文化逍遥。

良質な文化の紹介。

映画『やがて来る者へ』神保町岩波ホール

2011年11月29日 | 映画
11/28は午前中で仕事が終わったので、岩波ホールへ行った。
2009年イタリア映画、ジョルジョ・ディリッティ監督『やがて来る者へ』。

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 この映画は、1944年の秋イタリア北部の農村で起きたナチスドイツによるパルチザン掃討作戦に端を発する村民虐殺事件を描いている。物語は事件の前年冬から始まる。村は貧しいが、若い人びとは恋をし、老人は静かに死を迎え、そして新しい命が生まれてくる。やがて、そんな命の営みを戦争の影が覆ってゆく。

カメラは、豊かな四季と共に移りゆく村・人びと、そして虐殺、を追い少女の目を通して描き出してゆく。

重いテーマであるにもかかわらず、観終わった後、時間をかけた手作業のすぐれた仕事に接した感動をおぼえた。

今でもこんな仕事をする人がいるんだ、と思った。スクリーンに現れる光と影が時の流れを捉えているようで見事だった。

イタリアのみならず映画史上に残る傑作。


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加曾利貝塚

2011年11月24日 | 考古・エッセイ
 千葉市郊外にある縄文遺跡、加曾利貝塚は日本でも有数の規模で国の史跡でもある。
今は緑豊かな公園のようになっており、博物館や復元された住居、貝の層が見られるようになっている。
ウチの墓はこのすぐ近くにあるので、23日は墓参がてら足を延ばしてみた。千葉市の中心部に近い自宅からは自転車で30分ほどで行ける。ちょうど紅葉の季節で、遺跡内は爽やかな空気につつまれており、何か得をした様な気持ちになれた。

Kc3n0078
 復元された縄文時代の住居。携帯電話のカメラで撮影。逆光気味だが、向こう側に人がいて順光で撮れなかった。
まだ鉄のノコギリなど無い時代、当時の人は石斧で木を切り出して蔓などで縛って作ったと思われる。当時、これだけの家があったら今でいう「豪邸」だったろう。
 ここは現在はかなり内陸部なのだが、縄文時代は気候が温暖だったようで当時の海岸線は今よりかなり内陸部に入りこんでいたようだ。それでもここのすぐ近くが海岸だったわけではない。このすぐ裏側、少し下がったところにある川を利用して海から魚介類を舟で運んだのではないかと言われている。その川が下の坂月川。

Kc3n0080
 とても千葉市内とは思えない風景。川は直接には写っていないが、中央右にある橋の下に流れている。川沿には遊歩道があり、その奥に千葉タウンモノレールが写っている。
 縄文時代と言うと原始的なイメージがあり、また、貝塚というと貝殻しか出て来ないように思われがちだ。が、実際には貝に交じって黒鯛などの多くの魚の骨が出てきており、この遺跡を見ると当時の食生活はかなり豊かで流通も発達していたことが想像できる。


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神保町書店街

2011年11月18日 | まち歩き
 16日の水曜日は午前中で仕事が終わったので、午後は神保町の書店街を少し歩いてみた。

 変わったなあ。活気が無くなり、全体に縮小した感は否めない。自分も欲しい本‐特に専門書は、インターネットで検索して買い求めることが多くなったので、神保町に足を運ぶ人が少なくなったことは容易に想像がつく。

 おそらく、取り次ぎを中心にした本の流通システムはすでに時代遅れになっているのだろう。

 私が学生の頃(すでに30年の歳月が流れたが)この街の書店は言うに及ばず、路地裏には小さな印刷会社や出版社が軒を連ねインクの匂いが街を覆う中で多くの出版関係者が働く姿を見ることが出来た。この街が出版文化の一大拠点なのだと実感したものだった。今は、街の再編が進み、大きなビルとこぎれいな店がそれに代わっている。裏どうりの縁台で煙草を吸って休憩していた印刷工の姿は遠い過去のものとなった。おそらく、これからの神保町は、特価本や「なんでも鑑定団」に出てくるような骨董的価値のある古書を買い求める人が訪れる街になってゆくのだろう。寂しいが、これも時代の流れ。なにしろ端末に数万冊分の情報が入れられる時代なのだ。狭い部屋に本が無くなって広くなるのはいい。が、手垢の付いていない真新しい本のページをめくる喜びを若い人たちのも知ってもらいたいと思う気持ちも捨てきれない。歳かなあ・・・。


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