寒月の紅葉。
秋も本番となってきた今日、夜空に冴え渡る月は寒月と言っても過言ではないほどに冷えて見える。さらさらと流れる生暖かい川に、風に落とされたらしいまだ青さの残る紅葉の葉が揺れる。日番谷はそれらを伏せた目で見渡しながら、そういえば明日か、と思考を巡らせた。
明日、といえば、自分の副官の生まれた日だ。確か一週間ほど前に主張するかのように彼女が話したのを覚えている。やたら彼女の幼馴染と日が近かったのを思い、いささか懸念してしまったような気もする。そして次に気にしたのは、その日に自分は何をすべきかということだった。
(何かやるっつっても、何がいいんだか分からねえしな…。)
桃と暮らした過去はあっても、女の好みなど日番谷は知らない。乱菊との会話の中に、何か糸口が隠されていないかと記憶を探ってみるが、それらしいものも見つからなかった。
いっそ知らなかった振りをするのもいいかもしれない。乱菊のことだから、当日になればもう一度知らせて来るに違いないのだ。その時忘れていた振りをすれば、多少遅れたとしても好みくらいは聞き出してから贈ることが出来るだろうと思った。
だが、恋い慕う相手にそれはどうなのか、とも思う。乱菊がどうとも思っていなくとも、日番谷は乱菊のことを副官以上の目で見ている。それを考えると、たった一週間前に聞いた誕生日を忘れていたというのは、あまり印象の良いものではない。
(どうしたもんか…。)
そのまま思案しながら歩みを進めていると、身の細い橋に差し掛かったところで前方に人影を見受ける。特徴的なその姿を見間違えるはずもない。首元からは襟巻のようなものを垂らし、艶やかな黒髪に筒状の装飾をしたその男は、紛れもない朽木 白哉だった。
「朽木…?」
「…ここで何をしているのだ。」
むしろそれはこちらの科白だったが、日番谷は何も言わずに歩み寄った。秋の夜長に散歩をする趣味があるとは初耳だ。それほど仲が悪いわけでもないので、少し話でもしてみようかと思った。
「俺は、少し考えることがあってな…。」
「私は特に何もない。…考えることとは何だ。」
白哉が話を飛躍させることは珍しかった。日番谷は僅かに思案した後、白哉と自分とではどちらが女性への理解があるのだろうと考えて、やめた。そんなことを思っても不毛なだけだ。それならばいっそ話した方が幾らかいい。白哉ならば他言することもないだろうと、日番谷は口を開いた。
「なるほど、兄の副官は明日が生誕日なのか。」
「ああ…お前にとっちゃ関係ねえことだろうが…副官が女だとな、色々と気を遣うところもあるんだ。」
そうか、と簡潔に返事をした後、白哉は表情を変えずに目を伏せ、何か考えるような素振りを見せた。そして暫くそうしていたかと思うと、突如として言葉を発す。
「誕生を祝うつもりになるような女が生きているというのは、まだましだと私は思うぞ。」
白哉の言葉に、日番谷は目を丸くする。白哉がそんなことを真面目に言うとは思えなかったというのもあるが、大半はそれを言う時の白哉の表情が何となく悲愴感を漂わせていたので、この男にもかつてはそんな女がいたのかと思わせたからだ。
「何か贈る必要もないのではないか。ただ後悔だけはするな…それだけだ。」
また元の無表情に戻ってから、白哉はそれだけ言って踵を返した。去って行った白哉を見送りながら、日番谷は白哉が言ったことの意味を考えていた。後悔だけはするな―…と。
ざわざわと頬を打つ風が、やけに冷めているように感じた。
とうとう次の日を迎え、日番谷は鬱になってくる。もしかすると自分は白哉の言ったように後悔するのではないか、と。乱菊のことだ。おそらく今日は自分以外にも祝ってくれる相手は多数いるに違いない。しかもそれは男女を問わずというのだから始末に終えない。朝からうんうん唸って思案を重ねていると、ふとあることを思い出した。
そういえば乱菊は、現世の洋菓子が好きだと言っていたような気がする。あれは何といったか、確かケーキという名だった。しかしそんなことを思い出してみても、日番谷はそれがどういうものなのか皆目検討もつかない。しかし紅や香よりも変わったものの方がいいのではないかと考えると、それしか思い付かなかった。一度それを贈ると決めてしまうと他のことが考えられなくなり、日番谷はやり途中の書類を残したまま、呼び止める部下に気付かずに隊舎を後にした。
仕方なしに、質問するのには最も無難だと思われれる隊まで足を運ぶ。聞けばそのケーキという洋菓子は、女性死神ならば大抵が知っているものらしい。日番谷にとっては初耳だったが、普段和菓子を好んで食しているので無理もなかった。
「…それで、私のところへいらしたわけですね?」
「ああ、悪いが教えてくれねえか。」
四番隊隊長である卯ノ花は、相も変わらず聖母のような笑みを浮かべている。彼女はふと暦を眺めて今日の日付を確認すると、くすりと笑った。しかし何も言わなかったので、日番谷も余計なことは知らせずに卯ノ花の聡さに甘えることにした。
「現世に専門のお店がございますよ。カタカナもお教えしましょう。おそらくそれでお店の場所は分かります。」
「すまねえな…。しかしケーキってのはどういう形なんだ?」
「専門のお店と言ったでしょう?ケーキをくれだなんて仰ったら笑われてしまいますよ。ちゃんとお誕生日に相応しいケーキというものがあるのです。大抵丸くて可愛らしい形をしております。」
「丸くて可愛い?」
「ええ。」
訝しげな顔をしつつも、日番谷は「ケーキ」と書かれた紙を貰って礼を言うと、隊舎へと戻って行った。果たして今から行って間に合うだろうか、と思いながら。
隊舎に戻ってから急いで現世服に身を包んだ義骸に入り、解錠する。本来ならば勝手に現世へ赴くことは許されないのだが、抜かりはない。とりあえず急な用があるからと言って解錠する際には事なきを得た。しかし後から小言が来るのは間違いあるまい。それでも日番谷は、この日を誰よりも盛大に祝ってやりたかった。孤独に過ごしてきた彼女に、せめて生まれた日くらいは相応のものを与えてやりたかった。
「ここでいいのか…?」
確かにそこには、「ケーキ」と書かれた看板があった。おそらくここでいいのだろうと一つ溜息をつき、安著する。このまま行けば今日の終わりには間に合うだろう。放り出してきた仕事と部下のことは明日考えればいい。今思えば大それたことをしてしまったものだが、今更後悔などしている暇もなく、可愛らしい装飾をされた店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。」
愛想の良い女性店員が言う。何か慈しむような瞳で見つめられたような気がしたが、日番谷は気にしないことにした。どうせここでは、自分はただの子供なのだ。とにかく早くこの場を立ち去ろうと次から次へと菓子類に目を移していくと、先程の女性店員がこちらを見ていた。
「何をお探しですか?」
過去に「ぼく、何が欲しいの?」などと言われた経験のある日番谷だが、この女性店員はなかなか良識のある、と関心せずにはいられなかった。しかしむしろそれは日番谷だからこそ理解出来るのであって、普通の子供ならば丁寧に敬語で話されるよりもくだけた言い方の方が分かりやすいのかもしれない。だからこそ店員は通常子供には敬語を使わず呼びかけるはずなのだが、もしかするとこの女性は、自分から出る子供らしからぬ雰囲気に気付いていたのかもしれない、と思った。これでも自分は、この女性の三倍は長く生きているのだから。
日番谷が何も言えずに口ごもると、女性は特に決まっていないと取ったのか、下にある幾種類もの洋菓子から何かを取り出し、日番谷の目の前に差し出した。
「当店の一番人気はこちらになりますが、如何ですか?」
それは探していたものとは随分違うような気がしたが、確かに丸く可愛らしい形状をしている。間違っていたとしても不味くはないだろうと思い、その洋菓子をひとしきり眺めた後、ふむ、と一度頷き、女性に向かって言った。
「じゃあ、これを…。」
「はい、ありがとうございます。お一つで宜しいですか?」
「いや…二つ。」
かしこまりました、と返事をしてから、来た時と変わらぬ愛想の良い笑顔で、女性がそれを箱に入れようとする。日番谷はあることに気付き、その手を制した。
「ああ、その…そんなに小さいもので悪いんだが…贈り物用に出来るだろうか?」
「はい、宜しいですよ。」
日番谷は、この女性の待遇に感謝の意を隠せなかった。店員によっては、あからさまに訝しげな顔をする者もいるだろう。
勘定をする時、現世通貨を持っていることを確認しながら値段を聞く。しかし日番谷は、その安さに瞠目してしまった。「ケーキ」という単語だけを求めて来てしまったが、もしかすると店を選んだ方が良かったのだろうか、などと思いながら。
その菓子の値段と考えるとそれはどちらかといえば高い方で、店の選択は間違ってはいなかったのだが、現世の洋菓子の相場を知らない日番谷は、乱菊への誕生日の贈り物で、しかも自分は隊長なのにも関わらずこの安さはどうなのか、と不安を募らせた。着物でも沿えるべきなのだろうか、とも。
小さな箱を持ってその店を後にする。背後から聞こえる先程の女性のありがとうございましたという声を聞きながら、日番谷は思案する。もう夕方といっても過言ではない時間帯だ。これから着物などを選んでいる暇はない。どうしたものかと考えていると、ふと花屋の看板が見えた。
花というのもありきたりかと思いながら見ていると、店の中にあるものを見付け、珍しさに目を細めた。彼女にはむしろ豪奢な花よりもあれの方が風情があっていいのかもしれない。そう考えて、日番谷は花屋に足を運んだ。
その後すぐに解錠し、尸魂界に戻ってみても、別段咎められるようなことがなかったのには驚いた。それほど知れていなかったというのもあるが、どうやら卯ノ花が上手く取り計らってくれたらしい。後で何か礼でもするかと思いながら、日番谷は執務室へと入る。既に部下はまばらになっていて、副官の姿も見受けられなかった。
「おい、松本はどうした?」
「ああ、隊長!お帰りなさいませ。松本副隊長ならば、今日の仕事を終えられたので私室にお戻りになっているかと存じますが…副隊長は今日はお誕生日だと伺っておりますので、もしかするとどなたかとお祝いをされているかもしれませんね。」
「そうか。」
それを聞くと、日番谷はすぐ戻ると言い残して乱菊の私室へと向かう。むしろ乱菊がいない方が都合がいいかもしれない。面と向かって顔を合わせるよりも、贈り物だけ置いていった方が羞恥心も和らぐというものだ。そう思いながら、日番谷は贈り物の入った袋を提げて先を急いだ。
「あら…?」
誕生日なのだから飲みに行こうと様々な相手から誘われたので、今日は飲み明かすつもりだった。しかしどうも酒が乗らない。おそらく本当に祝って欲しい相手がいないからだ。せめて仕事場では会えるのではないかと思っていたのにも関わらず、彼は今日一日なぜだか姿を現さなかった。隊員の話では朝早くには執務室に姿を見せたらしいので、乱菊は今日に限って遅れて仕事に出たことを悔やんだ。
自分の幼馴染の生誕日には何かと世話を焼いてやったものだが、肝心の自分は誕生日に願う相手と過ごすことが叶わないとは何と不毛なことか、と乱菊は自嘲しながら自室へと帰ってきた。しかし、自分の文机に置かれたものを見て、目を丸くする。
「何かしら…?」
見ると机の上には、小さな丸い容器に入った洋菓子が二つ置かれている。それは少し前に食べたことがあった。確か「プリン」というものだったはずだ。乱菊は口の中に広がるあの甘い味を思い出して、ふと懐かしい気分になった。
その横には、漆塗りの籠に美しく入れられている深紅の紅葉があった。枝などではなく籠にそのまま葉を装飾しているので、枯れるのは早いだろうと思われたが、黒と紅の対比が和の風情を感じさせ、同時に何か禍々しいものを連想させるようで、それもまたこの世のものとは思えない美を醸し出している。
乱菊は、その贈り物に何の言づてもないことを訝しく思ったが、贈り主は知れている。自分の錯覚でなければ、自分の自室の鍵を持っている相手は一人しかいない。もしもの時のために持っていて下さいと、期待半分で鍵を渡したのは、他でもない乱菊だったからだ。
乱菊は、控えめに置かれた洋菓子を二つ手に取ると、そのまま執務室へと向かった。
日番谷は、溜め込んだ書類を片付けるべく執務室へと残っていた。自分のしたことの報いではあるが、どうせならばもっと早くから用意しておけばこんなことには、と後悔の念を隠せない。しかしとにかく贈るものは贈った。差出人は書いていなかったが、置いてある場所からして読み取ってくれるだろう。そう思い、そのまま置いてきてしまった。
(明日、礼の一つも言ってくれればそれでいいんだがな…。)
上司に対する建前でも構わなかった。彼女が喜ぶ素振りさえ見せてくれれば、それより嬉しいことはない。恋い慕う言葉よりも、それはずっと温かく聞こえるだろう。そう思っていると、ふいに執務室の扉が音を立てて開いた。
「開ける時は叩くくらいしやが…れ…。」
「隊長!良かった、まだいらしたんですね。」
日番谷が仕事を溜め込んでいることは知っていた。隊長が消えたと教えてくれた隊員がぼやいていたのだ。それならば今日は残っているだろうという判断は正しかった。乱菊は、手に持っているものを掲げてみせる。
「お疲れの時には甘いものが一番ですよ?」
丁度二つあることだし、と言いながら、乱菊は悪びれない笑顔で無邪気に笑った。普段色香を漂わせている彼女がふとした時に見せる子供のような笑みが、日番谷は好きだった。
「隊長、ありがとうございます。」
箱に付随されていたスプーンまでちゃっかり持ってきていた乱菊は、日番谷にそれを差し出しながら言う。紅葉もとても綺麗でしたよ、とも。
「ねえ隊長、あたし本物の紅葉が見たいわ。」
それは生のもの、という意味ではなく、元のまま、という意味だ。大きな木に茂る濃い紅の情景を、是非見てみたいと乱菊は笑みを浮かべる。この辺りにも紅葉は茂っているが、更に美しい紅葉が楽しめるところといえば、少しばかり遠出をしなくてはならない。つまるところ、二人で出かけたいと言っているのだ。
「…そうだな、今度見に行くか。」
甘く柔らかい味のする口の中を茶で流しながら、日番谷が呟く。乱菊はふふ、と笑いながら、日番谷の座っている机の脇にある椅子に腰を下ろし、日番谷と目を合わせてから、言った。
「隊長、あたし、隊長に一番に祝って欲しかったんですよ。」
「…そうか。悪かったな。」
冷静な面持ちで答えながらも、やはり内心では僅かに動揺している。日番谷は乱菊の目を真っ直ぐに見つめながら、次の言葉を待った。
「だからね、隊長。別に何も要らなかったんです。ただ、一言おめでとうと言って下されば、それだけであたしは他の約束全て断って明日早く出勤出来るようにしようって思えたんですよ。」
「遠慮しないで楽しんでくればいいだろうが。」
日番谷はそれを聞きながら、白哉の科白を思い出していた。
『何か贈る必要もないのではないか。』
ああ、そうだったか。こういうことかと苦笑すると、乱菊が何を笑っているんですかと咎めた。日番谷は何も言わず、黙っていた。暫くそうしていると、乱菊が尚も続ける。
「…黙っていなくならないで下さい。心配するじゃありませんか…。」
気付けば乱菊が日番谷の華奢な痩躯をふわりと覆い隠していて、日番谷は所在なくなった腕を控えめに乱菊の背にまわした。消え入るような声で「悪かった」と呟くと、乱菊が柔和な笑みを見せる。彼女のそんな顔を見たのは、初めてだった。
彼女が儚い声で呟いた「好きです」という言葉は、ざわざわと鳴く風に掻き消された。同時に日番谷が「誕生日おめでとう、松本。」とも呟いたが、それすらも伝わったかどうかは定かではない。
昨夜と同じく寒月とも言えるような冷えた月を覆い隠すようにして、温かい色の紅葉が揺れる。肩越しにそれを見つめながら、日番谷は笑った。
あとがき
兄様どう考えても何か違うと思うんですけどー!!(汗)しかもケーキとかプリンとかアハハ!最初は花屋でメッセージ書いてもらって、それで告白するとかいうベタ甘な展開になるはずでした。(オイ)
ここのサイト無駄にフリー多すぎじゃなかろうか…。まあでも企画が色々重なったってことで!(また笑ってごまかすつもりですか)
最後の寒月を紅葉が覆い隠すようにして~みたいなところは、何となく「寒月」というのが私的に日番谷君のイメージなんです。市丸さんは同じ冬でも雪で。(聞いてない)で、男色の紅葉が乱菊さんイメージ。何となく紅葉が月を護っているように見えて、それが自分達に重なっているようで笑ってしまったんです日番谷君は。(ヤバイ人かよ)
ええと今気付いたのですが、乱菊さんのお誕生日が市丸さんと出会った日vというのはなかったことになっているような気がします。いや違うんです。日番谷君は考えないようにしているだけなんです。(苦しいよ)
秋も本番となってきた今日、夜空に冴え渡る月は寒月と言っても過言ではないほどに冷えて見える。さらさらと流れる生暖かい川に、風に落とされたらしいまだ青さの残る紅葉の葉が揺れる。日番谷はそれらを伏せた目で見渡しながら、そういえば明日か、と思考を巡らせた。
明日、といえば、自分の副官の生まれた日だ。確か一週間ほど前に主張するかのように彼女が話したのを覚えている。やたら彼女の幼馴染と日が近かったのを思い、いささか懸念してしまったような気もする。そして次に気にしたのは、その日に自分は何をすべきかということだった。
(何かやるっつっても、何がいいんだか分からねえしな…。)
桃と暮らした過去はあっても、女の好みなど日番谷は知らない。乱菊との会話の中に、何か糸口が隠されていないかと記憶を探ってみるが、それらしいものも見つからなかった。
いっそ知らなかった振りをするのもいいかもしれない。乱菊のことだから、当日になればもう一度知らせて来るに違いないのだ。その時忘れていた振りをすれば、多少遅れたとしても好みくらいは聞き出してから贈ることが出来るだろうと思った。
だが、恋い慕う相手にそれはどうなのか、とも思う。乱菊がどうとも思っていなくとも、日番谷は乱菊のことを副官以上の目で見ている。それを考えると、たった一週間前に聞いた誕生日を忘れていたというのは、あまり印象の良いものではない。
(どうしたもんか…。)
そのまま思案しながら歩みを進めていると、身の細い橋に差し掛かったところで前方に人影を見受ける。特徴的なその姿を見間違えるはずもない。首元からは襟巻のようなものを垂らし、艶やかな黒髪に筒状の装飾をしたその男は、紛れもない朽木 白哉だった。
「朽木…?」
「…ここで何をしているのだ。」
むしろそれはこちらの科白だったが、日番谷は何も言わずに歩み寄った。秋の夜長に散歩をする趣味があるとは初耳だ。それほど仲が悪いわけでもないので、少し話でもしてみようかと思った。
「俺は、少し考えることがあってな…。」
「私は特に何もない。…考えることとは何だ。」
白哉が話を飛躍させることは珍しかった。日番谷は僅かに思案した後、白哉と自分とではどちらが女性への理解があるのだろうと考えて、やめた。そんなことを思っても不毛なだけだ。それならばいっそ話した方が幾らかいい。白哉ならば他言することもないだろうと、日番谷は口を開いた。
「なるほど、兄の副官は明日が生誕日なのか。」
「ああ…お前にとっちゃ関係ねえことだろうが…副官が女だとな、色々と気を遣うところもあるんだ。」
そうか、と簡潔に返事をした後、白哉は表情を変えずに目を伏せ、何か考えるような素振りを見せた。そして暫くそうしていたかと思うと、突如として言葉を発す。
「誕生を祝うつもりになるような女が生きているというのは、まだましだと私は思うぞ。」
白哉の言葉に、日番谷は目を丸くする。白哉がそんなことを真面目に言うとは思えなかったというのもあるが、大半はそれを言う時の白哉の表情が何となく悲愴感を漂わせていたので、この男にもかつてはそんな女がいたのかと思わせたからだ。
「何か贈る必要もないのではないか。ただ後悔だけはするな…それだけだ。」
また元の無表情に戻ってから、白哉はそれだけ言って踵を返した。去って行った白哉を見送りながら、日番谷は白哉が言ったことの意味を考えていた。後悔だけはするな―…と。
ざわざわと頬を打つ風が、やけに冷めているように感じた。
とうとう次の日を迎え、日番谷は鬱になってくる。もしかすると自分は白哉の言ったように後悔するのではないか、と。乱菊のことだ。おそらく今日は自分以外にも祝ってくれる相手は多数いるに違いない。しかもそれは男女を問わずというのだから始末に終えない。朝からうんうん唸って思案を重ねていると、ふとあることを思い出した。
そういえば乱菊は、現世の洋菓子が好きだと言っていたような気がする。あれは何といったか、確かケーキという名だった。しかしそんなことを思い出してみても、日番谷はそれがどういうものなのか皆目検討もつかない。しかし紅や香よりも変わったものの方がいいのではないかと考えると、それしか思い付かなかった。一度それを贈ると決めてしまうと他のことが考えられなくなり、日番谷はやり途中の書類を残したまま、呼び止める部下に気付かずに隊舎を後にした。
仕方なしに、質問するのには最も無難だと思われれる隊まで足を運ぶ。聞けばそのケーキという洋菓子は、女性死神ならば大抵が知っているものらしい。日番谷にとっては初耳だったが、普段和菓子を好んで食しているので無理もなかった。
「…それで、私のところへいらしたわけですね?」
「ああ、悪いが教えてくれねえか。」
四番隊隊長である卯ノ花は、相も変わらず聖母のような笑みを浮かべている。彼女はふと暦を眺めて今日の日付を確認すると、くすりと笑った。しかし何も言わなかったので、日番谷も余計なことは知らせずに卯ノ花の聡さに甘えることにした。
「現世に専門のお店がございますよ。カタカナもお教えしましょう。おそらくそれでお店の場所は分かります。」
「すまねえな…。しかしケーキってのはどういう形なんだ?」
「専門のお店と言ったでしょう?ケーキをくれだなんて仰ったら笑われてしまいますよ。ちゃんとお誕生日に相応しいケーキというものがあるのです。大抵丸くて可愛らしい形をしております。」
「丸くて可愛い?」
「ええ。」
訝しげな顔をしつつも、日番谷は「ケーキ」と書かれた紙を貰って礼を言うと、隊舎へと戻って行った。果たして今から行って間に合うだろうか、と思いながら。
隊舎に戻ってから急いで現世服に身を包んだ義骸に入り、解錠する。本来ならば勝手に現世へ赴くことは許されないのだが、抜かりはない。とりあえず急な用があるからと言って解錠する際には事なきを得た。しかし後から小言が来るのは間違いあるまい。それでも日番谷は、この日を誰よりも盛大に祝ってやりたかった。孤独に過ごしてきた彼女に、せめて生まれた日くらいは相応のものを与えてやりたかった。
「ここでいいのか…?」
確かにそこには、「ケーキ」と書かれた看板があった。おそらくここでいいのだろうと一つ溜息をつき、安著する。このまま行けば今日の終わりには間に合うだろう。放り出してきた仕事と部下のことは明日考えればいい。今思えば大それたことをしてしまったものだが、今更後悔などしている暇もなく、可愛らしい装飾をされた店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。」
愛想の良い女性店員が言う。何か慈しむような瞳で見つめられたような気がしたが、日番谷は気にしないことにした。どうせここでは、自分はただの子供なのだ。とにかく早くこの場を立ち去ろうと次から次へと菓子類に目を移していくと、先程の女性店員がこちらを見ていた。
「何をお探しですか?」
過去に「ぼく、何が欲しいの?」などと言われた経験のある日番谷だが、この女性店員はなかなか良識のある、と関心せずにはいられなかった。しかしむしろそれは日番谷だからこそ理解出来るのであって、普通の子供ならば丁寧に敬語で話されるよりもくだけた言い方の方が分かりやすいのかもしれない。だからこそ店員は通常子供には敬語を使わず呼びかけるはずなのだが、もしかするとこの女性は、自分から出る子供らしからぬ雰囲気に気付いていたのかもしれない、と思った。これでも自分は、この女性の三倍は長く生きているのだから。
日番谷が何も言えずに口ごもると、女性は特に決まっていないと取ったのか、下にある幾種類もの洋菓子から何かを取り出し、日番谷の目の前に差し出した。
「当店の一番人気はこちらになりますが、如何ですか?」
それは探していたものとは随分違うような気がしたが、確かに丸く可愛らしい形状をしている。間違っていたとしても不味くはないだろうと思い、その洋菓子をひとしきり眺めた後、ふむ、と一度頷き、女性に向かって言った。
「じゃあ、これを…。」
「はい、ありがとうございます。お一つで宜しいですか?」
「いや…二つ。」
かしこまりました、と返事をしてから、来た時と変わらぬ愛想の良い笑顔で、女性がそれを箱に入れようとする。日番谷はあることに気付き、その手を制した。
「ああ、その…そんなに小さいもので悪いんだが…贈り物用に出来るだろうか?」
「はい、宜しいですよ。」
日番谷は、この女性の待遇に感謝の意を隠せなかった。店員によっては、あからさまに訝しげな顔をする者もいるだろう。
勘定をする時、現世通貨を持っていることを確認しながら値段を聞く。しかし日番谷は、その安さに瞠目してしまった。「ケーキ」という単語だけを求めて来てしまったが、もしかすると店を選んだ方が良かったのだろうか、などと思いながら。
その菓子の値段と考えるとそれはどちらかといえば高い方で、店の選択は間違ってはいなかったのだが、現世の洋菓子の相場を知らない日番谷は、乱菊への誕生日の贈り物で、しかも自分は隊長なのにも関わらずこの安さはどうなのか、と不安を募らせた。着物でも沿えるべきなのだろうか、とも。
小さな箱を持ってその店を後にする。背後から聞こえる先程の女性のありがとうございましたという声を聞きながら、日番谷は思案する。もう夕方といっても過言ではない時間帯だ。これから着物などを選んでいる暇はない。どうしたものかと考えていると、ふと花屋の看板が見えた。
花というのもありきたりかと思いながら見ていると、店の中にあるものを見付け、珍しさに目を細めた。彼女にはむしろ豪奢な花よりもあれの方が風情があっていいのかもしれない。そう考えて、日番谷は花屋に足を運んだ。
その後すぐに解錠し、尸魂界に戻ってみても、別段咎められるようなことがなかったのには驚いた。それほど知れていなかったというのもあるが、どうやら卯ノ花が上手く取り計らってくれたらしい。後で何か礼でもするかと思いながら、日番谷は執務室へと入る。既に部下はまばらになっていて、副官の姿も見受けられなかった。
「おい、松本はどうした?」
「ああ、隊長!お帰りなさいませ。松本副隊長ならば、今日の仕事を終えられたので私室にお戻りになっているかと存じますが…副隊長は今日はお誕生日だと伺っておりますので、もしかするとどなたかとお祝いをされているかもしれませんね。」
「そうか。」
それを聞くと、日番谷はすぐ戻ると言い残して乱菊の私室へと向かう。むしろ乱菊がいない方が都合がいいかもしれない。面と向かって顔を合わせるよりも、贈り物だけ置いていった方が羞恥心も和らぐというものだ。そう思いながら、日番谷は贈り物の入った袋を提げて先を急いだ。
「あら…?」
誕生日なのだから飲みに行こうと様々な相手から誘われたので、今日は飲み明かすつもりだった。しかしどうも酒が乗らない。おそらく本当に祝って欲しい相手がいないからだ。せめて仕事場では会えるのではないかと思っていたのにも関わらず、彼は今日一日なぜだか姿を現さなかった。隊員の話では朝早くには執務室に姿を見せたらしいので、乱菊は今日に限って遅れて仕事に出たことを悔やんだ。
自分の幼馴染の生誕日には何かと世話を焼いてやったものだが、肝心の自分は誕生日に願う相手と過ごすことが叶わないとは何と不毛なことか、と乱菊は自嘲しながら自室へと帰ってきた。しかし、自分の文机に置かれたものを見て、目を丸くする。
「何かしら…?」
見ると机の上には、小さな丸い容器に入った洋菓子が二つ置かれている。それは少し前に食べたことがあった。確か「プリン」というものだったはずだ。乱菊は口の中に広がるあの甘い味を思い出して、ふと懐かしい気分になった。
その横には、漆塗りの籠に美しく入れられている深紅の紅葉があった。枝などではなく籠にそのまま葉を装飾しているので、枯れるのは早いだろうと思われたが、黒と紅の対比が和の風情を感じさせ、同時に何か禍々しいものを連想させるようで、それもまたこの世のものとは思えない美を醸し出している。
乱菊は、その贈り物に何の言づてもないことを訝しく思ったが、贈り主は知れている。自分の錯覚でなければ、自分の自室の鍵を持っている相手は一人しかいない。もしもの時のために持っていて下さいと、期待半分で鍵を渡したのは、他でもない乱菊だったからだ。
乱菊は、控えめに置かれた洋菓子を二つ手に取ると、そのまま執務室へと向かった。
日番谷は、溜め込んだ書類を片付けるべく執務室へと残っていた。自分のしたことの報いではあるが、どうせならばもっと早くから用意しておけばこんなことには、と後悔の念を隠せない。しかしとにかく贈るものは贈った。差出人は書いていなかったが、置いてある場所からして読み取ってくれるだろう。そう思い、そのまま置いてきてしまった。
(明日、礼の一つも言ってくれればそれでいいんだがな…。)
上司に対する建前でも構わなかった。彼女が喜ぶ素振りさえ見せてくれれば、それより嬉しいことはない。恋い慕う言葉よりも、それはずっと温かく聞こえるだろう。そう思っていると、ふいに執務室の扉が音を立てて開いた。
「開ける時は叩くくらいしやが…れ…。」
「隊長!良かった、まだいらしたんですね。」
日番谷が仕事を溜め込んでいることは知っていた。隊長が消えたと教えてくれた隊員がぼやいていたのだ。それならば今日は残っているだろうという判断は正しかった。乱菊は、手に持っているものを掲げてみせる。
「お疲れの時には甘いものが一番ですよ?」
丁度二つあることだし、と言いながら、乱菊は悪びれない笑顔で無邪気に笑った。普段色香を漂わせている彼女がふとした時に見せる子供のような笑みが、日番谷は好きだった。
「隊長、ありがとうございます。」
箱に付随されていたスプーンまでちゃっかり持ってきていた乱菊は、日番谷にそれを差し出しながら言う。紅葉もとても綺麗でしたよ、とも。
「ねえ隊長、あたし本物の紅葉が見たいわ。」
それは生のもの、という意味ではなく、元のまま、という意味だ。大きな木に茂る濃い紅の情景を、是非見てみたいと乱菊は笑みを浮かべる。この辺りにも紅葉は茂っているが、更に美しい紅葉が楽しめるところといえば、少しばかり遠出をしなくてはならない。つまるところ、二人で出かけたいと言っているのだ。
「…そうだな、今度見に行くか。」
甘く柔らかい味のする口の中を茶で流しながら、日番谷が呟く。乱菊はふふ、と笑いながら、日番谷の座っている机の脇にある椅子に腰を下ろし、日番谷と目を合わせてから、言った。
「隊長、あたし、隊長に一番に祝って欲しかったんですよ。」
「…そうか。悪かったな。」
冷静な面持ちで答えながらも、やはり内心では僅かに動揺している。日番谷は乱菊の目を真っ直ぐに見つめながら、次の言葉を待った。
「だからね、隊長。別に何も要らなかったんです。ただ、一言おめでとうと言って下されば、それだけであたしは他の約束全て断って明日早く出勤出来るようにしようって思えたんですよ。」
「遠慮しないで楽しんでくればいいだろうが。」
日番谷はそれを聞きながら、白哉の科白を思い出していた。
『何か贈る必要もないのではないか。』
ああ、そうだったか。こういうことかと苦笑すると、乱菊が何を笑っているんですかと咎めた。日番谷は何も言わず、黙っていた。暫くそうしていると、乱菊が尚も続ける。
「…黙っていなくならないで下さい。心配するじゃありませんか…。」
気付けば乱菊が日番谷の華奢な痩躯をふわりと覆い隠していて、日番谷は所在なくなった腕を控えめに乱菊の背にまわした。消え入るような声で「悪かった」と呟くと、乱菊が柔和な笑みを見せる。彼女のそんな顔を見たのは、初めてだった。
彼女が儚い声で呟いた「好きです」という言葉は、ざわざわと鳴く風に掻き消された。同時に日番谷が「誕生日おめでとう、松本。」とも呟いたが、それすらも伝わったかどうかは定かではない。
昨夜と同じく寒月とも言えるような冷えた月を覆い隠すようにして、温かい色の紅葉が揺れる。肩越しにそれを見つめながら、日番谷は笑った。
あとがき
兄様どう考えても何か違うと思うんですけどー!!(汗)しかもケーキとかプリンとかアハハ!最初は花屋でメッセージ書いてもらって、それで告白するとかいうベタ甘な展開になるはずでした。(オイ)
ここのサイト無駄にフリー多すぎじゃなかろうか…。まあでも企画が色々重なったってことで!(また笑ってごまかすつもりですか)
最後の寒月を紅葉が覆い隠すようにして~みたいなところは、何となく「寒月」というのが私的に日番谷君のイメージなんです。市丸さんは同じ冬でも雪で。(聞いてない)で、男色の紅葉が乱菊さんイメージ。何となく紅葉が月を護っているように見えて、それが自分達に重なっているようで笑ってしまったんです日番谷君は。(ヤバイ人かよ)
ええと今気付いたのですが、乱菊さんのお誕生日が市丸さんと出会った日vというのはなかったことになっているような気がします。いや違うんです。日番谷君は考えないようにしているだけなんです。(苦しいよ)