた人。
その人が流されてから、都にいろんな事件が起きるようになった。
政敵たちが死んじゃったり、病気になったり、建物に落雷があって焼けちゃったり・・
実際に念を飛ばしてそのようなことを起こしてたのよね。
念というより怨念(イヤな言葉よね・・すごく波動の重い言葉)よね。
その念が怖くて、当時のエネルギーを読めて使える人の手を借りて、その念を封じ込めた。
それが、いまあなた達が学問の神様が祀られているとする神社の成り立ち。
その神社は、人間の強いネガティブな念を封じ込めたところ。
わかる?
ネガティブな重いエネルギー(念)を、もっと重いエネルギー(念)で無理やり封じ込めて
いるところ。
このことがわかれば、その神社がわかるでしょ?
どうして、そこに行って学業などのお願いをするのかしら?
とても怒っている重いエネルギーのところに行って、何をしてもらおうとしてるのかしら?
とてもナンセンスなことだってわかると思うんだけど。
ただ、その人が小さいころに学問が好きで、秀才と言われていた・・と言う話だけで、学問の
神さまというブランドを創った・・そういうことよね。
それだけの場所だって事を知って欲しいと思う。
そんな重いエネルギーのところで、自分の願いことをすることの怖さを知って欲しいと思う。
怒りのエネルギーがすごくて、人を傷つけ、物を壊しすほどの重いエネルギーの人が、
願いを叶えてくれるかしら?
愛のエネルギーを放射するかしら?
ずっと封じ込められているから、まだそこにはそのエネルギーが残っているのよ。
だから、決して軽いエネルギーのところではない・・ということはわかるでしょ?
神社は、波動が軽い・・神社に奉られている存在はすべて神のように素晴らしい愛の存在だ・・
と思うのは、思考停止状態だってこと。
他の神社も同じ。
神社についてはいつも伝えてるから知ってると思うけど、神社には神はいない。
もともと神という存在はいないんだから、神社に神という存在はいるわけないのよね。
あなた達が神と呼んでいるのは、宇宙人だってこと。
この話しははじめるとまた長くなるから今日はここでやめとくけど、
人間を神として祀っている神社って、ほとんどがその人の念を封じ込めたところだってことを
忘れないでね。
それがわかれば、そこに行って自分の願いを叶えてくださいってお願いすることが
どういうことかわかると思う。
神社でお願いことをすることの怖さを知って欲しいと思うのよね。
そして、神社には神はいないけど、波動の重い存在たちがたくさんいるということも
忘れないでね。
あなた達を心から愛してるわ~」
ありがとう さくやさん!
私たちもさくやさんを心から愛してるよ~~^0^
「出会った人すべてを褒めまくる」というルールを、自分に課してみた。
「Inc.」の人気ライター、Jeff Haden氏は、ある実験をしてみることにしました。そのときの様子を紹介しましょう。
それは、朝、昼、晩、いつでもできるもの。そして誰にでもできること。もちろん、あなたにだってできる実験です。さっそく、今日にでも試してみてはいかがでしょうか?
とにかく、会う人
すべてを褒めてみる
「自分は十分に褒められ、認められている」と感じている人なんて、ほとんどいない。理由は簡単だ。私たちは、あまり他人を褒めたり認めたりしないからだ。自分はそうされたい、と思っているにも関わらず。
私もそうだった。だから「一日で出会った人、すべてを褒める」というチャレンジをしてみることにした。すれ違っただけの人だろうと、その人のことを知らなかろうと、どんな状況であろうと、褒める。褒める言葉が思いつかなかったとしても、とにかく褒める。
なかには「そんなの簡単だろう?」と思う人もいるかもしれない。でも私にとってはそうではなかった。文章を書くのは得意だけれど、面と向かって知らない人と話すのは、あまり得意ではないんだ。
「褒め」ルール
ルール1:誰かと目が合ったら、必ず何らかの方法で褒めること。もちろん目を合わせないようにする、なんてことをしてはならない。
ルール2:ただし、目が合った人がすでに他の誰かと話していたり、電話をしていたり、ヘッドホンをしていたら、邪魔してはいけない。
ルール3:家にこもるのは禁止。最低4回は外出すること。
【朝】
ナンパと間違われないように
気をつかう必要がある
最初は簡単だった。ゴミ出しに来たお隣さんは、花や植物をたくさん育てていた。だからそれを褒めたら、とても嬉しそうにしていたんだ。
次に会った人は、犬の散歩中だった。そこで「素敵な犬ですね」と褒めてみた。言ってから、犬のほうを褒めてしまったと気づき、「いやぁ、この犬、幸せそうな顔をしていますよ。きっと愛情たっぷりにお世話してもらってるんでしょうね」と付け足すと、飼い主の顔がぱっと明るくなった。犬や子供を褒められるのも嬉しいものだけれど、やっぱり自分を褒められるのが一番嬉しいのだ。
なんだ、意外と簡単じゃないか。と思っていた矢先だった。
ちょっと離れたところに、20代前半くらいの若い女性がいた。犬はいない。第三者的な視点で褒められる、分かりやすい特徴もない。
これは困ったな、と思った。考えてみて欲しい。もしあなたが道行く若い女性だったとして、突然出会ったおじさんに褒めちぎられたら…、正直ちょっと気持ちが悪いだろう。
一生懸命、不自然にならない褒め言葉を考えていると、彼女と目が合った。すると、にっこりと微笑んでくれたんだ。
そこで僕は、微笑み返してこう言った。「ありがとう」
「え、何が?」彼女は聞き返した。
「ほとんどの人は、道行く人と目を合わせもしない。それってなんだか嫌だなって思っていたんだ。そこでいうと、君はとっても楽しそうに笑って挨拶してくれた。素晴らしいよ」
それを聞いて、彼女は再び笑顔になってこう言った。「こうして外にいるのに、楽しくなさそうな顔をしているほうが珍しいんじゃない?」そして、別れの挨拶をして去っていった。
確かに、今考えればあまりいい褒め方とは言えなかった。でも、彼女も少しはいい気分で一日を過ごせたんじゃないかと思う。
私はうきうきして、次に会った子連れの人にも調子よく「かわいい娘さんですね!」と褒めた。ただし、返事はこうだった。
「ありがとう。でもこの子、男の子なんです」
【昼】
スーパーで一体
なにを褒めろというのか
それからスーパーに行ったのだが、これが間違いだった。
スーパーで人を褒めるのは難しい。みんな買い物をしにきているのに、突然出会った人に褒められたらどう思うだろう。嬉しいというか、むしろ邪魔だとさえ思うかもしれない。褒める内容も問題だ。「そのメロンを選ぶなんて、お目が高いですね」なんて不自然すぎる。
そこで困っているふりをして、人に何かを聞いてみることにした。それなら話しかけてもそれほど不自然じゃないし、助けてもらったら褒めやすい。なんて素晴らしい思いつきなんだろう、と自画自賛して、意気揚々と実践に移した。
魚介のコーナーで、30代くらいの女性と目が合った。彼女はにこりともしなかったからちょっとドキドキしたけど、とにかくこう聞いてみた。
「すみません、どのサーモンが一番いいか、全然わからなくて。お邪魔でなければ、教えてもらえませんか?」
すると彼女は、その通りにしてくれた。目を合わせたときは仏頂面だったのに、楽しんでさえいるようだった。
おかげで私は「ありがとうございます。優しいんですね」と言うことができた。
一応レジに並んでいるときに3人の子どもを連れたお父さんと目が合ったけれど、あっちこっちに動き回る子どもたちの相手で、明らかにそれどころではなかったので、会計を済ませて車に戻った。
シートに座ってひとりになったとき、少しホッとしたのは秘密だ。
【夜】
ジムで「タトゥーの男」を
褒めたときのこと
もうひとつ、私は間違いを犯してしまった。ジムに行ってしまったのだ。
確かに、ジムではほとんどの人が音楽を聴きながらトレーニングをしているから、話しかけなくて済む、という側面もある。ただ一方で、トレーニングが終わればほとんどの人は器具から器具へ移動する。だから、ジムにいるほとんどすべての人を褒めなくてはならないことになってしまうのだ。
それでも、私は頑張った。150kg近いベンチプレスをしている男性は、褒めるのが簡単だった。ストレッチをしている女性は、開脚したまま前屈して体がマットにつくくらい体が柔らかかった。これも簡単。
隣でトレーニングをしている男性と目が合ったときは、とくに褒める言葉が思いつかなかった。そこで腕にタトゥーがあることに気づいて「そのタトゥー、いいですね」と言った。
それから彼は、タトゥーについて語ってくれた。どこで入れたのか、どうしてこのデザインにしたのか、そしていったい自分にとってそれがどんな意味を持つのか…。
私はその話を聴きながら、人は自分の思い入れがあるものを褒められると嬉しいのだな、と思った。そういうものが見つかれば、褒めるのは簡単なのだ。
一日通して
人を褒め続けてみた感想
正直、とても大変だった。それでも、何かに取り組んでいる人を褒めるのは、それほど難しいことではない。やっていることについて、そんな風にできるなんてすごい!という気持ちを伝えればいいのだ。
偶然通りかかった人を褒めるのはなかなか工夫が必要だったが、やり甲斐のあるものだった。思いがけず褒められた人たちは、みんな明るい顔になった。
誰だって、褒められたら嬉しいのだ。だけど最初にも言ったように、世の中には「褒める人」が少なすぎる。これを読んでくれた人は、ぜひ褒める側になって欲しい。最初は大変かもしれないが、やっていくうちに慣れてくるのは、私が実践済みだ。
そうすると、きっとこの世界は、もっと生きやすくなるはずだから。
コンスタンツにおけるコブラとイシスのカンファレンスノート(Part 1〜Part 4)
2015年3月21日、22日
http://neuerkosmos.blogspot.jp/2016/05/201532122cobra-part-2.html
http://neuerkosmos.blogspot.jp/2016/05/201532122cobra-part-3.html