ここのところ、あっち行ったりこっち行ったりで、ネットを見る暇もなかったのですが、昨夕に落ち着いてネットを見たら、次の記事がありました。
オリンパス「ペン」「OM」「XA」の開発者、米谷美久氏が逝去
名前が出ているオリンパスの機種は、オリンパスがカメラメーカーとして地歩を築く際の主力機種として売れ、未だにユーザーがいるカメラで、PEN F、OM-1/OM-2、XAを名機のカテゴリーに含めても誰も異論はないと思います。
その名機を設計したのは、いずれも米谷美久氏でした。
拝啓 設計者より ~技術と常識の壁を越えて。~
もちろん、チームで開発しているので、個別には部下達が開発し、レンズも別の設計者が開発しています。私の愛読書「カメラと戦争 光学技術者たちの挑戦」(著者:故 小倉磐夫氏、ISBN4--02-261309-2)には、OMシリーズ登場直後、「アサヒカメラ」誌上で、米谷美久氏と対談したミノルタ開発部長の吉山一郎氏(後、専務)が、M-1(OM-1登場直後の名称)ではなく一気にZuikoレンズ群を出してきたことを誉めていて、米谷氏がむっとしていたと言うエピソードが掲載されています。
とは言え、いずれもプロジェクト・リーダーとして、明確なコンセプトの元に名機を生み出していったのは紛れもない事実で、未だに知人に信奉者がいることが、その事実を裏付けていると思います。
しかも、丁度M42マウントからKマウントに移行した直後に、オリンパスからOM-1/OM-2をぶつけられたペンタックスも小型軽量路線へ移行し、ME/MXを出してくるなど、業界にも大きな影響を与えてもいます。
私自身は、キヤノンとペンタックスを中心にしているため、オリンパスは殆ど使ったことがありませんが、OM-1は程度の良いボディをコレクションとして欲しいと思わせるものがあります。
オリンパスの子供達が「PEN F」をモチーフにレンズ交換式デジタルカメラ「E-P1」を開発しており、「PEN F」のモチーフを使うことについて、開発責任者が米谷氏へ直接伺って了解を取ったという話が、どこかのカメラ雑誌に掲載されていた記憶があります。それが事実だったら、米谷氏は「E-P1」の登場を見届けてから旅立たれたこととなります。直接コメントすることが出来なくなってしまいましたが、「E-P1」が好調な様子を天国から見て喜ばれているでしょう。
何はともあれ、米谷美久氏のご冥福をお祈りいたします。
しかし、また一歩、昭和が遠くなってしまったなぁ・・・。
追伸その1
多分、Webに載る最後のインタビューと思われる、2005年10月の米谷美久氏の記事。
オリンパス、E-500体験イベントを開催
追伸その2
「E-P1」については言いたいことが山ほど有りますが、それは別記事で書くかも。
オリンパス「ペン」「OM」「XA」の開発者、米谷美久氏が逝去
名前が出ているオリンパスの機種は、オリンパスがカメラメーカーとして地歩を築く際の主力機種として売れ、未だにユーザーがいるカメラで、PEN F、OM-1/OM-2、XAを名機のカテゴリーに含めても誰も異論はないと思います。
その名機を設計したのは、いずれも米谷美久氏でした。
拝啓 設計者より ~技術と常識の壁を越えて。~
もちろん、チームで開発しているので、個別には部下達が開発し、レンズも別の設計者が開発しています。私の愛読書「カメラと戦争 光学技術者たちの挑戦」(著者:故 小倉磐夫氏、ISBN4--02-261309-2)には、OMシリーズ登場直後、「アサヒカメラ」誌上で、米谷美久氏と対談したミノルタ開発部長の吉山一郎氏(後、専務)が、M-1(OM-1登場直後の名称)ではなく一気にZuikoレンズ群を出してきたことを誉めていて、米谷氏がむっとしていたと言うエピソードが掲載されています。
とは言え、いずれもプロジェクト・リーダーとして、明確なコンセプトの元に名機を生み出していったのは紛れもない事実で、未だに知人に信奉者がいることが、その事実を裏付けていると思います。
しかも、丁度M42マウントからKマウントに移行した直後に、オリンパスからOM-1/OM-2をぶつけられたペンタックスも小型軽量路線へ移行し、ME/MXを出してくるなど、業界にも大きな影響を与えてもいます。
私自身は、キヤノンとペンタックスを中心にしているため、オリンパスは殆ど使ったことがありませんが、OM-1は程度の良いボディをコレクションとして欲しいと思わせるものがあります。
オリンパスの子供達が「PEN F」をモチーフにレンズ交換式デジタルカメラ「E-P1」を開発しており、「PEN F」のモチーフを使うことについて、開発責任者が米谷氏へ直接伺って了解を取ったという話が、どこかのカメラ雑誌に掲載されていた記憶があります。それが事実だったら、米谷氏は「E-P1」の登場を見届けてから旅立たれたこととなります。直接コメントすることが出来なくなってしまいましたが、「E-P1」が好調な様子を天国から見て喜ばれているでしょう。
何はともあれ、米谷美久氏のご冥福をお祈りいたします。
しかし、また一歩、昭和が遠くなってしまったなぁ・・・。
追伸その1
多分、Webに載る最後のインタビューと思われる、2005年10月の米谷美久氏の記事。
オリンパス、E-500体験イベントを開催
追伸その2
「E-P1」については言いたいことが山ほど有りますが、それは別記事で書くかも。