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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

2.11反「紀元節」行動

2010年02月15日 | 集会報告
2月11日(木)建国記念の日に「天皇制の戦争責任を追及する 訪韓で幕引きをさせない!2.11反『紀元節』行動」(主催:2.11反「紀元節」行動)が開催された。雨が降りとても寒い日だったが、デモに90人、集会には80人が参加した。デモに使われた横断幕は小雨に濡れ、色がにじんでいた。

天皇の植民地責任を考える
           吉澤文寿さん(日韓会談文書・全面公開を求める会共同代表)
1 はじめに
今日2月11日に、たまたま岡田外相が訪韓している。ちょど45年前の2月椎名悦三郎外相が日韓基本条約の仮調印のため訪韓し、金浦空港でのランディングステートメントのなかに「日韓両国は古くから一衣帯水の隣国として(略)深いつながりがありました。両国間の長い歴史のなかには不幸な期間がありましたことはまことに遺憾な次第でありまして、深く反省するものであります」という言葉があった。原案にはなかったが韓国政府の要望で追加された文言である。日本の高官がわびているというパフォーマンスには政治的効果があった。パフォーマンスという点で、いま問題になっている天皇訪韓とよく似ている。

2 天皇の名による植民地化、植民地支配
植民地責任という言葉はまだ耳慣れない。植民地支配責任というほうがより直接的かもしれない。ただし朝鮮が日本の植民地だったのは35年だったが、イギリス、フランスなど欧米圏では数百年の支配の歴史がある。旧列強の植民地に対する責任を広く考えるために、研究者は「植民地責任」という言葉を使い始めている。
韓国併合条約第1条は「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」、第2条は「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」である。
つまり韓国の皇帝は日本の天皇に統治権を譲与し、天皇が受諾して併合を承諾するということである。国権を譲与するというフィクションを演出することで、併合が成り立った。
併合にあたり皇帝・純宗(スンジョン)は「いままで韓国皇帝は国づくりに努めてきたが限界に達した。そこで以前から信頼している日本皇帝陛下に韓国の統治権を譲与し、東洋の平和を強固ならしめ、人びとの生活を保全させる」と勅諭で韓国の人びとに語りかけた。欺瞞に満ちた表現である。このときすでに韓国には統監府がおかれ間接的に権力を及ぼし、純宗にこの勅諭を出させて併合を実現させた。小沢幹事長が天皇訪韓について「韓国の皆さんが歓迎してくださるなら結構なことだ」と述べたが、同じ考え方である。
韓国を併合した日本は朝鮮総督府を置き、総督には強大な権力が与えられた。これは官制の第三条「総督ハ天皇ニ直隷シ委任ノ範囲内ニ於テ陸海軍ヲ統率シ及朝鮮防備ノ事ヲ掌ル」に現れている。総督には絶対逆らうことはできず、「小天皇」と呼ばれた。そして35年間専制政治が展開された。朝鮮人は臣民になった。しかし内地と外地は区別され、「二等国民」として統合することが大日本帝国の植民地支配の基本である。植民地は天皇の名により支配された

3 敗戦後の天皇の植民地責任不問
敗戦後、天皇の責任を問う機会は何度かあった。しかし東京裁判で天皇は訴追されなかった。戦争責任はおろか植民地責任さえ問われなかった。直接体験した中国人、朝鮮人が裁判の場にいなかったからだと考えられる。サンフランシスコ講和条約でも同じだった。1965年の日韓基本条約のときも責任には言及されていない。韓国の交渉担当者は、植民地支配下の官僚や日本の大学を卒業したエリートだったので、階級的な限界と指摘せざるをえない。経済協力が優先され被害の実態は解明されず後回しになった。そして日本政府は、謝罪も補償も行わず、分断体制下で国交正常化を実現した。
1984年全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が来日したときの昭和天皇の「お言葉」に「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存在したことは誠に遺憾」という表現があるが、65年の椎名外相とほぼ同じ言葉に止まった。
98年の金大中(キム・デジュン)大統領来日のとき昭仁天皇は「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた一時期がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に私の記憶にとどめられております」と言葉はより巧みになったが、謝罪の言葉はなかった
一方、天皇の植民地責任を追及するうえで画期的だったのは2000年の女性国際戦犯法廷だった。判決天皇裕仁を人道に対する罪で事実認定し、強かんと性奴隷制についての責任で有罪とし、日本政府は国家責任を負うと判定した。
その後10年たち行政・司法レベルでは、不二越訴訟をはじめ、朝鮮人の被害をほぼ全面的に認めているが、補償については日韓基本条約で解決ずみとしている。天皇の罪については認めていない。

4 今日の課題
●天皇訪韓問題
昨年9月李明博(イ・ミョンバク)大統領は、2010年の天皇訪韓実現を望むと記者会見で述べた。しかし韓国の高官のなかには訪韓だけではダメだという人もいる。2月5日鄭雲燦(チョン・ウン・チャン)首相は国会答弁で、「(天皇が)訪問することになるなら、過去に対する確実な反省をし、新しい韓日関係を作るという意思が確かでなければならない」と語った。
日本では和田春樹氏や大沼保昭氏が、天皇は訪韓して弔意を表せと主張している。和田氏は「韓国併合は不法であった」という鳩山談話を出せとも提言する。
しかし、植民地被害者に対する被害と尊厳の回復がなければ、解決にはならない。天皇が訪韓してもけして幕引きにはならない。天皇制が続く限り天皇のパフォーマンスは価値があるので利用されるだろうが、日韓和解を盛り上げるイベントにしかならない。やはり日本政府が謝罪と補償を率先することが重要だ。理想はまず天皇制を廃止し、そのあと韓国や朝鮮に謝罪に行くことだ。
また、尹健次(ユン・コォンチャ)氏が「天皇制と朝鮮(世界2010年1月号)で、日本における天皇制廃止と対置できるのは、韓国にとっては南北統一だと論じている。南北統一なしには日本の植民地支配の問題は終わらない。わたしたちは、そうした状況に一歩でも近づけるように、と考えなければいけない。
●永住外国人の地方参政権問題
わたしが重視したいのは、朝鮮籍の排除の例外規定である。ここには植民地の人間を二等国民として統治したのと変わらない、外国人への日本政府の姿勢が本質的に現れている。一般的に永住権と呼ぶが、けして永住する権利を認めているわけではない。政治的状況により、いつでも許可を取り消せる余地を残している。指紋押捺でも、永住者は撤廃したがそうでない人には指紋押捺や再入国時に顔写真を撮っている。あるカテゴリーにより分別し、恩恵を与えたり与えなかったりするデバイディング・ルールをずっと続けている。参政権でも、韓国籍と朝鮮籍に分断性を持ち込もうとしている。これは南北統一にも逆行する。
植民地がないだけで、日本国内で植民地支配と同じことを続けているといっても過言ではない。
また鳩山首相は東アジア共同体を唱えているが、友好国と北朝鮮のような非友好国を分け、友好国と手をつなごうというものだ。植民地はないが、グローバルなかたちで支配層が「連帯」する、グローバルな帝国体制を構築しつつある状況というべきである。

この後、4つの団体のリレートークがあった。
●「韓国併合」100年 真の和解・平和・友好の実現を求める2010年運動
いまなお続く南北分断状況への日本の戦後責任を問う活動を行っている。2月27日(土)夜、文京区民センターで「今こそ100年に及ぶ不正常な関係に終止符を!」という集会を開催する。集会では、「平和のための日韓共同宣言運動」(仮称)を日韓同時に発表する予定にしている。朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた7月27日まで署名を募り、日韓両政府に提出する計画を立てている。
新しい反安保行動をつくる実行委員会
昨年政権が成立し、鳩山首相自ら「日米関係を見直し対等な日米関係の確立」を唱えている。今年は安保50年の年でもあり、わたしたちはもう一度、安保条約廃棄を前面に掲げる運動をつくろうとしている。昨年いくつかの団体とともに2010安保連絡会を結成し、6月19日(土)に社会文化会館で集会を開催しデモを計画している。
新しい日米関係がどうなるのか示す典型がPKOハイチ派兵である。これは人道的復興支援活動を名目に、自衛隊の海外派兵をよりスムーズにするものなので注意を払うべきである。
日の丸君が代の法制化に反対する神奈川の会
神奈川では1月20日に個人情報保護審査会が再び「起立しなかった教職員の氏名等の情報の利用を停止すべき」という答申を提出した。しかし県教委はいっさい無視し、2月2日「氏名収集の継続」を決定した。
2月10日君が代不起立個人情報保護裁判の第5回口頭弁論が行われた。東京から転任した新しい裁判官のはじめての法廷だった。裁判官が「答申をどう思うか」と質問したところ、県教委は「この裁判とは関係ないので言うことはない」と答えたので、唖然とした。
2月2日の「頑張れ日本!全国行動委員会結成大会」で杉並の山田区長が「外国の人が外国の子弟の教科書に対してそこまで口をはさむのは意思決定違反である。だから区長室への入室は今後はお断りすることにした。もし外国人の参政権が認められるようなことがあれば、こういう人たちが大手を振って地方議会や地方の首長に圧力をかけることになるだろう」と述べた。杉並では扶桑社教科書を4年間使用しているが、横浜でも今年4月から半分以上の中学で自由社版教科書が使用される。また採択区が一区に変えられたので、2年後には全市で歴史改竄教科書が採択されるかもしれない。
そうならないよう運動を続け、2月21日に「『日の丸・君が代』の強制をはね返す2.21神奈川集会とデモ」を開催する。
●沖縄・一坪反戦地主会
名護市長選の翌日、平野官房長官が「斟酌する必要がない」と発言したことに腹を立てている。2月6日に官邸前で一人で「官房長官辞任要求」を呼びかけた。気に入らない選挙は無視するというのは、民主主義の否定である。「テロに訴えろ」と言っているのと同じことになるので「あなたは辞めるべき」と書いた文書を渡してきた。ただ鳩山内閣打倒とは言っていない。次は「官房長官を辞めさせろ」と言おうかと思っている。

☆集会が終了したのは8時半を回ったころだったが、区民センターを出たところで大勢の公安が並んでいた。仕事とはいえ、寒い中御苦労さまなことである。
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