*現世捏造となっております。また、死ネタや後追い自殺などの類が苦手な方はご覧にならない方が宜しいかと思われます。
彼は、花屋といえば花屋であった。穏やかな目尻を更に少し下げ、よく私に花を持ってきてくれた。彼は多忙な身であったので会うことは難しかったが、私は合間を縫って彼のところへ走ることもままあった。彼は、花屋ではあったが教職にも就いていた。むしろそちらが本職である。それなのにも関わらず時折庭でさながら美しく咲いた花があると、私に贈ってくれる。
私にとっては、正しく彼は花屋であったのである。
自分の中で何かが生まれ、また壊れていっているような気もするがそうではない。もしくはただ傷口がじくじくと膿んでいっているような気もするがそうでもない。ただ、ただ胸を突く音は鳴り止まず、自分独りがどこかへ、いやむしろあの人に取り残されていっているような気がして、それがまた胸を打つ。
「惣右介さん。」
「おや、雛森君。学校は終えたのかい?」
「ええ、今終えたところです。」
桃は女学校を今年卒業する予定であった。惣右介は学校帰りの桃を穏やかに迎えてくれる、いわば兄のような存在であった。花屋でも教員でもある、とは言うものの、実際には旧家の嫡男だということは知っていた。彼は隠しているらしかったが、苗字を偽っていないのですぐに分かる。彼は知らないのかもしれなかったが、『藍染』という苗字は珍しく、この辺一帯では一家しか存在しない。それがまごうことなき華族の末裔である藍染家だということは、周知の事実であった。
「はい。」
ふと惣右介が桃の髪に花を挿す。桃は少しばかり照れくさそうにしたが、惣右介はそれを微笑ましげに眺めていた。売り物である花を、惣右介はよくこうして桃に分け与えてくれた。お代を払おうとしたこともあるが、財布に手をかけるその手を制されてしまった。
「もう、桃の花が咲く季節だからね。」
幸せそうな顔をして惣右介が言うので、桃も頬を赤らめて微笑む。惣右介は、幾歳も自分の方が年かさなのにも関わらず、桃のことを下の名で呼んだことがなかった。そのことを桃は少々物足りなく感じていたのだが、そんな自分がいやらしいように思えて、黙っていた。
「…惣右介さんは、どうして花を売ろうと思ったんですか?」
当然のように、「人の喜ぶ顔を見たいから」だのという言葉が返って来ると思っていた。しかし惣右介は、一度険しい顔をしてから言う。
「花屋になりたいわけではなかったんだ。だからといって教職に就きたいわけでもなかった。むしろ僕は、生きていたいとさえ思っていなかったんだ。強いて言えばそうだな、僕は昔からどうもおかしくてね、他人の傷付くところばかり楽しんで眺めてきた。だからね、いわば…許しを請っているのかな。何かに対して、ただ無心に。僕が売る花は、贈る花ではなく手向けの花なのかもしれない。」
「手向けの…。」
その言葉は桃が十数年間聞いてきたどの言葉よりも重く、狂おしかった。桃が少しうつむいて目を伏せると、惣右介が「ご免」と謝罪する。どうして謝るんですか、と桃が涙を流した。なぜ自分が泣いているのか、それは理解出来なかったが、彼の印象を崩されたことよりもむしろ、人を蔑むことしか出来ない彼が、ただ悲しく思えたのである。
「可哀想に…。」
そう、可哀想に、と。
彼は残酷であったが、非道ではなかった。まだ人間として生きることの出来るほどの意識を保っていたのである。桃が呟いた言葉に少し苦笑してから、惣右介は桃の髪に挿してある薄紅色の花を撫でた。そのまま花に口付けると、桃はやや不本意であるというような顔をしている。その表情がとても可愛らしく見えたので、惣右介は一度戸惑ってから今度は口を合わせた。
「雛森君、ご免。」
何のことを謝られたのかはよく分からなかったが、桃は「はい」と一言返事をした。拭うこともなかった涙は既に乾いている。春を待つ風が、ふと頬を掠めて寒々しかった。
「これを、君に渡そうと思っていたんだ。」
惣右介の手のひらに乗せられていたのは、小さな鉢植えであった。大層可愛らしく芽吹いているその葉はどんな花を咲かすのかと思わせた。これは、と桃が問うと、秋桜というんだ、と惣右介が答える。
「まだ日本では珍しいんだけどね、元は墨西哥の花なんだ。秋になると、薄い桃色の花弁が幾重にも開くんだよ。」
「コスモス…。」
メキシコ、という国は聞いたこともなかったが、何やら不穏なものを思わせた。そんな異国の花を、なぜ惣右介は自分に託したのであろうか、と。
「僕はこれから、多分君に会うことが出来なくなる。」
「そんな…。」
「だから、これを君に育てて欲しいんだよ。この花が開いたら、また会おう。」
言い残して、惣右介が何とも言えない笑みを浮かべた。この花が開けば、本当に逢瀬が叶うのであろうか、と不安にもなる。惣右介に何が起こるのか、それは分からなかったし聞くこともしなかったが、なぜか彼が桃にとって手の届くことのない場所へ行ってしまうような気がしていた。
惣右介が花屋の二階で死んでいる、と連絡が入ったのは、翌日の夕刻のことであった。桃の両親は惣右介と昔から面識があったので、発見されてから間も置かずに連絡が届いた。桃は泣くことも焦ることもなく、呆然として現場へと向かった。
血溜まりに、横たわっているのは彼ではないように思えた。彼の持っている花の方が、鮮明に見えた。その花は、正しく桃の花である。薄紅色の花弁が血で紅く染まり、椿のようになっている。桃は、それでも泣くことはしなかった。彼がどこかへ行ってしまうことは、分かっていた。惣右介が遠い、どこかも分からないような異国の花を持ってきたことから、暗にそれを示しているような気がしていた。
そして、おそらく秋桜が咲こうとも、もう二度と会うことはないであろうということは、当然のように思っていた。惣右介の親族の声などは、世界の外から聞こえて来るように感じた。
秋が訪れ、気付けば蝉しぐれの声も随分前に聞こえなくなっていた。周囲は紅く染められ、鮮やかに惣右介の墓を彩っている。定期的に家の者が訪れているであろうその墓は、丁寧に手入れが施されていた。
墓前に、桃の小さな手が何かを差し出す。
「惣右介さん、お花、咲きましたよ。」
ささやかに花を付けたそれは、温かい土の上に慎ましやかに佇んでいた。艶やかなものではないが、その花は、どこか人を安心させるような印象を含んでいる。桃は鉢植えを墓前に置いたまま、懐から短刀を取り出す。
桃のふわりと笑った顔が、紅に消えた。
残されたものは、ただ一輪の秋桜のみであった。遠い、遠い遥かな場所から訪れた、秋の名残である。紅葉と血でいよいよ紅く、生々しく色づいたその場所に、唯一血にも塗れず薄紅色の花が首をもたげていた。
次章:鮮花(ギンイヅ)
□あとがき□
ええとこの現世パラレル(?)シリーズは、といえば、もしこの人達に現世時代があったらどういうもんかなーという捏造のもの書いたものでして、大概最後は心中だったり後追い自殺だったりで終わります。(汗)
内容は結構暗いと思いますので、もしこれを読まれて苦手だと思われた方は次作もご遠慮頂いた方が宜しいかと。…すみません。(汗)
ちなみに次はギンイヅです。老舗呉服屋の旦那市丸さんと、箱入り息子イヅル。(笑)
彼は、花屋といえば花屋であった。穏やかな目尻を更に少し下げ、よく私に花を持ってきてくれた。彼は多忙な身であったので会うことは難しかったが、私は合間を縫って彼のところへ走ることもままあった。彼は、花屋ではあったが教職にも就いていた。むしろそちらが本職である。それなのにも関わらず時折庭でさながら美しく咲いた花があると、私に贈ってくれる。
私にとっては、正しく彼は花屋であったのである。
自分の中で何かが生まれ、また壊れていっているような気もするがそうではない。もしくはただ傷口がじくじくと膿んでいっているような気もするがそうでもない。ただ、ただ胸を突く音は鳴り止まず、自分独りがどこかへ、いやむしろあの人に取り残されていっているような気がして、それがまた胸を打つ。
「惣右介さん。」
「おや、雛森君。学校は終えたのかい?」
「ええ、今終えたところです。」
桃は女学校を今年卒業する予定であった。惣右介は学校帰りの桃を穏やかに迎えてくれる、いわば兄のような存在であった。花屋でも教員でもある、とは言うものの、実際には旧家の嫡男だということは知っていた。彼は隠しているらしかったが、苗字を偽っていないのですぐに分かる。彼は知らないのかもしれなかったが、『藍染』という苗字は珍しく、この辺一帯では一家しか存在しない。それがまごうことなき華族の末裔である藍染家だということは、周知の事実であった。
「はい。」
ふと惣右介が桃の髪に花を挿す。桃は少しばかり照れくさそうにしたが、惣右介はそれを微笑ましげに眺めていた。売り物である花を、惣右介はよくこうして桃に分け与えてくれた。お代を払おうとしたこともあるが、財布に手をかけるその手を制されてしまった。
「もう、桃の花が咲く季節だからね。」
幸せそうな顔をして惣右介が言うので、桃も頬を赤らめて微笑む。惣右介は、幾歳も自分の方が年かさなのにも関わらず、桃のことを下の名で呼んだことがなかった。そのことを桃は少々物足りなく感じていたのだが、そんな自分がいやらしいように思えて、黙っていた。
「…惣右介さんは、どうして花を売ろうと思ったんですか?」
当然のように、「人の喜ぶ顔を見たいから」だのという言葉が返って来ると思っていた。しかし惣右介は、一度険しい顔をしてから言う。
「花屋になりたいわけではなかったんだ。だからといって教職に就きたいわけでもなかった。むしろ僕は、生きていたいとさえ思っていなかったんだ。強いて言えばそうだな、僕は昔からどうもおかしくてね、他人の傷付くところばかり楽しんで眺めてきた。だからね、いわば…許しを請っているのかな。何かに対して、ただ無心に。僕が売る花は、贈る花ではなく手向けの花なのかもしれない。」
「手向けの…。」
その言葉は桃が十数年間聞いてきたどの言葉よりも重く、狂おしかった。桃が少しうつむいて目を伏せると、惣右介が「ご免」と謝罪する。どうして謝るんですか、と桃が涙を流した。なぜ自分が泣いているのか、それは理解出来なかったが、彼の印象を崩されたことよりもむしろ、人を蔑むことしか出来ない彼が、ただ悲しく思えたのである。
「可哀想に…。」
そう、可哀想に、と。
彼は残酷であったが、非道ではなかった。まだ人間として生きることの出来るほどの意識を保っていたのである。桃が呟いた言葉に少し苦笑してから、惣右介は桃の髪に挿してある薄紅色の花を撫でた。そのまま花に口付けると、桃はやや不本意であるというような顔をしている。その表情がとても可愛らしく見えたので、惣右介は一度戸惑ってから今度は口を合わせた。
「雛森君、ご免。」
何のことを謝られたのかはよく分からなかったが、桃は「はい」と一言返事をした。拭うこともなかった涙は既に乾いている。春を待つ風が、ふと頬を掠めて寒々しかった。
「これを、君に渡そうと思っていたんだ。」
惣右介の手のひらに乗せられていたのは、小さな鉢植えであった。大層可愛らしく芽吹いているその葉はどんな花を咲かすのかと思わせた。これは、と桃が問うと、秋桜というんだ、と惣右介が答える。
「まだ日本では珍しいんだけどね、元は墨西哥の花なんだ。秋になると、薄い桃色の花弁が幾重にも開くんだよ。」
「コスモス…。」
メキシコ、という国は聞いたこともなかったが、何やら不穏なものを思わせた。そんな異国の花を、なぜ惣右介は自分に託したのであろうか、と。
「僕はこれから、多分君に会うことが出来なくなる。」
「そんな…。」
「だから、これを君に育てて欲しいんだよ。この花が開いたら、また会おう。」
言い残して、惣右介が何とも言えない笑みを浮かべた。この花が開けば、本当に逢瀬が叶うのであろうか、と不安にもなる。惣右介に何が起こるのか、それは分からなかったし聞くこともしなかったが、なぜか彼が桃にとって手の届くことのない場所へ行ってしまうような気がしていた。
惣右介が花屋の二階で死んでいる、と連絡が入ったのは、翌日の夕刻のことであった。桃の両親は惣右介と昔から面識があったので、発見されてから間も置かずに連絡が届いた。桃は泣くことも焦ることもなく、呆然として現場へと向かった。
血溜まりに、横たわっているのは彼ではないように思えた。彼の持っている花の方が、鮮明に見えた。その花は、正しく桃の花である。薄紅色の花弁が血で紅く染まり、椿のようになっている。桃は、それでも泣くことはしなかった。彼がどこかへ行ってしまうことは、分かっていた。惣右介が遠い、どこかも分からないような異国の花を持ってきたことから、暗にそれを示しているような気がしていた。
そして、おそらく秋桜が咲こうとも、もう二度と会うことはないであろうということは、当然のように思っていた。惣右介の親族の声などは、世界の外から聞こえて来るように感じた。
秋が訪れ、気付けば蝉しぐれの声も随分前に聞こえなくなっていた。周囲は紅く染められ、鮮やかに惣右介の墓を彩っている。定期的に家の者が訪れているであろうその墓は、丁寧に手入れが施されていた。
墓前に、桃の小さな手が何かを差し出す。
「惣右介さん、お花、咲きましたよ。」
ささやかに花を付けたそれは、温かい土の上に慎ましやかに佇んでいた。艶やかなものではないが、その花は、どこか人を安心させるような印象を含んでいる。桃は鉢植えを墓前に置いたまま、懐から短刀を取り出す。
桃のふわりと笑った顔が、紅に消えた。
残されたものは、ただ一輪の秋桜のみであった。遠い、遠い遥かな場所から訪れた、秋の名残である。紅葉と血でいよいよ紅く、生々しく色づいたその場所に、唯一血にも塗れず薄紅色の花が首をもたげていた。
次章:鮮花(ギンイヅ)
□あとがき□
ええとこの現世パラレル(?)シリーズは、といえば、もしこの人達に現世時代があったらどういうもんかなーという捏造のもの書いたものでして、大概最後は心中だったり後追い自殺だったりで終わります。(汗)
内容は結構暗いと思いますので、もしこれを読まれて苦手だと思われた方は次作もご遠慮頂いた方が宜しいかと。…すみません。(汗)
ちなみに次はギンイヅです。老舗呉服屋の旦那市丸さんと、箱入り息子イヅル。(笑)