今年も国展93回をみに六本木の国立新美術館に行った。国展をみるようになり10年以上、たぶんこれで11回目だ。
いままでみた体験で言えば、絵画部門がいちばん時代を反映する。今年のわたしには、不気味な絵に目がついた。
アメリカンクライシス3(恩田久雄)
不気味というのは、「悲惨な未来」(高橋秀史)、「恨みの海」(野元清)などタイトルからしていかにも不気味なもの、動物と合体した女性、たとえば頭だけ鶏の体育着姿の女性「椅子に座る女性の肖像」(相沢克人 奨励賞)、鶏の成鶏、雛、胎児、それぞれくちばしと趾(あしゆび)が尖っている「WHERE TO(Ⅰ)」(小倉百合子)、戦車を口にくわえるワニとフランス国旗をくわえるネコ、ネズミが前面にでて、バックに爆発する旅客機、帆船、地球にはイギリス、日本、中国などの国旗が張られ、画面左下のアメリカ国旗に白と黒のネズミが1匹ずつ座る「アメリカンクライシス3」(恩田久雄) や河童と人間の出会い「河童考 1」(平松和子)、赤い糸でがんじがらめになった男女、ごていねいにも二人の指は赤い糸で結ばれている「眩惑の契り 」(伊藤真里奈)などがあった。
「悲惨な未来」(高橋秀史)
「悲惨な未来」はいかにも福島第一原発と思われる「東電○○原発工場」の前を奇形の人と動物(たとえばタコや魚、カニ)が歩いている。「恨みの海」は津波に呑みこまれる子を描いた作品だった。
リアルな工場の前で遊ぶ2人の幼児「いざない 19―景」(前田昌廣)も発想が似ていた。国画賞の「翔んでヒロシマ」(西川欣也)は暗い廃墟の原爆ドームのなかを体が丸い3匹のカバが上に浮遊する絵だった。
いつもの人がいつもの作風で出展しているのも、1年ぶりに知人に出会うようで味わい深い。たとえば瀬川明甫、上條喜美子、小西千穂などの作品である。ある絵の前で、若者グループがたむろしていた。年輩の男性にシャッターを10枚ほど押してほしいと頼まれた。記念写真だ。作品そのものが荒波をバックにした修学旅行の記念の集合写真だったのだが、話を聞くとこの絵「刻の流れ」のモデルたち、つまり依頼した方は作家の椎名久雄さん、「教え子たちなんです」とのことだった。
内包(坂本雅子)
彫刻でも、ちょっと不気味な作品があった。「内包」(坂本雅子)は全身に包帯を巻き、なぜかヒマワリの付いたジョウロを手にもつ裸足の男が歩いている。「曼荼羅 波動79-1」(吉村寿夫)はボディは黒だが、赤、白、金など原色の鮮やかな部品がたくさん付いている。子どものころのロボットのイメージで「なつかしい未来」のような気がした。 昨年、国立新美術館の近所でやっていた個展もみた神山豊さんの「Sperm whale」が準会員優作賞を受賞していた。今年は作品下方のハンドルを自分で回すことができた。海の中をクジラが身体を動かして泳ぎ、口を開くと舌まで出てくる。
「小黄花群の季節」(澤村佳世)
さて3階の本命、工芸部である。この季節に合うさわやかな色の作品、たとえば水色のクロス模様の「氷結」(東嶋眞由美)、緑と水色のスクエア模様の「涼やかに」(ヒッチナー千恵)、水玉が薄緑の水中を浮上する「やまなし」(土居ももの)、いかにも沖縄の海の色彩の「ちゅら海の祈り」(鐡屋園子)、華やかだが上品な「わすれな草のラプソディ」(識名あゆみ)など、いくつもあった。またパステルカラーの作品としては、たとえば「花紋様帯地」(小宮三代子)があった。
また「丘の歌」(石黒祐子)や掬い織り訪問着「ジムノペディ」(笠原博司)、シックな黒の花織と絣着尺「竹の春」(和宇慶むつみ)は気品を感じる作品だった。
その他、暖かい作風のものに目がいった。たとえば、淡いベージュの「余韻」(根津美和子)、赤、茶、黄土、緑のクロス柄で織りあげられた「森へ行こう」(山本和子)、菜の花の色ほど強くはないが黄色の「小黄花群の季節」(澤村佳世)
今年の小島秀子さんの作品は、はじめは染かと思った。よく見ると、両側などじつにていねいに織ってある。感心した。
今年の国展でいちばんのショックはルバース・ミヤヒラ吟子さんの逝去だった。「遺作」という表示で「首里花織衣装 紫陽花」が出展されていた。受付で聞くと昨年末68歳で亡くなられたらしい。73年女子美卒、77年国展初入選、83年会員、2002年沖縄県立藝大教授、15年名誉教授というプロフィール。お母さんの宮平初子さん(人間国宝)はお元気とのことだった。
2017年に関谷光生さん(彫刻)の逝去を会場で知って以来のことだった。
ルバース・ミヤヒラ吟子さんの遺作「首里花織衣装 紫陽花」 右下に遺影と略歴
陶芸では、いつものように瀧田史宇や川野恭和、阿部眞士の白磁の作品が好きだったが、なぜか「しのぎ花入」(福島晋平)の深い波模様に引き付けられた。ガラスも「栓付八角瓶」(三宅義一)が素朴で印象に残った。
「嫌な予感がする」(波岸康幸)
版画はいつもは流して歩くだけだが、今年はもう少しゆっくりながめた。気にいったのは「嫌な予感がする」(波岸康幸)、「箱の中になにかいる、何かある、最近、長方形を描くことが多くなりました。今回は水槽になりました。うしろの男はつけたしです」という説明が付いていた。水槽のなかを大きな黒い魚が泳ぐ。水槽にべったりついた手形と凝視する男はたぶん作者自身だろう。「つけたし」という表現がとくに気に入った。不気味というほどではないが、印象が強くいろいろ考えさせられた。
もう1点、「夜明の酒蔵」(西野通広)は三丁目の夕日のような世界で、なつかしかった。版画はいろんな技法があり、銅版、木版、シルクスクリーン、リトグラフという名前は知っていたが内容については知らなかった。その解説パネルが掲示されていた。さらに銅版にもメゾチントと松脂粉を使うアクアチントがある。リトグラフにもウォータレスと木を使うタイプがあるらしい。上記の2つは銅版画と木彫だ。最近はもちろんデジタルプリントもある。
その他、作品の写真を撮れない写真部で、写真部創設80周年記念「小中高生フォトフェスタ」を展示していた。各都道府県別に小中高校生の受賞作750点、受賞39作品が掲示されていたが、月並な感想だが日本の将来は明るいと思った。
☆国展が開催された5月はじめ、有明の東京臨海防災公園の憲法集会に6万5000人もの人が集まった(主催者発表)。安倍首相は憲法9条は維持し、そこに「自衛隊」を書き加え、自衛隊員の子弟が自信を持てるようにしたいというが、「何も変わらないどころではない」と何人もの方が指摘した。とくに高山佳奈子さん(京都大学)の、憲法が「第1章天皇、第2章自衛隊、第3章国民の権利および義務、第4章国会、第5章内閣」という異様な編成に変ってしまう、という指摘には、「不気味なもの」を感じた。 来年のいまごろ、そんな社会になっていなければよいのだが・・・。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
いままでみた体験で言えば、絵画部門がいちばん時代を反映する。今年のわたしには、不気味な絵に目がついた。
アメリカンクライシス3(恩田久雄)
不気味というのは、「悲惨な未来」(高橋秀史)、「恨みの海」(野元清)などタイトルからしていかにも不気味なもの、動物と合体した女性、たとえば頭だけ鶏の体育着姿の女性「椅子に座る女性の肖像」(相沢克人 奨励賞)、鶏の成鶏、雛、胎児、それぞれくちばしと趾(あしゆび)が尖っている「WHERE TO(Ⅰ)」(小倉百合子)、戦車を口にくわえるワニとフランス国旗をくわえるネコ、ネズミが前面にでて、バックに爆発する旅客機、帆船、地球にはイギリス、日本、中国などの国旗が張られ、画面左下のアメリカ国旗に白と黒のネズミが1匹ずつ座る「アメリカンクライシス3」(恩田久雄) や河童と人間の出会い「河童考 1」(平松和子)、赤い糸でがんじがらめになった男女、ごていねいにも二人の指は赤い糸で結ばれている「眩惑の契り 」(伊藤真里奈)などがあった。
「悲惨な未来」(高橋秀史)
「悲惨な未来」はいかにも福島第一原発と思われる「東電○○原発工場」の前を奇形の人と動物(たとえばタコや魚、カニ)が歩いている。「恨みの海」は津波に呑みこまれる子を描いた作品だった。
リアルな工場の前で遊ぶ2人の幼児「いざない 19―景」(前田昌廣)も発想が似ていた。国画賞の「翔んでヒロシマ」(西川欣也)は暗い廃墟の原爆ドームのなかを体が丸い3匹のカバが上に浮遊する絵だった。
いつもの人がいつもの作風で出展しているのも、1年ぶりに知人に出会うようで味わい深い。たとえば瀬川明甫、上條喜美子、小西千穂などの作品である。ある絵の前で、若者グループがたむろしていた。年輩の男性にシャッターを10枚ほど押してほしいと頼まれた。記念写真だ。作品そのものが荒波をバックにした修学旅行の記念の集合写真だったのだが、話を聞くとこの絵「刻の流れ」のモデルたち、つまり依頼した方は作家の椎名久雄さん、「教え子たちなんです」とのことだった。
内包(坂本雅子)
彫刻でも、ちょっと不気味な作品があった。「内包」(坂本雅子)は全身に包帯を巻き、なぜかヒマワリの付いたジョウロを手にもつ裸足の男が歩いている。「曼荼羅 波動79-1」(吉村寿夫)はボディは黒だが、赤、白、金など原色の鮮やかな部品がたくさん付いている。子どものころのロボットのイメージで「なつかしい未来」のような気がした。 昨年、国立新美術館の近所でやっていた個展もみた神山豊さんの「Sperm whale」が準会員優作賞を受賞していた。今年は作品下方のハンドルを自分で回すことができた。海の中をクジラが身体を動かして泳ぎ、口を開くと舌まで出てくる。
「小黄花群の季節」(澤村佳世)
さて3階の本命、工芸部である。この季節に合うさわやかな色の作品、たとえば水色のクロス模様の「氷結」(東嶋眞由美)、緑と水色のスクエア模様の「涼やかに」(ヒッチナー千恵)、水玉が薄緑の水中を浮上する「やまなし」(土居ももの)、いかにも沖縄の海の色彩の「ちゅら海の祈り」(鐡屋園子)、華やかだが上品な「わすれな草のラプソディ」(識名あゆみ)など、いくつもあった。またパステルカラーの作品としては、たとえば「花紋様帯地」(小宮三代子)があった。
また「丘の歌」(石黒祐子)や掬い織り訪問着「ジムノペディ」(笠原博司)、シックな黒の花織と絣着尺「竹の春」(和宇慶むつみ)は気品を感じる作品だった。
その他、暖かい作風のものに目がいった。たとえば、淡いベージュの「余韻」(根津美和子)、赤、茶、黄土、緑のクロス柄で織りあげられた「森へ行こう」(山本和子)、菜の花の色ほど強くはないが黄色の「小黄花群の季節」(澤村佳世)
今年の小島秀子さんの作品は、はじめは染かと思った。よく見ると、両側などじつにていねいに織ってある。感心した。
今年の国展でいちばんのショックはルバース・ミヤヒラ吟子さんの逝去だった。「遺作」という表示で「首里花織衣装 紫陽花」が出展されていた。受付で聞くと昨年末68歳で亡くなられたらしい。73年女子美卒、77年国展初入選、83年会員、2002年沖縄県立藝大教授、15年名誉教授というプロフィール。お母さんの宮平初子さん(人間国宝)はお元気とのことだった。
2017年に関谷光生さん(彫刻)の逝去を会場で知って以来のことだった。
ルバース・ミヤヒラ吟子さんの遺作「首里花織衣装 紫陽花」 右下に遺影と略歴
陶芸では、いつものように瀧田史宇や川野恭和、阿部眞士の白磁の作品が好きだったが、なぜか「しのぎ花入」(福島晋平)の深い波模様に引き付けられた。ガラスも「栓付八角瓶」(三宅義一)が素朴で印象に残った。
「嫌な予感がする」(波岸康幸)
版画はいつもは流して歩くだけだが、今年はもう少しゆっくりながめた。気にいったのは「嫌な予感がする」(波岸康幸)、「箱の中になにかいる、何かある、最近、長方形を描くことが多くなりました。今回は水槽になりました。うしろの男はつけたしです」という説明が付いていた。水槽のなかを大きな黒い魚が泳ぐ。水槽にべったりついた手形と凝視する男はたぶん作者自身だろう。「つけたし」という表現がとくに気に入った。不気味というほどではないが、印象が強くいろいろ考えさせられた。
もう1点、「夜明の酒蔵」(西野通広)は三丁目の夕日のような世界で、なつかしかった。版画はいろんな技法があり、銅版、木版、シルクスクリーン、リトグラフという名前は知っていたが内容については知らなかった。その解説パネルが掲示されていた。さらに銅版にもメゾチントと松脂粉を使うアクアチントがある。リトグラフにもウォータレスと木を使うタイプがあるらしい。上記の2つは銅版画と木彫だ。最近はもちろんデジタルプリントもある。
その他、作品の写真を撮れない写真部で、写真部創設80周年記念「小中高生フォトフェスタ」を展示していた。各都道府県別に小中高校生の受賞作750点、受賞39作品が掲示されていたが、月並な感想だが日本の将来は明るいと思った。
☆国展が開催された5月はじめ、有明の東京臨海防災公園の憲法集会に6万5000人もの人が集まった(主催者発表)。安倍首相は憲法9条は維持し、そこに「自衛隊」を書き加え、自衛隊員の子弟が自信を持てるようにしたいというが、「何も変わらないどころではない」と何人もの方が指摘した。とくに高山佳奈子さん(京都大学)の、憲法が「第1章天皇、第2章自衛隊、第3章国民の権利および義務、第4章国会、第5章内閣」という異様な編成に変ってしまう、という指摘には、「不気味なもの」を感じた。 来年のいまごろ、そんな社会になっていなければよいのだが・・・。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。