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踊る阿呆に見る阿呆 ラ・フォル・ジュルネ2019の盆ニュイ

2019年05月11日 | コンサート
今年のラ・フォル・ジュルネは15回目、わたくしが見るのはこれで7回目だ。今年のテーマは「ボヤージュ――旅から生まれた音楽(ものがたり)」。当初の作曲家シリーズ、次の都市シリーズに比べ、ここ数年の「自然」「舞曲」「モンド・ヌーヴォ」などはテーマにするほど太い柱になりにくい。今回のボヤージュは「作曲家たちは新たなインスピレーションを求めて異国の地を目指した」という意味だが、ハイドン、モーツァルトはわかるが、その他の人も旅行先の印象でつくった作品はいくつかあるかもしれないが、限定的だ。音楽の内容で「異国情緒豊かなもの」(わたくしが聴いたものでは、ピアソラ、ヴィラ=ロボス、イベール、オルケスタ・ナッジナッジの打楽器アンサンブルなど)、あるいは「移動のイメージ」(わたくしが聴いたものではロボスの「カイピラの小さな汽車」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」)とのコンセプトだけで、3日間のコンサートの中心テーマにすることはむずかしい。
今年は用事が立て込んでいて、初日5月3日の夕方と最終日5月5日の18時半以降しか見られなかった。毎年楽しみにしていたマスタークラスも、残念ながら一つもみることができなかった。
時間に追われたせいもあり、聴く場所が悪いものが多かった。
 
東京ビル「ガレリア」で開催された丸の内エリアコンサートの黒田亜樹(ピアノ)、水谷川(みやがわ)優子(チェロ)デュオ・コンサートを聴いた。長方形の細長いホールだったが、もちろん椅子席はいっぱいで後方の立見席で聴いたところ、ピアノがまるで電子ピアノの音に聞こえた。とくに低音がくぐもった音に聞こえた。チェロはそれほどでもなかったので、席のせいか楽器のせいなのかは不明だ。
黒田さんはミラノ在住、シベリアやキプロスに演奏旅行に行き、水谷川さんはベルリン在住でフィンランドやエジプトに演奏に行くので、2人の存在がまさに「旅ガラス」とのことだった。演奏曲もピアソラの「デカリシモ」、ヴィラ=ロボスの「Divagation(さすらい)」、「黒鳥の歌」「カイピラの小さな汽車」。黒田さんはずいぶん古くからピアソラを取り上げているそうで、さすがいい演奏だった。
黒鳥の歌は原題に忠実な訳なら「黒い白鳥の歌」だそうだ。「カイピラ」の小さい汽車は、たしかに山道をコトコト登る小さい蒸気機関車のようで、オネゲルのパシフィック231を思い起こさせた。初めのほうと終わりのほうの2回、ピアニストがホイッスルを吹き鳴らした。最後の「ル・グラン・タンゴ」(ピアソラ)はたしかに大曲だった。ロストロポーヴィチに捧げるつもりで作曲したのにピアソラの生前には演奏されず、ヨーヨー・マが「リアルタンゴ」でピアソラを流行させてから演奏し始めた、と珍しい話を聴くことができた。ちょうどこの日の夜、「らららクラシック」でバンドネオンの名手・小松亮太の解説で「タンゴの真実~その歴史からピアソラまで」を聞くことができた。
なお、今年はロボスの没後60年、来年がピアソラ没後20年の年に当たるそうだ。

ラ・フォルには無料コンサートもかなりあるが、地下2階のキオスクコンサートやマスタークラスをみるには有料のチケットを1枚買わないと入れないシステムになっており、今年はゲオルギー・チャイゼのピアノのチケットを入手した。チャイゼは1988年サンクトペテルブルク生まれのピアニストだ。しかし座席は3列目の1番、ピアニストの真後ろなので、見えるのは背中だけ、しかも演奏者から5-6mと間近なので、反響音なしで生の音が耳を直撃するような席だった。
曲目は3曲、チャイコフスキー「四季」から6月「舟歌」、ドビュッシー「版画」(搭、グラナダ、雨の庭)、ムソルグスキー「展覧会の絵」。「舟歌」は小舟の揺れを表す伴奏形だ。曲目はよかったのだが、何しろ席が席だけに音楽を「楽しむ」余裕はなかった。音楽の繊細さをまったく聞き取れず、大ざっぱな演奏ではけしてなく、ていねいに弾かれているにもかかわらず芸術性を感じない。また演奏スピードが速めで、かつ曲間の休止も短い演奏で、一般の日本人の好みに合わない演奏スタイルだった。また、入場開始が予定より遅れ、演奏スタートも少し遅れた。ラ・フォルに昔からきている方の話では、「夕方や夜開演のプログラムの場合、ラ・フォルで起こりがちなこと」だそうだ。それで途中で退席せざるをえず、肝心の「キエフの大門」を聴くことができなかったのが残念だった。

岸本祐有乃(ゆりの)指揮、丸の内交響楽団、合唱・丸の内フェスティバルシンガーズ でヴェルディの「椿姫」(ハイライト)を聴いた。直野良平(アルフレード役テノール)と直野資(ジェルモン役バリトン)がとくによかった。高品綾野(ヴィオレッタ役ソプラノ)もよく声が出ていて、美声であることは間違いないが、もうひとつメリハリというか力強さに欠けた。それから岸本祐有乃の指揮が淡々とし、シンプルでよかった。やはり1階は立見席まで満席で、2階に上がらざるをえず指揮を上から見下ろせたからだ。ただ前から3列目くらいだったので、写真をうまく撮ることができず、おまけに舞台の左三分の一はみえず、「令和はじまる まるのうち」という墨書の大きな看板や丸の内ビルのCM動画のみ流すディスプレイがやたら目立つ場所だった。
その他、丸の内合唱団の「新しい歌」(信長貴富作曲)のロルカの「新しい歌」、谷川俊太郎「きみ歌え」を聴いた。高野秀峰指揮だが、こちらは岸本祐有乃のシンプルな指揮と対照的に、オーケストラ並みにアクションの大きい指揮だった。合唱の指揮としては珍しい。
その他、オーボエ、クラリネット、ファゴットの木管三重奏をちらっと聴いた。イベール「5つの小品」はこの組合せのトリオ曲ではもっとも有名な曲の一つとのことだった。たしかに佳作だと思った。
    
オルケスタ・ナッジ!ナッジ!という打楽器バンドをみた。カスタネット、ボンゴ、コンガ、団扇太鼓、カネ、そのほか名前はわからないが太いチューブを口にくわえ音を出す楽器、なぜか鯉のぼりを振りまわしながら吹きまくる。ドラムセットのような複雑な打楽器や銅鑼のような大音量の打楽器はない。アフリカか南米のようなリズムがはっきりした原初的な音楽だ。昨年みた「Percussion Sextet-S」演奏のバーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」(菅原淳編曲)とは違うタイプの、打楽器の素朴な魅力を味わえるパフォーマンスだった。
 
素朴な魅力といえば、最後にみたブラック・ボトム・ブラス・バンド山田うんダンスカンパニーほかの「フォル盆ニュイ」も、まさにその通りだった。トランペット、トロンボーン、チューバ、アルトとテナーのサックス、マーチング・ドラム、小太鼓、和太鼓、カネの8人のグループに10人あまりの踊り手が付き、観客参加の「新世界音頭」を踊る。もちろんドボルザークの「新世界より」のモチーフを使った曲だ。
踊りは3つの要素から成る。ひとつは「グー、チョキ、パー」のじゃんけんポン、2つ目は「ボンジュール、トンベ、アーレイ」、手拍子、手拍子、チョチョンノパッ、3つ目はやさしい風、強い風、大きい風などさまざまな風だ。ただし風のなかで「新しい風、令和の風」だけは、わたくしにはいただけない。それにフリーな自由踊りがつく。詳しくはユーチューブのこのサイトの11分過ぎから17分くらいまで踊り方指導があるのでご覧いただきたい。19分から20分まで歌の練習もある。
阿波踊りと同じく「踊る阿呆に見る阿呆」というか、大人も子どもも男性も女性も、若い人も高齢者も、楽しそうな顔をして踊っていた(サイトの30分以降のところで雰囲気がよくわかる)。
わたくしはたまたま右足を負傷していたので、席に座ったまま上半身だけ動かしていたが、それなりに楽しめた。2年前に阿波おどり会館で踊りをみたときにも思ったが、農耕民族の日本人は集団で盆踊りを踊ることが好きなのだ(ひょっとすると日本に限らず、どの国の日とも好きかもしれない)。
新世界は大阪の新世界かと思ったら、「令和」の新世界、新しい風が吹く新世界だそうで、祝賀ムードをさらに盛り上げようとする点だけは気に入らなかった。

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