桜台と練馬の間、環7を2本ほど東に入った住宅街に3階建ての建物が立っている。まったく普通の住宅のドアを一歩入ると山のような教育資料に圧倒される。
唐澤博物館は1993年に開館した。東京教育大学教授だった唐澤富太郎博士(1911-2004年)が収蔵庫として使っていた建物を、個人博物館として改装したものだ。
1階「子どもと学校130年」、2階「江戸時代の学び・子どもの遊び」、3階「日本人の暮らし」に分かれている。資料は7000点に及ぶという。わたしが最も興味をもったのは1階だったので1階を中心に、印象の強かったものをアト・ランダムに紹介する。
第1期国定教科書(1903年)以前の小学読本(1874 明治6年文部省発行)が展示されていた。文部省設置が1872年、学制公布が1873年なので日本最初期の教科書だろう。アメリカの「ウィルソン・リーダー」を訳したもので、さし絵も同じ位置に入っている。ただし「野球」はまだ日本にない概念だったためバッターだけでなく野手もバットをもつおかしな絵になっている(したがって、なぞった絵ではなく日本人の画家が頭を使って書いたものということになる)。
同じく1874年の掛け図「動物第一 獣類一覧」があった。鯨、カンガルー、キリン、サイなど、精密で彩色がきれいな図が並んでいる。ボカシなど高度な印刷技術が使われていた。日本には錦絵の伝統があったからだろうか。画家は文部省博物局などで活躍した服部雪斎である。
国定教科書は1期から5期までそろっており、戦後の墨塗り教科書まで展示されていた。国語だけでなく図画の教科書も墨塗りで痛々しかった。そして昭和22-23年の社会科創草期の教科書もあった。「土地と人間」「気候と生活」など学年別の分冊になっている。
このフロアで圧倒的な迫力を持つのが奉安殿である。もちろん御真影と教育勅語もセットにして展示されている。奉安殿の現物ははじめてみた。予想より大きかった。脇に御真影の非常持出用背嚢もあった。黒の漆器の立派な箱だった。戦前には校門を入ると左手に奉安庫があり、生徒は毎朝最敬礼したという。戦後もすぐ廃棄されたわけではなく12月15日にGHQの神道指令が出るまで存続していた。1月に御真影を返納した後も、1ヵ月間カラの奉安殿に敬礼させていた学校もあったそうだ。
教壇の左右両側に「忠」と「孝」という文字を書いた板を掲げた写真があった。戦前、修身は全教科の筆頭に位置付けられていたが、修身の中核が教育勅語であることがよくわかる。その他菊の紋章の入った子ども用のイスと机も展示されていた。
鴻巣尋常小学校6年生の女の子の綴方帳があった。筆書きなのにほとんど書き直しがない。どこかに下書きしてから書いたのだろうか。消えかかっているが、先生の朱のコメントも記入されていた。このノートは1917(大正6)年9月15日から始まり最後は卒業式の答辞で終わっていた。半年で1冊というペースなので、かなりの頻度で熱心に作文教育が行われていたことがわかる。
この博物館では、教育は必ずしも学校だけでなく、家庭や社会も学ぶ場であるという考え方から、幻灯機やメンコも展示されていた。石油ランプを光源にした明治20年代の幻灯機は大型で、映写機くらい大きかった。また幻燈用のガラス製スライドの絵柄で、マンガのようなものもあった。「棚からぼた餅」などことわざのスライドだとのことである。もちろん地理や修身の教科用スライドもあった。
運動会で使った太鼓やラッパもあった。子ども用とは思えない大きさだったので、いったいどんな人がどんな曲を演奏したのだろうと想像力をかきたてられる。運動会なのでマーチに類したものだろうとは思うが。
2階の「江戸時代の学び・子どもの遊び」には、栃木県真岡にあった寺子屋「御家流筆蹟稽古所精耕堂」が再現されていた。天保期の創立で、学制以降の1903(明治36)年まで存続したとのことだ。師匠や副師匠の机も展示されていた。
また大型の紙芝居の舞台のようなものがあり、人形が並んでいた。キリスト生誕の光景で似た感じのもの(クリッペ)を東京おもちゃ美術館で見たことがあるが、これは純和風である。聞くと、これは菊地寛の「恩讐の彼方に」で、戦後内田さんという方がリヤカーに積んで町を回って上演していたものだそうだ。
3階「日本人の暮らし」には、べっこう飴製造器、お歯黒つぼ、野良仕事の際、赤ちゃんを入れておくワラ製の籠「いずめ」などがあった。いずめはずいぶん大きいものでどうやら何人かの赤ちゃんを入れることができたらしい。
教育資料の宝庫というべき博物館で、物量に圧倒された。大学のゼミ単位で学生が見学したり、近くの小学生が見学に来ることもあるそうだ。
教育関係の博物館としては、以前、文部科学省「情報ひろば」をみたことがある。また国民学校時代の教育資料は東京大空襲・戦災資料センターで、昭和20年代の子どものおもちゃは昭和のくらし博物館に展示されていたが、これほどまとまって陳列されている博物館を訪問したのは初めてだった。また再訪して、1階の展示を1点1点じっくりながめてみたい。
住所:東京都練馬区豊玉北3-5-5
電話:03-3991-3065
開館:電話予約制
入館料:大人700円 中高生300円 小学生200円
唐澤博物館は1993年に開館した。東京教育大学教授だった唐澤富太郎博士(1911-2004年)が収蔵庫として使っていた建物を、個人博物館として改装したものだ。
1階「子どもと学校130年」、2階「江戸時代の学び・子どもの遊び」、3階「日本人の暮らし」に分かれている。資料は7000点に及ぶという。わたしが最も興味をもったのは1階だったので1階を中心に、印象の強かったものをアト・ランダムに紹介する。
第1期国定教科書(1903年)以前の小学読本(1874 明治6年文部省発行)が展示されていた。文部省設置が1872年、学制公布が1873年なので日本最初期の教科書だろう。アメリカの「ウィルソン・リーダー」を訳したもので、さし絵も同じ位置に入っている。ただし「野球」はまだ日本にない概念だったためバッターだけでなく野手もバットをもつおかしな絵になっている(したがって、なぞった絵ではなく日本人の画家が頭を使って書いたものということになる)。
同じく1874年の掛け図「動物第一 獣類一覧」があった。鯨、カンガルー、キリン、サイなど、精密で彩色がきれいな図が並んでいる。ボカシなど高度な印刷技術が使われていた。日本には錦絵の伝統があったからだろうか。画家は文部省博物局などで活躍した服部雪斎である。
国定教科書は1期から5期までそろっており、戦後の墨塗り教科書まで展示されていた。国語だけでなく図画の教科書も墨塗りで痛々しかった。そして昭和22-23年の社会科創草期の教科書もあった。「土地と人間」「気候と生活」など学年別の分冊になっている。
このフロアで圧倒的な迫力を持つのが奉安殿である。もちろん御真影と教育勅語もセットにして展示されている。奉安殿の現物ははじめてみた。予想より大きかった。脇に御真影の非常持出用背嚢もあった。黒の漆器の立派な箱だった。戦前には校門を入ると左手に奉安庫があり、生徒は毎朝最敬礼したという。戦後もすぐ廃棄されたわけではなく12月15日にGHQの神道指令が出るまで存続していた。1月に御真影を返納した後も、1ヵ月間カラの奉安殿に敬礼させていた学校もあったそうだ。
教壇の左右両側に「忠」と「孝」という文字を書いた板を掲げた写真があった。戦前、修身は全教科の筆頭に位置付けられていたが、修身の中核が教育勅語であることがよくわかる。その他菊の紋章の入った子ども用のイスと机も展示されていた。
鴻巣尋常小学校6年生の女の子の綴方帳があった。筆書きなのにほとんど書き直しがない。どこかに下書きしてから書いたのだろうか。消えかかっているが、先生の朱のコメントも記入されていた。このノートは1917(大正6)年9月15日から始まり最後は卒業式の答辞で終わっていた。半年で1冊というペースなので、かなりの頻度で熱心に作文教育が行われていたことがわかる。
この博物館では、教育は必ずしも学校だけでなく、家庭や社会も学ぶ場であるという考え方から、幻灯機やメンコも展示されていた。石油ランプを光源にした明治20年代の幻灯機は大型で、映写機くらい大きかった。また幻燈用のガラス製スライドの絵柄で、マンガのようなものもあった。「棚からぼた餅」などことわざのスライドだとのことである。もちろん地理や修身の教科用スライドもあった。
運動会で使った太鼓やラッパもあった。子ども用とは思えない大きさだったので、いったいどんな人がどんな曲を演奏したのだろうと想像力をかきたてられる。運動会なのでマーチに類したものだろうとは思うが。
2階の「江戸時代の学び・子どもの遊び」には、栃木県真岡にあった寺子屋「御家流筆蹟稽古所精耕堂」が再現されていた。天保期の創立で、学制以降の1903(明治36)年まで存続したとのことだ。師匠や副師匠の机も展示されていた。
また大型の紙芝居の舞台のようなものがあり、人形が並んでいた。キリスト生誕の光景で似た感じのもの(クリッペ)を東京おもちゃ美術館で見たことがあるが、これは純和風である。聞くと、これは菊地寛の「恩讐の彼方に」で、戦後内田さんという方がリヤカーに積んで町を回って上演していたものだそうだ。
3階「日本人の暮らし」には、べっこう飴製造器、お歯黒つぼ、野良仕事の際、赤ちゃんを入れておくワラ製の籠「いずめ」などがあった。いずめはずいぶん大きいものでどうやら何人かの赤ちゃんを入れることができたらしい。
教育資料の宝庫というべき博物館で、物量に圧倒された。大学のゼミ単位で学生が見学したり、近くの小学生が見学に来ることもあるそうだ。
教育関係の博物館としては、以前、文部科学省「情報ひろば」をみたことがある。また国民学校時代の教育資料は東京大空襲・戦災資料センターで、昭和20年代の子どものおもちゃは昭和のくらし博物館に展示されていたが、これほどまとまって陳列されている博物館を訪問したのは初めてだった。また再訪して、1階の展示を1点1点じっくりながめてみたい。
住所:東京都練馬区豊玉北3-5-5
電話:03-3991-3065
開館:電話予約制
入館料:大人700円 中高生300円 小学生200円