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文化逍遥。

良質な文化の紹介。

映画『サラエボ、希望の街角』

2011年03月15日 | 映画
  しかし、未曽有の災害だったとはいえ電気の供給量が少なくなるくらいで首都圏がこれほど混乱するとは思わなかった。
昨日は、千葉県内の電車はほとんど止まってしまった。しかも、JRが電車を止める決定をしたのが始発の約1時間前だったというのだから利用者は戸惑うばかりだ。こういう事態に備えて優先順位をあらかじめ決めておかなかったのだろうか。スーパーやホームセンターに行ったが、生活必需品はみな争うように買うので、米・カップめん・缶詰類は早々に棚から消え、電池やトイレットペーパーも夕方には無かった。駅のショッピングセンターは、従業員が来られないため臨時休業。
 寝たきりの母は介護ベッドなので、電気が止まるとベッドは動かなくなり手動操作はついていないのでお手上げだ。正確な停電時間と地域が知りたいのだが情報は錯綜している。エアーマットは災害対策仕様なので、2日位は空気が抜けることは無いということなのでとりあえずは安心だが、東北の被災した人たちの中にも母のように介護ベッドを必要としている方も多いだろう。早く対応してもらいたいものだ。


神保町の岩波ホールで、映画を観たのは地震前日の3月10日だった。今日あたりも東京の映画館や寄席などの娯楽施設はしまっているだろう。一日ずれていたら、と思うとぞっとする。東京の危うさを身に染みてわからせてくれた地震だった。

Saraebo
 タイトルとはうらはらに重い映画だ。岩波ホールを出た後足が重くなったように感じた。もっとも、英題は『On The Path』になっていて特に「希望」を表す表現は無い。
  宗教・生活習慣・言語・風習・・・・様々な民族的文化の違いを人は乗り越えられるのか。あるいは、乗り越えられないのか。
仲の良かった恋人同士が、やがて文化的差異による溝を深めてゆき、妊娠した女に男は「産んでくれ、あんなに欲しがっていたじゃないか」と言い、女は「あなたの子を産む気はないわ」と言い放ち背を向けて去ってゆく。「帰ってくれ」とすがるように叫ぶ男。「あなたこそ帰って」と一言言い残して女が「街角」から消えてゆくシーンで映画は終わる。そこにあるのは、理解し合うことの困難さと心に残る虚しさ。
 それにしても、主演したルナ役のズリンカ・ツヴィテシッチという女優さんの演技には圧倒された。日本であれだけの演技が出来る俳優さんはいるだろうか。
 岩波ホールでサラエボを舞台にした映画を観るのはこれが3本目だ。『パーフェクトサークル』、『サラエボの花』、そしてこの『サラエボ、希望の街角』。後者2本はヤスミラ・ジュバニッチという女性の監督の作品。どれも優れた作品だが、そこに映し出された映像を見る限りサラエボの復興はかなり進んでいるように見えた。しかし、街がきれいに整備されてゆくのと逆行するかのように、文化的には溝が深まってゆくかのような現実的危機をこの映画からは感じざるを得なかった。


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わたしのレコード棚(CD)-南インドBalachander

2011年03月12日 | わたしのレコード棚
昨日の地震は、千葉のわが家でも大きな横揺れが長く続き少し気分が悪くなった。
偶然にも仕事が早く終わり、地震の起こる40分ほど前に帰宅していたので帰宅困難にならずにすんだのだった。
携帯電話は4時間ほど繋がらなくなった。千葉市のJFE工場の火災はうちからも煙が見え、市原のコンビナートが火災から爆発を起こした時にはガラスがゆれた。市原までは直線距離で10キロはあるので、爆発の激しさが窺われる。
通信手段や交通機関の混乱はまだしも、あの程度の地震で危険物が引火するようでは危機管理が甘いと言わざるをえない。これを教訓に、必要なコストまでをも削るリストラは考え直し、安全を優先させた社会作りを目指したいものだが…。




Balachander

南インドのCDはこのBalachanderしか持ってないのだが、演奏は北部よりも伝統にのっとっていると言われる。
楽器はヴィーナ(veena)。写真では見えずらいかもしれないが、フレットがかなり高くなっていて、日本の琵琶のように強く握って音の高さを変えられるようになっている。シタールはこのヴィーナを改良して作られたとも聞くが、フレット間の音の高さはほとんど無限に出ると言ってもよく、それだけに演奏者の力量がそのまま表われてしまうとも言える。極端にいえば、琵琶もそうだが、一音出しただけで単なる音になるか音楽になるか決まってしまう。恐ろしい楽器だ。録音されているのは、2曲のラーガム(北インドのラーガ)。それぞれが25分ほど。特に1曲目は、フリーリズム(自由拍)で直感が得られるまでスケールを装飾しながら弾き続ける演奏で聴きなれないと取っ付きにくいかもしれない。落語家の五代目古今亭志ん生が「噺は落語家が語るんじゃないんだ、あなたがた(客のこと)が語らせるんだ」と高座で言っていたらしいが、それに近いものを感じる。しかし、もし日本の学校で生徒がこんなの演奏しても1点もくれないだろうなあ。嘆いてもしょうがないが、貧しい音楽教育を受けてたもんだ。
インドではこのヴィーナを演奏できるのは上位カースト出身者だけだったと小泉文夫が言っていたが、今でも変わらないのだろうか。


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国立演芸場 上席― 桃月庵 白酒『親子酒』

2011年03月09日 | 落語
 昨日(3/8)は、仕事が午前中で終わったので、久々に寄席に行くことが出来た。

Kokurituengeixzyou
 平日の昼席なので、すいているだろうと思ったが、意に反して団体客があって満席。仕方なく立ち見。国立だけあって立ち見は割引があって1400円。受け付けの人は公務員ですよ。そういえば以前、中入り後に入ろうと思って3時頃行ったら、受付のおねーちゃんに「もっと早く来てください」と言われたことがあったっけ。思わず寝っころがりそうになりましたよ。役所に謄本取りに来たんじゃないんだから、いちおう客なんだから、もう少し言い方があるでしょうが・・・と思いながらもあやまっちゃたんだけれども。まぁ、いいけど。
 
 さて肝心の落語。時間の都合で、中入りまでしか聞けなかったが、桃月庵 白酒(はくしゅ)の『親子酒』はいい出来だった。あの一席だけでも1400円の価値はあると思った。若手の真打だが、すでにベテランの風格があり、噺も仕種もうまくフラ(独特の味わい・おかしみ)がある。これからが大変だろうが、陰ながら応援したい噺家さんの一人だ。


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わたしのレコード(CD)棚―北インド(2)Manilal Nag & Mahaprush Misra

2011年03月05日 | わたしのレコード棚
3月の声を聞いてもここ数日は千葉も冷え込んで、朝は0度近くまで気温が下がった。
そうは言っても季節は確実に進み、我が家の庭の梅もほころんできた。
Ume




前回に続いて北インドで今回はシタール。シタ-ルといえばラビシャンカールが有名だが、ここは1985年9月12日に来日してすばらしいコンサートを行い、さらにその時にスタジオ録音をしたManilal Nag(シタール)とMahaprush Misra(タブラ)をとり上げる。下のCDが、その時の録音を収録したもの。

Manilal_nag

実は、わたしもこの時のライブに行った一人である。



 会場はお茶の水の日仏ホールだったが、なにせ25年も前の話だから記憶もかなり薄れている。200人ほどが入れる小さいホールなので、お客は満員で立ち見が出る盛況だった。そのときなんと演奏者たちは立っている客をステージのあいている場所に入れて座らせた。つまり、ステージの下から見ると演奏者3人を車座になって聞く者が取り囲んでいる状態だった。しかし、不思議なことに特に違和感もなく、演奏は自然に進んでいった。インドでは演奏者の周りを取り囲むように胡坐をかいて座って聞くのがむしろ普通なのかもしれない。スポットライトなどの照明効果やエフェクトなど効果音は一切使わない文字どおりのアコースティックコンサート。あの音聞かされたんじゃ今のやたらと効果音を使い、照明をキラキラさせた薄っぺらなライブは行けない。金さえ取れればいいってもんじゃないだろうが・・・っと怒ってみてもしょうがないが、せめて会場を出た後に耳が痛くなるような音作りは止めてもらいたいものだ。
ナグは今も健在なようだが、すばらしいタブラを聞かせてくれたミシュラはこの日本での録音の後亡くなったという。惜しいことである。この2枚のCDは発売時一枚3000円もしたが、今は2枚組になってかなり手に入り安くなっているようである。


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