「芸術の秋」ということで、美術展を2つみにいった。タイトルは「春画と横尾忠則」となっているが、特に両者に関係はない。しいて共通点をあげると横尾は1960年代後半「腰巻お仙/忘却編」「大山デブコの犯罪」など芝居のポスターで、浮世絵風の作品をつくっていたことくらいだろうか。
まず、江戸川橋の永青文庫で「春画展」をみた。9時半オープンなので、10分前に到着したがすでに長蛇の列だった。係員に聞いてみると、早い人は8時過ぎから並んだらしい。
春画はもちろん古代からあったのだろうが、会場には、江戸だけでなく13世紀の鎌倉時代や室町時代、安土桃山時代のものもならんでいた。
全体は3部から構成されている。1肉筆の名品、2版画の傑作、3豆版の世界、それにプロローグとエピローグが付いている。
そして狩野派、土佐派、岩佐派、菱川派など名だたる画派が描き競っている。
鳥居清長、鈴木春信、喜多川歌麿、渓斎英泉など、有名な浮世絵師の作品ももちろん展示されていた。鳥居清信の作品をみると、すべすべした肌ややわらかな体の量感が、ヨーロッパのルネッサンス期の肉体画の日本版のように見えた。
春画だから、男女の性器のアップや交接部分は「お約束」として目立つところに配置される。そのためアクロバティックな体勢の絵が多い。お約束なのだから仕方がないということか。
美術展の客はだいたい女性客が多いが、この展覧会もやはり女性のグループ客や高齢カップルが多かった。
表情までじろじろ見ると疑われそうなのでわからないが、まわりから聞こえてくる話し声は、普通の美術品をみているのと変わらない様子だった。
2部には、有名な北斎の蛸と海女(「喜能会之故真通(きのまのこまつ)」)もあった。映画「北斎漫画」(新藤兼人)では娘のお栄(田中裕子)が北斎のモデルとなり、大蛸に絡みつかれたが大きな吸盤が印象に残っている(樋口可南子だったのかもしれない)。改めてこの絵をみて蛸はじつは2匹いて、大蛸が女の下の口、小蛸は上の口に吸いついていることに気づいた。
不思議なことにいわゆる「エロっぽさ」はあまり感じない。
エロに関しては、書き入れというらしいが「グスグス」「ヌルリー」など擬音が書かれているとそれっぽくなることに気づいた(北斎の「富久寿楚宇」(ふくじゅそう)より)。文字+イマジネーションのもたらす力である。
なぜか最後のエピローグでほっとした。このゾーンは細川家に伝わる春画を展示するスペースだ。比較的すいていたからか、絵が大きかったからか、あるいはたんにソファが置いてあったからなのか、理由はわからない。歌川国貞の「艶紫娯拾餘帖」は金摺、銀摺、雲母摺に、空摺(からずり)まであるぜいたくな作だった。
永世文庫を初めて訪れたのは5年前だった。絵画、茶道具、書跡を展示するには落ち着いてよいスペースだと思ったが、こんなに人が多いと、キャパシティの点で問題があった。春画は「笑い絵」ともいうそうだ(たとえば「勝絵絵巻」の陽物比べや放屁合戦のように)。しかしこれだけ混んでいると落ち着いて見て「笑う」ゆとりはなかった。残念である。
しかしどの報道記事を読んでもそうだが、大英博物館の春画展を日本に里帰り展示するのは、大きな苦労があり、細川家の好意でやっと昨年夏開催実現が決まったそうだ。展示が決まっても東京国立博物館ではチラシを置くことすら拒否し、展覧会のグッズですら発売できるか管轄の警察署の判断待ちになっているそうだ。
ほんの一部しか見られないが、永世文庫の緑の庭園は趣があった。
東京Y字路(さまざまなY字路の写真 部分)
次に、神戸の横尾忠則現代美術館で開館3周年記念展「続・Y字路」をみた。この美術館に行くのは、横尾忠則展「反反復復反復」(2012)、「記憶の遠近術――篠山紀信、横尾忠則を撮る」(2014)に続きこれで3回目だ。
Y字路は何点か見ているが、今回の展示は最近10年以内の作品なので、作家蔵が多い。
一番迫力があるのは、チラシの絵柄にもなっている「文明と文化の衝突」だ。160センチ×130センチとサイズが大きい(もっとも180×240ともっと大きい作品もあったのだが)。Y字路の左側の道には戦闘機があり人が倒れている。右の道には奥で火山が噴火し、墓場があるが、墓の半分くらいが倒壊している。地震の直後なのだろうか。空には灰色のオーロラが広がる。真ん中のY字の部分には乳牛に座るデビ夫人がいる。その奥には6人の女性が温泉につかり、5人のギリシアの賢人がその光景を眺めている。
左右どちらの道にいっても行き詰まるので、「この温泉」で安楽に暮らそうよ、いやそれ自体が思案のしどころだとでもいう意味なのだろうか。
ちょっと似た「想い出劇場」(2007年)は、左に三島由紀夫文学館の立札、真ん中にはDOCTOR'S CARと書かれた救急車にみえる車が停車し、右には5人の美女と1匹の猿が温泉に浸かっている。その奥には「石和温泉劇場」というストリップ劇場がある。建物の側面には、なぜかミレーの「種蒔く人」が、あの帽子のまま影が映っていて、バルコニーでは三島が右手を振り上げてあの演説をしている。
横尾は週刊「読書人」に「日常の向こう側、ぼくの内側」というコラムを連載していて10月16日号ですでに212回にもなる。1年50週とすると4年以上だ。ほぼ完全な毎日日記で、しかも1週に1枚写真まで入っている。何年も読み続けているとずいぶん古い知り合いのような感じになる。不眠症やネコ(タマやおでん)は「常連」だが、絵のなかにも出てきた(たとえばスリープレスネス(2011-2012)という作品)。
東京(世田谷)、兵庫(神戸)、石川(金沢)の3美術館で行った公開制作パフォーマンスのビデオが3つのディスプレイで映し出されていた。これがなかなか面白い。金沢と世田谷では、横尾はペンキ職人の格好をして描いている。手ぬぐいを頭に巻き、チョッキとニッカポッカ姿だった。助手はヘルメットをかぶり交通整理員のスタイルで、ときどきカメラマン(これも助手だったのかもしれない)が現れたり、扇風機で画面を乾燥させたりしている。横尾はときどきディレクターズ・チェアのような椅子に腰かけで全体を眺めたりしている。サービス精神豊かというか、凝っているというか・・・。
世田谷で5点、神戸で3点、金沢で3点制作したが、その絵の実物がディスプレイの近くに展示されていて、制作途上と完成の絵の両方を見比べられて興味深い。世田谷が多いのは、おそらく成城学園の自宅から近く通いやすかったからだと思われる。
Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir a vingt ans!という長いフランス語のタイトルの絵があった。意味がわからずスタッフの方にお聞きすると「泣かないでくれ 20歳で死ぬにはありったけの真剣な勇気が必要なのだ」という20歳のガロアが弟に残した言葉とのことだった。同じ2009年に「ガロアの家」という作品も描いているので、このころ横尾はよほど数学者・ガロアに関心があったのだろうか。
なおタイトルについては、考えてみると英訳も下に付いていて「Dont'cry! I need all my courage to die at twenty」と書いてあった。これなら理解できる。
3階には「黒いY字路」と「夜」、暗い照明のなかに黒っぽい絵が何点も続く。「見えないものを見えるように引き出す顕在能力が絵画の力だと考えてきたけれど、逆に見えるものを見えないようにすることはできないだろうかと考え始めた」という説明があり、なるほどと納得した。
横尾は神戸新聞社に勤務し新婚だったころ、神戸の青谷というところに住んでいたとカタログの年譜か何かでみた記憶があった。そこで受付で「青谷はどのあたりにあるのか」聞くと、美術館から500mほど坂を上がったあたり一面だと聞いた。美術館自体が駅から六甲山の山道なのでけっこう急なのだが、王子スポーツセンター脇の坂を上がると、小学校、市立葺合高校、神戸海星女子学院、さらにその上に松陰高校と並び文教地区のようだ。テニスコートもいくつかみかけた。もうアパートそのものは取り壊しずみでどこかわからないとのことだったが、写真に川か滝が写っていたように思うので青谷のなかでも東側ではないかと思う。帰りは坂を下りて阪急・王子公園をとおりすぎJR灘駅に出た。
冒頭に共通点がないと書いたが、両館とも坂の上の緑が多いロケーションにあった。
☆美術展ではないが、浜離宮で「東京大茶会」というイベントをみた。茶道だけでなく、書道、江戸木遣り、着物、華道、江戸木版画などのパフォーマンスもやっていた。
なかでもわたくしが注目したのは江戸手妻だった。奇術のことだが「手を稲妻の様に素早く動かす」というところからこの名がついたそうだ。演じたのは藤山大樹さん。まだ20代だが落ち着いていて、名人の風格があった。法政大学の学生時代から何度もマジックのコンテストで優勝した人だという。
演目は、面をつかったおかめ、ひょっとこ、老人などの「七変化」、衣装の早変わりも加えカラス天狗、鬼、狐などに早変わりする。きつく指をこよりで結び、柱を通す「柱抜き」、半紙を2枚、4枚、8枚、16枚と切り刻み、伸ばすとつながっている「連理の曲」の3つだった。最後は見事なクモの糸や紙吹雪で幕になる。
手妻をやるには、日舞の素養や口上、さらに当意即妙の受け答えの才能も必要なことがよくわかった。
なお大茶会には外人客がたいへん多かった。生け花は外人専用だったし着物ファッションショーも外人客が多かった。
大茶会は年に一度だけだが、ふだんから浜離宮は外人客が多い。築地市場とセットで見学するのかとも思ったが、係の人に聞くと、東京オリンピックが決まってからとくに増えたそうだ。浜離宮の庭園が日本庭園で一番だとガイドブックにでているのかもしれない。たしかに25ヘクタールの大庭園は手入れが行き届いていて、かつ見飽きることがない。
まず、江戸川橋の永青文庫で「春画展」をみた。9時半オープンなので、10分前に到着したがすでに長蛇の列だった。係員に聞いてみると、早い人は8時過ぎから並んだらしい。
春画はもちろん古代からあったのだろうが、会場には、江戸だけでなく13世紀の鎌倉時代や室町時代、安土桃山時代のものもならんでいた。
全体は3部から構成されている。1肉筆の名品、2版画の傑作、3豆版の世界、それにプロローグとエピローグが付いている。
そして狩野派、土佐派、岩佐派、菱川派など名だたる画派が描き競っている。
鳥居清長、鈴木春信、喜多川歌麿、渓斎英泉など、有名な浮世絵師の作品ももちろん展示されていた。鳥居清信の作品をみると、すべすべした肌ややわらかな体の量感が、ヨーロッパのルネッサンス期の肉体画の日本版のように見えた。
春画だから、男女の性器のアップや交接部分は「お約束」として目立つところに配置される。そのためアクロバティックな体勢の絵が多い。お約束なのだから仕方がないということか。
美術展の客はだいたい女性客が多いが、この展覧会もやはり女性のグループ客や高齢カップルが多かった。
表情までじろじろ見ると疑われそうなのでわからないが、まわりから聞こえてくる話し声は、普通の美術品をみているのと変わらない様子だった。
2部には、有名な北斎の蛸と海女(「喜能会之故真通(きのまのこまつ)」)もあった。映画「北斎漫画」(新藤兼人)では娘のお栄(田中裕子)が北斎のモデルとなり、大蛸に絡みつかれたが大きな吸盤が印象に残っている(樋口可南子だったのかもしれない)。改めてこの絵をみて蛸はじつは2匹いて、大蛸が女の下の口、小蛸は上の口に吸いついていることに気づいた。
不思議なことにいわゆる「エロっぽさ」はあまり感じない。
エロに関しては、書き入れというらしいが「グスグス」「ヌルリー」など擬音が書かれているとそれっぽくなることに気づいた(北斎の「富久寿楚宇」(ふくじゅそう)より)。文字+イマジネーションのもたらす力である。
なぜか最後のエピローグでほっとした。このゾーンは細川家に伝わる春画を展示するスペースだ。比較的すいていたからか、絵が大きかったからか、あるいはたんにソファが置いてあったからなのか、理由はわからない。歌川国貞の「艶紫娯拾餘帖」は金摺、銀摺、雲母摺に、空摺(からずり)まであるぜいたくな作だった。
永世文庫を初めて訪れたのは5年前だった。絵画、茶道具、書跡を展示するには落ち着いてよいスペースだと思ったが、こんなに人が多いと、キャパシティの点で問題があった。春画は「笑い絵」ともいうそうだ(たとえば「勝絵絵巻」の陽物比べや放屁合戦のように)。しかしこれだけ混んでいると落ち着いて見て「笑う」ゆとりはなかった。残念である。
しかしどの報道記事を読んでもそうだが、大英博物館の春画展を日本に里帰り展示するのは、大きな苦労があり、細川家の好意でやっと昨年夏開催実現が決まったそうだ。展示が決まっても東京国立博物館ではチラシを置くことすら拒否し、展覧会のグッズですら発売できるか管轄の警察署の判断待ちになっているそうだ。
ほんの一部しか見られないが、永世文庫の緑の庭園は趣があった。
東京Y字路(さまざまなY字路の写真 部分)
次に、神戸の横尾忠則現代美術館で開館3周年記念展「続・Y字路」をみた。この美術館に行くのは、横尾忠則展「反反復復反復」(2012)、「記憶の遠近術――篠山紀信、横尾忠則を撮る」(2014)に続きこれで3回目だ。
Y字路は何点か見ているが、今回の展示は最近10年以内の作品なので、作家蔵が多い。
一番迫力があるのは、チラシの絵柄にもなっている「文明と文化の衝突」だ。160センチ×130センチとサイズが大きい(もっとも180×240ともっと大きい作品もあったのだが)。Y字路の左側の道には戦闘機があり人が倒れている。右の道には奥で火山が噴火し、墓場があるが、墓の半分くらいが倒壊している。地震の直後なのだろうか。空には灰色のオーロラが広がる。真ん中のY字の部分には乳牛に座るデビ夫人がいる。その奥には6人の女性が温泉につかり、5人のギリシアの賢人がその光景を眺めている。
左右どちらの道にいっても行き詰まるので、「この温泉」で安楽に暮らそうよ、いやそれ自体が思案のしどころだとでもいう意味なのだろうか。
ちょっと似た「想い出劇場」(2007年)は、左に三島由紀夫文学館の立札、真ん中にはDOCTOR'S CARと書かれた救急車にみえる車が停車し、右には5人の美女と1匹の猿が温泉に浸かっている。その奥には「石和温泉劇場」というストリップ劇場がある。建物の側面には、なぜかミレーの「種蒔く人」が、あの帽子のまま影が映っていて、バルコニーでは三島が右手を振り上げてあの演説をしている。
横尾は週刊「読書人」に「日常の向こう側、ぼくの内側」というコラムを連載していて10月16日号ですでに212回にもなる。1年50週とすると4年以上だ。ほぼ完全な毎日日記で、しかも1週に1枚写真まで入っている。何年も読み続けているとずいぶん古い知り合いのような感じになる。不眠症やネコ(タマやおでん)は「常連」だが、絵のなかにも出てきた(たとえばスリープレスネス(2011-2012)という作品)。
東京(世田谷)、兵庫(神戸)、石川(金沢)の3美術館で行った公開制作パフォーマンスのビデオが3つのディスプレイで映し出されていた。これがなかなか面白い。金沢と世田谷では、横尾はペンキ職人の格好をして描いている。手ぬぐいを頭に巻き、チョッキとニッカポッカ姿だった。助手はヘルメットをかぶり交通整理員のスタイルで、ときどきカメラマン(これも助手だったのかもしれない)が現れたり、扇風機で画面を乾燥させたりしている。横尾はときどきディレクターズ・チェアのような椅子に腰かけで全体を眺めたりしている。サービス精神豊かというか、凝っているというか・・・。
世田谷で5点、神戸で3点、金沢で3点制作したが、その絵の実物がディスプレイの近くに展示されていて、制作途上と完成の絵の両方を見比べられて興味深い。世田谷が多いのは、おそらく成城学園の自宅から近く通いやすかったからだと思われる。
Ne pleure pas, j'ai besoin de tout mon courage pour mourir a vingt ans!という長いフランス語のタイトルの絵があった。意味がわからずスタッフの方にお聞きすると「泣かないでくれ 20歳で死ぬにはありったけの真剣な勇気が必要なのだ」という20歳のガロアが弟に残した言葉とのことだった。同じ2009年に「ガロアの家」という作品も描いているので、このころ横尾はよほど数学者・ガロアに関心があったのだろうか。
なおタイトルについては、考えてみると英訳も下に付いていて「Dont'cry! I need all my courage to die at twenty」と書いてあった。これなら理解できる。
3階には「黒いY字路」と「夜」、暗い照明のなかに黒っぽい絵が何点も続く。「見えないものを見えるように引き出す顕在能力が絵画の力だと考えてきたけれど、逆に見えるものを見えないようにすることはできないだろうかと考え始めた」という説明があり、なるほどと納得した。
横尾は神戸新聞社に勤務し新婚だったころ、神戸の青谷というところに住んでいたとカタログの年譜か何かでみた記憶があった。そこで受付で「青谷はどのあたりにあるのか」聞くと、美術館から500mほど坂を上がったあたり一面だと聞いた。美術館自体が駅から六甲山の山道なのでけっこう急なのだが、王子スポーツセンター脇の坂を上がると、小学校、市立葺合高校、神戸海星女子学院、さらにその上に松陰高校と並び文教地区のようだ。テニスコートもいくつかみかけた。もうアパートそのものは取り壊しずみでどこかわからないとのことだったが、写真に川か滝が写っていたように思うので青谷のなかでも東側ではないかと思う。帰りは坂を下りて阪急・王子公園をとおりすぎJR灘駅に出た。
冒頭に共通点がないと書いたが、両館とも坂の上の緑が多いロケーションにあった。
☆美術展ではないが、浜離宮で「東京大茶会」というイベントをみた。茶道だけでなく、書道、江戸木遣り、着物、華道、江戸木版画などのパフォーマンスもやっていた。
なかでもわたくしが注目したのは江戸手妻だった。奇術のことだが「手を稲妻の様に素早く動かす」というところからこの名がついたそうだ。演じたのは藤山大樹さん。まだ20代だが落ち着いていて、名人の風格があった。法政大学の学生時代から何度もマジックのコンテストで優勝した人だという。
演目は、面をつかったおかめ、ひょっとこ、老人などの「七変化」、衣装の早変わりも加えカラス天狗、鬼、狐などに早変わりする。きつく指をこよりで結び、柱を通す「柱抜き」、半紙を2枚、4枚、8枚、16枚と切り刻み、伸ばすとつながっている「連理の曲」の3つだった。最後は見事なクモの糸や紙吹雪で幕になる。
手妻をやるには、日舞の素養や口上、さらに当意即妙の受け答えの才能も必要なことがよくわかった。
なお大茶会には外人客がたいへん多かった。生け花は外人専用だったし着物ファッションショーも外人客が多かった。
大茶会は年に一度だけだが、ふだんから浜離宮は外人客が多い。築地市場とセットで見学するのかとも思ったが、係の人に聞くと、東京オリンピックが決まってからとくに増えたそうだ。浜離宮の庭園が日本庭園で一番だとガイドブックにでているのかもしれない。たしかに25ヘクタールの大庭園は手入れが行き届いていて、かつ見飽きることがない。