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文化逍遥。

良質な文化の紹介。

真継伸彦氏を悼んで

2016年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 真継伸彦(まつぎ・のぶひこ)氏が、22日急性肺炎で亡くなった。84歳だった。

 基本的には小説家ということになるだろうが、わたしは氏の小説は残念ながら読んでいない。読んだのは、1982年法蔵館刊行の『真継伸彦現代語訳―親鸞全集』全5巻で、思い切った平易な訳で読みやすく、親鸞の全体像に少しでも近づくことが出来たと今でも考えている。また、1980年代の終わり頃だったか、NHKの「市民大学講座」で宗教論の講座を担当されて、絞り出すような話し方で真摯に講義されていたのが記憶に残っている。あれから30年か。
 少し調べてみたが、氏の著作は多く絶版になっており、古書の親鸞全集などは全巻揃いで3万円を超える値が付いている。価値あるものが消えてゆくのを見るのは寂しきものだ。ひとつの時代の終焉を感じざるを得ない。合掌。

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木山捷平の詩

2016年08月20日 | 本と雑誌
 このところ詩人であり小説家でもあった木山捷平(1904-1968)の詩集を蔵書の中から引っ張り出して読み返していた。

 平易な言葉で、独り言のような、それでいて語りかけてくるような独特のスタイルを持った詩人だった。あまり知られていない存在だが、日本の現代詩の中で重要な詩人のひとりと個人的には考えている。
 かつて、「詩の時代」というものが、確かにあった。大正から昭和の終わり、金子光晴が亡くなる昭和50(1975)年頃までだろうか、多くの詩人が出て、詩の同人誌なども多く発行されていた。わたしが大学生の頃にはそんな時代も終わりをむかえようとしていた。ちなみに、詩の次の文芸では「評論の時代」といわれた。思い返すと、たくさんの詩、多くの詩人が出たが、時代を越えて読み続けられる質の高いものは少ない。詩である以上、言葉を弄ぶこと無く、地から湧き出るような普遍性を持っていなくては読み継がれることは難しいのだろう。

 思い入れかもしれないが、木山捷平の作品は読み継がれていくだけの価値があると思う。幸いにも、今では講談社文芸文庫からその作品の多くが発行されている。多くの人に手にしてもらいたいものである。

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映画『パコ・デ・ルシア』2014年スペイン

2016年08月06日 | 映画
 8/4木曜メンズデイの千葉劇場にて。



 真摯に音楽と向き合い、演奏活動を続けていくことが、どれほど大変な事なのか、この映画はそれを語ってくれる。

 観客は少なかったが、エンドロールが終わり場内の照明が点くまで誰も席を立たなかった。

 優れたドキュメンタリー映画に仕上がっており、多くの人に観てもらいたい、と感じた。

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