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大叔母の最後の数日の記録

2021-01-07 19:00:00 | 実家
12/30に退院してきた大叔母。夕方会いに行ったら寝ていたけど、
私と母が来たことは少しわかったようだった。
ティッシュ箱を離さず、しきりと口をぬぐっていた。
唾をのみ込むのも大変なようだった。

12/31大晦日の午後行った時も、前日とさほど変わらなかった。
もう甘酒にも口すらつけず、お茶を飲んでも、ひと口程度。
どうも飲み込む力がほとんどないみたい。伯母(母の姉)に様子を伝えると、
「食べられなくなったら一週間って(昔は)言ったよ」
などと縁起でもないことを言う。
胃ろうは年齢的に体の負担になるからと、していなかった。

1/1、年が明け、挨拶に行った時も、同じ様子。
「年を越せて良かったなあ」というのが正直な気持ちだった。
すっかり痩せてしまい、体重は25キロとのことだった
(亡くなった時にはもっと軽くなっていた)。
全身、骨に皮膚が張りついているという印象。
でもなぜか手の指だけはぷっくりしていた。
母が30分ほど前に行った時に、大叔母が母に
「わしは明日か明後日に死ぬよ。お前が寂しくなるなあ」
と言ったという。

翌1/2昼頃、東京に戻る前にお別れの挨拶に行った。
いろいろ話しかけてもあまり反応はなかったけど、
私が来ていることはわかったみたい。
その日は終日なにも連絡がないまま終わって一安心した。
今日も無事に過ぎた。4日朝イチで病院予約しているのだ。

1/3夜7時過ぎ頃、母から電話があって「大叔母が亡くなっていた」という。
母が出先から戻ると大叔母宅(実家の50mくらい先の向い)の
すべての部屋に電気が煌々とついていたので行ってみたらそうだった、と。
母の携帯番号が変わっていて連絡が取れなかったらしい。

聞くところによると、大叔母がお茶を飲むというので、
息子と嫁で抱きかかえて飲ませたら、一口飲んだ後、
目の様子が変で、口をポカンと開けたままとなり、
「おかしい」と感じ、すぐ119番しに1分足らずそばを離れ、
戻ったときには、息が止まっていたそうです。
その後救急車で病院に運ばれたが、老衰で死亡と判断され、
そのまま自宅に帰されたそう。

大叔母は病気ひとつしたことがなく、入院したのは3年前の目の手術くらいだという。
頭が良くて、農業をしていて、器用で元気な人だった。
それでも91歳で亡くなる時にはこんなに痩せて弱っていた。
人生100年時代とかいうけど、最後まで元気ハツラツの人は少ない。
大叔母は特に最後の1カ月で急激に衰えがきたらしい。
伯母は「70歳過ぎればいつ死んでもおかしくない」と言い切る。
伯母たちは「大叔母は幸せな最後だよ~」としきりと言う。
(まあ、父と比べたら、そうだろうな)
私が死ぬときはだれも何もしてくれないだろうし、悲しんでもくれないだろう。

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (あやか)
2021-01-09 14:52:25
大叔母様のこと、
 ご愁傷様でした。、、、、、、、、、、、、、、、、、、

、、、、、、、、、、、、、、、、、、まあ、御高齢ですけど、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、やはり、寂しいですね。、、、、、、、、、、、、
返信する
あやかさん (poor-girl)
2021-01-09 18:59:45
ありがとうございます。
急激に衰えましたので、なんだか...。
でも、最後に会えてよかったです。
返信する

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