貧乏なくらし

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家のモノがどんどんなくなっている

2022-03-27 09:29:02 | 売却記録


いま毎日のようにモノを売っています。
週末はほぼ必ずリサイクルショップへ行きます。
持っていくものは主に、かさばるものや衣類、未使用品などですが、
買取額はたいてい安いけど、家が片付くので、もうそれでいいと割り切る。

メルカリも再び使い始め、その便利さに初めて気づいた。
何年か前に2回バッグを売ったことがあったけど、それ以降は利用していなかった。
メルカリでは何でも売れることに驚きました。
リサイクルショップよりはるかにいろいろなものが売れる。
一度リサイクルショップへもっていってみたものの買取不可だったものや、
使いかけものまで、なんでも売れる。それも、出品後、かなり早いタイミングで。
ポイントは”欲張らない”こととレスポンスを早くすることだと感じている。
最低価格(300円)で出品するものも多いです。

たとえば、使いかけのマニキュア、使用済みの陶器など。
リサイクルショップであれば、使いかけの化粧品類や食器類は買取不可なので、
あっさり買い手がついたときは「こんなのでいいの?」と思いました。

CDもブックオフでなら10~20円といわれるであろうものが、
1,500円、1,100円でそれぞれ売れました。
それなりの値段が付くのはC to Cのいいところだと思います。

あと、ノベルティ類もリサイクルショップではどれも10円と言われたんですが、
それらもまあまあの値段で売れました。
一番印象的だったのは非常食で、出品した瞬間に全部売り切れました。
リサイクルショップではもちろん食べ物は買取対象外なのでありがたかったです。

メルカリでは送料はたいてい出品者負担なのがネックですが、
らくらくメルカリ便175円でたいていのものが送れます(私の場合)。
その場合、最低価格の300円で出すと、利益は100円にもなりませんが、
捨てるくらいなら、と割り切って納得しています。
定形外やゆうメール(140円か200円)で送れそうなものは、
実家から持ってきた切手を使い、送料を浮かせています。
ちりも積もればで、1カ月もせず利益が1万円を超えました。
家に使わずに溜まっていた、封筒類や梱包材、箱類などもどんどんなくなっていきます。
物が減った分、それらを入れていた収納グッズも同時に処分していきます。
加速度的に家から物が減っていっています。

リサイクルショップでの売却金は三菱UFJ銀行に預け入れをして、
そのまま即auじぶん銀行へスライド振込しています(振込手数料無料)。
auじぶん銀行は長らく休眠口座だったのですが、
今回リサイクル代金を貯める専用口座にしました。

写真を撮って出品し、落札されたら梱包→発送して、という作業をほぼ毎日しています。

とても、気が紛れます。

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不幸が立て続けに押し寄せてきた

2022-03-26 20:42:56 | 雑記
もりこが急にいなくなり、
わたしは心身ともに体調を崩し、病んでいます。
めまいで歩けなくなり、物が二重に見えるので
眼科(たぶん東京で最も有名な病院の一つ)に通院していますが、
心因性も指摘されています。これから脳ドックを受けることになるかもしれません。

左耳が突如聞こえなくなり(突発性難聴)、いま通院中。
耳鼻咽喉科が季節柄ものすごく混んでいてそれも負担です。
頭皮湿疹がひどくなり、フケが悩みです。

それでも生活のため出勤しています。
コールセンターなので座ってできるのでなんとかなるのが救い。
これが対面の接客業や営業だったらとても続けられなかっただろう。

従兄は海外移植手術を終え、帰国してきた。
わたしは内心、もりこが死んで、従兄が生き延びたことが悔しくてならない。
自堕落な生活をしてきたくせに、他人のお金で助かった従兄。
わたしの全てを使い手を尽くしたもりこがあっけなくこの世を去った不条理。
つい、伯母への返信メールも冷たいものになってしまう。
(伯母はすっかりはしゃいだ感じで上機嫌なのも、イラっとします)

そもそも従兄が生きようが死のうが、付き合いがないから、何の感情もわかないのです。
以前、「よくなってほしい」と書きましたが、正直に言います、それはキレイごとでした。
本音では無感情だったのです。だって名前しか知らないような従兄ですから。
やり場のない悲しみが溢れかえている自分の中では、
いまや、従兄に対しては憎さまで生まれてきた。
我ながら心が狭い人間だと思うけど、どうしようもない。
だって、どうせ、逆の立場だったら、イトコたちだって私と同じはずだから(確信)。

父方の祖母が先月亡くなっていたと、今月に入って叔父から手紙が来た。
父が先に亡くなったので代襲相続になるが、
相続放棄の紙にサインをし、印鑑証明書を添えて返送するように、との内容だった。
父が相続できるはずだったものってなんにもないってことですか?
交通費として1万円同封されていたが、これが手切れ金ってところかな。
まだ返事(返送)はしていません。

今週母が入院して、手術の予定だったが、けっきょく見送りになった。
半年ほど様子を見るとのこと。
食道動脈瘤なのに、そんな悠長で大丈夫なのかな?
わたしとしては少しでも早いうちに手術してほしいのだけど。
5月くらいに一度実家に帰ってみようかな。

(ごま、もりこ、あんこ。私が死んだら一緒に樹木葬にしてほしい)


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もりこの急変と手術と、おしらせ

2022-03-21 18:09:59 | ペット
1/21に子宮と卵巣と乳腺腫瘍を取る手術をしたもりこ。
その後の回復は著しく、わたしはとてもとても嬉しかったです。
もう悪いところはどこもない、これで、2~3年大丈夫だ!と安心しました。
2/5に抜糸を済ませ、幸せに過ごしていました。

その約5日後、2/10の夕方に急に、元気がなくなりました。
下痢をして、あのもり子がごはんをたべなかった。
ごはん食べないなんて初めてです。
閉院後だったけど、動物病院に電話したら出てくれて、
「うちの子が元気がない。下痢をして、食欲がない。嘔吐はしていない」
と伝えたら、明日朝連れてきてくださいというので、2/11朝一で連れて行った。

(2/10夜のもりこ)


血液検査とレントゲンと点滴をすることになり、
「点滴はゆっくりするので夕方迎えに来て」というのでそのまま預け、
夕方お迎えに行くと、レントゲンを見せられ、
「大きい腫瘍が2つある。おそらく脾臓に問題がある。腫瘍は取った方が良い」と言われ、
「明日も点滴するから連れてきて。手術日程については明日相談しましょう」
と言われ、帰宅した。その夜ももり子はごはんを食べてくれなかった。



(2/11、点滴後のもりこ)


(元気ない、、、)


翌日の朝、ちゅーるを食べてくれた! 昨日よりはちょっとよいかな?と感じた。
そしてまた朝一で連れて行くと先生が
「昨日よりいい顔してるから、手術、今日やっちゃいましょうか」というので
そうすることになりました。
前回の手術から3週間しか経ってないのにまた全身麻酔するのが気になったが、
腫瘍が破裂する恐れがあるので早い方がいいと。
手術は前回同様、夜に行うというので、その日一日じっと家で待っていた。

夜10時ごろに電話がかかってきて、
「手術終わりました。いま自発呼吸を始めました。また明日電話します」
と言われ、安堵していたら、20分後に
「さっき心臓停止して、なんとか蘇生しました。いまから来られますか?」
というので、着の身着のまま、飛んで行った。
雪がちらついていて寒い夜でした。



もり子は生きてくれていました。
意識はなかったけど、呼吸していました。
おなかが動いているのを見て、号泣しました。
先生が瓶に入った、切除した腫瘍と脾臓を見せてくれました。

(丸いのは腫瘍)


卵大の腫瘍が2つとピンポン玉大のが1つ、それらの腫瘍の大きさに驚きました。
「脾臓は血の塊のような臓器ですぐに出血する。
おなかの中で腫瘍が破裂したらおなかの中が血だらけになって、そのまま出血死する。
いつ破裂してもおかしくない状態だった。
今日手術できてよかった。明日だったら死んでいた」
と先生に言われました。
10~15分ほど病院にいましたが、11時を回っていたので、
先生も疲れているだろうと思い、帰宅しました。

翌朝6時半ごろに電話がかかってきた。
「昨日よりも落ち着いているので、夕方5~6時頃(顔を見に)来てください。
また電話します」と言われ、
午後2時過ぎにそろそろ出かける準備しようと思っていたら電話が鳴り、先生が
「ついさっき、ダメになっちゃった、、、」と。
「また心肺停止して、蘇生を試みたけど、今度は意識が戻らなかった」と。
すべての意識が遠のいて、意味が分からず、
「すぐにいきます」とだけ言って電話を切り、駆け付けました。
休診日でしたが、入り口は開いていました。
入ってすぐの診察台の上に、もり子は、横になっていました。
「もりちゃーーーーーん!!!」と叫んで、泣きながら抱きつきました。
なでても、もり子はもう目を開けてくれませんでした。
涙が止まりませんでした。

先生がおっしゃるには、朝、すこし吠えていて、体も少し起こしていたので
「お、これなら夕方ちょっと顔を見てもらえるなあ」と思っていたとのこと。
それが14時ごろに様子がおかしくなり、心配停止し、心臓マッサージなどしたけど
今回はもう蘇生しなかったそうです。
ああ、午前中のうちに、一度顔を見に来ればよかった、、
もう少しもり子の体力が回復するまで手術は待った方がよいのではないか?、
でも手術しなければ、早晩、おなかの中で大量出血して死んだというし、、
と悶々と考え続け、自分を責め、後悔し続けた。
じゃあどうすればよかったんだろう?

私は正直言うと、3週間前の手術の時に、先生にはこの腫瘍に気付いてほしかったです。
先生も「あのとき気づくべきだった」と仰っていましたが、
あのときはもり子は元気もよくて、乳腺腫瘍のことだけに気を取られていたし、
誰もが他の病気を疑うこともなく、気づけなかった。誰も責めることもできません。
もりこの病気は血管肉腫という、いわゆる癌でした。
手術をしても余命は半年ほどと術後にいわれました。
もう、しかたなかった、と思うしかないのでしょうが、
自分の中ではいまでも後悔と悲しみが永遠に回り続けています。

2/10の朝、ふつうにちゅーるとカリカリを食べたんです。
本当にふつうだったから、私はいつも通りに出勤したんです。
木曜夜から3連休のこの短い間に、何もかもが一変しました。
もう元の生活、元の自分には戻れません。

(自分のベッドに寝かせて、2晩一緒に寝ました)


2/15は会社を休んで、友人とお葬式をしました。
あんの時と同じ斎場でした。



これまでこのブログを通して、もりこをかわいがってくださったみなさんに
お伝えしないとなあ、とずっと心にひっかかっていました。
やっとご報告できました。ありがとうございました。

もりこでいっぱいのこのブログを開くのがつらく、時間が過ぎてしまいました。
きのう桜が咲きましたが、この桜を見ることなく、逝ってしまったもりちゃん・・
たくさんの愛を残して、急に、いなくなったもり子・・。ひどいよ
私はこれからどうやって生きていけばいいんだろう

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