文化逍遥。

良質な文化の紹介。

けっこう揺れた

2015年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨夜8時半頃、M8.5(その後8.1に修正)の地震。ここ千葉市中央区の震度は4だった。
船に乗って波に揺られているようで、2011年の震災の時の揺れ方に似ていた。幸い震源が深く、津波が来なかったので大きな被害はなく一安心。
東日本大震災では、千葉県でも太平洋側で大津波が襲来して大きな被害がでた。東北地方での被害が、原発を含めてあまりに甚大だったので目立たなかったが亡くなった方や住まいを失った方も多い。千葉市でも埋め立てして造成された沿岸部で液状化の被害が出た。
その後の研究で、東京湾での想定されている最大規模の津波は4メートルと云われている。震災後のはやり言葉のように「想定外」とならなければいいが・・・いずれにしろ、このところの箱根や口永良部島の火山噴火もあり、何が起きても対処できるよう心掛けておきたい。

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ポタリング

2015年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
 まだ5月だというのに暑い日が続く。
昨日5/26午前、千葉市稲毛にある人工海浜までのんびりと自転車を走らせてきた。椎間板ヘルニアを患ったので、前傾姿勢を取るような自転車はだめで、腰を真っ直ぐにして乗れるママチャリで行ってきた。いちおう電動なので上り坂も気にならないが、自分の力で動いている実感は薄れて寂しい気もしないではない。


東京方向を携帯で撮影。天気が良くて光量が十分だったので、けっこうきれいに撮れる。
ここまでは自宅から30分ほどで着く。気温は25度くらいだったろうか。潮風が心地よかった。



砂地に群生する浜昼顔。潮風にも負けず、栄養分の少ない場所でよく花を咲かせられるものだ。


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老眼鏡

2015年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 還暦近くなってきて、どうも細かい字が読みにくくなってきた。
最近は、新聞や文庫本の文字もかなり大きくなってきているので読みにくさは感じないのだが、古い文庫本やCDのジャケット解説などが読みづらい。特に、昔のLPレコードの解説をそのままCDのサイズに縮小したような、若い人でも拡大鏡が必要なのではないかと思うようなものは、そのままでは読めない。当初は、ホームセンターで売っている出来あいの安いものを試してみたが、いまいち焦点が合いづらい。仕方なく、眼鏡店へ行って測定した上で作ってもらった。
 最も弱い度数のレンズになったが、お店の人の話では「乱視もあるので出来あいのものではなかなか合わないでしょう」とのこと。
本が読めないのは辛いものがあるので、これも必要経費と考えるしかないなあ。

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二人の[キング]の死

2015年05月20日 | 音楽
 4月30日にベン・E・キングが76歳で、5月14日にB・B・キングが89歳で亡くなった。

 二人とも、歌に魂を込められる優れたボーカリストだった。歌うのにさほど難しい曲はなかったが、他に換えられぬオンリーワン的な存在だった。
 B・B・キングのギターテクニックについても「難しい事はやっていない」、という評価が一般的だ。が、誰も真似し得なかった。彼は、音に息を吹き込み、命を与えることが出来る人だった。それは譜面では表せず、単に音を追っても再生できない「生」きた音だった。ギターに関しても、自分なりの発想で「ルシール」というオリジナルモデルを考案した人だった。これは簡単なようでいて、そうではない。楽器に対する深い理解があり、試行錯誤の繰り返しを続けられる者のみが成し得ることなのだ。

 ふたりとも、長く音楽活動をつづけ、世界中を回った。その意味では、良い人生だったと信じたい。ひとつの時代の終焉を感じざるを得ない。合掌。

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『ジョー・ターナーが来て行ってしまった』オーガスト・ウィルソン著、桑原文子訳、2014而立書房

2015年05月15日 | 本と雑誌

これは、小説ではなく戯曲―すなわち演劇の為のシナリオ。
舞台は、1911年の夏、北部の都市ピッツバークのとある下宿屋に設定されてる。南部から仕事を求め、あるいは人を探して辿り着いた黒人たちの人間模様を通して、20世紀初頭のアメリカ社会の断面が描かれている。
 ブルースに興味のある方ならすぐに思い浮かべる事が出来ると思うが、「ジョー・ターナー(Joe Turner)」とは、W.C.ハンディ(W.C.Handy)の『ジョー・ターナー・ブルース』から来ている。19世紀末、山林の開拓などに必要な労働力を確保するために無理やり黒人男性を逮捕して無償で働かせた悪名高き人物だ。ただし、ハンディの曲の歌詞は男女のすれ違いがテーマになっていて、曲自体も転調のあるモダンな曲に作られている。作者は、おそらくハンディの楽譜集の解説の中に紹介されている南部に伝わる民間伝承された歌詞を参照したものと思われる。
 「ブルース」に関しては、様々な解説書が出ている。どれも間違っているとは思わないが、一面的な見方にとどまっている感が強い。このオーガスト・ウィルソンの『ジョー・ターナーが来て行ってしまった』はブルースの解説書ではないが、「ブルース」に興味があり参考文献を探している人にはこれをお薦めしたい。

 舞台朗読は1984年、初演は1986年というから、このシナリオが日本に紹介されるまで30年かかっているわけだ。翻訳の桑原文子氏に敬意をこめて、感謝したい。

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ヘックス・アコースティック・ピックアップ

2015年05月10日 | ギター
 思うところがあり、ヘッドウェイ・ギターにL.R.baggsの「ヘックス・アコースティック」というピックアップをつけた。



 各弦のピックアップが完全に独立しており、余分な残響音を拾わず明瞭に出力できる。逆にいえば、アコースティックなエアー感が薄らいでしまうとも言える。つまり、わたしのように単音で弾いていくタイプのプレーヤーには向いているが、ストロークで弾くようなプレーヤーにはあまり向いていない、とも言える。上のイラストを見ればわかるように6個のPUそれぞれからコードが出ているので、サドルの下ブリッジに6個の穴を適切な位置にあけなくてはならない。そのあたりが嫌われてか、今ではこの製品を置いてある楽器店は見当たらなくなってしまった。わたしは、この「ヘックス・アコースティック」を別のギター(カワセのDタイプ)に以前から付けていたが、そのうちの1個にノイズが発生。すでに保証期間が過ぎていたので、やむなく新しいのを買ったのだった。ところが、ノイズの出たピックアップに適当にハンダ付けしてみたら直ってしまった。なので、余分に持っていたという訳だ。ちなみに、6角形は英語でヘキサゴン(hexagon)というので、Hexとはラテン語語源で「6(ピックアップの数)」を表しているらしい。



 ブリッジに装着したところ。
 このヘッドウェイ・ギターのサドルは、幅が2mmだったので、1mmほど溝を広げなければならなかった。高さに関しては、足が付いていて多少の調整は出来るような構造になっているが、溝が浅くて低く出来ない場合は溝を削るしかない。2弦のPUがピンの方に少し寄っているが、これは失敗したのではなく、オクターブのピッチが合いやすいように工夫したもの。苦心の跡なのであった。

 失敗すると、最悪の場合ブリッジをダメにしてしまうので、時間をかけて慎重に作業を進めていった。微調整を重ねて、「なんとか使える」と思うまで丸2日かかった。今は、仕事をしていないので自分でやる時間があったが、やはり専門家に任せるのが無難なところだ。

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ダキスト弦よ、さようなら

2015年05月06日 | ギター
 あたたかみのある音質と弾きやすさが気にいって愛用していたダキスト弦。無くなるという噂で、以前にまとめて買っておいたストック分を確認してみたが、手もとにはほとんど無ない。インターネットで調べても、もう入手は困難なようだ。愛用していたのは、下のエクストラライト・ゲージと1弦で012のライト・ゲージの2種類だった。



 OEMでアーニー・ボールあたりが制作していたと思っていたが、ネットで調べてみると自社生産だったらしい。そのあたりの詳しい事情は、今となってはわからない。いずれにしろ、なんらかの理由で生産されなくなったらしい。残念だなあ。

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映画『パプーシャの黒い瞳』2013年、ポーランド映画、

2015年05月01日 | 映画
 4/26(日)、岩波ホール。『パプーシャの黒い瞳』2013年、ポーランド映画。ポーランド語、ロマニ語。





 モノクロの映像詩、といえる傑作。よくあんなリアルな映像が撮れたものだ。正直、舌を巻いた。
 かつて、ジプシーと云われた漂泊の人々。独自の文化・生活様式を持つがゆえに差別と迫害の対象になり、あるいは芸能などでは特異な力を発揮して、その神秘性と超越性が畏れられもした民族。その守られてきた呪術に近い民族の言葉が外の世界に触れようとするとき、エネルギーは内に向かい、あるいは外に向かって暴発する。ジプシーの詩を書き送った女性を除けものにし、それを本にして紹介した研究者に向かい「ロマニ語を喋るな、豚語(ポーランド語の意)でしゃべれ」とさげすむ。希望は見出せないが、そこにしか現実は無く、森と平原の中で続けられる旅の遠景映像で映画は終わる。キャストの字がスクリーンに出始めても、立つ人はほとんどいなかった。余韻が残っていたのだった。モデルとなったのは、実在したジプシーの女性詩人ブロニスワヴァ・ヴァイス(1910-1987)で、パプーシャは「人形」を意味する愛称だという。


 日曜の岩波ホールは、予想していたより空いていた。午後1時45分からの上映で埋まっていた席は3分の1ほど。ゆっくり見られた。この映画は、人によっては退屈に感じるのかもしれない。眠っているらしい人も見受けられた。余談だが、今回はローソン・チケットで前売り券を買って、それを受け付けに見せて整理券をもらって入った。こうすると、300円のお得。
 古本街も、以前は日曜に休む店が多かったが、今はほとんどが開店していて、人通りが少ない分ゆっくり歩く事ができた。いくつになっても、発見があるものだ。

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