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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

人道支援で日本と朝鮮の平和な関係の構築を

2014年01月30日 | 集会報告
1月18日(土)、飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターハンクネットの「人道支援で日本と朝鮮の平和な関係の構築を」という集会が開催された。
ハンクネットとは、1998年8月のテポドン騒ぎで日本政府からDPRK(北朝鮮)への支援がいっさい中止されたため、人道的な観点から子どもたちに粉ミルクを送る団体である。99年6月大阪で結成され、2012年までの支援の総額は2372万円、粉ミルクの総量は2万674kgに上る。
この日は、2012年に訪朝した竹本昇代表と朝鮮大学校の李英哲(リ・ヨンチョル)准教授の講演をお聞きした。

1 ビデオによる訪朝報告  ハンクネット代表世話人竹本昇さん

1998年8月末テポドン打ち上げの際、他国は人工衛星と報じたのに日本だけはミサイル発射実験と断定して報道し、それまで日本政府も市民団体も北朝鮮に人道支援をしてきたのに、ごく少数の市民団体を除いて中止し敵対関係が醸成された。
秋に2人の友人が「いっしょに支援活動に取り組もう」と訪ねてきた。じつはそのときわたくしは9月7日に息子を難病で亡くした直後で、なにもする気になれなかった。しかし、関東大震災のときに日本の民衆が官憲のデマに乗せられ、朝鮮人を虐殺したのと、ミサイルというデマで共和国の赤ん坊を見捨てるのは同じ罪を繰り返すことになるのではないか、いったいどう違うのか、という思いが強くなり、ハンクネットに加わる決意をした。
その後、わたしは7回訪朝したが、日本では、ミサイル発射実験、核実験、拉致をネタに、どんどん排外主義が強くなっていった。日本では、人道主義より朝鮮への排外主義が上回っている。わたしたちは粉ミルクで、人道支援を行っている。
最近の張成沢(チャン・ソンテク)処刑で、多くの人は「こわい国」だと思っている。しかしルーマニアのチャウシェスク夫妻処刑や東京裁判での7人のA級戦犯処刑ならそれほどには思わない。「ほかの国ならよいが『北朝鮮』の場合は悪い」というダブル・スタンダード、これが日本の排外主義、排外意識である。わたしたちは、敵対でなく友好関係をつくっていきたい。
そして2012年11月訪朝のビデオによる報告に移った。朝鮮赤十字、ピョンヤンの育児院、ウォンサンの映像が映し出された。赤十字の説明では、北朝鮮は1995年から連続して自然災害を受け、2012年には大雨、台風、洪水に見舞われトウモロコシなど農作物の被害は60年ぶりの大きさだった。
育児院には50人の赤ちゃんがいた。粉ミルクはピョンヤンで調達したドイツ製の製品だ。日本の粉ミルクはセシウム汚染の疑いがあるので、日本製並みの品質のドイツ製にしたのだ。
子どもたちが、ビデオに映った自分の姿を発見し、大騒ぎしていた。子どもは世界のどこの子もかわいい。その他、ハナ音楽情報センターやリンゴ園の情景、ピョンヤン市内の幼稚園が紹介された。
ハンクネットの活動には2つの課題がある。ひとつは粉ミルクを送り栄養不良の子どもの健康を回復することだ。そしてもうひとつは、日本の市民に、共和国の実態を知らせることだ。そういう活動により日朝の友好な関係を早く築けるように今後も頑張りたい。

現在日本における「分断」状況・植民地主義を考える
            李英哲・朝鮮大学校准教授

わたしは1974年生まれで、激動と混乱に満ちた90年代に高校・大学生活を送りながら思想・人格を形成した。1992年には、高校の修学旅行で、同年初就航した「万景峰(マンギョンボン)1992号に乗りはじめて故国の地を踏んだ。
2000年代に朝鮮学校の日本語教員となった。現在の専門は日本語文学だ。
今日わたしが言うところの「分断」という言葉にはさまざまな含意がある。朝鮮半島の分断はもちろん、在日朝鮮人の朝鮮からの分断、日本人と朝鮮人との分断、在日朝鮮人同士の分断、日本人同士の分断などである。
わたしは在日で、朝鮮人で、三世で朝鮮人だが母語は日本語、かつ朝鮮学校で日本語を教えるというユニークなポジションにいる。わたしだけでなく、在日朝鮮人はみな自己の内に、相互に葛藤・対立する分断・分裂を抱えている「複雑怪奇」な存在だ。

●さまざまな分断
朝鮮人にとって「分断」と言えば、さしあたり朝鮮半島の分断を指すだろう。しかし「分断」とは単に国土や民族が二つに分断されているということだけではない。植民地主義とは分断統治を基本とする。他国や他民族を支配するとき、敵・味方、支配・被支配だけでなく親日・反日といった内部分裂を必ず持ち込む支配の常套手段である。
植民地としての実効支配、実際の統治が終わっても、当時の観念、たとえば差別や優越意識などを信念として、他者を植民地時代と同じように取り扱い続けることに対し、植民地主義と呼び批判する必要がある。歴史的に継続する植民地主義により、さまざまな「分断・分裂」が今日なおも朝鮮人に持ち込まれている。
在日は朝鮮半島から分断している。また在日のなかでも、総連か民団かというだけでなく、総連コミュニティ内部で、あるいは民団コミュニティ内部での分断もある。民族よりも個人の権利や自由が大事というのは一見普遍的に聞こえる言説だ。しかし、「お前が嫌いだから差別する」のではなく「お前が朝鮮人だから差別する」という集団的なアイデンティティや集団的な権利を否定し暴力をふるってくるにもかかわらず、それに対抗する論理が個人の権利や自由、人権一般に限られてしまえば克服は難しい。朝鮮人差別の問題を個人の人権の問題一般に切り縮めるのは「普遍化のワナ」である。
分断統治による植民地支配期から連続する朝鮮分断に対し、日本は歴史的責任をもっている。日本は敗戦直後から、米軍政に「共産主義者たちが暴れまわっている」と申し入れ、南朝鮮には日帝時代の警察機構がそのまま残されて共産主義者を弾圧した。日本は主体的に植民地支配責任を否定し、今日まで継続中である朝鮮半島の分断と戦争に加担してきた。朝鮮戦争は決して「対岸の火事」ではなかった。国連軍(実質はアメリカ軍)とDPRKは戦争が続いている。だから沖縄に米軍基地の75%が集中しているのだ。さらにアジアからみると沖縄は「悪魔の島」だ。かつて米軍機が沖縄から朝鮮半島を爆撃し、その後、ベトナム、イラク、アフガンに飛んだ。そういう他者からの視線をまったく無視してきたツケが回ってきているのがこんにちの日本の状況だ。しかしながら歴史的責任からさらに自らを分断する動きが強いといえる。また朝鮮問題に限れば、「北朝鮮」を悪魔化し、あるいは嘲笑、蔑視し、上から目線で「貧乏な国」「朝鮮学校にカネをやるかどうかは、こちらのサジ加減次第」という乱暴な論理がまかり通っている。

●「制裁政治」と「制裁文化」
たんに朝鮮人が嫌いとか、差別するというのでなく、政治的意図をもって弾圧する。90年代後半からの公権力の制裁政治に呼応するかたちで、今日民衆の草の根排外主義が噴出しているのが現在の状況だ。「日本に都合の悪い教育をするな」と内容・内面に至るまで侵略する。かつて小沢有作がそう呼んだように、これは「教育侵略」そのものである。一方、朝鮮学校当事者は、「北朝鮮とは距離を置いている」「小中学校では指導者の肖像を下している」など、どんどん制裁する側に「弁明」を強いられる構図になっている。「踏み絵」と同じだ。アメリカンスクールでヒロシマ・ナガサキへの原爆をどう教えているかということを文科省はチェックしているのだろうか。「北朝鮮」制裁の一環として、就学支援金からの除外が公然と行われているのである。
在特会は「よい韓国人も、悪い韓国人もみな殺せ」というプラカードを掲げている。いみじくもこのスローガンは本質を正直にいっている。朝鮮人を総体として否定しているのだ。
植民地主義的言説は、まず「北朝鮮」に「負」「悪」のアイデンティティを刻印する。ステレオタイプ化するわけだ。一方「真正」なアイデンティティをねつ造し強要する。たとえば片山さつき議員は通名に関し、なぜ通名を使わざるをえなかったのかという歴史をまったく無視して「帰化すればよい」と強要する。言葉が暴力、脅迫となって押し付けてくる。さらに支配するものを序列化、選別し共犯関係を創出する。そして「無知」「無関心」を構造化し再生産する。やり方は簡単だ。教えず、知らせなければよい。つまり教育とマスコミだ。
そのような中で、自己を表現し自己決定することがすなわち脱植民地化の過程である在日朝鮮人にとって、あらかじめ自己を表現する力が奪われている。
DPRKの人々は、過剰なくらいに自分たちの正しさを誇示する。それはアイデンティティを徹底的に否定されてきた存在は、それを力づくではね返し、自尊感情を回復するには徹底的に自己肯定する必要があるからだ。分裂・分断の対極にあるのが統一や団結だ。分断を克服し、統一や団結をさまざまな犠牲をともなってでも至上課題とし実践し続けてきた、その脱植民地化過程をこそ認識することが肝要だ。
朝鮮人弾圧の次には必ず日本人弾圧が来る。歴史をみてもそうだ。1910年は朝鮮強制占領(日韓併合)の年だが、同じ年に大逆事件が起こり近代天皇制絶対主義が確立した。1923年関東大震災時には朝鮮人虐殺が発生したが、同時に大杉栄・伊藤野枝を虐殺した甘粕事件や亀戸事件が起こった。朝鮮戦争前夜には1948年の阪神教育闘争が起こり朝鮮学校、在日朝鮮人団体が暴力的につぶされたが、その後日本は逆コースを歩み、再軍備の道を進んだ。これらの歴史は過去のものではない。朝鮮問題、在日朝鮮人弾圧を奇貨として国内をしめつけ、軍国化を着々と進める今日の日本の状況そのものである。
関東大震災時に秋田雨雀が述べたように、朝鮮人は日本人の敵ではない。日本人を苦しめるのは日本人自身なのである。「北朝鮮」問題、朝鮮学校問題とは日本問題にほかならないということをあらためて訴えたい。
状況は一層厳しく、もはや遅きに失している感はあっても、だからこそ朝鮮人と日本人とが粘り強く対話を続け、互いに分断しない場をつくること、増やしていくこと。出会って話し、課題を共有し、連帯を積み重ねていくこと。それが急務である。

☆前回わたくしがこの会の集会に参加したのは、2008年12月14日アカデミー千石での「ほんものの和解を――人道支援と戦後補償、そして日朝国交樹立」という集会だった。当時でもけして北朝鮮と日本の関係はよくなかったが、あれから5年、ヘイトスピーチが公然と街のなかで叫ばれ、一般の人、とくに女性の「北朝鮮」嫌いも当然のようになり、政治家が「朝鮮学校への補助金は、市民の理解を得られない」と堂々と発言する社会になった。
なんの展望もないが、細々とでも粉ミルクを送る運動を日本のなかで続けることは、後世からみればきっと意義ある活動となるだろう。


◎2014年2月3日李英哲さんの部分を書き換えた。
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