1/21に子宮と卵巣と乳腺腫瘍を取る手術をしたもりこ。
その後の回復は著しく、わたしはとてもとても嬉しかったです。
もう悪いところはどこもない、これで、2~3年大丈夫だ!と安心しました。
2/5に抜糸を済ませ、幸せに過ごしていました。
その約5日後、2/10の夕方に急に、元気がなくなりました。
下痢をして、あのもり子がごはんをたべなかった。
ごはん食べないなんて初めてです。
閉院後だったけど、動物病院に電話したら出てくれて、
「うちの子が元気がない。下痢をして、食欲がない。嘔吐はしていない」
と伝えたら、明日朝連れてきてくださいというので、2/11朝一で連れて行った。
(2/10夜のもりこ)
血液検査とレントゲンと点滴をすることになり、
「点滴はゆっくりするので夕方迎えに来て」というのでそのまま預け、
夕方お迎えに行くと、レントゲンを見せられ、
「大きい腫瘍が2つある。おそらく脾臓に問題がある。腫瘍は取った方が良い」と言われ、
「明日も点滴するから連れてきて。手術日程については明日相談しましょう」
と言われ、帰宅した。その夜ももり子はごはんを食べてくれなかった。
(2/11、点滴後のもりこ)
(元気ない、、、)
翌日の朝、ちゅーるを食べてくれた! 昨日よりはちょっとよいかな?と感じた。
そしてまた朝一で連れて行くと先生が
「昨日よりいい顔してるから、手術、今日やっちゃいましょうか」というので
そうすることになりました。
前回の手術から3週間しか経ってないのにまた全身麻酔するのが気になったが、
腫瘍が破裂する恐れがあるので早い方がいいと。
手術は前回同様、夜に行うというので、その日一日じっと家で待っていた。
夜10時ごろに電話がかかってきて、
「手術終わりました。いま自発呼吸を始めました。また明日電話します」
と言われ、安堵していたら、20分後に
「さっき心臓停止して、なんとか蘇生しました。いまから来られますか?」
というので、着の身着のまま、飛んで行った。
雪がちらついていて寒い夜でした。
もり子は生きてくれていました。
意識はなかったけど、呼吸していました。
おなかが動いているのを見て、号泣しました。
先生が瓶に入った、切除した腫瘍と脾臓を見せてくれました。
(丸いのは腫瘍)
卵大の腫瘍が2つとピンポン玉大のが1つ、それらの腫瘍の大きさに驚きました。
「脾臓は血の塊のような臓器ですぐに出血する。
おなかの中で腫瘍が破裂したらおなかの中が血だらけになって、そのまま出血死する。
いつ破裂してもおかしくない状態だった。
今日手術できてよかった。明日だったら死んでいた」
と先生に言われました。
10~15分ほど病院にいましたが、11時を回っていたので、
先生も疲れているだろうと思い、帰宅しました。
翌朝6時半ごろに電話がかかってきた。
「昨日よりも落ち着いているので、夕方5~6時頃(顔を見に)来てください。
また電話します」と言われ、
午後2時過ぎにそろそろ出かける準備しようと思っていたら電話が鳴り、先生が
「ついさっき、ダメになっちゃった、、、」と。
「また心肺停止して、蘇生を試みたけど、今度は意識が戻らなかった」と。
すべての意識が遠のいて、意味が分からず、
「すぐにいきます」とだけ言って電話を切り、駆け付けました。
休診日でしたが、入り口は開いていました。
入ってすぐの診察台の上に、もり子は、横になっていました。
「もりちゃーーーーーん!!!」と叫んで、泣きながら抱きつきました。
なでても、もり子はもう目を開けてくれませんでした。
涙が止まりませんでした。
先生がおっしゃるには、朝、すこし吠えていて、体も少し起こしていたので
「お、これなら夕方ちょっと顔を見てもらえるなあ」と思っていたとのこと。
それが14時ごろに様子がおかしくなり、心配停止し、心臓マッサージなどしたけど
今回はもう蘇生しなかったそうです。
ああ、午前中のうちに、一度顔を見に来ればよかった、、
もう少しもり子の体力が回復するまで手術は待った方がよいのではないか?、
でも手術しなければ、早晩、おなかの中で大量出血して死んだというし、、
と悶々と考え続け、自分を責め、後悔し続けた。
じゃあどうすればよかったんだろう?
私は正直言うと、3週間前の手術の時に、先生にはこの腫瘍に気付いてほしかったです。
先生も「あのとき気づくべきだった」と仰っていましたが、
あのときはもり子は元気もよくて、乳腺腫瘍のことだけに気を取られていたし、
誰もが他の病気を疑うこともなく、気づけなかった。誰も責めることもできません。
もりこの病気は血管肉腫という、いわゆる癌でした。
手術をしても余命は半年ほどと術後にいわれました。
もう、しかたなかった、と思うしかないのでしょうが、
自分の中ではいまでも後悔と悲しみが永遠に回り続けています。
2/10の朝、ふつうにちゅーるとカリカリを食べたんです。
本当にふつうだったから、私はいつも通りに出勤したんです。
木曜夜から3連休のこの短い間に、何もかもが一変しました。
もう元の生活、元の自分には戻れません。
(自分のベッドに寝かせて、2晩一緒に寝ました)
2/15は会社を休んで、友人とお葬式をしました。
あんの時と同じ斎場でした。
これまでこのブログを通して、もりこをかわいがってくださったみなさんに
お伝えしないとなあ、とずっと心にひっかかっていました。
やっとご報告できました。ありがとうございました。
もりこでいっぱいのこのブログを開くのがつらく、時間が過ぎてしまいました。
きのう桜が咲きましたが、この桜を見ることなく、逝ってしまったもりちゃん・・
たくさんの愛を残して、急に、いなくなったもり子・・。ひどいよ
私はこれからどうやって生きていけばいいんだろう
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その後の回復は著しく、わたしはとてもとても嬉しかったです。
もう悪いところはどこもない、これで、2~3年大丈夫だ!と安心しました。
2/5に抜糸を済ませ、幸せに過ごしていました。
その約5日後、2/10の夕方に急に、元気がなくなりました。
下痢をして、あのもり子がごはんをたべなかった。
ごはん食べないなんて初めてです。
閉院後だったけど、動物病院に電話したら出てくれて、
「うちの子が元気がない。下痢をして、食欲がない。嘔吐はしていない」
と伝えたら、明日朝連れてきてくださいというので、2/11朝一で連れて行った。
(2/10夜のもりこ)
血液検査とレントゲンと点滴をすることになり、
「点滴はゆっくりするので夕方迎えに来て」というのでそのまま預け、
夕方お迎えに行くと、レントゲンを見せられ、
「大きい腫瘍が2つある。おそらく脾臓に問題がある。腫瘍は取った方が良い」と言われ、
「明日も点滴するから連れてきて。手術日程については明日相談しましょう」
と言われ、帰宅した。その夜ももり子はごはんを食べてくれなかった。
(2/11、点滴後のもりこ)
(元気ない、、、)
翌日の朝、ちゅーるを食べてくれた! 昨日よりはちょっとよいかな?と感じた。
そしてまた朝一で連れて行くと先生が
「昨日よりいい顔してるから、手術、今日やっちゃいましょうか」というので
そうすることになりました。
前回の手術から3週間しか経ってないのにまた全身麻酔するのが気になったが、
腫瘍が破裂する恐れがあるので早い方がいいと。
手術は前回同様、夜に行うというので、その日一日じっと家で待っていた。
夜10時ごろに電話がかかってきて、
「手術終わりました。いま自発呼吸を始めました。また明日電話します」
と言われ、安堵していたら、20分後に
「さっき心臓停止して、なんとか蘇生しました。いまから来られますか?」
というので、着の身着のまま、飛んで行った。
雪がちらついていて寒い夜でした。
もり子は生きてくれていました。
意識はなかったけど、呼吸していました。
おなかが動いているのを見て、号泣しました。
先生が瓶に入った、切除した腫瘍と脾臓を見せてくれました。
(丸いのは腫瘍)
卵大の腫瘍が2つとピンポン玉大のが1つ、それらの腫瘍の大きさに驚きました。
「脾臓は血の塊のような臓器ですぐに出血する。
おなかの中で腫瘍が破裂したらおなかの中が血だらけになって、そのまま出血死する。
いつ破裂してもおかしくない状態だった。
今日手術できてよかった。明日だったら死んでいた」
と先生に言われました。
10~15分ほど病院にいましたが、11時を回っていたので、
先生も疲れているだろうと思い、帰宅しました。
翌朝6時半ごろに電話がかかってきた。
「昨日よりも落ち着いているので、夕方5~6時頃(顔を見に)来てください。
また電話します」と言われ、
午後2時過ぎにそろそろ出かける準備しようと思っていたら電話が鳴り、先生が
「ついさっき、ダメになっちゃった、、、」と。
「また心肺停止して、蘇生を試みたけど、今度は意識が戻らなかった」と。
すべての意識が遠のいて、意味が分からず、
「すぐにいきます」とだけ言って電話を切り、駆け付けました。
休診日でしたが、入り口は開いていました。
入ってすぐの診察台の上に、もり子は、横になっていました。
「もりちゃーーーーーん!!!」と叫んで、泣きながら抱きつきました。
なでても、もり子はもう目を開けてくれませんでした。
涙が止まりませんでした。
先生がおっしゃるには、朝、すこし吠えていて、体も少し起こしていたので
「お、これなら夕方ちょっと顔を見てもらえるなあ」と思っていたとのこと。
それが14時ごろに様子がおかしくなり、心配停止し、心臓マッサージなどしたけど
今回はもう蘇生しなかったそうです。
ああ、午前中のうちに、一度顔を見に来ればよかった、、
もう少しもり子の体力が回復するまで手術は待った方がよいのではないか?、
でも手術しなければ、早晩、おなかの中で大量出血して死んだというし、、
と悶々と考え続け、自分を責め、後悔し続けた。
じゃあどうすればよかったんだろう?
私は正直言うと、3週間前の手術の時に、先生にはこの腫瘍に気付いてほしかったです。
先生も「あのとき気づくべきだった」と仰っていましたが、
あのときはもり子は元気もよくて、乳腺腫瘍のことだけに気を取られていたし、
誰もが他の病気を疑うこともなく、気づけなかった。誰も責めることもできません。
もりこの病気は血管肉腫という、いわゆる癌でした。
手術をしても余命は半年ほどと術後にいわれました。
もう、しかたなかった、と思うしかないのでしょうが、
自分の中ではいまでも後悔と悲しみが永遠に回り続けています。
2/10の朝、ふつうにちゅーるとカリカリを食べたんです。
本当にふつうだったから、私はいつも通りに出勤したんです。
木曜夜から3連休のこの短い間に、何もかもが一変しました。
もう元の生活、元の自分には戻れません。
(自分のベッドに寝かせて、2晩一緒に寝ました)
2/15は会社を休んで、友人とお葬式をしました。
あんの時と同じ斎場でした。
これまでこのブログを通して、もりこをかわいがってくださったみなさんに
お伝えしないとなあ、とずっと心にひっかかっていました。
やっとご報告できました。ありがとうございました。
もりこでいっぱいのこのブログを開くのがつらく、時間が過ぎてしまいました。
きのう桜が咲きましたが、この桜を見ることなく、逝ってしまったもりちゃん・・
たくさんの愛を残して、急に、いなくなったもり子・・。ひどいよ
私はこれからどうやって生きていけばいいんだろう
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