文化逍遥。

良質な文化の紹介。

わたしのレコード棚ーブルース116 Baby Tate

2021年01月28日 | わたしのレコード棚
 ベイビー・テイト(Baby Tate)は、本名チャールズ・ヘンリー・テイト(Charles Henry Tate)。生まれは、1916年1月28日ジョージア州エルバートン(Elberton)。亡くなったのは、1972年8月サウスカロライナ州コロンビア(Clumbia)で、心臓麻痺だったという。
 下のCDは、1961年8月にサウスカロライナ州のスパルタンバーグ(Spartanburg)という所でサミュエル・チャータースがフィールド録音したもの。チャータースは、ピンク・アンダーソンを録音するためにスパルタンバーグを訪れた際に、偶然、アンダーソンの近くに住むテイトを発見したという。なので、おそらくは、そこがベイビー・テイトが長く生活の拠点としたところだったと思われる。CD の解説によると、1925年頃にはジョージアからサウスキャロライナのグリーンヴィルに移り、さらに1954年にスパルタンバーグに移住したという。


 BLUESVILLEレーベル原盤で、P-Vainが国内販売したCD、PCD-1963 。ベイビー・テイトのギターとヴォーカルで、全12曲を収録。


 S.チャータースが、サウスキャロライナのスパルタンバーグで撮影した映像『The Blues』から、テレビ画面をデジカメで撮影。おそらく上のCDと同じ所で、テイトの自宅前と思われ、奥さんや子供たちと思われる人たちも後ろに映っている。上のCDを録音した際に、S.チャータースが、当時の8ミリフィルムようなもので撮影したと思われる。画像はかなり不鮮明。

 我が家に、この人に関する資料は少なく、インターネットで調べた資料と、鈴木啓志氏が1994年に書いたCDの解説を参照して書いておくことにする。まず、CD解説には「・・音楽活動を断念したことはなく、キャロライナのブラック・コミュニティ、あるいは白人聴衆に向かって歌い続けていたのである。」と、ある。
 ウィキペディアによると、第二次世界前は、グリーンヴィルで、Joe Walker(Willie Walkerの兄弟)やRoosevelt "Baby" Brooksとトリオを組み、地元のラジオ局などで演奏。戦争中は陸軍に入隊しイングランド南部へ、戦後はスパルタンバーグでピンク・アンダーソンなどとも演奏していたという。1961年に、上のCDに収められている録音が出てからはアメリカ中を広く演奏活動した。1970年から’71年にかけて、Peter.B.Lowryという人のプロデュースで60曲近くを録音したが、これは残念なことにリリースされなかった。

 音楽的には、やはり東部ピードモント・ブルースの伝統的なスタイルを基礎としつつ、他の地域のブルースを吸収して自分のスタイルを作っている。ゲーリー・デイビスを想わせる音遣いの曲なども含み、なかなかのギター巧者で深みのあるブルースを聴かせてくれる。
 ギターの低音弦と高音弦をうまくからませて弾き語りをしてゆく、そんなカントリーブルースの伝統を受け継ぐミュージシャンは、めっきり少なくなった。ベイビー・テイトのCDも、今はもう国内盤は出ておらず、海外盤も入手しづらい状態のようだ。ギターの弾き語りは、良い言葉を選び抜き、良い音を出せれば、テーマを広く取りやすく人生の深いところまで表現できる、と信じている。優れたミュージシャンの歴史的録音が残り続け、若い人たちが生きる上での一助になることを願うばかりだ。

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2019年中国映画『羊飼いと風船』

2021年01月25日 | 映画
 1/22(金)千葉劇場にて。監督・脚本は、ペマ・ツェテン。原題は「気球」、英題は「BALLOON」。

 緊急事態宣言が発出されているので映画を見に行くのも控えていたが、観たい映画があると見逃したくないので、結局出かけていった。当然のことだが、千葉劇場は、入場時の手指消毒、マスクの着用、座席の利用制限、換気、などを徹底している。それに、皮肉なことに、いつものことで入場者も少ないので、他の人との距離は十分とれる。この日は、一列に2~3人くらいだった。





 近代化の波が迫りくるチベットの草原で暮らす一家族を中心に、古い因習や迷信と近代的合理性の狭間で悩み苦しみながらも必死で生きる人々を、見事な映像で描いた秀作。

 およそ、映画に娯楽の要素を求める人にはお勧めできないが、遠い大地で暮らす人々の生活を垣間見、それを認識する一助にしたい人には観る価値のある作品と言える。

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わたしのレコード棚ーブルース115 Sidney Maiden

2021年01月21日 | わたしのレコード棚
 シドニー・メイデン(Sidney Maiden)は、前回の「わたしのレコード棚ーブルース114」で取り上げたK.C.ダグラス(ギター)と共に西海岸で活動した、ヴォーカルとハーモニカ・プレーヤー。生没年など詳しいことは分かっていないが、生まれたのはルイジアナ州で1917年か1923年。1940年代初頭に、カリフォルニアに移動し、そこでK.C.ダグラスなどと出会い、副業としてナイトクラブなどで二人あるいは小編成のバンドでダウンホームなブルースを演奏していたという。亡くなったのは1987年か、あるいは1970年としている資料もある。
 

 BLUESVILLEレーベルの原盤(BV1035)をP-VainがCD化し、1994年にPCD-1969として国内で発売した『Trouble An' Blues』。録音はカリフォルニア州バークレーで、1961年4月。ギターのバッキングをしているのはK.C.ダグラス。実はこれ、CD評を担当した時にP-Vainから貰ったもの。ただし、CDのプレスが間に合わず、貰ったのはカセットテープ。今は、CD-Rに落としてある。解説等は白黒のコピー。なので、画像が少し見にくいが、ご容赦願いたい。
 ライナーノーツには「Mouthharp」となっているが、使っているハーモニカは10穴のいわゆるブルースハープだろう。それを吹きながら、しっかりと歌うことが出来る人は、なかなか少ない。スタイルはけっこう多様で、サニー・ボーイ・ウィリアムソン#1を彷彿とさせるものや、サニー・テリー風のホーカム・ブルースもある。そこに、ダグラスのミシシッピーのカントリースタイルギターと相まって、なかなか味わいのある演奏になっている。

 以下に『ブルース&ソウル・レコーズ No.2(1994年9月)』に、斎藤業の名で書いたわたしの記事を、我田引水ながら載せておく。

『シドニー・メイデンのハーモニカと歌にK.C.ダグラスがギターをつけている全12曲。「アメリカ南部の田舎の街角から聞こえてくる素朴なブルース」といった印象を受けたが、これは61年カリフォルニア州バークレーでの録音。ルイジアナ生まれのメイデンとミシシッピー生まれのダグラスは、職を求めて西へと渡り歩き、45年頃カリフォルニアで出会いコンビを組んだという。ブルース好きな人ならどこかで聞いたことがあるメロディにメイデンが詞を付けた曲がほとんどだ。ダグラスのギターのチューニングが少しずれていてホンキートンク・ピアノみたいな音になっているが、これはギター自体に狂いがあったためだろう。3000Km離れた故郷を想いつつ演奏されたアクのあるブルースに耳を傾けるのもオツなもの。
 ブルースヴィルは白人のための録音といわれるが、60年代に異なるコミュニティに属する人達が接点を求め合った記録、と言うことも出来るだろう。勇気あるエンジニア、プロデュサー、ミュージシャン達、そして聴衆の人達にも、拍手。』

 少し補足しておくと、このCDが録音された1960年代は、公民権運動が始まって黒人・白人間の対立が深まり、フィールド録音などでも危険を伴うことがあったのだ。一方で、いわゆるフォークムーブメントという、アコースティックな弾き語りが流行った頃でもあり、古いスタイルのカントリー・ブルースも多く録音された時代だった。シドニー・メイデンもそんな幸運に恵まれた一人だったと言える。しかし、この録音などの後、ほとんどその事跡は分からない。死亡地も、インターネットなどでも調べてみるとアリゾナ州としていたりするが、ほとんどわかっていないのが実情だ。


 ACEというイギリスのレーベルのLP、CH247。BLUESVILLEに残された音源から、フォークブルースの16組のミュージシャンそれぞれ1曲ずつ計16曲を選んで編集された名盤。シドニー・メイデンやK.C.ダグラスを含み、フォークブルースを知るには良い編集になっている。ちなみに、BLUESVILLEというレーベルは、母体がPRESTIGEというジャズのレーベルを制作しているFantasyという会社で、そこがブルースファン向けに作ったのがBLUESVILLEだった。


 LP裏面。

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SKY WAVE FM 89.2MHz

2021年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 ローカルな話題だが、千葉市において1/15(金)コミュニティ・FM局が放送を開始した。名前は「SKY WAVE FM」で、周波数は89.2MHz。コミュニティ・FMなので出力は小さいが、千葉市のほぼ全域をカヴァーしているという。本来は、昨年2020年の夏には放送開始の予定だったらしいが、コロナ禍の影響で延期になっていたという。

 普段は、ほぼ音楽を流し続けているが、地元の生活情報や、災害時には自治体と連携して必要な情報を提供する。インターネットなどでは、悪意のあるフェイクニュースも混入するので、非常時に確かな地元の情報をラジオで知ることが出来るのはありがたい。今のところ、千葉市中央区の我が家では、かなり明瞭に受信出来ている。災害時に、仕事や観光でたまたま千葉にいることになった人達にも役立つかもしれないので、スマホや車のラジオに周波数をメモリーしておくのも良いかもしれない。

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わたしのレコード棚ーブルース114 K.C.Douglas

2021年01月14日 | わたしのレコード棚
 K.C.ダグラス(K.C.Douglas)は、1913年11月21日ミシシッピー州のマディソン(Madison County)郡で生まれ、1975年10月18日にカリフォルニア州バークリー(Berkeley)で亡くなっている。生まれた所はミシシッピーの州都ジャクソンの北25マイルの所ということで、下のアーホーリーLP解説によると、若い頃はジャクソンのブルースマン達と音楽活動をしていたらしい。特にジャクソンを代表するブルースマンであるトミー・ジョンソンとは、1940年頃にジャクソンからデルタ地方を共に回って演奏したこともあるという。なので、やはりトミー・ジョンソンからの影響は大きく、CDのタイトルでもある「Big Road Blues」はそのままジョンソンの曲だ。
 1945年、すなわち第二次世界大戦が終わる頃には、ミシシッピーから西へと移動。サンフランシスコ湾で港湾関係の仕事をして生計を立て、その合間にバンドを組んだりしてブルースを演奏し、そのままカリフォルニアで亡くなっている。ブルースマンの中には北のシカゴを目指すのではなく、ダグラスの様に、西に向かった人も少なからずいる。寒いシガゴを忌避して西海岸で仕事を得ることを考えたようだ。


 BluesvilleのCD1050。1961年のギターとヴォーカル、単独での11曲を収録。フォークムーブメントの頃で、アコースティックな音作りになっている。この人は、なかなかに器用な勉強家だったようで、シカゴで活躍したミュージシャン、トミー・マックレナンやビッグ・ビル・ブルーンジーの曲を演奏して、面白いアレンジになっている。
 

 ARHOOLIEレーベルのLP1073。A面6曲は1973年11/17の録音で、アコースティックギターによる一人での演奏やハーモニカとの演奏。B面5曲は1974年1/26で、さらにエレキギターによるスライド奏法でのバッキングや、ドラムスが入ったバンド演奏になっている。録音場所は、ARHOOLIE Houseと書かれているので、カリフォルニア州のバークリーにあったアーホーリーのスタジオのようなところだったようだ。ハーモニカを演奏しているのはリチャード・リギンズ(Richard Riggins)という人で、かなりなテクニックで優れたバッキングをしている。この隠れた名手とも言えるチャード・リギンズについて、LP解説には、1921年7月1日ミシシッピー州Tupeloの出身で、1963年にオークランドに移ってきたとある。ダグラスと同様に、ミシシッピーから西へと移動してきた人だった。


 同LPの裏面。


 LP裏面の写真を大きく切り取ったもの。見てわかるとおり、バンドでの演奏しているところで、ダグラスは立ってエレキギターを弾いている。


 ハーモニカ・ヴォーカルのシドニー・メイデンの1961年録音のCDで、Bluesvilleレーベル1035をP-Vainが日本向けに発売したもの。全12曲で、ダグラスがギターを演奏している。

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緊急事態宣言でブルースセッション中止

2021年01月11日 | 日記
 1/8、1都3県にコロナウィルスの感染拡大による「緊急事態宣言」が発令された。昨年春に続き2度目だ。ここ千葉県も含まれるので、ライブハウスなども営業は夜8時までの要請になっている。期間は、2/7までの1ヶ月。これを受けて、いつも第1土曜の夜にブルースセッションが行われている「ライト」も夜8時までの営業をする方針だったが、結局、それでは店を開けるのは実質的に無理なので休業を決めている。なので、2月6日は今のところブルースセッションを開催出来る見込みは無くなった。1月も正月休みで出来なかったし、この先状況が好転する見込みも今のところはない。政府の方針も「ステイホーム」と「ゴートゥー・キャンペーン」で揺れ動いて、国民のコロナウィルスに対する心構えを失わせている。個人的には、音楽活動が出来ず、いつも一緒に演奏している知人にも会えないので、かなりストレスが溜まってきている。

 しかし、今は、とにかく我慢の時だ。すでに、コロナウィルスの変異種が、イギリス、ブラジル、南アフリカ、などで確認されている。状況は、昨年の緊急事態宣言の時よりも深刻と考えられる。頼みの綱はワクチン接種による感染の収束だが、変異したウィルスに効果があるが疑問だ。それに、わたしは医学のことなどわからないが、急造したものに良いものは無い、というのが経験から確信していることでもある。

 ある予測によると、今週中に東京の感染者数が1日に4000人を超える日が出るという。数字に慣れてしまって、危機感が薄れているようにも見える。救急車を呼んでも、入れる病院すらない、という状況になってきている。この事を、認識しておく必要がある。


以下は、「ライト」のフェイスブックより。

「昨日緊急事態宣言に伴い営業時間変更のお知らせをいたしましたが、現実的にその時間帯で営業することが難しいため2月7日まで休業することにいたしました。
皆様にはご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。」

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わたしのレコード棚ーブルース113 Blind Blake

2021年01月07日 | わたしのレコード棚
 ギターとヴォーカルのブラインド・ブレイク(Blind Blake)に関しては、不明なことも多く、語るのは簡単ではない。が、ギター演奏に関しては、わたしのような凡人からすれば「超人的」とも思える音とリズムのコントロール能力を持ち、それを自在に発揮できたと感じられる録音を多く残したミュージシャンだった。
 本名は、Arthur BlakeあるいはArthur Phelpsらしい。生没年やその場所もはっきりしないが、生まれは1890年代前半でフロリダ州で、亡くなったのは1933年か1934年頃でフロリダとしている資料が多い。比較的新しい資料といえるジャス・オブレヒト著『9人のギタリスト(原書は[Early Blues]で2015年刊)』では、2011年に発見された死亡証明書の記載から1896年生まれで、1934年12月1日にヴァージニア州のニューポートで肺結核で死亡、としている。同書によると、パラマウント・レコードが1932年に潰れた後「ブレイクは人生最後の二、三年間をウィスコンシン州のミルウォーキーのブロンズヴィル北十丁目一八四四B番地で、一九三一年に結婚したビアトリス・マギーと暮らしていたようだ(P131)」と、述べている。死亡証明書の職業欄には「無職のミュージシャン」と記載されていた、という。その頃にはミュージシャンとしての仕事も収入も無かった、ということだろう。今では考えられないことだが、レコードがいくら売れても、それに見合うロイヤリティ(著作権料などの保証)は無く、経済的な安定は望めなかったのだろう。それでも確かに言えることは、1920年代半ばにシカゴに出て様々なミュージック・シーンで活躍し、パラマウント(PARAMOUNT)レーベルに多くの録音を残した、ということだ。

 残された音源から、一応、ブルース・ラグタイムのミュージシャンとはなる。が、音感が良くピアノなども演奏出来たらしく、様々な音楽に対応し、大恐慌前後のパラマウントにおいて多様なミュージシャンのバックも務めている。残された録音を聴いてみても、単なるブルーノート・スケールではなくて、後のロニー・ジョンソンに影響したと思われる様な多彩な音遣いで、ジャズの要素も感じさせる。また、ビッグ・ビル・ブルーンジーへの影響も大きく、ブルーンジーの『Brown Skin Shuffle』はブレイクの『West Coast Blues』のアレンジだ。リズムは、シャフルと言うよりも、イースト・コースト・ブルースの伝統的な2ビートに近いラグタイムが基本で、後のジャズに近いものも多い。

 当時のパラマウントの同僚とも言えるテキサス出身でスライド奏法も弾くブラインド・レモン・ジェファーソンとは、ギターもヴォーカルもスタイルが異なる点が多い。が、歴史的にみると、この二人の盲目のミュージシャンが、これ以降レコード盤を通してブルースギターを広く知らしめ、強い影響力を多くのミュージシャンに与えたことは疑いない。

 そのあまりの器用さゆえか、今では「ギター・ソロの教則本に出てくる昔の人」程度にしか評価されていないような気もする。しかし、才能ある若いプレーヤーには、ジャンルを問わず聴いて欲しいミュージシャンの一人だ。


BIOGRAPHのLP、BLP-12037。


同じくBIOGRAPHのLP、BLP-12050。ジャケットの写真は、パラマウントが宣伝用に撮ったものといわれ、ブレイクのものとしては現在確認されている唯一の写真。下に書かれているサインは、パラマウントの誰かが代筆したものと思われる。


P-VainのCD2436。


YAZOOのCD1068。


オーストリアのDOCUMENTレーベルのCD5025。


P-VainのCD3760。このCDが雑誌『Blues &Soul Records.Vo7(1995年9月号)』に紹介された時に、CD評をわたしが書いたので、その時にもらったもの。

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2021/1/1 千葉公園

2021年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム
 強い寒気の影響で、日本海側などで大雪になっているが、こちら千葉県など南関は乾燥した晴天が続いている。新型コロナウィルスの感染はとどまるところを知らず、大晦日(2020/12/31)には東京で1300人を超える感染者が出た。各医療機関は、すでに限界と言っている。それに伴い、1都3県の知事は、昨日1/2に緊急事態宣言の発出を政府に要請。のんびり正月気分を味わえず、必死で日々を送っている人達が、例年になく多いことを改めて認識する必要がある。とにかく、今はコロナを含めた病気にかからないことが肝要だ。

 というわけで、外出は必要最低限。買い物も食料品だけにして、ソーシャル・ディスタンスをとって散歩するくらいにしている。写真は、元日の午後の千葉公園。自宅から歩いて数分のところにある。


弁天池。


今年は、渡り鳥など全体に鳥が少ない。中央付近の大型のカモメはセグロカモメで、その後方の少し小さいのはユリカモメ。あとは、カモ類。


千葉公園に隣接する、建設中の千葉競輪ドーム。内部は分からないが、外観はほぼ完成しているようだ。近くで見ると、けっこう大きい。バンクは、1周250メートルの国際基準になるという。ちなみに、以前のバンクは500メートルの大きめの走路だった。つまり、半分の大きさになる。どんな感じになるかは見てみないとわからない。

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