昨年の年末12月21日、東京で2人、大阪で1人死刑が執行された。2019年12月末からほぼ2年止まっていたのにもかかわらず、しかも10月の岸田内閣誕生で法相に就任しまだ2カ月半しかたたない古川禎久法相(自民・宮崎3区)の手によるものだった。
そこで「古川禎久法相による死刑執行に抗議する集会」が1月26日夕方、衆議院第二議員会館で開催された(主催:公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本、NPO法人監獄人権センター、「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク、死刑をなくそう市民会議、被害者と司法を考える会、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)。主催6団体は執行当日に記者会見を行い、それぞれ政府へ抗議文も提出した。
集会では、4人の方からスピーチがあり、そのトップは安田好弘弁護士だった。安田弁護士は高齢かつ基礎疾患があるため、この日はリモート参加だった。
安田好弘弁護士(リモート参加)
今回の死刑執行は、執行継続という政策目的、あるいは政策補強のため、政治目的で行われた典型的な事例だと思う。また今回は吉川法相が過去の大臣声明を一歩越え積極的に発言したので、きわめて危険な人だと判断し法相宛要請書を作成し、届けた。この要請書に対する回答を役所を通して受け取ったが「死刑制度を見直す必要があるとは考えていない」というものだった。過去の法相は「慎重に検討する」との姿勢がみられたが、吉川法相にはまったくみられず居直っている。
スピーチの中心は、専門家の精神鑑定で何度も問題ありとの結果にもかかわらず執行した問題、再審請求中の死刑執行、執行通告後1-2時間で執行する人道上の問題といった「今回の死刑執行の問題点」だったので、総まとめとして最後に紹介する。
なお土井裕明・日本弁護士連合会副会長から、吉川法相に関し次のコメントがあった。
日弁連は、新法務大臣が就任するたび死刑執行を停止するよう要請している。古川法相には昨年12月初めに要請書を届けたとき少し話ができたが、表情も変えず法務省の公式見解しか話さない。これは危ないかもと思ったら、年末に執行した。そこでその日の夕方、抗議文を届けた。
フリーライター・片岡健さんはで何人もの死刑囚と面会し「平成監獄面会記―重大殺人犯7人と1人のリアル」(笠倉出版社2019年2月)など何冊もの著書を出版している。大阪拘置所で執行された藤城康孝さんと2度面会された。この日はリモートで参加された。
フリーライター・片岡健さん(リモート参加)
藤城康孝さんは、一晩で両隣の2家族7人を刃物と金槌で殺害したことと、報道された写真が険しい顔だったことで、凶暴な人というイメージを持たれている。しかし2013年面会室で会うと第一印象は真逆だった。夏でタンクトップ、短パン姿で現れ、小柄で手足はやせ細り弱々しい印象だった。表情は穏やかでのほほんとした感じ、芸人のHさんのような感じだった。性格は律儀な人だと思った。取材のための面会希望の手紙の返事が「とてもとても片岡さまの望みにお答えすることができかねます。まことに申し訳ありませんが、取材は辞退いたしたく思います」とていねいな言葉づかいで、返信用に入れておいた切手のについて「救援連絡センターに寄付させていただきました。そのことをご了承ください」。律儀に、かつきれいな字で書かれていた。
ことわる理由は「拘置所職員のいやがらせやいじめを受け」「自分の裁判のことよりいじめが気になり、精神的にそれどころではない」というものだった。では「職員のいじめ」について話を伺いたいと手紙を出し、拘置所に行くと「いじめ」の話を聞かせてくれた。
具体的には、拘置所収容者は自分で弁当を買うことができるが「買ってきてもらった弁当の中身が片方に寄っているので、それはいじめだ」とか「房で用便中、看守が行ったり来たりしてじっと見つめてくる、これはいじめでひどい目にあっている」という。
しかし弁当が片方に寄っていることは普通にある。また看守は監視が仕事で、用便中は衝いたてを立てるので、自殺予防など通常より厳しく監視するのも不思議なことではない。鑑定医が責任能力について心神耗弱と診断したが、これも妄想性障害の影響ではないかと思った。また藤城さんには軽い言語障害があり滑舌が悪いが、職員に「そんなしゃべり方しかできんのか」といわれ、それもいじめだと訴えた。職員がどんな言い方をしたかはわからないが、コミュニケーションがうまく取れず、双方にストレスがたまっていたと考えられる。
「自分の命がかかった最高裁への上告以上に、いじめが気になる」というのは、責任能力以前に訴訟を受ける能力にも問題がある。本来医療施設に入れるべき重篤な精神障害がある、と思った。
この事件は未然に防げなかったのか、大変気になった。藤城さんは小学生のときから同級生に見下されバカにされたと思い、ナイフを持ち追いかけたことがあり、中学のときに実際刺したこともあった。事件を起こしたのは40年後だが、そのあいだ苦しみを抱えていたはずだ。
2度面会したあと拘置所を訪ねたり手紙を出したが、会えなくなった。1年ほどして藤城さんから最後の手紙が届いた。「片岡さんから心づくしを受けたのにまことに申し訳ないですが」とあり「お元気でがんばってください」とあった。「心づくし」とは心当たりがなく考えたが、初めの面会のとき売店で買い差し入れたジュース3本とお菓子のことだと気づいた。そんな些細なことをずっと覚えていて、最後にわたしを励ましてくれる。そんな藤城さんが「全部、藤城が悪い」と死刑判決を受け、執行されたのがこの12月のことだった。
高根沢智明さんと小野川光紀さんは同じ事件だが、高根沢さんは控訴を取り下げた。高根沢さんの一審弁護士で、かつ昨年12月11日東京拘置所で病死した岩森稔さんの再審請求を含め弁護を務めたのが、村木一郎弁護士(埼玉弁護士会)だ。
村木一郎弁護士
1990年に弁護士登録し今年で32年になる。その間死刑求刑が9件、判決で死刑は5件だが控訴審で無期になったのが2件、原審無期で控訴審で逆転死刑が2件あり、その一人が岩森さんだ。高根沢さんは弁護士になって31年目にはじめて死刑執行された人だ。ただ信頼関係をうまくつくれず、東京高裁での控訴審は東京の弁護士にお任せした。しかしその方が控訴を取り下げたと聞き、愕然とした。したがって再審請求などの話は別の方に聞いていただいたほうがよい。
昨年12月に亡くなった岩森さんは、わたしが担当し自然死した2人目の死刑囚だ。1人目は埼玉愛犬家殺人事件の関根元さんだった。岩森さんは2年前に体調を崩し、とくに昨年10月以降、東京拘置所5階の病舎と房を行ったりきたりの状態だった。
死刑確定の人は病舎に入ると安心する。なぜなら日本では病気をすっかり直し健康体にしてから執行する、逆にいうと病舎にいる間は執行がないからだ。岩森さんから「2年近く執行がない。オリンピックも終わったので国会閉会から12月28日のあいだが危ない」といわれ28日に面会予定を入れたが、11日に死亡の連絡があった。ただ身内の人が遺品・遺骨の引取りを拒絶した。関根さんのときは身内が引き取ることになり、火葬にも立ち会えたし遺品引取りもできた。岩森さんは、火葬に立ち会えず遺骨は刑務所で共同墓地に埋葬するとのことだった。遺品引取りは可能だった。刑務所に入ってから色鉛筆で絵を描くのが好きで、毎年翌年のカレンダーをつくっていた。
自然死は本当は幸せなはずだ。しかし死刑囚にとっては、元気になると死刑を執行されるというのは普通の感覚ではない。自分の弁護士生活31年で無期懲役確定者は42人いるが、仮釈放された人はゼロだ。法務省は前年のデータを11月に公表するが、無期懲役確定者1200人のうち仮釈放になるのは10人未満、一方自然死する人が200人いる。つまり現在無期懲役は限りなく終身刑に近い。
わたしは死刑は日本から1日でも早くなくなるべきと思う。死刑存知の理由のひとつに犯罪被害者遺族の感情を挙げる人がいる。しかし死刑廃止した国では被害者遺族が嘆き苦しんでいるかというと、むしろ逆だ。廃止しているからこそ国は、被害者遺族をていねいに扱っている。死刑制度は、犯罪被害者遺族に対し、もっとも野蛮でもっともローコストの対策であることに気づくべきだと思う。
岩井信弁護士
わたしは小野川光紀さんの控訴審、上告審、再審請求を行い、今回2度目の再審請求中に死刑執行を受けた。
一審判決に「(高根沢さん、小野川さん)両名の刑事責任に違いはない」と書かれている。わたしは小野川さんの弁護人として、心理学者に供述分析してもらったり客観的事実などから、2人のあいだに主従関係があったことを強調した。しかし執行の場面では2人同時に執行された。そういう意味で一審判決どおり共犯者の執行は同時にされた。
この2年近く死刑執行はなかった。わたしの推測に過ぎないが、日本政府は一定数の執行をしようとし、2年の空白を埋めるため、共犯事件なので2人、それに1人を加えて3人執行するという判断をしたのではないか。高根沢さんには東京拘置所でも、主従関係があったという前提のもとに質問をし続けた。その人が同時に執行されたのが今回の執行だ。
12月21日朝、わたしは別件で東京拘置所に向かっていた。9時半ごろスマホの共同電で死刑執行を知り、胸騒ぎを覚えた。普通30分後くらいにどの場所で何人執行したか発表するが、その日はないまま拘置所に着いた。それで急遽再審請求中の2人との接見申し入れをした。
すると奥の部屋に呼び出され、接見受付主任がわたしの面会票を示すので「何ですか」というと「探しましたが、いませんでした」という。思わず「そんなことないでしょう! 執行でしょう!」と叫んでしまった。胸騒ぎが現実になった。
2019年3月第二次再審請求をし、8月に補充書1,11月から20年1月まで毎月ひとつ、補充書4まで提出し、証拠開示請求も提出した。難しい事件なので、そのあとは補充書や新証拠を出すことはできなかった。ところが21年4月埼玉地裁が検察に求意見を出した。双方の意見を聞いた後、裁判所は判断を下す。7月に検察が意見書を出し、9月24日地裁は証拠開示の職権発動をしないと連絡してきた。しかし再審請求の判断はしないままだった。それで12月を迎え胸騒ぎを覚えることになったのだ。弁護しなかったから狙われたというしか、自分の心のなかにはない。
再審請求中の執行は大きな問題がある。昨年9月東京高裁は、難民不認定処分通知の翌日強制送還したスリランカ人の出入国在留管理庁に対する訴えに「裁判を受ける権利(憲法32条)を侵害し、違法」という判決を出した。再審請求中の執行は、この世から退去強制しているのだから極限のかたちだ。憲法が保障する「裁判を受ける権利」をまったく保障しない事実としか言いようがない。日本の最高裁は、ここでいう「裁判」は公開の裁判に限るというが、英語では「裁判にアクセスする権利」と書かれている。再審請求中の死刑執行はアクセスする権利を奪うものだから、憲法32条違反だと思っている。再審請求は刑事訴訟法で認めているのだから、国が強制的に終わらせるのは「背理」というしかないとわたしは思う。
昨年12月15日、執行の6日前に小野川さんから手紙を受け取った。「今年は証拠開示請求に対し裁判所が『開示しない』と判断しました。先生方が提出した証拠を最初に目にしたとき『このようなものがあるのか』と正直驚きました。『これはすごいぞ。証拠開示されるのではないか』と期待していたわたしは、裁判所が下した判断を知り当然落胆しました。同時に、落胆するというのも悪くないなと思いました。何かを期待する、というあの感覚を久しぶりに味わえたからだと思います。先生方のご尽力のおかげで、わたしは何かを期待するができました。というより、いまも現在進行形で期待しています」
その6日後、現在進行形の「期待」を過去形にさせたのが国だ。
集会タイトル(モニター画面より)
冒頭に記した、安田弁護士のスピーチのなかの「今回の死刑執行の問題点」を紹介する
1 再審請求中の死刑執行
3人のうち高根沢さんと小野川さんのケースだ。2017年から、毎回再審請求中の人を公然と死刑執行している。
2 精神鑑定を無視した執行
藤城さんのケースだが、1審で精神鑑定が2回行われ、2回とも「責任能力に問題がある」との鑑定結果が出た。控訴審でも同様の鑑定が出た。専門家の意見をことごとく無視し、最高裁も含め「責任能力あり」としている。おそらく7人殺害しているので、死刑にしないわけにいかないという刑罰的意図が露骨に読み取れる。公正な裁判を受ける権利が保障されたのか疑問だ。
3 事前告知されず、人道に反する執行
3人に当てはまる。執行当日、突然呼び出され執行を告知され、その1-2時間後に処刑される。これではいつ執行されるかという恐怖に毎日さらされ、それだけでなく異議申し立てや弁護人の助力も求められず、人間らしく死を迎える心構え、あるいは最後にお別れをしたい人に会う、または遺言をしっかり書く機会も与えられないまま執行される。これは人道に反する残虐な刑だ。憲法にも国際人権規約にも違反する。いま大阪で、執行に当たっては十分な時間的余裕を求める訴訟が進行している。
4 裁判を受ける権利を保障しない「控訴取り下げ」の死刑確定
控訴を取り下げた高根沢さんのケースだ。憲法は「十分に裁判を受ける権利」を保障し、三審制が採用している。高根沢さんは一審だけで死刑が確定した。公正な裁判とはいえない。この点でも問題がある。
5 法律の権限に基づかない死刑執行者
拘置所の職員が執行のボタンを押しているが、執行者について法律の権限がなく、殺人行為に類する行為だ。死刑執行を含む刑罰は法律に基づくべきだ(憲法31条)。調べると130年前、内務省訓令で、看守の補助者である押丁(おうてい)が死刑執行を行うことになっていた(その後1908年に、看守に改定)。
ところが1991年新しい職務規定がつくられたとき、削除された。2006年の「刑務官の職務執行に関する訓令」でも削除されたままだ。だれが死刑執行するか、法律の規定がない。刑事訴訟法で、法務大臣が命令し検察官が指揮する、検察官や刑事施設の長が立ち会うという規定はあるが、だれが執行するかという規定はない。無法状態にあるなかで、刑務所職員が施設長の命令で執行させられている。この点でも今回の執行の違法性を問わなければならない。いま東京地裁で、死刑制度をめぐる個別具体的な訴訟をしている。
個別具体的な死刑制度の問題点を取り上げ考えてもらう機会が広がってきた。アメリカにみられるように死刑廃止の流れが強まっているが、日本のなかでも廃止の流れをもう少し大きくつくり出す必要がある。
死刑廃止と存置の間を埋めるべく、架け橋を用意すべき、具体的には「終身刑の創設」を呼びかけるべきだと、わたしは考える。そして死刑制度の個別具体的な問題に関する裁判を起こしたり、国会で死刑について議論を展開してほしい。いま死刑は法務省に恣意的に実施されているが、重大な刑罰、国家権力の行使であり、一度間違えると取り返したつかない危険ものなので、国民主権、法治主義の観点からも国会で議論していただきたい。
小さい会場だったが、この集会には、高良鉄美(沖縄の風・参 沖縄)、鎌田さゆり(立民・衆 宮城2)、石川大我(立民・参)、打越さく良(立民・参 新潟)の4議員が参加、木村英子(れいわ・参)議員のメッセージが読み上げられた。鎌田議員は法務委員会の野党次席理事、高良議員も委員会メンバーで憲法学の学者、石川議員は福島みずほ議員(社民)とともに12月に法務省に「死刑をしないよう」申し入れをした。
フォーラム90のような国民のなかの社会運動に加え、ぜひ国会でも死刑制度に関する積極的な議論がわき起こることを祈る。
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