8月2日朝10時頃に母や伯母、兄などから立て続けに着信が残っていたが
気づいたのは11時過ぎだった。
まず母に折り返したが、話し中だったので、伯母にかけたら、
「お父さんが、死んだんだって」と。
危篤というのではなく、いきなり「死んだ」と言われて、
「え?????」...って。
母が仕事の関係で数日ぶりの8月1日夜に実家に戻り、
翌2日朝お父さんが起きてこず、部屋へ行き呼び掛けたが起きないので、
顔をぺちぺちとしたけど反応がなく、様子がおかしいことに気づいたそう。
119番し救急車が来たが、その場で死亡が確認されたため病院へは搬送されず、
そのあと警察が来て、部屋の確認や事情聴取され、遺体は検死のため警察に運ばれた。
その日の夜、検死は終わり、父の遺体は葬儀場へ運び込まれた。
私が翌3日に到着したとき、遺体は葬儀場の6畳ほどの和室に寝かされていました。
父に会うのは3年7か月ぶり。
いままで心にわだかまりを持っていたけど、
顔を見た瞬間、そういうのはもうどうでもよくなった。
死班がでて顔色が悪かったけど「わたしのお父さん、イケメンだな」と思いました。
父は73才になったばかりでした。
ずっと「どうして私たちにこんな思いをさせるんだ」と憎んでいたのに、
いまは可愛がってくれたことばかり思い出します。
とっくに30歳過ぎてる私にニコニコしながら
「20歳くらいに見えるよ」と言ってくれる人なんてお父さんしかいない。
大学を出してくれて、溺愛してくれた。
わたしはなんにもしてあげてない。
検死の結果、父の死因は急性心筋梗塞でした。
死亡日時は7月31日から8月1日未明の間とのこと。
大学ノートに毎日のメモを残しており、7/30まで記入されていたけど、
以降は7/31、8/1、と手書きの日付けだけが入っていた。
壁にかかったカレンダーはめくられて8月になっていた。
結局、母が命日は8月1日にしましたが、偶然にもわたしの誕生日なんです。
実家で父の遺品を整理していたらボストンバッグがありました。
中身は、洗面道具などの入院用品でした。
父は数年前から時々入院を繰り返していましたが、
父と母は別居(敷地内別居も含め)していたし
いつも入院準備を自分でして、ひとりで病院に向かっていたのかと思うと、
何とも言えない思いが沸き上がってきました。
わたしはそういうところまで想像できなかったんです。
いつも母の味方ばかりしていたけど、父だって孤独で淋しかったはず。
家のフローリングの張り替え途中だったようで
張りきれてない板と、ベッドの上にDIYの本が残っていました。
余命宣告や入院をしていたわけでもないので、普通の生活の途中でした。
遺影の写真が優しい笑顔で、
見ていると、後悔と寂しさばかりが自分の中につのってきます。
励みになるのでクリックして下さい
気づいたのは11時過ぎだった。
まず母に折り返したが、話し中だったので、伯母にかけたら、
「お父さんが、死んだんだって」と。
危篤というのではなく、いきなり「死んだ」と言われて、
「え?????」...って。
母が仕事の関係で数日ぶりの8月1日夜に実家に戻り、
翌2日朝お父さんが起きてこず、部屋へ行き呼び掛けたが起きないので、
顔をぺちぺちとしたけど反応がなく、様子がおかしいことに気づいたそう。
119番し救急車が来たが、その場で死亡が確認されたため病院へは搬送されず、
そのあと警察が来て、部屋の確認や事情聴取され、遺体は検死のため警察に運ばれた。
その日の夜、検死は終わり、父の遺体は葬儀場へ運び込まれた。
私が翌3日に到着したとき、遺体は葬儀場の6畳ほどの和室に寝かされていました。
父に会うのは3年7か月ぶり。
いままで心にわだかまりを持っていたけど、
顔を見た瞬間、そういうのはもうどうでもよくなった。
死班がでて顔色が悪かったけど「わたしのお父さん、イケメンだな」と思いました。
父は73才になったばかりでした。
ずっと「どうして私たちにこんな思いをさせるんだ」と憎んでいたのに、
いまは可愛がってくれたことばかり思い出します。
とっくに30歳過ぎてる私にニコニコしながら
「20歳くらいに見えるよ」と言ってくれる人なんてお父さんしかいない。
大学を出してくれて、溺愛してくれた。
わたしはなんにもしてあげてない。
検死の結果、父の死因は急性心筋梗塞でした。
死亡日時は7月31日から8月1日未明の間とのこと。
大学ノートに毎日のメモを残しており、7/30まで記入されていたけど、
以降は7/31、8/1、と手書きの日付けだけが入っていた。
壁にかかったカレンダーはめくられて8月になっていた。
結局、母が命日は8月1日にしましたが、偶然にもわたしの誕生日なんです。
実家で父の遺品を整理していたらボストンバッグがありました。
中身は、洗面道具などの入院用品でした。
父は数年前から時々入院を繰り返していましたが、
父と母は別居(敷地内別居も含め)していたし
いつも入院準備を自分でして、ひとりで病院に向かっていたのかと思うと、
何とも言えない思いが沸き上がってきました。
わたしはそういうところまで想像できなかったんです。
いつも母の味方ばかりしていたけど、父だって孤独で淋しかったはず。
家のフローリングの張り替え途中だったようで
張りきれてない板と、ベッドの上にDIYの本が残っていました。
余命宣告や入院をしていたわけでもないので、普通の生活の途中でした。
遺影の写真が優しい笑顔で、
見ていると、後悔と寂しさばかりが自分の中につのってきます。
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末期がんで余命宣告されながら半年過ぎてもゴハンは食べられる人(私の母)、
人の死の方は様々ですねえ…
8月1日はpoor-girlさんのお誕生日でもあるんですね。
私は翌2日です。近いですね…
昔、友人の父も突然に心筋梗塞で亡くなり、驚いたことがありました。
悲しいですね。
離れて暮らしていても、大人になっても、子どもの頃の家族で過ごした記憶は鮮やかに根付いていますよね。
わからないから、いろんなことが難しくなる。
私だったら先が短いとわかれば節約しないし、
金融資産も解約して相続人がわかりやすいようにしてあげるんだけど。
余命宣告されても、たいていはそれより長生きしますよね。
介護がなかった分、子供や母は助かりましたが。
みなみさんのお母さん、うちの父の分まで長生きしてくださいね。
誕生日、一日違いですね~。
お互い、獅子座で気が強いですね、きっと。
お父様のこと、お悔やみ申し上げます。
家族には様々な事情やそれぞれの思いもありますし、
思い描く家族像も、理想とは違ったり…色々ありますよね。
そして「言葉」として伝えられなかった想いもあるでしょう…。
それでも今、poor-girlさまがお父様に「ありがとう」という気持ちで向き合えていること、
お父様にはちゃんと伝わっているのでは…と思いますよ。
「なにもしてあげてない」ことはないですよ。
元気にここまで大きくなって、自立して計画的に毎日を送って。
そんなpoor-girlさまの事を、お父様は誇りに思っていたのではないかな。
沢山、たくさん…生前の時間を、思い出の数々を辿って懐かしんであげてくださいね。
父は私が8歳の時から東京で単身赴任していたので
実は子供時分の記憶は少ないんです。
でもお父さん子だったので、お父さんにもらったお年玉がもったいなくて使えなかったりしましたね。
大学時代は父と二人暮らしだったんですが、
卒業後、最初の会社を辞めた後から
仲が悪くなりましたね。
兄が二人いますが、父は私しか可愛がらなかったんですよ。
今回の葬儀の後にも親戚にさんざん言われました。
次兄も最初は「父親には何もしてもらってないから帰らない」とか言って。
けっきょく最後は説得されて帰ってきましたが。
心筋梗塞って、やっぱりなかなか助からないんだなあ、と。
でも中途半端に助かって、寝たきりや、半身不随になるほうが
家族としては地獄ですね。
それに、仮に今回死んだのが母で、父が残っていたとしたら
それはそれでもっと状況が悪かったと思います。
私はお父さんが急死して悲しいし、
いわゆる孤独死なので、おとうさんが可哀そうなんですが、
もうどうしようもないし・・・という気持ちです。
父は私のことぜんぜん誇りには思っていなかったと思います。
転職ばかりして怒っていましたね。
お父さんにもっと優しくしてあげればよかったな。
メールや電話くらいもっといっぱいすればよかったと
後悔しています。
でも生前は私にも頑なな部分が多くあったし、
それにお父さんって身長178センチくらいあって
体の大きい人だったし、
こんなにあっけなく死ぬようなタイプではないと思い込んでいたんですね。
棺の中のお父さん、年取ってたんですよ。
親が年取るの嫌です。
お父さん、ごめんね。
従弟がたまたま3連休だったので、同行していただき現地で荼毘にふして持ち帰りこっちで葬儀行い、今は49日を控えてる状態です。
私も独身で両親もすでになく、一番近い親族が今回同行してくれた従弟です。
なんかさ~今は親と子、兄弟の絆はどんどん希薄になってるそうだが(今回みたいな場合も子供が引き取り拒否したりすることも多いらしい)
私は地元離れ大学~就職でパワハラで退職して帰郷したので従弟ともあまり話したりしなかったけど、今回色々話した。
子供は2人(独立)いるのは判ってたが奥さんとは離婚、今は再婚に向けて婚活中(相手も子供2人、独立)
子供は独立させたら迷惑かけたくないし、当てにもしない「終活のパートナー探し」だそうです。(一緒に婚活しようと誘われてます 笑)
ま~これだけ独身者が居れば、中高年の結婚や同居も多いようです、が。
知ってました?
人が亡くなると遺言等なければ遺産は三親等まで、しかし死亡した時に対処の連絡がいくのは六親等迄・・・・・もし私が残さず逝ったら、従弟には遺産ゼロで、役所から対処(当然拒否できる)の話もいくそうです。
ホント人生いろいろです。
お兄さまには人生いろいろさんがいらっしゃったけど、
人生いろいろさんにはそういう存在がいらっしゃらないので、
たしかに終活のための婚活はよいかもですね。
でも、結婚しても寿命はわかりませんからねえ。
>人が亡くなると遺言等なければ遺産は三親等まで、しかし死亡した時に対処の連絡がいくのは六親等迄・・・・・もし私が残さず逝ったら、従弟には遺産ゼロで、役所から対処(当然拒否できる)の話もいくそうです。
大体のことは一応知ってましたが
(AFPを持っているので。昔すこし勉強した)
そこまで細かくは知りませんでした。
遺言書書いておいた方がよいですね。
私が死んだら兄か甥姪にいきますが、あまりあげたくないです。
かといって、あげたい人もいないんですけど。