カメヲタと軍ヲタを兼ねている(だけではない)のですが、そう言う私には、知識の源となっているバイブルとなる本があります。
その本は、朝日文庫の小倉磐夫著「カメラと戦争 光学技術者達の挑戦」(ISBN4-02-261309-2)です。
アサヒカメラの名物企画「ニューフェース診断室」のドクターをしていたDr.オグラこと故 小倉磐夫 東大名誉教授が、アサヒカメラで連載していた「Dr.オグラの写進化論」の連載記事を書籍化したもので、太平洋戦争と光学技術との関係を書いた記事が多く、他にも光学技術者の話も多数かかれています。具体的な章立ては次の通りです。
・ 第一章 カメラと戦争
1. 日本海海戦とカメラのピント合わせ
2. 零式戦闘機の照準器とライカM3
3. ボフォース機銃とファインダーの余白
4. 爆撃照準器からAF一眼レフへ
5. 「大和」15メートル測距儀とニコン
6. レーダーと暗闇のオートフォーカス
7. サン=テクジュベリと写真偵察の魅力
8. 雪の朝のクーデターとキャノンの創業
9. 「ゾルゲ事件」とライカ、コンタックス
10.アクリル-戦闘機からレンズまで
11.第二次世界大戦中の国産カメラ事情
12.ポラロイド発明者の知られざる業績
13.キューバ危機を救ったミノックスB型
・第2章 戦後カメラ史余話
1. ああ全数欠損、輸出カメラの記憶
2. 日本占領のスーベニア、コニカU型
3. 天津の超ロングセラー機「ヤシカ」
4. 中国製ピッカリコニカの生産現場
5. トプコンカメラ消えて「TTL」残す
6. ニコンを追ったキャノン「2群ズーム」
7. 「特許という紙切れ」と日本的風土
8. 日本を爆撃したハネウエルの制御技術
・ 第3章 カメラを育てた人たち
1.「レンズ屋」と「箱屋」、相剋と矜持
2. 星をのぞいて光学メーカーを興す
3. 研究室へ旭光学・松本社長の怒鳴り込み
4. 名付け親不明の「ゼンザブロニカ」
5. 「喧嘩」にも強かった博士社長
6. 半世紀早かった「破滅型技術者」の仕事
7. ミリオンセラー機と「生涯一技術者」
8. 「不滅の名作」レンズ設計者の、その後
9. 顕微鏡からカメラへ、オリンパスの飛躍
10.原爆忌によみがえる乾板の味
11.ダハプリズム研磨工Kさんの思い出
あとがき・文庫版のためのあとがき 小倉磐夫
解説 小野茂夫(元日本光学社長)
この中には、ニューフェース診断室の殴り込み第一号である、旭光学工業(今のPENTAX)の実質創業社長である松本三郎社長の色々なエピソードとか、創業直後のキヤノン(当時は「精機光学研究所」)をサポートしていた226事件の山口大尉の話とか、久我山の高射砲施設の士官をしていたタムロンの創業者の話とか、ニコンに潜り込めず、毛色の違う日本真空技術(現ULVAC)で仕事をすることになった、戦艦「大和」の15m光学測距儀の設計をした青木技術大佐の話とか、戦中と戦後に二度日本を爆撃したノルデン式爆撃照準器の話とか、カメラ工業史・軍事技術史に興味がある方には非常に内容の濃い書籍になっています。
これを読むと我が生誕地「大田区」の大井町(ニコン)と下丸子(キヤノン)が兄弟関係からライバル関係に発展したことが判ると思います。実際、戦前の国産ライカコピーカメラ第一号である「ハンザキヤノン」の光学系(レンジファインダー)がニコン製だとか、「ハンザキヤノン」に付いてくるLマウントレンズがNikkorだったりとか、色々知られた事実もあります。しかし、終戦直後に従業員を1/10にまで急激なリストラをして、民生へ転向して自らカメラを作り始めた日本光学の話はともかく、その日本光学を追い出された技術者を引き抜いて、日本光学より独立して完全自製化を成し遂げたキヤノン(精機光学工業)話は余り知られていないと思います。(ついでに言うと、キヤノンの実質創業社長は御手洗毅氏とされていますが、創業社長は内田三郎氏で、現キヤノン社長が内田姓であることから、創業社長の家系かと就任直後に色々噂されたりしています(実際は関係なし)。
正直、著者が亡くなられているため、何時絶版になるか解りません。文庫版と安いこともあるので、カメラ工業史もしくは軍事技術史に興味がある方は手に入れられることをお勧めします。
その本は、朝日文庫の小倉磐夫著「カメラと戦争 光学技術者達の挑戦」(ISBN4-02-261309-2)です。
アサヒカメラの名物企画「ニューフェース診断室」のドクターをしていたDr.オグラこと故 小倉磐夫 東大名誉教授が、アサヒカメラで連載していた「Dr.オグラの写進化論」の連載記事を書籍化したもので、太平洋戦争と光学技術との関係を書いた記事が多く、他にも光学技術者の話も多数かかれています。具体的な章立ては次の通りです。
・ 第一章 カメラと戦争
1. 日本海海戦とカメラのピント合わせ
2. 零式戦闘機の照準器とライカM3
3. ボフォース機銃とファインダーの余白
4. 爆撃照準器からAF一眼レフへ
5. 「大和」15メートル測距儀とニコン
6. レーダーと暗闇のオートフォーカス
7. サン=テクジュベリと写真偵察の魅力
8. 雪の朝のクーデターとキャノンの創業
9. 「ゾルゲ事件」とライカ、コンタックス
10.アクリル-戦闘機からレンズまで
11.第二次世界大戦中の国産カメラ事情
12.ポラロイド発明者の知られざる業績
13.キューバ危機を救ったミノックスB型
・第2章 戦後カメラ史余話
1. ああ全数欠損、輸出カメラの記憶
2. 日本占領のスーベニア、コニカU型
3. 天津の超ロングセラー機「ヤシカ」
4. 中国製ピッカリコニカの生産現場
5. トプコンカメラ消えて「TTL」残す
6. ニコンを追ったキャノン「2群ズーム」
7. 「特許という紙切れ」と日本的風土
8. 日本を爆撃したハネウエルの制御技術
・ 第3章 カメラを育てた人たち
1.「レンズ屋」と「箱屋」、相剋と矜持
2. 星をのぞいて光学メーカーを興す
3. 研究室へ旭光学・松本社長の怒鳴り込み
4. 名付け親不明の「ゼンザブロニカ」
5. 「喧嘩」にも強かった博士社長
6. 半世紀早かった「破滅型技術者」の仕事
7. ミリオンセラー機と「生涯一技術者」
8. 「不滅の名作」レンズ設計者の、その後
9. 顕微鏡からカメラへ、オリンパスの飛躍
10.原爆忌によみがえる乾板の味
11.ダハプリズム研磨工Kさんの思い出
あとがき・文庫版のためのあとがき 小倉磐夫
解説 小野茂夫(元日本光学社長)
この中には、ニューフェース診断室の殴り込み第一号である、旭光学工業(今のPENTAX)の実質創業社長である松本三郎社長の色々なエピソードとか、創業直後のキヤノン(当時は「精機光学研究所」)をサポートしていた226事件の山口大尉の話とか、久我山の高射砲施設の士官をしていたタムロンの創業者の話とか、ニコンに潜り込めず、毛色の違う日本真空技術(現ULVAC)で仕事をすることになった、戦艦「大和」の15m光学測距儀の設計をした青木技術大佐の話とか、戦中と戦後に二度日本を爆撃したノルデン式爆撃照準器の話とか、カメラ工業史・軍事技術史に興味がある方には非常に内容の濃い書籍になっています。
これを読むと我が生誕地「大田区」の大井町(ニコン)と下丸子(キヤノン)が兄弟関係からライバル関係に発展したことが判ると思います。実際、戦前の国産ライカコピーカメラ第一号である「ハンザキヤノン」の光学系(レンジファインダー)がニコン製だとか、「ハンザキヤノン」に付いてくるLマウントレンズがNikkorだったりとか、色々知られた事実もあります。しかし、終戦直後に従業員を1/10にまで急激なリストラをして、民生へ転向して自らカメラを作り始めた日本光学の話はともかく、その日本光学を追い出された技術者を引き抜いて、日本光学より独立して完全自製化を成し遂げたキヤノン(精機光学工業)話は余り知られていないと思います。(ついでに言うと、キヤノンの実質創業社長は御手洗毅氏とされていますが、創業社長は内田三郎氏で、現キヤノン社長が内田姓であることから、創業社長の家系かと就任直後に色々噂されたりしています(実際は関係なし)。
正直、著者が亡くなられているため、何時絶版になるか解りません。文庫版と安いこともあるので、カメラ工業史もしくは軍事技術史に興味がある方は手に入れられることをお勧めします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます