寅さん映画50作「お帰り 寅さん」をやっとみた。
映画は満男の夢から始まる。鳥取砂丘の頂上から泉のほうに転がり落ちる夢(44作寅次郎の告白 91.12)、そういえば寅さん映画はいつも寅の夢から始まっていた。赤と黄文字のタイトルバック、江戸川の風景、星野哲郎作詞・山本直純作曲の主題歌も同じだ。しかしなぜか声が違う。画面に現れたのはサザンオールスターズの桑田佳祐だった。よほど寅さん映画が好きだったのだろう。
博とさくらがアップで映る。当然だが老人だ。実年齢(公開時点)は前田吟75歳、倍賞千恵子78歳、第1作から50年、48作「寅次郎紅の花」(95年12月)公開からでも24年の歳月(49作は渥美の死後25作をリメイクしてつくられた特別編)なので、だれも平等に1年に1歳、年をとるので仕方がない。ちなみに登場した元のメンバーの実年齢は吉岡秀隆49歳、佐藤蛾次郎75歳、浅丘ルリ子79歳、美保純59歳、
後藤久美子45歳、夏木マリ67歳、北山雅康(三平ちゃん)52歳だ。わたくしが定期的に寅さん映画を見始めたのは26作「寅次郎かもめ歌」(80年11月)以降だが、観客のほうも同じ年月平等に年を取っている。
第1作から50周年・50作記念のこの映画で、山田監督は時の流れを素直にというか、むしろストーリーや俳優のメイクで強調しているように思えた。倍賞がメガネをかけているのは初めて見たし、前田は無精ひげをはやしていた。美保も「ごごナマ」でみるより年相応の体形に見えた。
満男は女子中学生の父親になっていた。かつて自分が中学生だったのは34作「寅次郎真実一路」(84年12月)のころだったと思う。職業も新入サラリーマン時代は紳士靴の営業だったのが、いまでは脱サラの作家だ(フリーという点では寅さんと似ている)。泉も42作「ぼくの伯父さん」(89年12月)で初登場したときは吹奏楽部後輩でフルートを吹く高校生だったが、やはり2人の女の子の母だ。母親役・夏木マリの当時の年齢をかなり超えている。泉の父は三浦半島にある要介護者の高齢者施設(おそらく特養)に入所している。リリーは年のせいで頻尿になり「今日、もう7回目よ」というセリフまであった。
スタッフでも撮影・高羽哲夫、音楽・山本直純はすでに亡くなっている。
そういえば、小道具として壁のカレンダーが何度か出てきた。満男の部屋にあったものでは11月1日木曜になっていたので2018年に撮影したことがわかる。カレンダーも時間の流れの象徴だったように感じる。
その他、わたくしが50年の時代の違いで気づいたのは電車の違いだ。映画の前半のころはよくSL列車が登場した。その後、新幹線の時代になったが、車両はずいぶん変わった。また柴又駅を発着する名物の京成電車もボディーの色が変わっていた。なお昔の映画にもハワイ行やウィーン行で飛行機が出てきたことはあったが、50作では成田空港が舞台に登場した。ちなみに泉は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)勤務でオランダ在住という設定になっていた。
もちろん街並みや家のなかの家具や家電製品も変わっているだろう。いちばん驚いたのは、とらやが団子屋をやめてカフェになっていたことだった。
「男はつらいよ」の49枚のポスター(寅さん記念館にて)
数々の名シーンが映し出された。第1作での博のさくらへのプロポーズと寅の役回り、柴又駅で寅を見送るさくら、「いいわよ、わたしみたいな女でよかったなら」とリリーとあわや結婚というところまで行ったのに寅の「リリー、それ冗談だろ」の「遠慮」の一言で「冗談に決まっているじゃない」(リリー)で泡と消えてしまったシーン(15作「寅次郎相合い傘」(75年8月))、同じ15作のメロン騒動も再現される。
満男と泉編では、発車間際の新幹線に満男が飛び乗り九州まで同行するシーン(43作「寅次郎の休日」90年12月)や、42作「ぼくの伯父さん」(89年12月)で寅が泉のちょっと意地悪な高校教師の叔父(尾藤イサオ)に「甥の満男は間違ったことはやっておりません」とかばうシーンが出てきた。
これは50作の新たな制作だが、泉とビールで酔った母・礼子が仲違いしたときの満男の「おばさんをなだめられるのは君しかいないんだよ」「ぼくの伯父さんがここにいたら、そう言うよ」「伯父さんも(略)おばさんの話を聞いていたよね。赤の他人なのにさ。優しく笑って、いてあげたよね」というセリフに関連し、夜行列車のなかで寅が礼子の愚痴と怒りをなだめたシーンが再現される(43作「寅次郎の休日」(90年12月))。
ラストに近いところで、マドンナが次々に現れる。全員かどうかまではわからないが、田中絹代や春川ますみまで出てきた。昨年亡くなった京マチ子(18作寅次郎純情詩集 76年12月)、八千草薫(10作寅次郎夢枕 72年12月)、さらに池内淳子(8作寅次郎恋歌 71年12月)、太地喜和子(17作寅次郎夕焼け小焼け 76年7月)まで出てきて大変なつかしかった。技術の力も借りたこういう回顧映画なら大歓迎だ。このシリーズはやはりマドンナへの憧れ映画であることが改めて実感できた。
つまり、主な登場人物や寅さんの典型的な性格やパターンを集めた総集編として出来上がっていた。
話としては、満男と泉の回顧談を中心に、ここ数年「家族はつらいよ」シリーズでテーマにしている高齢化社会の問題点にも少し触れている。泉の父が高齢者施設に入所していた。高齢者住宅や施設の選択は大きな問題だ。じつは「家族はつらいよ3」(2018年5月)はこのテーマではないかと予想していたのだが、「お帰り寅さん」でカスった感じだった。
エンディングは満男が完全に主役だった。妻が6年前に死去したことを成田の別れで泉に告白し、長いキスを交わす。そして自宅で新作『お帰り、寅さん』を「こんな夢を見た。伯父さんが玄関に立っている」とワープロで打ち始める。外は秋の雨。そういえば寅さん映画のラストは、金釘流のハガキが旅先の寅から届くシーンだった。
映画の冒頭に「この作品を渥美清に捧げる」という文字があったが、まさにそういう作品である。
銀座の書店(じつは東京駅前の八重洲ブックセンター)から神保町のカフェに行くのに、なぜ水天宮を回るのか、といった「不自然」問題はあるが、これは映画だから当然許容だ。しかし泉の父が寺尾聰から橋爪功に変わっていたのは、大きな違和感があった。山田監督が「家族はつらいよ」で橋爪や小林稔二を「寵愛」しているのはよくわかるが、寺尾がスケジュールなどの問題で出られないのなら、ほかの役にするべきだった。御前様が、笠智衆から笹野高史に変わっていたのも少し違和感があったが、「先代」という言い方をしていたので違う人物だということはわかる。
こういう問題はあるものの、やはりこの作品は寅さんシリーズの締めの作品、「完結」作だと思った。
なお役者として満男の娘ユリ役・桜田ひよりはきっと山田監督のお気に入りなのだろうと思う。「小さいおうち」(2014)の黒木華のように成長してほしい。ところで娘と亡くなった妻の古くからの親友という設定で、ひとつ思い出した。36作「柴又より愛をこめて」(85年12月)の式根島の小学校教員役・栗原小巻が、50作の担当編集者池脇千鶴の役だった。そういえば父親(川谷拓三)はロシア語出版社の編集者役だった。すでに34年前に試している設定だった。
TOHOシネマズ日本橋 プログラムはこの売店でしか販売していなかった
これを見た映画館はTOHOシネマズ日本橋だった。いつもは丸の内ピカデリーでみているのだが、その日は夕方の回がなかったからだ。初めて行った館だがスクリーンが9つもある大きなシネコンだった。わたくしが入った部屋は100人少ししか入らない小さいスペースだったが、ユナイテッド・シネマとしまえんに似た感じで、設備は新しくゆったりしっかりしていた。
この作品は、できればこのくらい大きなスクリーンで見たほうがよい映画だった。というのは昔の映画を4K用に修復したもので、若いときのさくらや博の表情まで非常にきれいだったからだ。今は亡きタコ社長(太宰久雄)の肌まできれいに見えた。それから不思議なことにセリフの音声まで新たに吹き込んだように鮮明に聞こえた。かつてNHK放送博物館で8Kの試写をみたとき、画面だけでなく音についても宣伝していたのはこういうことだったのか、と納得した。
とはいうものの肝心の客の入りは6-7割、NHKも10月には「少年寅次郎」、1月には「贋作 男はつらいよ 」などをつくりキャンペーンを張っていたのに、これではロングランにはなりそうもない。2年前の「妻よ薔薇のように」は、ノベライズの文庫本まで買って待ち受けていたのにちょっと油断しているあいだに上映が終了してしまった。たとえ配給収入は目標達成できなくても、半年後くらいに間違いなくDVDとなり、そこそこの収入にはなると思われる。
総集編、「完結」作をみて、いつもはしみじみした思いで胸いっぱいになり、かつ笑い疲れたものだったが、この映画は涙が出そうな気になった。実際左隣の若い女性はポップコーンとビール片手に鑑賞していたのに、映画の最後では泣いていたようだった。
寅さん記念館の「くるまや」
映画をみてから久しぶりに柴又の寅さん記念館に行ってみた。チェックすると2013年2月以来なので7年ぶりだ。そのときは山田洋次ミュージアム(2012年開館)を見ることが目的だった。
駅前に、たしかにさくらの像が立っていた。商店街はますます寅さん色が濃くなり、ちょっと露骨な感じがした。高木屋が本家だと思っていたが、その名も「とらや」があり初めの数作はロケ地に使われていたと写真付きで紹介していた。
記念館は昨年4月にリニューアルし、エンディングコーナーを改装「今度はいつ帰るの、桜の咲く頃、それとも若葉の頃?」といったさくらの言葉や歴代マドンナ紹介など、やはり総集編に仕上がっていた。また山田洋次ミュージアムも7年前とは作り替え(場所も変わっていたようだった)、見やすくなり予告編など、映像コーナーのコンテンツが増えていた。
帰りは、いつもは柴又駅から戻っていたが、初めて江戸川べりを上流に散歩し金町に出た。中学の恩師、散歩先生こと坪内先生(東野英治郎 第2作「続・男はつらいよ」(1969年11月))の家は東金町6丁目葛西神社の近くということなので、周辺を歩いたが3階建てのマンションや2階建て木造住宅ばかりで面影はなかった。50年もたっているのだからこれも仕方がないことだ。表参道に陸軍大将・林銑十郎揮毫の石碑があった。
小さいことだが地番表示のプレートは金町(かねまち)で、いままでこちらが読み間違っていたのかと焦ったが常磐線金町駅は「かなまち」になっていた。江古田を練馬区は主として「えこだ」、中野区は「えごた」と読むようなものかもしれない。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
映画は満男の夢から始まる。鳥取砂丘の頂上から泉のほうに転がり落ちる夢(44作寅次郎の告白 91.12)、そういえば寅さん映画はいつも寅の夢から始まっていた。赤と黄文字のタイトルバック、江戸川の風景、星野哲郎作詞・山本直純作曲の主題歌も同じだ。しかしなぜか声が違う。画面に現れたのはサザンオールスターズの桑田佳祐だった。よほど寅さん映画が好きだったのだろう。
博とさくらがアップで映る。当然だが老人だ。実年齢(公開時点)は前田吟75歳、倍賞千恵子78歳、第1作から50年、48作「寅次郎紅の花」(95年12月)公開からでも24年の歳月(49作は渥美の死後25作をリメイクしてつくられた特別編)なので、だれも平等に1年に1歳、年をとるので仕方がない。ちなみに登場した元のメンバーの実年齢は吉岡秀隆49歳、佐藤蛾次郎75歳、浅丘ルリ子79歳、美保純59歳、
後藤久美子45歳、夏木マリ67歳、北山雅康(三平ちゃん)52歳だ。わたくしが定期的に寅さん映画を見始めたのは26作「寅次郎かもめ歌」(80年11月)以降だが、観客のほうも同じ年月平等に年を取っている。
第1作から50周年・50作記念のこの映画で、山田監督は時の流れを素直にというか、むしろストーリーや俳優のメイクで強調しているように思えた。倍賞がメガネをかけているのは初めて見たし、前田は無精ひげをはやしていた。美保も「ごごナマ」でみるより年相応の体形に見えた。
満男は女子中学生の父親になっていた。かつて自分が中学生だったのは34作「寅次郎真実一路」(84年12月)のころだったと思う。職業も新入サラリーマン時代は紳士靴の営業だったのが、いまでは脱サラの作家だ(フリーという点では寅さんと似ている)。泉も42作「ぼくの伯父さん」(89年12月)で初登場したときは吹奏楽部後輩でフルートを吹く高校生だったが、やはり2人の女の子の母だ。母親役・夏木マリの当時の年齢をかなり超えている。泉の父は三浦半島にある要介護者の高齢者施設(おそらく特養)に入所している。リリーは年のせいで頻尿になり「今日、もう7回目よ」というセリフまであった。
スタッフでも撮影・高羽哲夫、音楽・山本直純はすでに亡くなっている。
そういえば、小道具として壁のカレンダーが何度か出てきた。満男の部屋にあったものでは11月1日木曜になっていたので2018年に撮影したことがわかる。カレンダーも時間の流れの象徴だったように感じる。
その他、わたくしが50年の時代の違いで気づいたのは電車の違いだ。映画の前半のころはよくSL列車が登場した。その後、新幹線の時代になったが、車両はずいぶん変わった。また柴又駅を発着する名物の京成電車もボディーの色が変わっていた。なお昔の映画にもハワイ行やウィーン行で飛行機が出てきたことはあったが、50作では成田空港が舞台に登場した。ちなみに泉は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)勤務でオランダ在住という設定になっていた。
もちろん街並みや家のなかの家具や家電製品も変わっているだろう。いちばん驚いたのは、とらやが団子屋をやめてカフェになっていたことだった。
「男はつらいよ」の49枚のポスター(寅さん記念館にて)
数々の名シーンが映し出された。第1作での博のさくらへのプロポーズと寅の役回り、柴又駅で寅を見送るさくら、「いいわよ、わたしみたいな女でよかったなら」とリリーとあわや結婚というところまで行ったのに寅の「リリー、それ冗談だろ」の「遠慮」の一言で「冗談に決まっているじゃない」(リリー)で泡と消えてしまったシーン(15作「寅次郎相合い傘」(75年8月))、同じ15作のメロン騒動も再現される。
満男と泉編では、発車間際の新幹線に満男が飛び乗り九州まで同行するシーン(43作「寅次郎の休日」90年12月)や、42作「ぼくの伯父さん」(89年12月)で寅が泉のちょっと意地悪な高校教師の叔父(尾藤イサオ)に「甥の満男は間違ったことはやっておりません」とかばうシーンが出てきた。
これは50作の新たな制作だが、泉とビールで酔った母・礼子が仲違いしたときの満男の「おばさんをなだめられるのは君しかいないんだよ」「ぼくの伯父さんがここにいたら、そう言うよ」「伯父さんも(略)おばさんの話を聞いていたよね。赤の他人なのにさ。優しく笑って、いてあげたよね」というセリフに関連し、夜行列車のなかで寅が礼子の愚痴と怒りをなだめたシーンが再現される(43作「寅次郎の休日」(90年12月))。
ラストに近いところで、マドンナが次々に現れる。全員かどうかまではわからないが、田中絹代や春川ますみまで出てきた。昨年亡くなった京マチ子(18作寅次郎純情詩集 76年12月)、八千草薫(10作寅次郎夢枕 72年12月)、さらに池内淳子(8作寅次郎恋歌 71年12月)、太地喜和子(17作寅次郎夕焼け小焼け 76年7月)まで出てきて大変なつかしかった。技術の力も借りたこういう回顧映画なら大歓迎だ。このシリーズはやはりマドンナへの憧れ映画であることが改めて実感できた。
つまり、主な登場人物や寅さんの典型的な性格やパターンを集めた総集編として出来上がっていた。
話としては、満男と泉の回顧談を中心に、ここ数年「家族はつらいよ」シリーズでテーマにしている高齢化社会の問題点にも少し触れている。泉の父が高齢者施設に入所していた。高齢者住宅や施設の選択は大きな問題だ。じつは「家族はつらいよ3」(2018年5月)はこのテーマではないかと予想していたのだが、「お帰り寅さん」でカスった感じだった。
エンディングは満男が完全に主役だった。妻が6年前に死去したことを成田の別れで泉に告白し、長いキスを交わす。そして自宅で新作『お帰り、寅さん』を「こんな夢を見た。伯父さんが玄関に立っている」とワープロで打ち始める。外は秋の雨。そういえば寅さん映画のラストは、金釘流のハガキが旅先の寅から届くシーンだった。
映画の冒頭に「この作品を渥美清に捧げる」という文字があったが、まさにそういう作品である。
銀座の書店(じつは東京駅前の八重洲ブックセンター)から神保町のカフェに行くのに、なぜ水天宮を回るのか、といった「不自然」問題はあるが、これは映画だから当然許容だ。しかし泉の父が寺尾聰から橋爪功に変わっていたのは、大きな違和感があった。山田監督が「家族はつらいよ」で橋爪や小林稔二を「寵愛」しているのはよくわかるが、寺尾がスケジュールなどの問題で出られないのなら、ほかの役にするべきだった。御前様が、笠智衆から笹野高史に変わっていたのも少し違和感があったが、「先代」という言い方をしていたので違う人物だということはわかる。
こういう問題はあるものの、やはりこの作品は寅さんシリーズの締めの作品、「完結」作だと思った。
なお役者として満男の娘ユリ役・桜田ひよりはきっと山田監督のお気に入りなのだろうと思う。「小さいおうち」(2014)の黒木華のように成長してほしい。ところで娘と亡くなった妻の古くからの親友という設定で、ひとつ思い出した。36作「柴又より愛をこめて」(85年12月)の式根島の小学校教員役・栗原小巻が、50作の担当編集者池脇千鶴の役だった。そういえば父親(川谷拓三)はロシア語出版社の編集者役だった。すでに34年前に試している設定だった。
TOHOシネマズ日本橋 プログラムはこの売店でしか販売していなかった
これを見た映画館はTOHOシネマズ日本橋だった。いつもは丸の内ピカデリーでみているのだが、その日は夕方の回がなかったからだ。初めて行った館だがスクリーンが9つもある大きなシネコンだった。わたくしが入った部屋は100人少ししか入らない小さいスペースだったが、ユナイテッド・シネマとしまえんに似た感じで、設備は新しくゆったりしっかりしていた。
この作品は、できればこのくらい大きなスクリーンで見たほうがよい映画だった。というのは昔の映画を4K用に修復したもので、若いときのさくらや博の表情まで非常にきれいだったからだ。今は亡きタコ社長(太宰久雄)の肌まできれいに見えた。それから不思議なことにセリフの音声まで新たに吹き込んだように鮮明に聞こえた。かつてNHK放送博物館で8Kの試写をみたとき、画面だけでなく音についても宣伝していたのはこういうことだったのか、と納得した。
とはいうものの肝心の客の入りは6-7割、NHKも10月には「少年寅次郎」、1月には「贋作 男はつらいよ 」などをつくりキャンペーンを張っていたのに、これではロングランにはなりそうもない。2年前の「妻よ薔薇のように」は、ノベライズの文庫本まで買って待ち受けていたのにちょっと油断しているあいだに上映が終了してしまった。たとえ配給収入は目標達成できなくても、半年後くらいに間違いなくDVDとなり、そこそこの収入にはなると思われる。
総集編、「完結」作をみて、いつもはしみじみした思いで胸いっぱいになり、かつ笑い疲れたものだったが、この映画は涙が出そうな気になった。実際左隣の若い女性はポップコーンとビール片手に鑑賞していたのに、映画の最後では泣いていたようだった。
寅さん記念館の「くるまや」
映画をみてから久しぶりに柴又の寅さん記念館に行ってみた。チェックすると2013年2月以来なので7年ぶりだ。そのときは山田洋次ミュージアム(2012年開館)を見ることが目的だった。
駅前に、たしかにさくらの像が立っていた。商店街はますます寅さん色が濃くなり、ちょっと露骨な感じがした。高木屋が本家だと思っていたが、その名も「とらや」があり初めの数作はロケ地に使われていたと写真付きで紹介していた。
記念館は昨年4月にリニューアルし、エンディングコーナーを改装「今度はいつ帰るの、桜の咲く頃、それとも若葉の頃?」といったさくらの言葉や歴代マドンナ紹介など、やはり総集編に仕上がっていた。また山田洋次ミュージアムも7年前とは作り替え(場所も変わっていたようだった)、見やすくなり予告編など、映像コーナーのコンテンツが増えていた。
帰りは、いつもは柴又駅から戻っていたが、初めて江戸川べりを上流に散歩し金町に出た。中学の恩師、散歩先生こと坪内先生(東野英治郎 第2作「続・男はつらいよ」(1969年11月))の家は東金町6丁目葛西神社の近くということなので、周辺を歩いたが3階建てのマンションや2階建て木造住宅ばかりで面影はなかった。50年もたっているのだからこれも仕方がないことだ。表参道に陸軍大将・林銑十郎揮毫の石碑があった。
小さいことだが地番表示のプレートは金町(かねまち)で、いままでこちらが読み間違っていたのかと焦ったが常磐線金町駅は「かなまち」になっていた。江古田を練馬区は主として「えこだ」、中野区は「えごた」と読むようなものかもしれない。
●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。