印象に残った部分だけメモっておきます。(2016年4月刊)
(P25~)
萱野「(団塊ジュニアや氷河期世代は)今後は若者じゃなくなるから、もう同情も受けられませんよ。同情されたり、議論の俎上に載せてもらえるのは、「将来の日本のために若者の存在は大事」という前提があるから。若いと本のタイトルにもしやすいじゃないですか。『●●する若者たち』とか『若者▲▲論』みたいにね。でも、『中年が●●』なんて本、誰も読む気になりませんよ」
雨宮「(苦笑)。完全にあんたたちの自己責任だよ、と」
萱野「自己責任とも言われるだろうし、それ以前にもはや邪魔な存在になっていくんじゃないでしょうかね」
雨宮「中年で貧乏って、いちばん「お荷物」感が強いですもんね」
(P50~)
雨宮「韓国の若者もおしなべてワーキングプアで、状況は酷いですからね。2010年以降、恋愛・結婚・出産を諦めた「3放世代」という言葉が流行りましたが、最近は諦めの対象にマイホーム、人間関係を加えた「5放世代」、さらには夢、希望まで追加した「7放世代」という言葉まで出てきている」
(P51~)
萱野「いま、アメリカ以外の先進国はどこも経済成長が止まってしまっていて、人口も減少しています。(中略)ピケティが提唱する資産への課税強化は、「地道なこと」のひとつとしてぜひ日本でもやるべきだと思います。(中略)(法人税にしても所得税にしても、働いている世代に課税するよりは)働いていない世代がもらっているお金に手を付ける方が・・・。この際はっきり言ってしまいますが、今の日本の高齢者は、年金をはじめとした高齢者福祉でお金をもらいすぎなんですよ」
(P53~)
萱野「もちろん高齢者も超金持ちと貧困者に二極化していますから、高齢の貧困者にはあげなくてはいけませんが、2~3億もするマンションを、相続税対策でポンと買ってしまう人に支給する必要なんてない。要はものすごく非効率な形でお金が配られている現状があるんです」
雨宮「そうやって考えてみると、年金ってけっこう雑な制度ですね」
(P69~)今の日本人の大半は、企業からあまりに多くのモノを授かるのである。(中略)では、それを得られない人間は・・・?ずっと200万円以下の賃金で、たった一人で1年1年何とかしのいでいくしかない。(中略)非正規労働者の生活はいつまでたっても「変わらない」し「先に進まない」のである。
(P75~)2011年3月11日に発生した東日本大震災では、地震と津波によって多くの人命や家や車が失われた。また、子供が多く殺されるなどの事件が発生することもある。すると社会は「絆」という名前で彼らが正社員として得たものを社会全体で補填しようとするのだ。僕が不思議に思うのは、彼らが失ったものの多くは、僕たちが望んでも得られないものだ。例えば、彼らが子供を失ったことの苦しみは理解できるが、だからといってそれを社会の側で補填することの必然性はどこにあるのだろうか?確かに彼らは理不尽に大切なものを失ったかもしれない。しかし、それは団塊ジュニア世代という子供の数が多かった時代に産まれたことと、景気の変動によって会社に選ばれなかった人たちは、そもそもそれを手に入れられなかった。いや、手に入れることをあきらめざるを得なかったのだ。それは十分に理不尽なことであろう。しかし、社会は失った人にはその補填をしようとする一方で、それを元々得られなかった人にはまったく補填しようとしない。理不尽に子供を失った人と、理不尽に子供を最初から得られなかった人・・・。その両者はどちらも「子どもがいない」という同じ状況にありながら、前者は手厚く同情され、補償を得られるが、後者である我々にはまったく何もないのである。
(P103~)僕の父は、長らく建築関係の仕事をしていたが、齢を重ねて仕事を辞めた。建築の仕事は東京が多く、朝から仕事に出かけ、夜に戻ってくる生活だったから、近所にはそれほど知人は多くなかったはずだ。それでも僕の母がいるから問題ないだろうと思っていた。しかし残念ながら、母は病気で亡くなってしまった。僕は父が孤独に陥らないか心配であった。父親世代の老人が、アパートなどで独居老人が孤独死をするという話を、仕事柄耳にすることがあまりに多かったからだ。結果的に、それは杞憂だった。父親は地元のスーパー銭湯に毎日のように出かけ、そこで友達を作っていた。時折一緒に旅行に出かけたりしているようだ。また、現役時代ほどではないが、月に数日仕事にも出かけているようだ。元々定年がない仕事であるから、体が動く限りは続けるつもりらしい。
他人と関わりあうことも、立派な「仕事」である。
さて、僕は、父親は「仕事をしている」と思うのだ。そして、一方で「仕事をしてもらっている」と言っていい。父親がスーパー銭湯に行き、そこで毎日のように友人たちと話すことによって、父親は誰かを孤立させず、また誰かから父親を守ってもらっている。人々が孤立していきがちな社会の中で、そうした関係を築くことは、この社会に必要な仕事に他ならない。
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【感想】わたしは(P75~)のところで同感な部分があった。
家を失った人が、また家を建てたり買って、「二重ローン」がつらいと
言ってる記事を一時よく読んだが、なぜそこまでして買う?と思ったのだ。
被災していなくても、家を買えない人はいっぱいいる。
毎日仕事に行き、満員電車で数時間かけ往復しつつ、まじめに働き続けても
日々の生活さえカツカツのような(私もその一人です)。
家を持てば普通は火災保険や地震保険に加入し備えるので保険金が出るし、
無保険であったなら、それは自分のミス。
不幸にも被災し家を失ってしまい、どうにもならないなら
賃貸か公営住宅に入ればよい(そもそも住宅政策は行政の仕事)。
二重ローンを選んだ人に同情すべきだろうか?と、もやもやしたのだ。
正直、空気・雰囲気的に言えない(←特に日本ではこれ重要)のはあると思う。
でも、声の大きい人が優遇されたり、不公平がいたるところにあって、
内心「なんだかなあ」って思っている人はたくさんいると思います。
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