山へ行こう!

自然に触れ、可憐な花を愛でる人生に乾杯!

空を見よう・・・

2009-10-31 | ひとりごと
今日は講師が石原良純氏による
記念講演会を聞きに行ってきた

気象予報士らしく
演題は「空を見よう」であった

入口前には部会関係者が
お弁当や自店の商品を
並べているところだった

昨年よりはテントの場所も良く
天気も爽やかな秋晴れで
最高の日だった

講演会に来た知人を見つけると
数人に呼びかけをして誘った

元連合会の局長さんと
うちの職員が挨拶を交わしていた

見逃さずに帰りに寄ってくれるよう
手招きでPRした

たぶん、大変なのに捉ってしまったと
思われたかも知れないが

さすがに律儀です
ちゃ~んと寄ってお弁当を
買っていかれました

開演時間が近づくと
会場へ向かった

有名なタレントなので
満員の人だった

自身や家族の話し
気象予報士を受験した切っ掛け
天候にまつわるあれこれ
大河ドラマでのことなど

ユーモアを交えて
楽しく語っていた

テレビでは大柄に見えるのですが
実際はスマートな男性だった

青い空の色は
水蒸気に反射するスペクトルの虹色で
青だけが目に認識でき
青く見えると言うのだ

てっきり、海の色が反射して
青色なのだと思っていた

ストレスが溜まっり
海や山に行く時間がなかったら
「空を眺めよう」という括りだった

無限に広がる宇宙の神秘
太陽、地球、水、風、の
4つの要素のどれ1つが欠けても
この地球のようにはならないらしい

講演内容よりも
最近はその話し方に
興味を持っている

なので、今のシーズンは
各所で講演会があるので
聞きに行っている
明日は看護大へ行く予定です

講演会が終了すると
直ぐにテントへと走った

いまこの時に売らないと
売れ残ってしまうと思ったので

帰って行く人達に
大きな声で呼び込んだ

なんとかお弁当は完売した
安心したら次は
お客さんが持っていた
本が気になって
図書館祭りの会場へ向かった

1冊10円で古本を処分していた
一回りして購入しようと思った本を
手に取り会計をしてもらった

気になっていた本が
次の会計の待っていた人が持っていた

どこかで見たことがあり
声を掛けてみた

お陰で貸してもらえることになった
手には入らなかったが

ご縁がある本らしいので
ご好意に甘えた

今年は割りと読書量が
多いほうなのだ

秋の夜長を
読書の秋しています


柿が切っ掛け

2009-10-29 | ひとりごと
良い天気でしたね~
柿の収穫に「もってこい!」の
秋晴れでした

お手伝いの心算が
いつの間にかお手伝いでは
無くなっていたという
怖いこの事実

追い討ちをかけるように
あまりにも計画性がないので

本当に県立大学の準教授が
やっている事業なのかと
疑ってしまうほどのこの企画

柿が話題の表に
出てきたときには

何だか悪い予感が
していたのですが
案の定です

柿のオーナーから始まって
締め切りが近いのに
あまりにも少ない参加人数

それで新聞社に協力依頼
この新聞社には
大きく取上げてもらったので

終了後、事業報告を
しなければなならないのだが

まあ、協賛しているのだから
あんまり恥ずかしい人数では
様にならないので
利用させてもらったのだが

今回は関わってすべき確たる意図が
何も見えないので困ったものだ

やってることが
手を結ぶべき相手を
勘違いしているよう感じるし

商を巻き込む前に
当然に農にも声をかけるべきでは
なかろうかと思う・・・ような事業なのだ!

学生相手なので
子供のお遊びに大の大人が
振り回されているようにも
感じてしまう

何にでも興味を持って
一生懸命に取組むことで

人のつながりが広がり
未知の物への知識が広がり
(この柿に関しては無知ではないかも)

それが強いては
商売のヒントにもなるのかな~と
思うのです

しかし、実体の見えないこの企画
とんでも無いところに
足を踏み入れてしまったように感じるが

ここまで来てしまったら
今更、放り出す訳には
いかないだろう・・・し

当日は担当者が不在の中での
助っ人の足掻きとなってしまった

まだ、木に残った柿の処理も
することになってしまったのだが

渋が抜けなかった場合を考えると
実は評判にも繋がるので

非常に怖いものがあるのですが
解ってもらえないようですねえ~

まあ、ここまできたら
諦めて音頭を取るしか
ないのでしょうかね~

関係者の中でこれに関しては
一番解っているようなので

少しでもPRができれば良いかな~
位に思ってやろうっと

しかし、こんな事になってしまうとは
夢にも思わなかった

これも運命?

新型インフル

2009-10-28 | ひとりごと
いよいよ、新型インフルエンザウィルスが
近辺に迫ってきたようです

時間の問題と
なってきたようですが
できることなら
罹らずにいたいものです

万全の予防といっても
接客においてマスクで応対するのも
何かと不便さがあるので
しないでいますが

どこから、だれから等と
暢気なことを言っている場合でなく

もう空気中には
飛び交っているようなので

とにかく、栄養と睡眠を充分にとって
免疫力を強化したいものですね

今日も
何気にマスクの原因を尋ねると
「子供が罹っているので・・・」と答えられた

そうするとなんだか急に
熱が出てきたような
気分になってしまうのだ

これから先、抗生物資の効かない
バージョンをアップした
強力なウィルスが容赦なく
発生してくるんでしょうね~

現状では予防接種も
受けられるかどうか
わからない状態だし

自分の体は自分で守れという
事でしょうかね~

今回の優先順位というのを見ると
ふつうの人なら
順番が回って来る前に
罹るかもしれないと思ったのでは
ないでしょうか

絶えることの無い
人間と病原体との
宿命の戦いなのでしょう

もし、人の死が無かったならが
文明は無かった言われているが

終わりがあるから
次世の新しい時代が
あるのだという・・・

この新型のウィルスも
増えすぎた地球の人口を
正常値に戻す働きを
自然裡にやってのけて
いるように思うのだ

政治と医学が発達している国は
まだ、救われるが

そうでない国は
両手両足に数えることが
できないほどあるのだが

皆、犠牲になっていき
弱国への優先順位など
欠片もないのだろうと思う・・・

外見上は富国に見えても
実は後進国よりも
借金が多い
「借金大国」なのかも・・・

国会中継を見ながら
入力していたら

だんだんと横道に
反れていってしまった

この辺りで失礼

マクベス鑑賞

2009-10-26 | ひとりごと
朝からバタバタしていた
急に出席者の名簿が変わったり

出発間際にお客さんが来たりして
何かしら落ち着かなかった

それでも出てしまえばこっちのもの
仕事は追っかけてはこないので

車中は昨日の柿の収穫体験の話題で
たいそう盛り上がっていた

運転手に終了時の配車や
参加者に集合場所を打合せたあと

場内に入った
そこは満員の人だった

シェイクスピアの四大悲劇の1つで
最も不吉な作品とみなされているらしく

劇場内で「マクベス」の名前を口にすると
災いが起きるというジンクスがあるというのだが

前もってこの事を読んで知っていたはずだった
近頃の健忘症が幸いして
そんなことすっかり忘れていた

あらすじ

スコットランド将軍マクベスは
3人の不思議な魔女に出会う

魔女は「いずれあなたはこの国の王になる」と
予言した

この予言の手紙を手にしたマクベス夫人は
悪魔が乗り移ったかのように
ダンカン王殺害を企てた

しかし、予言通り実現したものの
マクベスは亡霊に怯え
そしてマクベス夫人は
次第に不安に蝕まれていった

再び3人の魔女に会った
魔女達は
「バーナムの森が動かないかぎり
マクベスは滅びることはない」と

その予言を信じ
討伐軍を迎え撃つ

しかし、心の呵責の重さに耐え切れず
マクベス夫人は自害した

最愛の妻を失ったマクベスは
「悪の川に身を浸したからには
   その川を渡りきるほか手はない」と
腹を括った

イングランド王の援護を受けた
先王の長子マルカムはマクベスを打倒した

このストーリーで最大の見所は
舞台後ろの壮大な野外実景である

実際の「森」を舞台に
本物の馬が駆けめぐり
壮絶な戦いが繰り広げられた

キャストが32名
馬6頭、そのほかエキストラとして
50名ほど思われる地元の人達が
参加していた

野外の演技については
小雨の中で行われた

きっと土砂降りでも
行われるのだろうと思った
凄いことである

終了後、皆さん待ち合せの場所に
ちゃんと集合していた

無事、帰路につくことができたが
バスに乗り家に近づくにつれ
夢から覚めるようだった

柿の葉寿しの準備のため
携帯で連絡して
お米を研いでもらった

7時30分前には家に着き
雑事を済ませて

8時30分には
押し寿司作りに入った

上の子も手伝ってくれたので
10時前には終わった

柿の葉が強かったので
形が悪くなったが

そこは味でカバーできれば
良いなあ~と考えている

せっかく柿の木が沢山あるのだから
もっといろんな事に
チャレンジしてみるのも
楽しいかもね~

最後まで読み進めた方
お疲れ様です・・・

柿の渋抜き

2009-10-25 | ひとりごと
朝、天は高く
絶好の秋日和だった

直接、看護大へ行こうと思い
カメラは前もって持ち出していたが

過去の経験から考えると
何が発生するか分からないので

職場の車に乗っていこうと思い
事務所へ鍵を取りに行った

しかし、管理人のおじさんは
お昼の食事を食べに行っていて
管理人室にはだれもいなかった

仕方がないので発砲スシチロールを
マイカーに積んでいたら
管理人が帰ってきた

勤務中に外出してもいいんだろうか?
などと考えながら事務所まで
一緒に行って開けてもらい

車の鍵を取っただけで
事務所を閉めてもらった

荷物を積み替えて
看護大へ向かった

乗り合わせて
現地へと向かった

なぜか、理事と職員の立派なお車と
取材に来ていた市職員さんの車にも
若い学生さんが乗りまして

荷物がどっさりと積んである
職場の小さな車に先生が乗って
紋平柿のある現地へ向かった

今日の新聞に載っていた
組合長の森勇さんから

柿についての様々な説明を
受けていた学生さん達の様子も
とても真剣でした

理事さんも知らないが故に
失敗していたことを学んだり

新しい発見に学生同様に
ワクワクしながら聞いていたようだ

ハサミで柿のもぎ方を習ったあと
数人にハサミが渡され収穫しました

まだ殆どが早いので
充分に色づいたものを
50個ほどコンテナに並べた

それから今度は
渋の抜き方の説明を受けた

= 渋抜き方法 =

①柿のヘタをハサミでとります・・・重なった部分に傷がつかないようにするため
②発砲スチロールに並べます・・・一段並べるごとに新聞紙を敷きます(蒸れを防ぐ)
③最上段になったら新聞紙の上にナイロンのシートを敷きます
④アルコールを含んだペーパーをナイロンの上に乗せます
⑤蓋をしてガムテープで巻いて密封します
⑥50~55時間後、蓋を開け斜め45度に傾けます
⑦3-4日後には食べることができます・・・日持ちは10日以上大丈夫です

注意点はアルコールの分量です

エチルアルコール99.8%の場合は
柿の量15kg×2×100/100=30ccなので

焼酎で35度の場合は
柿の量15kg×2×100/35=86ccとなります

柿15kgでアルコール50%の場合は
15×2×100/50=60ccとなります

因みにこの渋抜きと言われる方法は
実際は渋を抜くのではなく
舌が渋さを感じなくさせる方法だと言うことです

加熱すると渋が戻るとされ
どうすれば戻らないのかを
長年、研究されてきました

先日のためしてガッテンでは
タンパク質と混ぜることで
加熱しても渋を感じないと
放映されていたそうですが

今後も研究課題は多く
未知の果物なのです

裏作にしては
木にはまだまだ沢山柿が
残っていましたが

来る11月14日(土)にも
今回のような体験があるそうです

翌日が「かにカニ合戦」の
イベントがある日なので
参加はできるかどうか分かりません

それでいつでも収穫できるようにと
コンテナとハサミを預ってきました

人選をどうやってするんだろうか?
ちょっと、面白いかも・・・

長々と書いてしまった
渋抜きの参考とするために
覚えている間に書いてみました
 
11月8日には料理対決がありますが
まだ、人数に余裕がありそうです

今から申込しても大丈夫のようです
我もと思われる方、是非参加下さい

新しいかほくの名物が誕生することを
期待したいものですね・・・



効果は?

2009-10-24 | ひとりごと
2ヶ月に1回のお店訪問を
午前中、担当委員と一緒に
2店舗を回りました

同行した理事でもあるその委員は
昨日、一昨日とやはりうちの関連で
大会に参加するため出張していた

本日の取材の後もまた
午後から視察研修があるらしいのだ

大事な経営者を3日間も
仕事を犠牲にさせてしまっていたので

根が深く考えて仕舞う方なので
恐縮になってしまった

しかし、彼はそんな事は
ぜんぜん気にする様子は無く

任期の間は出来る限り
協力していく心算だと
真摯に受け止めていたのだ

必ず交替することで
役の大変さが解り
協力的になっいるようなので

業種によってこんなにも
考え方が違うのかと
妙なところで感動してしまった

まあ、事務方にとっては
色替えされるよりは

慣れた人の方が
何かとやり易くは
あるのだけども

いつもそういう訳には
いかないでしょうから

結局、いつの間にか
その時々のカラーになって
しまうのでしょうね

取材ではQ&A方式なので
それほど難しいものではないのですが

それを文章にまとめるのが
意外と大変なんですよね

小さなお店ともなると
経営方針や理念を持って
仕事をしている人なんて
ほとんどいないので

取材で意識改革のヒントを
得てくれれば
それだけでベストかな~と
最近では思っている

しかし、我々事務方に比べると
経営者はこの大不況の中
本当に頑張っているように感じた

自分達が彼らに雇われている身分なのだと
実感している人が

一体どのくらいいるのだろうかと
思うことがあるほどだ

その多忙な雇い主を簡単に
ボランティアとして動かしているのだから
豪いところだな~と率直に感じている

まあ、そこからお互いに経営のヒントを
得られればそれで良しなのだけれども
そう簡単に得られるものではないでしょうし

また、業種も違うのだから
考え方もそれぞれ異なると思うのだ

「いいもの作り」は
やはりそれに比例した努力と犠牲が
つきもののようですね

オリジナリティーが
継続に繋がっていくように
思うのですが

その効果は如何ほどなのでしょうか?

記憶術

2009-10-21 | おすすめ
「思い出す」

脳の老化を防止する
トレーニングです

脳を活性化する事で
記憶力が高まります

実は昨日、脳科学者である
茂木健一郎が出ている
番組を見たのですが

記憶を辿ろうとしたが
情けないことに
覚えていなかった

しかし、内容が良かったし
覚えておきたい事だったので

興味のある方は
読み進めて下さい

「脳」は1千億の神経細胞が
つながったネットワークです

年齢を重ねるとそれは
縮小、消滅、萎縮していく

しかし、使うことによって
活性化し老化を遅らせるのだ

”脳の活性化方法”・・・脳に刺激

①適度に体を動かす
②指先を使う
③細々としたことを人任せにしない
  面倒くさいが、自分でやること
④家事
  全てのことを網羅している究極の方法

”老化を遅らせる方法”・・・「前頭前野」の鍛錬

①新しいことに挑戦する
  新しいことに出会うと、それを理解しようとする

②よくおしゃべりをする
  若い人と屈託の無いおしゃべりをする
  特に目と目を合わせて会話すること

③好きなことをとことん楽しむ
  好きなことをやっていると前頭前野が本気モードとなって
  脳全体が力を発揮しようとする

「覚えられない人」
記憶力をアップするには
”思い出す”をトレーニングすることで
前頭葉の回路が復帰する

「若々しい人」
悲しいこと苦しいことを
早く忘れて白紙になっている
忘れることがうまい人です

○○歳を過ぎた辺りから
記憶の回路が弱っているのか
様々な症状が現れてきたので

これを参考にするために
載せました

何もしないでほっておくと
認知症の網にかかってしまうかも・・・

特にマンネリが
脳に優しく老化が進むそうです

脳はそれなりの刺激が
お好きなようですね

お読みになり実践した方に
幸運が訪れますように・・・


旅行記2

2009-10-19 | 仲間たち
翌日の朝の目覚めは早くて
4時半には起きていた

しかし、朝風呂は
5時からだったので
時間になるまで
他の人の迷惑にならないように
ジッとしていた

5時半になったのを
携帯で確認して
そっとお風呂に向かった

小さなお風呂には
既に数人のおばちゃん達がいた

湯冷めをしないように
軽く汗を流す程度に入った

朝食を食べた後ですが
朝一番のスケジュールは
ぶどう狩りの食べ放題でした

「ベリーA」という品種で
種ごと食べると甘みがあり
とても美味しいものでした

とても房が大きいので
分け合いながら食した

その後、冨士山の五合目に向かうため
そこを出発した

道中、今までに見た事がないほどの
富士山が目の前に現れた

10月初旬には初冠雪あり
雲一つ無い晴天の青空に

太陽の光を浴びて輝き
写真のような風景が
一面に広がった

五合目までは渋滞に遭うことも無く
スムーズに進んだ

富士の景色は次第に目の前から無くなり
その景色に同化していった

目的の地は想像した通り
とても寒かったので

準備していったジャケットを着て
そしてマフラーを巻いて外に出た

冷たい風が顔に当ったが
目の前の富士は

キラキラと輝いていて
やっぱり近かった

直ぐそこにあるように思えるが
天辺まではまだまだあるのだ

七合目までは
馬車で行くことができるのだが
その先は徒歩となる

勇壮明媚な山だが
登山となると厳しいところでもある

世界遺産に登録されない不思議さを
感じずにはいられないほど
魅せられてしまった

山を降りると次は
富士サファリーパークだった

厳重に張り巡らされた園内を
バスごと入って

世界中のいろんな動物を
バスの窓から眺めた

野生の王国を思わせるような
多くの珍しい動物が
群れをなしてそこにいた

メスのライオンが
木の上でだらしなく
横たわっていたが

その姿が愛嬌があり
とても可愛かった

他にも子供達が喜びそうな
動物がたくさんいた

なので子供と一緒の家族連れが
やはり多かった

そこを最後に帰路についた
家に到着したのは
11時に少しだけ前だった

玄関にはタオルが入った
袋の山があった

現実がもうそこには
準備されていた

しかし、あんなに素晴らしい富士山は
ほんとうに初めてだったので
感動でした

今日の朝も
昨日と同様に青空だったので

そこに富士山があるはずが無いのに
あるような錯覚するような気がする
お天気だった

撮った写真を見ていると
昨日の事なのに

ずっと前に行ったような
遠い昔の事のように感じた

また、金庫で指を挟んでしまった
金庫から手を抜くタイミングが
金庫を手で押すタイミングと
合わないときにやってしまうのだ

これも老化現象の一つなのかなあ~
やんなちゃいます・・・









旅行記1

2009-10-18 | 仲間たち
10月17日の土曜日の朝
6時に目覚ましの音で
目が覚めた

因りによって
旅行の前日にしか
会議の日が取れなくて
入れてしまったのだが

喫茶店のコーヒーを
何も考えずに飲んでしまったため
12時を過ぎても眠れなかった

それで、目覚ましのお世話に
なった訳なのだ

子供達も寝坊するのではないかと
心配して起こしにきてくれた

7時に出発なので
早々に着替えて
御握りを一つ握った

荷物とそれを持って
集合場所へと向かった

2日間の職員旅行の
スタートです

新潟経由で長野へと
バスは走った

八ヶ岳を望むチーズケーキの工房で
昼食を頂く

上の子が旅行の行程表を
見ながら言ったのが
「チーズケーキ買ってきて」だった

他には何も要らないとの事だったので
食事が済むと直ぐに
お土産の場所へと急いだ

入口で試食をしたものが
蕩ける風味で美味しかったのだが

本日お持ち帰りのみ
販売という事だったので
賞味期限の余裕のあるものを購入した

後で宅急便で送る人達が
人数を募っていたが
買った後だったので
便乗はしなかった

次に向かったのは山梨の昇仙峡で
仙娥滝から石門までの遊歩道を
テクテクと歩いた

滝には水飛沫が高く跳ねていて
イオンシャワをたっぷりと
浴びることができた

覚円というお坊さんが
修行をしたと言われる覚円峰は
これまた絶景であった

まるで、中国の水墨画を
思わせるような絶妙な風景だった

人工で作ったのではないかと
思わせるような石門は
先端がわずかに離れていて

トンネルになっている事が
不思議だった

紅葉シーズンには
辺りのモミジが色付いて
とても素晴らしい景色に
なるんだろうなあ~と思った

天気予報では雨の予定はなかったが
武田神社では雨が降っていたので
傘を差して回った

武田家縁のお城があった所に
奉られたお社であり

立派な能舞台も併設されて
奇麗に整備されていた

風林火山の旗が所々にあり
後である職員に質問されたが
「動かざること山の如し」しか
思い出せなかった

大河ドラマの「風林火山」で
主演の内野聖陽が演じた山本勘助

彼によって
毎回朗読されていたが

あれからもう2年も経っていたので
忘れてしまっていた

改めて、調べてみた
風林火山の句
「疾(はや)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵し掠める(おかしかずめる)こと火の如く、
動かざること山の如し」
であった参考までに・・・

堀には1mはあると思われる
立派な鯉が泳いでいた

4時30分には温泉に着いたので
お風呂に入った
石和温泉はリューマチに良いという
熱めのお湯に浸かった

露天は温めだったが
溢れるばかりの
豊富なお湯が滝のように
流れ落ちていた

馬油のボーディーシャンプーに
シャンプーとリンス

お肌がしっとりして
ツルツルになった

宴会はくじ引きで
局長の左隣りで左大臣席だった

地元のワインを頂いたが
これが結構効き目があったのか

3回、温泉に入る予定にしていたが
残念なことに酔払ってしまい

心臓が波打っていたので
酷くて動けなかった

それで入ることができず
そのまま、眠りについてしまった

つづく










人生・・・

2009-10-12 | ひとりごと
昨日のウォークでの筋肉痛が
何故か全身にあったので
一日中、ゴロゴロしていた

しかし、祭りの支払や
所用があったので外出し
その用事を済ませた後

それほど動かないので
朝ご飯を抜いていまして

昼ご飯を摂ろうと思い
炊飯ジャーを覘くと
殆どないのだ・・・なぜ?

昨日、「イクラ」の醤油浸けを
作ったのであるが

約1名、とても「イクラ」が
大好きなのがいて

朝からご飯が
何杯も食べれたらしいだ

炭水化物とコレステロールの
摂り過ぎなのだが

毎日ではないので
まあ、見逃しましょう

イチローは食生活も含め
毎日のリズムを
とても注意しているというから

彼のような大物には
家の者はだれもなれそうに
ありませんね

さて、仕事上で関わった人達とも
何時か別れなくてはならないのですが

勤務年数が長くなればなるほど
その回数も多くなってきます

それが永遠の別れとなると
とても辛いものがあります

長いお付き合いともなると
心の拠りどころとなり
情も深くなっていくんですよね~

幾度となく
「叱咤、激励?」をされ
常に君付けで誰よりも厳しい口調で
語り掛けられていたが

それも愛情の一つであったのかも
知れない・・・と今は思う

また、担当によってはお別れした後も
家族に会わなければならなく

たぶんこの業務の最後の締め括りに
なりそうなのですが・・・

新人も仕事を覚えるため
連れ立って行きたいと言っていた

意欲的で素晴らしいとは
思うが

加入の時とは違い
迎える方の立場に立つと

ゾロゾロ行くのは
どうかと考えてしまう・・・

熱い人をまた失ってしまったが
そこにもまた次の世代が
確りと育っていた

育っていないのは・・・