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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

3・1朝鮮独立運動90周年集会

2009年03月06日 | 集会報告
朝鮮が日本に併合されて9年後の1919年3月1日、ソウルで独立宣言朗読と市内デモが行われその後、朝鮮全土に独立運動が広まっていった。梨花学堂(梨花女子高等学校の前身)の柳寛順(1902-1920)はデモの指導をしたとして逮捕され、17歳で獄死した。
90年後の3月1日(日)午後「和解・平和・友好の実現を求める3・1集会 100年にも及ぶ不正常な関係に終止符を」が文京区民センターで開催された(主催 3・1集会実行委員会 参加198人)。第一部は、渡辺健樹・日韓ネット共同代表からオバマ政権の米朝関係の見通し、それにもかかわらず続く日本の北朝鮮制裁、来年は併合100年の年であることなど、状況分析を踏まえた主催者あいさつから始まり、高嶋伸欣さんの講演が行われた。

講演 歪められた歴史認識の現実と克服に向けて
         高嶋伸欣(のぶよし)琉球大学名誉教授
日本人はなぜアジアの人を平気で虐殺したり虐待できたのだろう。背景に、福沢諭吉の脱亜論にみられるようなアジア蔑視が日本中に浸透していたことがある。この点、戦前の学校教育にも責任があり、歴史よりむしろ地理のほうが重い責任があったと考えている。
1975年に地理の教材用の写真を撮影するため、東南アジアを訪問した。農村の食堂の方に「この村で日本軍の住民虐殺があった。その証拠を見せてあげよう」と追悼碑に案内された。こういう埋もれた歴史を何とか掘り起こさないといけないと強く思った。日本に戻って学術文献を探したがみつからない。そこで大学の歴史の先生に相談すると、東洋史の研究は中国、インドが中心で、東南アジアの、しかも現代史に近い部分を研究している人はいないといわれた。それなら自分たち教員が現地の人の証言を集めるしかないと考え、現地に通い始めた。
昨年秋、田母神俊雄・航空幕僚長の論文「日本は侵略国家であったのか」が話題になった。書いている主張は藤岡信勝がいままで言ってきたこととほとんど同じだ。藤岡が教育関係の雑誌に論陣を張り始めたとき多くの歴史教育者は相手にせず、冷ややかにみていた。その2年半のあいだに自民党保守派がこれは使えそうだと判断してバックにつき、文部省を動かし「つくる会教科書」を扶桑社から発行した。90年代前半に藤岡の主張をたたいておけば、ここまでいかなかったはずだ。藤岡は八木秀次と主導権争いを演じ、個人的な影響力は大きく落ちた。それに代わって出てきたのが田母神だ。いま月に20回の講演をこなし「英雄」扱いされている。
中西輝政・京大教授はWiLL1月号の「田母神論文の歴史的意義」で、田母神論文のなかの「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい(略)日本だけが侵略国家だといわれる筋合いはない」の「日本だけ」がキー・ワードだと指摘する。ところが田母神論文では「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」と結論づける。これは、「日本が侵略国家だ」と主張する人は「欧米列強も侵略国家だ」と言ってくれない、だから相手の主張は全面的に×である。それなら逆に自分は「日本は侵略国家ではない」と主張してよいはずだ、という論理である。単純な○×二元論に立つ認識で、おそまつである。こういう人が航空幕僚長になったのだから、海外ではあきれられる。安倍首相のバックアップがあったとしか考えられない。
また水島総・チャンネル桜社長は同誌のコラム「テレビ捜査班」で、「日本の全政党、全マスコミが一体となって田母神氏の発言と存在を抹殺せんとする理由」は「東京裁判史観に基づいた米中韓朝イデオロギー同盟の日本支配」だと主張する。田母神論文は、東京裁判史観が悪い、いまも日本人を惑わせる諸悪の根源だと指摘している。
ところが「昭和天皇・マッカーサー会見」(豊下楢彦 岩波現代文庫 2008.7)によれば、1951年4月15日マッカーサーが解任され帰米する前日天皇を訪ねたとき、天皇は「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付、此機会に謝意を表したいと思います」と述べている。天皇が戦犯にされなかったからだ。マッカーサーは「私はワシントンから天皇裁判に付いて意見を求められましたが勿論反対致しました」と応えた。マッカーサーは、次はソ連の共産主義との対決なので、日本を早く自由主義陣営に引き込みたかった。そのためカミカゼ特攻隊にみられる日本人の狂信的な天皇崇拝を利用しようと考えたからだ。その代わり戦争責任をすべてA級戦犯・東條英機たちにかぶせた。
10年近く前に「プライド 運命の瞬間」という、東條がいかにがまん強かったかを描いた長編映画をみた。この映画には、事実なのではしょり切れなかったシーンがある。検事が「天皇の意思に反し勝手な政策実行をしたことがないか」と質問し、東条は「天皇の忠実な臣下だったので、おそれおおくてできない」と答えたため、検事があわてて休廷にしたシーンだ。検事は、ああいう発言では天皇が最高責任者だったことになるので取り消すよう説得する。「天皇を戦犯にしてよいのか」と言われた東條は「わたしは不良な臣下になってしまう」と七転八倒の苦しみを味わう、という映画だった。東京裁判史観が間違いだというなら、天皇の「謝意」に反するし、天皇の処刑に結びつくことを覚悟して発言しているのかと問いたい。
今年の11月13日、平成天皇在位20周年奉祝行事が行われる。わたしたちはこれを逆手に使い、天皇制とは何か、本当に必要なのか、問い直す機会にしたい。朝鮮支配の時代の天皇制がいまも続いていると日本の民主化はまだまだだとアジアの人は考えていることを、東南アジアに通い続けて痛切に感じる。

第2部は、この集会で恒例のノレの会のミニコンサートから始まった。ギターと太鼓(チャンゴ)の伴奏が付く。「君のための行進曲」を参加者全員で合唱した。

     君のための行進曲 (イムル ウィハン ヘンジンゴッ)
愛も名誉も名も残さずに
命かけようと誓いは燃える
同志は倒れて 旗のみなびく
やがて来る日までひるむことなく
時は行くとも山河に響け
われらの叫び つきない喊声
立ち上がれ友よ かばねを越えて
いざ前に進まん かばねを越えて


韓国ゲストの特別アピール
1980年5月の光州事件で最後まで全南道庁に立てこもった4人が、元「全南道庁」保存のための共同対策委員会訪日団として登場した。最も若い安盛玉(アン・ソンオク)さんが代表してスピーチした。
ノレの会の歌を聞いて涙がでてきた。この歌は独身のまま若くして亡くなった夜学の先生ユンニグさんと同僚のパクキスンさんを結婚させてあげようとしてつくられた歌だ。
わたしは今年数えで47歳、光州事件のときは17歳の高校2年生だった。5月18日に大学生が「全斗煥、戒厳令を撤回せよ」とデモを始めた。軍は、たんなる取り締まりではなく弾圧を開始した。75万人の光州市民のうち20万人が市民軍に参加し、自分も角材を握った。21日13時ごろ市民が国歌を歌っていると軍が発砲し、40人が即死し200人が負傷した。「軍が市民に発砲する。こんなことがあってよいのか」と血がにえたぎり、彼らは「敵」だと思った。軍に抵抗するには銃を握るしかないと決意し、15時に市民4000人が武器庫を襲撃し、軍を追い出した。市民は全南道庁を占拠し、この日から10日間、光州はコミューンになった。しかし自主管理で、銀行、宝石店への空き巣、泥棒は1件も発生しなかったし、一般市民がのりまきや食料を差し入れ、市民軍を支えてくれた。
5月27日明け方、装甲車、戦車、ヘリコプターが現れた。そのとき道庁には500人の仲間のうち女性7人を含む157人が立てこもっていた。機関銃が乱射され、高校生は恐怖におののいた。「君たちは外に出て歴史の証言者になってほしい」といってくれた先輩もいた。しかし157人は命をかけて道庁を守ることを決意した。この日の凄惨な戦いで、15人が死亡、50人が負傷、31人が憲兵隊に連行され、内乱罪をデッチあげるため拷問を受けた。わたしもその1人だ。
いま全南道庁が取り壊されようとしている。後世の人に伝えるためにこの建物を遺すべきだ。日本の人が原爆ドームを保存するのと似た思いだと思う。わたしたちは251日間座り込みをして反対運動を行った。最後まで闘うつもりだ。
最後に光州地方出身の金大中・元大統領の言葉をみなさんに紹介する。「行動しない良心は偽善である

このあと、2つの報告があった。金東鶴・在日本朝鮮人人権協会事務局長は、昨年10月29日新宿商工会および11月27日在日本朝鮮商工連合会を税理士法違反容疑で強制捜索したこと、今国会に提出される見通しの新たな在留管理制度など、在日コリアンの人権状況について、西野瑠美子・VAWW-NETジャパン共同代表は「慰安婦」問題解決のための最近の動きを報告した2月26日集会での報告とほぼ同じ内容だったのでこちらを参照)
また沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック許すな!憲法改悪・市民連絡会からアピールがあった。

☆この集会には主権回復を目指す会が会場前に日の丸を掲げて押し寄せ「寄生虫の反日朝鮮人、出て行け」「売国日本人」などとハンドマイクで演説し騒然とした。また外国人参政権に反対する会・東京の村田春樹が入場し、高嶋さんの講演が終わったところで主催者から退場させられた。この動画によれば、村田氏には「君のための行進曲」が「同期の桜」のメロディに聞こえるそうだ。
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