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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

山田洋次の「おとうと」

2010年02月19日 | 映画
山田洋次監督の「おとうと」をみた。しっかりものの姉・吉永小百合と周囲に迷惑ばかりかける弟・笑福亭鶴瓶といえば、15年前まで盆と正月に上映していた寅さん映画と同じ組合せだ(ただし寅さんは賢妹愚兄)。しかも一世代下の若者の恋がからむ構成は42作以降の満男とゴクミの5作と同じなのでプロットも想像できる。キャストストーリーはこちらのサイトを参照)

そこでかつて見たのとよく似たシーンがいくつも登場する。たとえば冒頭の結婚式で酔っ払った鉄郎が調子に乗りそのあげくつぶれてしまうのは、第1作でさくらが上司の紹介で取引先のジュニアと見合いする場面と同じ、結婚式以来はじめて訪ねてきた鉄郎が薬屋の店先で入りにくそうにしている様子は寅さんそっくり、吟子が財布から札を取り出し手渡すシーンはさくらの仕草そっくり、若者が深夜自分のクルマに乗せて、遠方の病院に急行するのは40作寅次郎サラダ記念日で小諸の病院に向かうのと同じである。人が死んでいく姿も、サラダ記念日の鈴木光枝、18作純情詩集の京マチ子、5作望郷篇の木田三千雄が演じた。御前様やタコ社長こそ現れないものの、商店街の気のいいご近所さん、歯医者さんと自転車屋さんの二人連れが登場する。
では、寅さん映画と同じように大いに笑い、そしてしみじみするかというと、鑑賞後の感想はちょっと違った。
感動の振幅の幅がかなり違う。理由のひとつは寅さんが下町・柴又の商店街が舞台であるのに、おとうとは山の手・石川台が舞台であること、もうひとつは主役が、渥美清と倍賞千恵子のペアに対し、吉永小百合と笑福亭鶴瓶であることだ。また音楽が山本直純に対し、富田勲という違いも大きい。
わたしはもともと笑福亭鶴瓶の押しつけがましさというか、ずかずか入ってくる感じがあまり好きでないのだが、鉄郎は寅さんに比べ品がなく乱暴である。嫌われて当たり前というキャラクタを演じている。また吉永小百合も、これが松坂慶子や吉村実子、倍賞千恵子なら、同じセリフでも、きっともっと深く感動しただろうと思う。
また大阪弁の問題もある。助監督の平松恵美子がパンフの「撮影日誌」に「吉永さんがこてこての大阪弁を喋り続けることは考えられず、一方の鶴瓶さんが大阪弁以外の言葉を喋ることも考えられなかった。そんな二人が何故″姉と弟″なのか?」と書いている。結局、鉄郎と話すときだけ、ときどき吟子は大阪弁のイントネーションを使う。吉永の大阪弁は方言指導が優秀なので不自然さはない。しかし大阪女性の心情がこもっていないので、心に響かない。そういえば鉄郎のようなキャラクターなら、「お姉ちゃん」ではなく「ネェちゃん」というような気がする。
吉永小百合の姉弟の映画というと川口を舞台にした名作「キューポラのある街(1962 浦山桐郎)のジュンとタカユキを思い出す。50年後のタカユキならきっと鉄郎のようになっていないはずだ。吉永が演ずるなら50年後のジュンとタカユキのような役なら、ぴったりなのではないかと思った。
ずいぶん悪口を書いた。ただ、わたし自身も、前作「母べえ」と同じく、山田作品でかつ主演女優が吉永ということで見にいったのだから、観客動員戦略としては成功なのだろう。また「母べえ」にせよ「息子」にせよ、何年かたって不思議に思い出す映画なので、この映画も何年かすると、いい映画だったと思い直すようになるかもしれない。

しかし名監督・山田洋次なので、随所に巧みさが光る作品だった。まず構成がうまい。小春の最初の結婚式前夜の、女ばかり三世代家族の最後の夕食で始まり、二度目の結婚式前夜の夕食で終わる。その間の時間の経過を表すように、祖母はボケており、料理は鶏料理と赤ワインであることは変わらないが一度目は丸一羽のローストチキン、二度目は食べやすい唐揚げに変わっている。そして鉄郎(鶴瓶)はこの世にはいない。
鉄郎が多摩川べりのホームレスの男性と打ち解けたりインコを部屋で放し飼いにしたり、吟子(吉永)が習字教室に通ったり薬剤師の勉強会に出席したり、小さいエピソードをいくつも積み重ね、主人公のキャラクターを彫り上げていく。
カメラでは、通天閣のネオン「元気な大阪美しい水の都」や早朝の新今宮のJRの電車が印象的だった。また春遅めの桜、夏の夕立ちと雷、冬の木枯らしなど、寅さん映画と同様、四季の情景がきれいに映しこまれている。
いろんな映画評で紹介されているが、鉄郎が臨終を迎える身よりのない人のためのホスピスにはびっくりした。さらに驚くべきことに、こんな民間施設が山谷に実在するそうだ。もちろん運営は大変だが、この施設に入ると同時に生活保護を受給でき、その範囲で生活扶助、住宅扶助や医療扶助を受けられるシステムなのだそうだ。ホスピスなので、小春(蒼井優)が早朝、臨終の場にかけつけたとき、鉄郎の体を起こし酸素マスクをはずしてあげるようなことも本当にあるかもしれない。  
写メールで臨終の場の集合写真を撮る場面にはギョッとしたが、すでに言葉をしゃべれない鉄郎はVサインをしてみせた。この一瞬をはずしては撮れない写真なので、こういうこともあるのかと思った。カナダ人女性がボランティアでアイリッシュハープを弾きに訪れるというのも、もしかすると実話に基づくのかもしれない。
息子(1991)ではろうあ者の生活、「学校(1993)では夜間中学校、「学校パート3(1998)では職業訓練校と知られざる世界を見せてくれたが、この映画も山田監督ならではの優れた「啓蒙」映画だった。この映画もおそらく2010年のキネ旬日本映画ベストテンで高位を獲得するだろう。

助演や脇役もすばらしい。まず小春役の蒼井優、離婚と二度目の結婚を観客に納得させる、とても自然な演技だった。吉永の亡夫の母役の加藤治子は、口うるさくて自分が除けものにされているとひがんでいる山の手住まいの高齢者をうまく演じていた。吉永の兄役、小林稔侍、近所の自転車屋・笹野高史、鉄郎の同棲相手だった木村ミドリ子がうまいのはいうまでもない。木村の役は、26作かもめ歌で電柱の陰で泣いていた母(園佳也子)や14作子守唄で何の縁もない子どもを自分の子として育てるストリッパー(春川ますみ)と似たタイプだが、こんな役もしっかりこなせることがよくわかった。小春のフィアンセ・加瀬亮、元夫の医師・田中壮太郎、
吟子の亡夫に似たホスピスの医師・近藤公園も好感がもてた。吟子をホスピスに案内する大阪の警官役ラサール石井も存在感があった。佐藤蛾次郎が鍋焼きうどんの出前持ちでちょい役で登場した。寅さん映画ファンとしてはなつかしかった。
特筆すべきはホスピスの経営者の妻役・石田ゆり子である。「鉄ちゃん、もう楽にしていいのよ」と声をかけ死なせてあげるセリフはただ感動だった。聖母とはこういう人かと思うほどだった。

☆寅さん映画をみて柴又へ行くノリで、池上線・石川台の希望ヶ丘商店街を訪れた。小さな駅で、米屋、豆腐屋、肉屋、クリーニング屋など、ひとつひとつは小ぢんまりした店が多いが、長さは400m近く延々と続く。吟子が130万円下ろした東雪谷二郵便局は入り口付近にある。商店街中ほどの坂を上ると創建1558年の雪ヶ谷八幡神社がある。秋祭りでは、きっとこの商店街を神輿が練り歩くのだろう。
さて自転車屋は、ブリヂストンとナショナルの看板を出す金子輪業商会があった。歯医者は4軒あるがちょうど金子輪業の向かいのビルに1軒入っている。肝心の薬局は2店があるがちょっとイメージが違う。それもそのはず、あの薬局の建物は横浜市にあるそうだ。
ただ、柴又はすでに観光バスが来る場所になっているが、ここは普通(より少し大きい)商店街であり、そっと訪れるにはよいところだった。笹野高史や森本レオのような人物がひょいと出てきても自然な感じの山の手の商店街だった。ロケをやったのはこのあたりですかと尋ねると、みなさん親切に教えてくれた。
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