今年はアニメ版「鉄腕アトム」が放映されて50年の年だ。そこで練馬区立石神井公園ふるさと文化館で「鉄腕アトム放送50周年記念 アトムが飛んだ日」という特別展が開催された。
「鉄腕アトム」は1952年(昭和27年)4月から月刊誌「少年」(光文社)に連載され、59年3月から1年あまり実写版鉄腕アトムが放映された。そして63年1月1日から4年間、アニメ版がフジテレビ系列で放映された。
ロボットは、21世紀の現在、ホンダの二足歩行ロボットASIMOが有名だ。そして青年団によるアンドロイド演劇、大型トレーラーで都心を宣伝しているロボットレストランというものまである。
手塚は59年に結婚し、60年に練馬区谷原町(現・富士見台2丁目)に家を新築し61年には手塚治虫プロダクション動画部を設立した。
会場でアニメの第1回「アトム誕生の巻」が放映されていた。
科学省の天馬長官は一人息子のトビオを溺愛していた。ところがトビオは高速道路上の交通事故で死んでしまう。嘆き悲しんだ長官は「永遠に死なない」少年のロボットをつくることにした。製造場面でBGMはショスタコーヴィチの交響曲4番、アトム誕生ではベートーヴェンの5番で、手塚がクラシック好きであったことがよくわかる。さてアトムの体は何年たっても大きくならない。博士は「なぜ大きくならない!」と怒ってロボットサーカスに売り渡してしまう。ロボット同士で闘うよう命令されるが、心優しいアトムは「そんなひどいことはいやです。そんなことできません」と断る。またテントが火事になり団長が下敷きになったときは、自らエネルギー切れで危ない状態だったのに救出する。
わたくしはまったく覚えていなかった。元旦の放映なので、もしかすると見ていないのかもしれない。
会場にはその他、1941年に上海で公開された中国初のアニメ「西遊記 鉄扇公主の巻」、1947年に40万部も売れた手塚の「新寶島」、1962年に虫プロで制作したアニメ「ある街の物語」などが展示されていた。
付録として「アトムの七つの威力とは何か」というボードがあった。実写版のテーマソングに「ジェット推進十万馬力」という言葉があるので、ジェット推進や十万馬力はすぐ思いつく。そのほか「目がサーチライト・カメラ」「聴力が人間の一千倍」もいわれてみればそうだったかなと思う。さらに「お尻からマシンガン」「60カ国の言葉を理解できる・どんな難しい計算も一秒で解ける」というのもあるそうだ。
帰りに富士見台の虫プロに行ってみた。富士見台の駅の南西700mほどのところにある。手塚は73年の倒産を経て74年に下井草に引っ越し、その後東久留米に引っ越したので、練馬とは縁がなくなったと思っていた。しかし、経営上のつながりはないものの新・虫プロはこの地で生き残っていたのである。
空をこえて ラララ
星のかなた
ゆくぞ アトム
ジェットのかぎり
鉄腕アトムのメロディ(谷川俊太郎・作詞、 ?井達雄・作曲)は50年後のいまも現役で高校野球や大学野球の応援で使われている。数十年前、わたしが中学に入学したとき吹奏楽部がこの曲を演奏した。テレビと同じように聞こえて感激した。そのままクラブに入部した人も多かったと思う。
そういう曲はほかにもあった。古関裕而作曲「オリンピック・マーチ」である。先日NHK-FMで1964年1月に放送された森正指揮・東京フィルハーモニーのオリンピック・マーチをやっていた。しかしそれはわたくしの知っている曲と少し違いがありピッコロや鉄琴が大活躍していた。いくつかバージョンがあるのかもしれない。
「鉄腕アトム」は1952年(昭和27年)4月から月刊誌「少年」(光文社)に連載され、59年3月から1年あまり実写版鉄腕アトムが放映された。そして63年1月1日から4年間、アニメ版がフジテレビ系列で放映された。
ロボットは、21世紀の現在、ホンダの二足歩行ロボットASIMOが有名だ。そして青年団によるアンドロイド演劇、大型トレーラーで都心を宣伝しているロボットレストランというものまである。
手塚は59年に結婚し、60年に練馬区谷原町(現・富士見台2丁目)に家を新築し61年には手塚治虫プロダクション動画部を設立した。
会場でアニメの第1回「アトム誕生の巻」が放映されていた。
科学省の天馬長官は一人息子のトビオを溺愛していた。ところがトビオは高速道路上の交通事故で死んでしまう。嘆き悲しんだ長官は「永遠に死なない」少年のロボットをつくることにした。製造場面でBGMはショスタコーヴィチの交響曲4番、アトム誕生ではベートーヴェンの5番で、手塚がクラシック好きであったことがよくわかる。さてアトムの体は何年たっても大きくならない。博士は「なぜ大きくならない!」と怒ってロボットサーカスに売り渡してしまう。ロボット同士で闘うよう命令されるが、心優しいアトムは「そんなひどいことはいやです。そんなことできません」と断る。またテントが火事になり団長が下敷きになったときは、自らエネルギー切れで危ない状態だったのに救出する。
わたくしはまったく覚えていなかった。元旦の放映なので、もしかすると見ていないのかもしれない。
会場にはその他、1941年に上海で公開された中国初のアニメ「西遊記 鉄扇公主の巻」、1947年に40万部も売れた手塚の「新寶島」、1962年に虫プロで制作したアニメ「ある街の物語」などが展示されていた。
付録として「アトムの七つの威力とは何か」というボードがあった。実写版のテーマソングに「ジェット推進十万馬力」という言葉があるので、ジェット推進や十万馬力はすぐ思いつく。そのほか「目がサーチライト・カメラ」「聴力が人間の一千倍」もいわれてみればそうだったかなと思う。さらに「お尻からマシンガン」「60カ国の言葉を理解できる・どんな難しい計算も一秒で解ける」というのもあるそうだ。
帰りに富士見台の虫プロに行ってみた。富士見台の駅の南西700mほどのところにある。手塚は73年の倒産を経て74年に下井草に引っ越し、その後東久留米に引っ越したので、練馬とは縁がなくなったと思っていた。しかし、経営上のつながりはないものの新・虫プロはこの地で生き残っていたのである。
空をこえて ラララ
星のかなた
ゆくぞ アトム
ジェットのかぎり
鉄腕アトムのメロディ(谷川俊太郎・作詞、 ?井達雄・作曲)は50年後のいまも現役で高校野球や大学野球の応援で使われている。数十年前、わたしが中学に入学したとき吹奏楽部がこの曲を演奏した。テレビと同じように聞こえて感激した。そのままクラブに入部した人も多かったと思う。
そういう曲はほかにもあった。古関裕而作曲「オリンピック・マーチ」である。先日NHK-FMで1964年1月に放送された森正指揮・東京フィルハーモニーのオリンピック・マーチをやっていた。しかしそれはわたくしの知っている曲と少し違いがありピッコロや鉄琴が大活躍していた。いくつかバージョンがあるのかもしれない。