多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

「専守防衛から先制攻撃」の流れに反対し、国際友好を進める

2022年12月01日 | 集会報告

いま日本政府は、アメリカからミサイルを爆買いしてまで先制攻撃する態勢を整備しようとしている。戦後の日本の国是・専守防衛を止め、先制攻撃により戦争しかける国に「防衛のあり方」を閣議決定で変えようとしている。
こうした政府の方針、協力する軍需産業のやり方に反対し、平和を守るため国際友好を図る最近行われた3つの行動とイベントを紹介する。

11月30日(木)夜、日比谷公園野外音楽堂で「軍事費増やして生活壊すな!改憲反対!カルト癒着の政治をただせ 11・30in日比谷野音(主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会 参加1500人)が開催された。
主催者あいさつの要旨を紹介する。
政府の有識者会議は11月22日防衛力強化に関する提言を岸田首相に手渡した。敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有は不可避で、裏付けとなる防衛力強化財源は国民全体で負担することを視野に入れなければならないとこの提言は憲法9条の下、専守防衛を国是としてきた従来の防衛政策の見直しに直結する、国民全体への増税を提言している。今後国会で徹底的にとことん議論を尽くすことが重要だ。
戦後日本は平和憲法のもと専守防衛の方針で、軍事大国への道を否定し歩んできた。しかし憲法違反の安保法制が強行成立し、現岸田政権では防衛費の増額、敵基地攻撃能力の保有、軍事産業の育成に乗り出すなど、戦後日本の専守防衛という平和国家の秩序すら捨て去り世界第三位の軍事大国の道を歩み始めようとしている。
一方11月10日の衆議院憲法審査会では、再び自民党から緊急事態条項創設に向けたツメの議論が求められ、また公明党や国民民主党からは緊急時の国会議員の任期を延長する憲法改正について議論を進めることが要請されている。
この緊急事態事項条項は、三権分立という憲法秩序を停止し政府に権力を集中させるもので、過去の緊急事態条項が濫用された戦時の歴史を考えてあえて現憲法では除外されてきた。わたしたちは過去の戦争遂行に緊急事態条項が利用されたことを重く受け止め、改憲発議阻止に向けて全力をあげて取り組んでいかなければならない。

スピーチした国会議員は、近藤昭一(立憲民主)、小池晃(共産)、くしぶち万里(れいわ)、新垣クニオ(社民)、伊波洋一(沖縄の風)の5議員。軍拡一本やりではなく、外交の重要性が強調された。
そして、市民の発言として、統一教会は霊感商法だけでなく戦後政治の闇を支えたとの有田芳生さん、新たな米軍用の訓練基地がつくられようとしている鹿児島県馬毛島で反対運動をする山口光典さん、学校給食無償化を訴えるいけだりょうこさん、それぞれ興味深いスピーチだったので、このサイトで視聴していただけると幸いだ。
集会終了後、衆参の国会請願デモに出発した。

第2梯団は女性のみの集団だった


11月29日昼前、丸の内の三菱重工業本社前で、STOP大軍拡アクション要請行動があった。参加したのは島じまスタンディング、武器取引ネットワークなどの市民23人。いままさに敵基地攻撃の先制攻撃用兵器「12式地対艦誘導弾」というミサイルを長距離射程に開発量産するのが三菱重工業である。ミサイルの長射程化の中止を求める要請行動だった。ミサイル開発には時間を要するので、防衛省はその間のつなぎとしてアメリカから巡航ミサイル「トマホーク」を5年で最大500発購入しようとしている読売11月30日
本社ビルの前で「三菱重工は長距離ミサイルを開発するな!」「三菱重工は死の商人になるな!」の声がこだました。
東京のほか、このミサイルを実際につくる三菱重工小牧北工場(名古屋誘導推進システム製作所)前でも同じ時刻に10人弱の人が要請書を手渡した。東京は強風で落ち葉が舞っていたが、小牧は雨のなかの行動だった。
なお、三菱は事前に交渉した際「こういう書類は受け取る立場にない」と繰り返し、アルソックの守衛の方が代わりに受け取ることになった。守衛は「受け取る立場」にあると考えているのだろうか?
 

しかも受取場面の撮影はできるが、守衛の方の背も撮ってはいけないとの条件付きだった。要請文のなかで三菱重工業の「社会的責任が厳しく問われている」ことを指摘したが、受取拒否する会社としての姿勢もやはり社会的に問題である。
なお東京新聞・望月記者が取材していた。

戦争回避の最善策は国家間の外交、その基礎となる人びとの友好だ。政府からすれば最警戒国の朝鮮、中国も含め、日本、韓国の4国の子どもたちの絵画展が開催された。
11月26日(土)午後、末広町のアーツ千代田3331へ「南北コリアと日本のともだち展(主催:南北コリアと日本のともだち展実行委員会)をみるため訪れた。
わたくしがみるのは3回目だが、この展覧会は21世紀がスタートした2001年に第1回を開催した。
各国の子どもたちの絵画とメッセージによる展覧会で、韓国はパートナー団体「オリニオッケドンム」(肩を組み合うともだち)が協力して43枚の絵を集め、朝鮮は平壌市内のルンラ小学校、チャンギョン小学校の生徒の29枚の絵、中国は延辺朝鮮自治州の州都・延辺のこどもの絵32枚、日本は東京、奈良、兵庫、福岡などから65枚、合わせると169枚ものこどもの作品が集まり、スペースの関係で一部が展示された。今年からタイトルも「ともだち展 ぷらす」と「プラス」が付くようになったそうだ。なおこのサイトの「ともだち展ぷらす」のページですべてみられる。
今年のテーマは「わたしのニュース」、たとえば「お母さんや妹と映画をみにいった」(韓国・4年)、「作家になるのが夢なので、家で本をたくさん読んでいる」(韓国・4年)、「youtubeをやっているが、フォロワーがふえない」(韓国・3年)、「テコンドークラブで、かわら2枚を割っている」(朝鮮・4年)、「サッカーで、センターフォワードをしている」(朝鮮・3年)、「品川水ぞくかんでイルカショーをみた」(日本・2年)、「ママとアイスやさんに行った」(日本・1年)、「VRにはまっている」(中国・5年)、雨の日にともだちといっしょにアコーディオンをひいた」(中国・6年)などがあった。それぞれの生活がよくわかる。絵の表現や雰囲気が国によりずいぶん違うと思った。コメントが長めで状況がわかりやすかった。
また、今年は海老名香葉子さん(エッセイスト)の「平和のために――忘れてはならないこと」というギャラリートークがあった。

海老名さんは1933年生まれ、敗戦のときは11歳、3月10日は沼津への縁故疎開で難を逃れたが、東京・深川で暮らしていた両親、祖母、兄弟はみな亡くなった。それを知らせにきてくれた兄とも生き別れになったこと。敗戦3か月後実家があった場所に戻り、あちこち遺骨探しをしたがとうとうみつからなかったことなど、戦争と大空襲の悲惨な体験を語った。
また、母の実家の建物疎開での取り壊し、金属供出で中学生の兄が大事にしていた顕微鏡や自転車のホイール、祖母の嫁入り道具の簪(かんざし)やはめていた金歯まで供出したことなど、戦時中の貴重な体験を語った。
「南北コリアと日本のともだち」のイベントでのトークだったので、ご自身が出会った朝鮮人の思い出をいくつか紹介された。まず近所に住んでいた鉄くず屋のおじさん夫婦、学校に上がる前「カヨちゃん、歌いな」といわれ「夕焼け小焼け」「お手々つないで」などを歌うと「じょうずだね」とほめてくれた。また短冊形で真っ白な「朝鮮アメ」をもらい甘くうれしかった思い出、差別はまったくなく普通につきあっていた
次に18歳で結婚し21歳のころ結核で入院していたとき相部屋だった女性の思い出。互いに子どものころの歌を歌おうと誘われ屋上で歌った歌、そのとき教えてもらった「トラジ」「アリラン」はいまも海老名さんの得意曲になっている。
林家こん平が弟子だった時代、海老名さんは10日ほどほとんど寝ずに働いたため心臓の病気になった。そのとき近くの診療所でみてもらい、念のために心電図を撮り、これはすぐ入院したほうがよいと手配してくれたのが、李先生で、命の恩人と思っている。
その後、「東京都平和の日」企画検討委員会委員になり40年になる。また大空襲の被災者慰霊のため寛永寺に「哀しみの東京大空襲」、上野公園に「時忘れじの塔」をつくるのに力を注いだ。この日の南北コリアとの子どもの交流もそうだが、もっともっと広げ世界中の人が交流し合って平和が続きますようと、話をしめくくった。
下町出身ということは知っていたが、口調は「聞こえましたの」「登っていきましたの」と上品で少し驚いた。話にあわせ「トラジ」「アリラン」や、「たくましく たたしく生きよ」の歌詞の「疎開児童の歌」など歌も入る心に響くトークだった。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 手漉き和紙体験をした2022ま... | トップ | 被害と加害の町、広島・呉を歩く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

集会報告」カテゴリの最新記事