多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

まだまだ続く沖縄戦教科書検定問題

2008年04月28日 | 集会報告
4月24日(木)夜、豊島公会堂で教科書検定意見撤回を求める4.24全国集会が首都圏の会(東京)、大江・岩波裁判支援連絡会(大阪)、平和教育をすすめる会(沖縄)、沖縄戦教科書検定撤回を求める市民の会・東京、教科書・市民フォーラムなど13団体の共催で開催された(参加350人)。
3月末の大江・岩波裁判勝訴判決を受け、沖縄戦に関する検定意見撤回と記述復活、そして教科書検定制度の抜本的改革を求める集会であった。


●大江・岩波沖縄戦裁判地裁判決報告
    小牧 薫
さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会事務局長)
3月28日(金)10時4分、大阪地裁102号法廷で深見敏正裁判長は「原告らの請求をいずれも棄却する」と全面勝訴の主文を読み上げた。時間は10分足らず。法廷から旗出し担当が駆け出し、旗を見た支援者のなかには涙する人もいた。その日の毎日新聞夕刊1面にはこの写真が大きく掲げられた。
勝訴の要因は6つある。62年の沈黙を破り何人もの体験者が新たな証言をされたこと、大江さん・金城重明さん・宮城晴美さんの奮闘、慶良間に赴いた3人の弁護士が証拠固めをしたこと、沖縄県民の支援、支援団体3団体と被告・弁護団の連携、民事では異例の15,636筆に上る公正裁判要請署名、である。
これから控訴審が始まるが、高裁宛て署名を6月末までに集め7月初めに提出したい。
大江さんには「本土と沖縄」を対立させる視点を考え直していただき、また「集団自決」と酷似する「集団自殺」でなく「強制集団死」という用語を使うよう求めたい。

●教科書検定制度の問題点を暴く
    俵 義文
さん(子どもと教科書全国ネット21 事務局長)
検定のあきれた実例には枚挙に暇がない。小学校国語教科書の「たかのす取り」は「木のぼりのような危険なことは教科書に載せるのは好ましくない」という検定意見で削除された。生活科の「おふろからでて はしったとき とまったとき あるいたとき 同じ足なのに あしあとはかわる」という文章には「しつけに問題がある。お風呂から出たらちゃんと身体をふくはずだから、足あとはつかない」のでダメという検定意見がついた。出版社が小学1年ではなく「小さな妹」の話に修正したら検定合格した。生き生きした教科書をどんどんつまらなくし無味乾燥にする検定が日本ではまかり通っている。これと同じ構造で、沖縄戦の記述が消えてしまった。
文科省は検定の目的を「全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持」等としているがこれは建前にすぎない。本当のねらいは「指導要領に忠実な教科書をつくらせ、その教科書を忠実に教えさせる」ことである。1993年9月文部省の清水潔教科書課長がそう述べた。「教科書『で』教える」ではなく「「教科書『を』教える」のが文科省の方針だ。
今年3月28日に改訂された学習指導要領には、全教科に「道徳教育の目標に基づき」「道徳の時間などとの関連を考慮しながら」「道徳の内容について(略)指導する」との文言が入っている。すべての教科の教科書に新教育基本法2条5項の「愛国心」を盛り込まなければ検定を通らないことになりつつある。また検定は検定規則でがんじがらめにされ、原発の危険性や自衛隊について政府見解や与党見解が絶対正しいという前提で実施される。そして文科省内で「先生」と呼ばれる教科書調査官が絶対的な権力を握っている。先進国には例をみない検定制度である。こんなでたらめな検定制度は抜本的に改革する必要がある。
教科書ネット21、平和教育をすすめる会、首都圏の会、大江・岩波裁判支援連絡会、平和教育をすすめる会の4団体は共同で25日に「抜本的な改革を求める要請」を文科大臣に提出する。大きな世論をつくりだし、検定制を改めさせたい。

●理科教科書検定の実態と学界からの批判
    小佐野正樹
さん(教科書シンポジウム世話人会)
検定意見数を教科別にみると小学校では理科と家庭科が群を抜いて多い。1点当たり平均意見は全体では19だが、理科は33、家庭科が38に上る。
5年生理科の受精の説明写真としてメダカの交尾を入れると「受精に至る過程は取り扱わないものとする」という検定意見が付き、オスとメスが離れた写真に差し替えさせられた。またアサガオの花のつくりという図解で、「子ぼう」という説明文字を入れると「おしべ、めしべ、がく及び花びらを扱うにとどめること」という検定意見のため削除させられた。中学の教科書では、逆に、原発の問題点を書いた文章に「原子力発電は(略)電力の安定供給に大きな役割を果たしている」という文章を挿入させられた。理科教育は科学的な真実を教えることが重要なのに、指導要領の文言を杓子定規にあてはめる書き換えが横行している。
こうした検定に、2002年7月、日本物理学会、日本化学会など13学会で構成する理数系関連学会教育問題連絡会は「教科書検定は非常に重大な問題を抱えており、教科書検定そのもののあり方について根本的に再考すべき時期に来ている」という「意見書」を提出し、批判の声をあげている。
いま問題になっている歴史教科書だけでなく、広範な人の声が広がっている。最終的には検定廃止をめざし、今後もがんばりたい。

●世界から見た日本の教科書検定――私の経験を通して
    暉峻淑子さん(埼玉大学名誉教授)
かつて三省堂の教科書の執筆をしたとき220か所もの検定意見が付いた。「国と地方自治体」を「国・地方自治体」にしろとか、「集中豪雨的輸出」という表現は品がないなど、どうでもいいような細かい修正意見が大半だった。編集担当者にどうしてこんなことを文部省はチェックするのか」と尋ねると「おまえの書いたものに、これだけバツをつけてやったぞ、と示したいのでしょう」とのことだった。文部省のいうとおりにしないと出版させないと言いたいだけの検定だと感じた。
わたしは「豊かさとは何か」(89年岩波新書)に、1988年荒川区の老女が、生活保護を無理に辞退させられた結果、福祉事務所に抗議の手紙を残して自殺したことを書いた。日本書籍が中学公民の教科書に一部要約の形でコラムにして引用したところ、91年度の検定で文科省は「事実関係に誤りがあるとみられる」「生活保護行政に対する見方が一面的」との検定意見を付けて全文削除させた。根拠は88年11月の厚生省社会局長の国会答弁だった。
わたしは頭に火の粉が降りかかってきたように感じた。老女の遺書、観察医務院での死体検案書に対する説明などを示し、96年7月、3年がかりで厚生大臣と文部省教科書課長の謝罪文を勝ち取った。文部省に元の記述に戻してほしいと要望すると「周囲の情勢が変わったので再検定可」という理由で、元に戻った。この点、今回の沖縄戦記述と似ている。
粘りに粘った結果だったが、その間自分を支えたのは「やはり正しいことは正しい」「こんなことはほっておけない」という素朴な気持ちだった。
ドイツには国の検定がなく、州の検定がある。ナチスの時代に日本と同様の間違いを犯したが、どうしても時の政権の言いなりになるという反省からだ、州の検定があるといっても日本のものとはまったく違う。検定委員は、労組、弁護士、政党支持者など多彩だ。不合格にするときは必ず詳細な理由書を付ける。出版社は反論の鑑定書を出す。もう一度検定委員全員で検討し、著者の言い分も聞いてOKとなれば復活する。いろんな意見があっても、論拠があればOKというスタンスだ。
「日本では家永教科書訴訟のように戦争中の残虐な写真や文章表現は削除されるが、ドイツではどうか」と教科書研究所の人に問うと「戦争はつねに残酷だ。もし戦争の残酷さを教えないとすれば、どうして人間が平和を心から志向することがありうるだろうか」との答えが返ってきた。
ドイツでは教科書しか使わないとなまけものと評価され、自分が勉強したことをプラスして教えるべきとされている。学校の授業参観で、自分のクラスの子どもたち用の辞書をつくって渡している先生をみた。移民の子もいれば、いろんな知識階層の子がいるが、学校で責任をもって教えるためだとのことだった。また、今日授業に出てきた単語を使い、身振り手振りを付けた歌をつくり歌っている先生もみた。いま目の前にいる生徒に創意をこらした授業をしており、独創性が認められるようになっていた。
イギリスではそもそも検定がない。小学校1年の算数の授業をみたことがある「1」を教える授業で生徒に「生活のなかの1」を問いかけると、「1冊本を読んだ」「電車に1回乗った」「階段は1の集まり」などの答えが返ってきた。次の授業は「2」を教えた。
これからますます知識社会になるといわれるが、まっとうな判断力を備える教育がよいのか、日本のような教育がよいのか、どちらがいいかは明らかだ。

そのほか、石山久男・歴史教育者協議会委員長から「検定意見撤回と記述回復の取組」、山口剛史・平和教育をすすめる会事務局長から4月5日沖縄で開催された教科書シンポジウムと4月16日の文科省への検定意見撤回要請の報告、大浜敏夫・沖縄県教職員組合委員長から3月23日雨にもかかわらず6000人が集まった「米兵事故に抗議する県民大会」の報告、浦添出身の埼玉大学生の「沖縄は沖縄だけでは解決できない問題を抱えているが、本土の人に共有されていないことに違和感を感じるようになった。社会の体験が歴史であり、そのことが人間が歴史を学ぶ意義である。歴史は事実に基づくことが重要だ」というアピールなどがあった。
最後に寺川徹・首都圏の会事務局長から、検定意見撤回では4月25日の文科省要請行動、大江・岩波裁判では6月末に高裁宛て署名集約すると今後の取組が発表された。集会アピールを採択し、松田寛・沖縄県高等学校障害児学校教職員組合委員長の「団結がんばろう」で会を閉じた。
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